富野×高畑対談 富野 ちゃんとお会いしてお話をするのは『赤毛のアン』 以来でしょうか? 高畑 そうですね。 富野 しかも、『赤毛のアン』も最初のころですよね、 ご一緒したのは……。途中、『ガンダム』に徹底的に引っ 張られちゃったせいもありますけど、ヘンな話、『アン』 やってるころというのは、ぼくがそろそろ高畑さんに嫌わ れはじめた時期でもありまして……(笑)。 高畑 そんなことありませんよ。 富野 だけど、なんとなくそういう気というか、危機感 みたいなものは、ぼくのほうにはありましたよ(笑)。 高畑 いやあ、そんな……。 富野 『ガンダム』みていただけましたでしょうか?(笑) 高畑 全部をピシッとみたわけじゃないのですが……。 最初みたのは、TV放映の終わりごろだったかな。 ぼく『セロ弾きゴーシュ』というのをやってたときで、 そのころぼくの助手をやってくれていた人が───その 人、『ガンダム』ファンなんです───「あの『ガンダ ム』って、いわゆるロボットものと違うんだ、違うんだ」 って強調するんですよ(笑)。べつにぼくが「ロボット ものだ」っていったわけじゃないんですけどね(笑)。 富野さんが総監督とか監督をやられた作品というのは、 じつは見たことがなかったんです。ですが、一緒に仕事 をしていただいるころの富野さんから推察すると、あな たがいわゆるメカものとか、ロボットものを、そのまま 作品化する人じゃないとは思ってましたよ。 ただ、『ガンダム』以外の富野作品をほとんど見ていな いから、ま、比較しようがないんですけど……といって、 比較してもしょうがないですね。 富野 正直、ぼくは比較するもんじゃないと思っており ます。比較じゃなくて、一本一本で何をやったかという ことが、作品をつくる上で大切なんだ……じつはこれ、 高畑さんから教えてもらったことですよね(笑)。とに かく、比較論だけで話を決められると、困るんですよね。 高畑 そうですね。 富野 また、『ガンダム』の映画に限っていえばですね、 比較もさることながら、同じように困るのは、「映画と してみた場合どうなのか」と見られることですね。 要するに映画・『ガンダム』というのは、はっきりいっ てTVのツギハギですから、・映画・というレベルでいえ ば後ろめたいことばかりですからね。 高畑 TVシリーズを劇場用にするというときには色々な 問題が生じますね。『ガンダム』をあまり見てない立場 でいうのは失礼だけど、劇場版化することで多すぎる戦 闘シーンを切り捨てて、富野さんの出したい意図をTVの 場合よりストレートに出せるという可能性はあるんじゃ ないですか。 ま、ちょっと無責任な言い方かな、TVのツギハギがいか に困難かを知らないわけじゃないし……。 富野 いや、まさにその点が問題なんです。ですが、こう いっちゃなんですけど、展開論を前面に出していうとです ね、その戦闘シーンを核にしたほうが楽なわけです。だけ ど、本当はムロン人間を追っかけたいんです。戦いが日常 という状況のなかの、人間を描きたいのは当然なんですね 、演出家のハシクレならば。 が、フィルムの尺数の問題なんかを考えると、そうもいっ てられない事情もありますしね。ただですね、高畑さん、 ちょっと暴論かもしれませんけど、今回、無理矢理ツギハ ギ映画をつくったというのは、ぼくの本音でもあるんです が……『ガンダム』が映画になるなら、とにかく自分でま とめたいっていう気持が一番強かったんです。キザな言い まわしといわれてもいいですが、テレビアニメを映画化す るにしても、やっぱり最後まで、テレビアニメの仕事をし ている我々の側、つまり手元に作品をおきたかったんです 。 これまで、TVアニメが映画化される場合、やれ監修者だ監 督だというカタチで、実写畑の人間が入り込んでくるのが 通例でした。ぼくは、恥をかいても何をしても、基本的に はそういう実写畑からの人的移入を排除したかったんです 。 高畑 それはよくわかります。