週刊ファミ通(3/31)より 2週連続! 富野由悠季監督インタビュー(ゲーム編)! それは“新しいゲーム” じゃないんだよ! 富野 いまの“電気屋さん”たちの開発論ってのは、ムービー とか、見た目の派手さを極限まで特化することでものすごくが んばってるんだけど、悪いけど、しょせんモニターの中のこと で、それで人間が、いつまで気持ちいいかといったらアヤシイ ですね。 鈴木 ええ。それと同時に、ゲームに限らず、開発側もユーザ ーもオリジナルを求めたいっていう気持ちと同時に、フェイク のほうを喜ぶ人間ってのもいっぱいいて、実際の現象として、 フェイクのほうが売れたりするんですよ。 富野 わかってますよ。ひとつの視点から見た企画論でしかな いっていうのが、いまのゲーム業界でしょ。僕は基本的に、将 棋なのか碁なのかっていうぐらいに違うものを生み出さなくち ゃいけないのが“ゲーム企画”だと思うんですよ。だけど、そ れこそファミ通なんか読んでて僕は不思議に思うんだけど、そ ういう根本的なことをなんにも改革してないゲームがあとから あとから出てくるってのは、こりゃいったいなんなんだろうか? っていうこと。 鈴木 はいはいはい。 富野 どうしてもわからない。つまりそれは“創作する”って こととはまったく違うよね。なのに、それが新しい企画である と勘違いしてる青少年がいる。そういうのは「ほとんど殺せよ!」 って思っちゃうんだけど。僕、間違ってる? 鈴木 (笑い合って)おっしゃるとおりだと思いますねえ。け っきょく、いまゲームを作るにあたって、たとえば、「自分が 自由に空を飛ぶような感覚をゲーム上に再現したい」っていう ような、理念を持ったうえでゲームを作ってる人が少ないから なんですよね。 富野 そうそう。 鈴木 ただ単に、フライトシミュレーターっていうジャンルが 存在して、いままではF-15で飛んでいた。それがF-16になった からとか、F-22になったから、「じゃあそうしよう」と。そう いうふうにゲームを作ってるんですよね。 富野 うん。でも、それはクリエイティブな仕事じゃないんだ よね。“新しいゲーム”ではない。 やっぱり時代を バカにしちゃいけない 富野 いま、“プレステ2”を見ちゃった立場で言えば、「そ ろそろ映像を主体にして、チビちゃんたちが楽しめるようなや さしいゲームや、そこから広がっていって、お年寄りまで楽し めるようなゲームってのを作ってあげてもいいんじゃないのか な。ついにそういう時期が来たのかな」といったような期待は あるんです。それは、映像を主体としたロジカルなものか、映 像の変化が楽しめるようなゲームということなんで、まだ形が 見えないんですけどね。 鈴木 いま非常に難しいところにあると思うんですけど、ゲー ムっていうものの固有の体験ですとか、そういったものを蓄積 していくっていうか、そういうことができるかどうかってこと になっていくと思うんですよ。ゲームユーザーが何を求めてる かっていうと、僕らが昔、たとえば映画ですとか、テレビです とかアニメーションですとか小説ですとか、そういった作品か ら得ていた“体験”みたいなものを、いま彼らはゲームに求め て、ゲームから汲み取っている。 富野 うん、汲み取ってますよね。 鈴木 それでもって、一種、こと足りてるんですよ。 富野 それも想像がつくんです。だからね、「そういう人たち をダシにして、金儲けすりゃいいじゃない」っていう、ホント に無責任な言いかたもあるし、現にそういうゲーム会社や出版 社もあるでしょう。で、それは残念だけどもまだ増えていくで しょうね。商売する側としては、その部分のマーケットを無視 することはないんじゃないですか、だけど「オレはそれには混 ざりたくないね」って、そういうことなんですよ。 鈴木 それをもって何かを感じ取れる、わずかな人間のために 何かを発信するってことは、オリジナルを作るっていう理念を 持って物作りをするってことですよね? 富野 まったくそのとおりです。オリジナルを作るってことが いちばん大事なことで、それ以上、それ以下のものはいっさい 許されません。