炎 98年3月号より 情けない神の国の片隅で  第18回 ポケモン事件 年が明けて、ナガノ・オリンピックの報道が、 商業主義主導でおこなわれるようになっても、 それで不況の風が弱まってくれるなら歓迎もしたい。 が、巨大組織が運営する問題は、運搬中に消えてしまった聖火に象徴的で、 あの後でも、聖火と奉っているのはなんなんだろうねぇ……!? アニメ関係者としては、 昨年の暮れに起こった『ポケットモンスター』の事件の事後の展開を見せつけられて、 おなじように考え込んでいる。 原因は『ポケモン』という作品にあるのではないのだが、 原因を正確に理解できない当事者たちは過剰反応をして、 番組を打ち切りにして世間の非難をかわし、世間もそれをよしとした。 その後、放送の許諾権を持つ尖兵であるサラリーマン諸氏は、 すべてのパカパカをやめろというチェックをいれ、 例のごとく、外国の基準をもちだして、規制をかけようとしている。 そこには、映像にたいする見識などはない。 しかし、番組を中止にしなければ、 原因は垂れ流しにされつづけていたであろうと断定できるのも、ぼくが、 こういう問題に無頓着な連中が作品をつくっている現場を知っているからである。 このようなレベルの大人が寄り集まって、ビジュアル社会をつくりだしているのだから、 モニターが映す世界は、ヤバインダと感じる。 原因は、光効果そのものにあるのだから、ピカチュウが光ること自体には問題はない。 が、光り方そのものに問題があるということは、この要因を支えるものに、 発色の良くなったテレビ・モニターという道具も荷担しているかもしれず、 各家庭のモニターのカラー調整なども、どうなっているかわからないのだから、 これも光刺激を強化させているかもしれないのだ。 ここまで視野にいれて、このような公共の媒体に提供する作品では、 映像(動く絵と定義する)につけくわえる光効果の処理は、 どのようにしなければならないかという基礎的配慮が必要なのだ。 我々の世代では、パカパカなどという処理は、好きにできるものではなかった。 そんな処理を撮影に指定しようものなら、 撮影スタッフから呼びつけられて、怒鳴られたものだ。 理由は簡単で、面倒だから、である。 もともとパカパカ処理というのは、手抜きのための処理であったのだから、 白色光をいれるパカパカでさえ嫌われた。 そうであれば、赤と青の色のつくパカパカなどは、 三重の手間がかかる処理なので、言語道断なのである。 光刺激についての基礎知識はなかったが、 仕事や色にたいする認識のちがいがあって、やらなかったのである。 しかし、CG的な映像やクールな視覚印象、蛍光色が好きな世代は、 赤や青のフィルターをかけるだけでできる処理を面倒がらず、 パカパカも技法のうちと理解して、 おっくうがらずにやるようになってしまったのである。 その理由は、色のついていないパカパカより、色つきが好きだからにすぎない。 我々、カラー慣れしていない世代は、演出家の好みがあったにしても、 補色関係を発生させる強力な光効果は、チカチカしすぎるとして、 コンピューターをもちだして脳のデータをとるまでもなく、嫌ったものなのだ。 それを、昔からあった技法なのだからパスさせた、 という局プロデューサーの発言は聞くことができない。 色彩学の領域でも、映像効果としての色彩を教育しているところは、 日本では皆無であろう。 だから、色好きのバカなスタッフは、補色の残像効果や残色刺激が、 大脳生理にあたえる影響など考えもしないでつかい、 10人が見ていてもわからないようなサブリミナル効果を喚起する光処理をつっこむ奴も出てくるし、 それを見つけるのが快感という現場があるのだから、 問題は、こうした製作環境を許しているすべてなのである。 補色の本質が理解できれば、 映像上では白と黒という色からも喚起される補色効果があるのだから、 そのような処理も2秒以上はつかってはならないということは、実は、知る人はいない。 このような処理は、 表現の規制以前にパブリックな媒体で発表される作品ではつかってはならないのだ。 ことに、作品に集中して観てくれる児童が対象であれば。                                      (了)