TVを映画にする際、実写畑 の人間がコミットすることは、あたりまえだみたいな風潮 がありますね。 富野 そうなんです。『ハイジ』もいろいろあったみたい ですけど、『コナン』が映画化される状況をみても、ぼく は、とてもじゃないけれど放置できないっていう気分にさ せられたんです。ですから、たとえ売名行為といわれよう と、とにかく、この『ガンダム』の映画化に際しては、絶 対、実写畑の人間に渡しちゃならないと思いましたね。 高畑 それは売名でもなんでもないですよ。要するに主張 ですよ。たとえ制約される状況があったとしても、主張す べきときは主張するのが当然ですよ。 富野 そう思いました。ですから『ガンダム』がTVでオン エアされてるときに、ぼくは会社(サンライズ)に正式文 書で申し入れたんです。 「将来、『ガンダム』が映画化されることがあった際、そ の監修者なり監督というカタチで外部(実写)の人間に導 入するなら、フィルムを渡さない」って(笑)。ものすご い不安感があったんです。そのころというのが、ちょうど 『コナン』が映画化されたあたりですよ。もう、ひたすら 、ガードしなければならないと思ったんです。 だから、おかげさまで映画・『ガンダム』は、ツギハギに もかかわらず、なんとか客の入りもいいみたいですから、 本当に良かったと思うんです。 もし失敗していたら、やっぱりアニメ畑のやつらにはやら せるもんじゃないとタタカレルでしょうし。 高畑 いや、本当に良かったですね。 富野 でも高畑さん、これが二年前だったらぼくだってそ んなに強気には出れなかったでしょうね。 ま、去年あたりのアニメ映画にも実写畑の人が起用されて ますけど……それ以前の『ヤマト』もそうですし、『ガッ チャマン』なんていう、本来つなぎようのないものをとに かくエイヤッとつないで映画館にかける状況をぼくは目の あたりに見てますからね、ムカつくんです。 高畑 なるほど……。ぼくは、『ヤマト』に舛田利雄さん 、『地球へ』に恩地日出夫さんを起用したということをき いただけで、ああ、事大主義だなァって感じただけで、そ れ以上も以下もこだわりはありませんが。 富野 ぼくは思うんです。本来、表現というものはパター ンのなかからは生まれないと。たとえばTVには、初めに引 いて、その次に右肩なめ、左肩なめ、そしてバスト・アッ プに行きましょう……この繰り返しでドラマはつつがなく 完結し得る、といった演出論があるんですね。これがリミ テッド・アニメの場合はもっと極端で、はじめに一発、位 置関係のロングがあったら、あとは全部アップでいいだろ う(笑)ですからね。ぼくはそうじゃないだろうと思いな がら、具体的に絵をひとつのフレームでまとめていくとき に、もう十年以上もこんなパターンでTVアニメの仕事をし てきたんです。させられてきたというか……。 高畑 いや、あなたは、そういう型にはまっていなかった ですよ。そういう意味では、富野さんのコンテはかならず しも整然とはしていなかったんです。けれども、なにを表 現したいのかっていうことはチャント出てるわけね。いわ ゆる職業化された、システム化されたコンテマンからはう かがえない意欲っていったものが感じられましたね、一緒 にやってたころ。 TVやっていくには、とにかく一人じゃ何もできない。しか し、一つの方向づけに沿ったなかで、たくさんの人がさま ざまな、さっきいった意欲とかセンスをぶっつけ合えばす ごいものができるかもしれない、理想ですけどね。 基本的には、コンテマン・システムなんておかしいと思う んです。けど、富野さんみたいな、表現したいって意欲の みえるコンテなどを出されると、すごくうれしい。そうい う意味でぼくのやってきた仕事は、いつもチームワークに 支えられてきました。理想じゃなくて、いやホントに、す ばらしいチームからうまれるすばらしい仕事っていうのが 現実に期待できるんです、あなたは、それをぼくに予感さ せてくれた一人ですよ。 富野 それは賞めすぎです(笑)。