ただね、フェイクで当たった人って、10年はそ れで食えるんだけど、20年食えるのかっていったら、食えませ んよ。やっぱり世の中ってのはスゴイですよ。最終的には、 “本物”がチョイスされるんですからね。 鈴木 はい。 富野 このことは、バカにしちゃいけない。『ガンダム』をや ったときに、「あ、やっぱり時代のオリジナルってのは、ある んだろうな」と思えたんです。それはゲームの世界でも同じで す。僕は、「時代のオリジナルはある」と思ってます。だから、 オリジナルに対して、作り手側はたえずチャレンジしていく必 要があると思うんですよ。 ゲームはゲームで あるべきなんです 富野 ゲームってものが厄介なのは、ツラ(表面)が、物語性 を発揮してるように見えちゃうことです。でも、大きな認識論 をぶつけることはできなくて、プレイヤーにゆだねるものだか ら、けっきょく理念みたいなものは細分化しちゃうんですよ。 ゲーム以外の作品の場合には、中心にひとつの“核”が存在し てるんです。その“核”まで細分化させていくっていう性質を、 RPGなどは持っちゃってる。「文化の礎の一環になるかも?」 って考えた時期もあるけれど、ゲームである限りそれはないな と思うようになりました。ゲームはゲームでしかない。だった らゲームはゲームでいいじゃない? というのが、僕の本音です。 鈴木 いまおっしゃったRPGに関して言えば、「一種の文芸作品 であれ」と、そこまで持っていこうとする開発の人たちが多い と思うんですよ。それは、エンターテインメント作品としての 評価とは別に、文芸作品というレベルまで持っていくことを目 指しているんです。ゲームを作ってる人たちの中には、「映画 を作りたい」って考えてる人たちなんかもいて・・・・・・。 富野 知ってます。 鈴木 さらに言えば、「アニメを作りたい」って人たちもいる。 それは、いまよりもちょっとまえのほうがより顕著だったんで すけどね。「映画はちょっと作れないけど、アニメならゲーム の中で作れるんじゃないか」っていう空気を、僕なんかは感じ たんです。そういったものを経ながら、つぎは映画や文芸作品 を目指してるわけです。 富野 だけど、ジャンルが違うんです。映画というジャンル、 文芸というジャンル、演劇というジャンル・・・・・・。つま り映画だって、演劇を引き写しにできるものだと思われていた 時期もあったわけです。まさにゲームはいま、そういう時期な んですよ。でも、ゲームはゲームであるべきなんです。 鈴木 う〜ん。 富野 「そうじゃない」というのであれば、それ以前にあった 媒体、映画に屈服すべきです。つまり、映画を作るべきでしょう。 鈴木 はぁ。 富野 ゲームの開発者の中に、文芸を目指そうっていう人がい てはいけないんじゃなくて、いていいんです。さらに言えば、 いてくれなくちゃ困るんです。ただ映像を道具として、媒体と して、機能として利用している“ゲーム”ってものは、映画で もなければ小説でもないっていう独自のおもしろさを絶対に持 っているはずなんです。その、おもしろさの部分に突進するし かない。ほかの部分に目をやっちゃいけないと思うんですよ。 鈴木 そのおもしろさとは? 反射神経的な部分とかですか? 富野 いや、違います。やっぱり、ビジュアルのエンターテイ ンメントっていう点に尽きます。RPGのムービーの中に、なぜ 物語のプロットを組み入れないのよ! と、それだけのことです。 鈴木 つぎの・・・・・・つまり、“プレステ2”の段階で、組 み入れられるぐらいにはなってるんですよね。 富野 だから僕はそれを目指したいし、それを作りたいとも思 っています。さっきから“プレステ2”って言ってるのは、 「ここまできたら、まあねぇ」っていう感じで、可能性や自由 度が見えてきた。容量の部分も含めてね。 鈴木 じゃ、「“プレステ2”でゲームを作りませんか?」って 言われたら、どうしますか? 富野 だったらやりたいけど、逃げだす人のほうが多いし、僕 はゲームを知らないからできない(汗)。 鈴木 (笑)。 富野 だけど、もしそういう機会があったら、冷たく評論しな いでいただきたい(笑)。ファミ通さんはキビシイですからね(笑)。