週刊ファミ通(3/24?)より 富野監督にインタビューしました! 『∀』は“正攻法”で、 “ファースト”は異端だった 鈴木 『∀』のシナリオを最終回まで読んで、ラストシーン に『Vガンダム』(以下、『Vガン』)を思い出したんですよ。 『Vガン』では、戦争が終わって、みんな武器を捨ててふつう の生活に戻っている、という姿を描いていましたよね。 富野 う〜ん、その読みかたは、ちょっとだけ“そそっかしい” と思いますね。『Vガン』と物事の流れが同じように見えるか もしれませんが、精神構造みたいなものが根本的に違います。 思い返すと、僕がいちばん“病気”しているときに作ったのが 『Vガン』なんだな、ということがわかったんですね。 鈴木 精神構造というのは、監督自身の精神構造のことですか? 富野 そうです。だから『Vガン』と『∀』、作り手と作品の 関係みたいな話になったときに、その“立ち居様”みたいなも のも、根本的に違っていると思います。もっと言えば、物語を 作るにあたって、『∀』では“正攻法”の作りかたをやってみ た、というのがいちばん正しいと思います。アニメに関して言 えば、この10年ぐらいでアニメ自身が特化されてしまって、ア ニメのアニメたる作品しかなかった。ところが「“作品を作る” とか、“世間様に発表するモノ”というのは、そういうもので はないんじゃないか?」という疑問が、自分の中に出てきたか ら、“作劇論ろしての正攻法”を、やってみたいと思ったんで す。アニメとして偏ってる作品がいっぱいある中に“正攻法” を持ってくると、それが“異端”に見えるという利点もありましてね。 鈴木 それは最初の『ガンダム』を作ったときと比べても? 富野 うん、そうです。『∀』のほうが“正攻法”です。“フ ァーストガンダム”の時代には、ハッキリその“正攻法”を否 定するという方向で仕事をしました。“ファーストガンダム” の時代までの、脚本家にしても、あるいはひょっとしたら演出 家にしてもなんだけど、モビルスーツのコクピットを舞台にす るってことを、ほとんど考えてなかった。だからモビルスーツ を物語画面の中に持ち込むってことを、必死でやりました。 鈴木 最初の『ガンダム』のときには、ホントにもう、脚本家 や演出家を教育するっていう、なんにも道がないところを行く ような作業だったわけですよね? 富野 もちろんそうです。 鈴木 その後20年経って、そういうところがすっかり畑になっ てしまって、それこそ宅地になったりしてるところに・・・・・・。 富野 “正攻法”を持ってくる。 鈴木 それが当たり前だと思ってる人たちを、今度は逆に森に 連れて行くような作業なわけですか? 富野 うん。せめて「全部がプレハブの家じゃねぇんだゾ!」 っていう、“ハンドメイド”を見せたかったんです。『∀』で はそれが、ある意味で僕にとっての“正攻法”論なんだってい うことです。 魚をさばくことが できますか? 鈴木 シド・ミードに∀のデザインを依頼するときに、監督は デザイナーの基礎体力が低下している、という話をされていま したよね。そういうモノを描く体力が、絵描きやメカデザイナ ーは低下してるんだっていうようなお話があって。それは脚本 家とか、ほかの部分にも感じられますか? 富野 もちろんです。メカデザイナー、キャラクターマン、ア ニメーター、背景マンの、技量とか感性だけの問題じゃなくて、 じつは生活すべてに関して、我々はすごく脆くなってる。つま り“生体力”が落ちてる、と僕には思えます。例で言うと、 「お魚さばくことができますか?」ってこと。 鈴木 あぁ、はい。 富野 あれは、ハラワタ取るために、まず出刃(包丁)の先を (魚の腹に)入れた瞬間に臭ってくるとか、“グチャッ”って 感触があるっていう感覚は、ラップに包まれたものでは想像で きないでしょ? レトルト食品になったら最後、なんにもわか らないうちに食っちゃえるようなものになっている。そういう 我々の、なんていうかな、まさに基礎体力、基礎学力、そうい うものが低下してきている。デザイン面に関して言えば、モノ の形の“基礎の形”を知らない。それは絵にいくらでも出てき ます。アニメだけでなく、いまやCGの世界もそうなんだけれど も、現実とはまったくかけ離れているところで、勝手にバーチ ャルなものを作れるという感覚だけが研ぎ澄まされていって、 そういう人間が作るものは、基本的に“基礎体力がある”とは 思えないんです。だから、不特定多数の観客なり視聴者なりを 相手にしたときに、彼らに「フンッ」って思わせないためには、 まだ僕は、まだまだ絵空事だけではいけないと思うんですよ。 キエルのスカートを めくってみたい! 鈴木 キャラクターについてお聞きします。いま、キャラクタ ービジネスがすごく肥大化してると思うんですよ。それはゲー ムも同じで、突き詰めていくと、話はどうでもいいけどキャラ は好きだ、とか、キャラクターがかわいければいいとか、そう いう世界まで行っちゃってると思うんです。『∀』の場合、そ ういうあざといキャラ重視の作りかたではないってことを、か なり感じるんですが? 富野 それは違うと思いますよ。売れるキャラクターを目指し てます。『ストリートファイターII』キャラクターを描いた安 田くんの手描きの絵を見たら、ものすごくアナログであるって ことがわかって、彼のキャラクターには根源的な力があるんだ ろうって思ったんです。僕が思うに15年まえに、『エルガイム』 で永野護くんを使って以来、そういう根源的な力のあるキャラ クターを描ける人と出会えなかった。安田くんが描いた絵を見 たときに、この画力があれば絶対に売れる、と思った。鈴木さ んを通してファミ通を読んでいるような人たちに言いたいのは、 基本的にスケベ根性があるからこうできてるんだよ、というこ とは忘れてないので、好きになって、ということです。 鈴木 そのスケベとは、要するに“生きる”ってことの!? 富野 そうじゃない。もっと単純なエロティシズム。それも絢 爛豪華なエロティシズムです。僕も安田くんも。それを目指し てるんです。安田くんなんて僕よりもっとスケベだから、この 絵が描けてるんです。とにかくエロティシズムを目指したい、 エロでありたい。と思えば思うほど、ディアナ様とキエルはあ あいうふうに動く。僕ね、自分が演出してるんだけれども、実 際に音声まで入った絵を観たときに、ホンっト、「キエルのス カートめくりたい!」って、こんなに思ってのは初めてです(笑)。 鈴木 今回、やっぱりディアナとキエルが主役でしたよね。ま ぁロランは狂言回しっていうか・・・・・・。 富野 そりゃそうです。あんなのただの狂言回しです。って、 いま鈴木さんと話してるような話が、アニメ雑誌の取材の人と 一度も話せなかったんですよ。こんなにいいキャラクターがテ レビアニメでもできたんだぞって言いたいのに。僕の場合、バ ーチャルな部分とリアリズムの部分がかなりシンクロしちゃっ てるんだな。僕は奥さんいますから、ここまでキエルさんに惚 れたら奥さんに対して申しわけないと思ってるくらい。 鈴木 じゃ、かなりリアルであり、かつバーチャルである? 富野 そう(笑)。 ※実際の富野監督は文字になった分量の20〜30倍をしゃべって います。伝えられない部分が多くて申しわけない。でも監督の “物作り”の姿勢の一助になってもらえたら、成功です。次回 はゲームについて語ってもらうことになります。