でも、コンテマンがあ んまり表現意欲をムキ出しにするのも問題なんですね。職 能的にも、監督が何を意図しているかを汲みとってコンテ を切っていかない限り、コンテマンの立場ってのはあり得 ないと思うんです。コンテマンの自己主張よりも、あくま で、監督の意志の体現を優先させるべきだと思うんです。 でも一方では、本来表現というのにはセオリーがない、と いうことを高畑さんから教えられましたからね。 高畑 ぼくはね、コンテをやるにしても、それぞれが表現 でなければならないとは思っているんです。ところが、そ うでないコンテなり、演出なりがけっこうあるんです。で も、映画っていうのはそういうものを断片的につなげても 一種の表現をなしちゃうんで……。 富野 そうですね。 高畑 たとえば、アニメーターにきいてみればわかります が、何を表現しようとするのかよくわからないコンテがた くさんあるわけです、現実に。よくわからないけど、ま、 描いてみたらちゃんとつながって、何となくつなげてみる と映画になっちゃう……映画っていうにはそういうところ があるんですね。 富野 ありますね。 高畑 また、尺が少ない場合に、少しでも迫力を出したい と思ったら、やたらとフォローを遣えばいい。それをどん どんやれば、全体を通じて何を表現しようとするのかわか らないけど、それでも映画になっちゃう。 それから、トラック・アップというのがありますね。寄っ ていって何か新しくみえるわけでもないのに、アニメなど でも表現として多用されますが。 富野 でもホント、なんとなくつないじゃえば、なんとな く表現っぽくなって映画になっちゃうっていうのは、『ガ ンダム』でも感じました(笑)。というより、『ガンダム 』の映画はまさにそれの真骨頂なんですよね。つなぎゃあ とにかく話ができちゃうだろうっていうふうな……。 高畑 それは極論でしょう。 富野 いや、本当にそうなんです。どういうことかといい ますと、高畑さん、TVのビデオをご覧になっておわかりの ことと思いますが、『ガンダム』のように、あれほど使い 回し(バンク)が多いフィルムっていうのは古今東西ない と自負(笑)しているくらいでしてね。各ショットをね、 あれぐらい物理的なひとつの記号として置いた作品という のはまずないと思いますよ。つまり、・表現・なんてして いないんです。 しかし、制作体制が極度に弱体化していて、能力などない ぼくをはじめとするスタッフがいた場合、そのなかでどう いう自己主張ができるかといえば、物理的に、ワンショッ ト、ワンショットをサインというか記号だという置き方し かできないんです。要するに表情じゃないんです。まして や表現じゃないんです。とにかく置いてって、つなげてい って、せめて話の骨子だけは伝えようというだけのことな んです。 ですから、ぼくはあまり大きな声で「オレは監督だ」とか 「演出者だ」なんていえないんですよ。 高畑 ま、結局、自分に与えられた条件のなかでしか仕事 はできませんよね。しかもその条件というのは、だいたい が制約というカタチで出てきます。しかし、とにかくその なかでやるしかない。というより、逆に、そういう制約の なかで、それでも、ものをつくれる・条件・をこっちでつ くっていく……これも仕事のはずなんですね。 けど、条件が悪くなってるときに、一体、このシリーズで 何をやるか……方向転換とか修正などを含めて、それなり にやるしかないわけですよね。 ま、投げ出しちゃう人もいますけど。 富野 でもおおむね、テレビをやってる人ってのは忍耐強 いというか、スタミナがあるというか、がんばりますね。 高畑 スタミナという点でいえば、それはもうそのとおり です。 富野 現場スタッフに対しての状況をセット・アップする 場合、作品に対しての思い入れが欠けたまま制作に入っち ゃうものですから、どうしても劣悪な条件のなかでしのい でいかざるを得ないわけです。 それはもう、絶対スタミナがなきゃあ、日本のTVアニメの 現状のなかでは生きていけませんよね(笑)。 