「イデオン」ライナーノート '82 より一部抜粋 ぼくはいつ矢立部長と別れたかおぼえていない。 駐車場に自分のホンダ77があるな、とは思った。 いつもの抜 け道コースで帰って来たらしい。 薄暗い部屋の光を背にして亜阿子が立っていた。 「どうしたの!?」 「ウ?……ウン……」 「今夜、会社に泊まるっていってたじゃない」 「お、おまえに報告しとかなくっちゃいけないことができちゃって、な……」 ぼくは気丈夫にいったものだ。 とにかく、この家の主 人なのだから……。靴を脱いだ。 その途端に膝がぬけたようだった。 ぼくの上体がグラ リっと亜阿子の膝の上に倒れこんでいって、 ぼくはつい に声をあげて泣いてしまった。 ・ええい! 中年がなぜ泣く!・  そう思ったけれど、仕方ないのね……。 「だれにいじめられたの?」 「イデだ……イデが発動した!」  とにかく、ぼくは矢立部長の話を亜阿子にきかせた。 「視聴率なのね……」  亜阿子。 「それだけのこと、というより、  そういう理由なら番組当初で打ち切られているよ。警視ーKみたいに……。  で、でも勝プロの社長は笑いとばしちゃうのに、ぼくは……」 「イデの発現だなんて、現実にあるわけないじゃない」 「でもね、それしか考えられないよ。だってそうだろ?  夏には12月終了という案さえあったんだよ。  そのための ストーリーも作ったりしたよ。  でも、2月だってことになって、いろいろない知恵をしぼってみたさ。  そして、ぼ くねぇ、カララ、どう殺そうかって……  それが4話分のストーリーを残して打ち切れって……」 もう声にもならなかった。亜阿子の膝に顔を埋めて泣いた。 そして、泣きながら、亜阿子のお腹がぼくの顔に触れ、 その肉1枚向こうに別の生命がいると感じ、想像したら、 なおのこと悲しくなった。 「星まわりの悪い父親でごめんね。  いくらなんでもおまえの力で、この局面は救えないよなあ」 と叫んでしまった。 少なくともイデオンの中では、 カララのお腹の中の胎児は救世主(メシア)になるはずだったのに! 「でもさ、がんばりが足りなかったんじゃないの?  ウソでも最終回は最終回なのよ。監督は作品で評価される んでしょ?  1月で終了した『イデオン』。あの意味のわからなさ、尻切れトンボ。  糸(意図)は丈夫でも縫えなくっちゃあクズなのよね」 「あ、あなたはぼくの妻でしょ!? 少しでも事情をわかっていれば、  そんな外野みたいないい方できないはずだ。  少しは亭主を慰めてやろうって心持ちにならないの?」 「あーら、失礼しちゃうわね。  残るのは作品だけだっておっしゃっていたのはダレでしたかね?  作品の誕生する事情なんか関係なく存在するのが作品でしょ?  なら、いつどうなっても大丈夫な作品創りだってあるはずよ。  それを創り出すのがプロではないでしょうかね?  それともあなた、アマチュアなの?」 「……。アニメでおまえを食わせている。  その事実だけに関して言えば、ぼくはプロだよ。プロですよ!」 「だったら、『イデオン』のあとのお仕事も見つけて  私を食べさせてよ。扶養家族も2人ふえるんですからね!」 「…………」 ぼくは居間のソファベッドに横になって、 ただただことばを飲み込むだけだった。 隙間風が背中をかすめて通りすぎる。憂鬱の極みなのだ。 「そりゃあなた、そうつごうよくイデは発現しませんわな。  話はありましたよ。いわゆる、どんなものでしょうっていう、  ホレ、相手の顔色をうかがうってのね。  ぼくたちだって、そりゃ実現させたいと思ってますよ。  けど、いまは『ガンダム』です。  これが成功しないかぎりは、何も始まりません」  伊藤専務はおっしゃる。 「話って? 具体的にはどうなのさ」 「話は話です。『イデオン』終わりましたなア。  ハァ終わりましたね。どうですか? その後?  はい『ガンダム』で忙しくって……こういうのね。話っていうのは」 「まるで、話の話で、何もないじゃないの?」 「当たり前でしょ? あなただって、  いまは『ガンダム』の仕上げに入っているんでしょう?  仕事が重ならなくってよかったじゃない。  しっかりやってよ。当てにしてんだから……。  社運が かかっているのよ。社運が!」 「そうですよ。総監督!『イデオン』の打ち上げを  パァーッとやってやるから、気分晴らしてさ!」  これは矢立部長。  なんでこの2人は、こうも大人っぽくふるまえるのだろう?  だから、ぼくは、 「世間って、そんなものらしいねェ。  深く静かに潜行しだしたって感じで、イデは休息したらしい」  そう亜阿子に報告をする。 「かもしれないわね。  テレビの30分ものを1本作るのに何百万円もかかる。  映画だったらその5倍、10倍でしょ?  サラリーマンなら、上司の命令でもないかぎり、  1000万円単位の賭けのために動いたりはしないわよね。  失敗したら、首が飛ばないまでも、左遷だわよね。  妻子が泣くわね」 「だから、社長だけが責任とらされる……  会社ってそんなもんなのだろうな。  1人のディレクターの思い込みなんてことだけで  映画作れたりしたら、そのほうが間違っているのかな?」 「そうかもしれない。口惜しいわね」  亜阿子もさすがに溜息をついて、針仕事をやめた。 「なんでおむつを手で縫うんだ。いまならいいものがあるんだろ?  紙おむつだってあるしそんな面倒なこと…」  ムッとした亜阿子がいう。 「お母さんが、おむつは絶対に手縫いですっていうからよ。  私もそう思うからやっているんじゃない。  厭よ。できあいのなんか。赤ちゃんが可哀相よ」 「……わかるけどさ、2人分だ。たいへんじゃないか?」 「妹だって少し手伝ってくれるっていうしね。  いいじゃない? 楽しいのよ。  月曜日分のおむつ、火曜日分のおむつってね」 「フーン。何枚作る?」 「100枚」 「!」 冗談だろうと思ったが、 それ以上いうとまた経済のことをいわれたりするし、 たいへんだろうと、この労働を楽しんでいるらしい亜阿子を見ると、 これこそ母親になる女性のスタミナ、パワーなんだろうと納得する。 「強いのね。ご婦人って」