才能よりもスタミナかもしれませんよ(笑)。 高畑 ところで、『ガンダム』の劇場版で上映時間は? 富野 二時間十九分です。 高畑 それは長いですねェ。 富野 ええ、なんだかんだいいますけど、すごく気持のい いもんですね、(笑)。そういう快感みたいなものがある から、映画にして悪かったなんてことは全然思ってません 。 いま、アンケートでもらった葉書が二百通ばかり手元にあ りますので、いま読んでるところなんですけど、見事に、 賛否両論です。でも、いろんなところからさまざまなこと をいわれることは覚悟のうえでしたからね。たとえば、今 度の映画は第一部なのに、なぜそれをうたわなかったのか ……とかですね。 高畑 アニメーターの絵のトーンが変わってたとか、直し とかツナギで新しくつかった絵でね。 富野 アニメーターの絵のトーンですか? それはもう、 すばらしいくらいの変わりようでして(笑)。安彦(良和 )君のキャラなんかもすごい変わりようでしてね。ま、宮 崎(駿)さんとか、大塚(康生)さんなどがおやりになる 作品になそんなことは絶対にないでしょうけどね。 高畑 変わるほうが普通ですね。 富野 アニメーターには非常に酷な仕事であったことを強 調したうえで申しますと、さっきの表現の問題からも(絵 が変わるということは)絶対あっちゃならんことなんです よね。絵が変わるということは、要するにキャラクターが 変わることにつながりますから、演出者の立場からいって も容認できません。けど二年も時間が経ってますし、アニ メーターだって同じところにとどまっていませんからね。 そうだ。この席でぜひいっておきたいことがあったんです よ。このロマンアルバムというのは、『ガンダム』のファ ン向けの本ですから、ひとつ承知してほしいのは───前 にいったことと多少ダブルかもしれませんが───今回の 映画のつくり方っていうのは、本来のものをつくるつくり 方でいったときに、決していいつくり方じゃないってこと なんです。たとえばあるファンはこういってました。 「新しいところの追加された絵はきれいだった。」賞めた つもりなんでしょうけど、ぼくは全然うれしくないんです 。本当は、きれいに見えたらいけないんですよね(笑)。 前のフィルムのなかに埋め込まれなきゃあダメなんですね 。 高畑 それはいえますね。……あの、話がヘンな方向にい くようで申し訳ないけど、あの『ガンダム』の最初のほう を見たときに、いま地球上にいるさまざまな人種がちりば められていないなと、まず感じたんですよ。どうなんです か、そのへん。 富野 世界中の人間の顔っていうと、それはないですね。 高畑 たとえば黒人とか中国人はまったく出てきませんね 。 富野 黒人がいないのは当然です。人種差別の問題とかか わりますし、下手にとりあげたらテレビ・コードに触れま すから。 高畑 そんなことないよ。『009』にだって黒人が出てき て、ちゃんとTVで放映されてるじゃない。『ガンダム』の 時代がいつのころなのかは知らないけど、いやしくも、・ 地球連邦・みたいなものができているとするならば、その 構成員は世界中の人種を網羅しているというふうに設定す るほうが、自然なんじゃない? 富野 『ガンダム』のはじめの想定にはあったんですが、 さっきいいましたテレビ・コードなどの問題…… 高畑 それが良くわからないなァ。でも、ぼくがいまいっ たような、『ガンダム』には人的構成に問題がある、みた いな議論は出なかったんでしょうか、どこかで。 富野 それはありません。そのへんは完全に落っこってま すね。 高畑 それはどうか知らんけど、ぼくはやはり世界連邦み たいなことになったら、逆に、人種がかたよって出てくる 状況のほうがおかしいと思うもの。 富野 もちろんそうです。 高畑 『コナン』みたいな時代設定なり状況設定ならまだ しも……ジオン、でしたっけ、あの植民地にだっていろん な国から人間が集まっていてもおかしくないし、集まって いないのなら、たとえば「ジオンていうのは、じつは旧ヨ ーロッパ勢力だ」ということかもしれないし。 いずれ、もっと意識的にそのへんをセッティングしたほう がおもしろいんじゃないかという感じはしましたね。 富野 基本的な設定のなかでは、当然、まんべんなく人種 混合が行われていたという想定はしているんです。ただ、 そうはいいながらも具体的な想定でいうと、いまから百年 後ぐらいで、そこまで均一化するというのはやや辛いなと 思いましてね。また、ストレートに、人種差別がはっきり しているような部分でのアツレキみたいなものを問題にし たいと考えたりはしたんです。 高畑 いや、その時代は差別がある世界かもしれないし、 あるいはない世界かもしれないし……。 富野 いずれにしても、ロボットものというだけで放送コ ードの問題が生じる可能性がありますから、人種問題がウ ンヌンなんてことは通るワケがない。だから反故にしよう と決心したんです。 高畑 でも、反故にするのなら、かえって、人種的な問題 が解決されていないというふうに考えたほうが正しいんじ ゃないですか。逆に、黒人なり中国人と一見してわかる人 たちも登場したほうがよかったんじゃないかと思うな。 富野 それはそう思います。 高畑 そうでなかったら、やっぱり人種問題は解決してい ないんだと思いますね。『ガンダム』には日本人とヨーロ ッパ人だけしかいない。ほかの国の連中はどうしたんだ、 ということになりかねない。 富野 まったく正しい指摘です。 結果的に『ガンダム』は、そういう問題をよけて通りまし たからね。リュウ・ホセイなんてキャラは、じつは当初黒 人想定で設定をはじめたくらいなんです。 でもですねェ、高畑さん、このテレビコードってのは厳然 としてあるわけですよ。たとえば虫プロ時代の『ジャング ル大帝』のときものすごくもめたことがあるんです。あの 作品の舞台はアフリカ大陸なんですが、当初は黒人がでて きません。「黒人を出すな」という投書がきたからという ことで、テレビ局が自己規制し、制作サイドに・条件・と してハネ返ってきたからなんです。こんなの信じられます か、高畑さん。 高畑 信じられません(笑)。 富野 これはもう、実際にあった話です。 高畑 アメリカあたりでも、そういう偏向した(人種の) 配置ってのを排除してやってるでしょう。たとえばテレビ 映画でも『セサミストリート』などは典型だし。 富野 日本の場合、そういう現実があることは事実なんで す。『ガンダム』のケースで、こういうことがありました 。シャアっていうマスクをしたキャラクターがいますね。 あれも当初の予定では額に傷つけていたんです。「額に傷 」ぐらいじゃ、いくらなんでもひっかからないだろうと判 定したわけです。どうしてかっていいますと、あの松本零 士さんの『キャプテンハーロック』で一応認知されてたは ずですからね。が、第一稿のキャラクターを局の方に回し たときに、即ストップがきたんですよ。 「あの額の傷は、身体障害者を連想させるし、また、あの 人たちを刺激してしまう」とね。これで全部おしまいです 。 高畑 へェー……。局は徹底的に逃げ回るんですね。 逃げるだけなんですね。 ただね、それでもぼくはこだわりますね。『ガンダム』で はやはり、地球上にはいろんな人間がいるんだということ を意識させるべきだったとね。とくに、いまの日本人に。 飢えとか、人種差別とかがいっぱいあって、それらの問題 を克服、解決したうえで世界連邦というのができた……解 決しなきゃあり得ないんだっていう意味での想像力を、テ ィーンエージャーに呼び起こしてもらわないといけない感 がするんです。ちりばめるだけでいいんです。問題を真正 面から扱わなくても、意識させるだけでもね。基本的に、 我々は有色人種です。唯我独尊の欧米人とは違いますから 、そのことを忘れないようにしなきゃならないと思います 。 富野 本当にそう思いますね。  ロマンアルバム42 機動戦士ガンダム(劇場版)'81より