ファンタジー・アニメアルバム 海のトリトンより 生き残りトリトン 演出・富野喜幸  トリトン制作の最大の難関は、手塚治虫原作の『青いトリトン』が、 作者の構想する巨大なドラマのイントロダクションで終ってしまっていた、ということでした。  我々は、原作者の精神を尊重しながらも、シリーズ化にあたっては、 ドラマの構成を変えざるを得ないと判断したときに、『海のトリトン』の出発がありました。  『最もアニメーションらしく、スペクタクル・ファンタジーの世界を成立させながらも、 海への情熱を背景として、人生に旅立ちをしていく一人の青年の冒険譚を描く』  この制作テーマを設定した我々は、子供たちに長い生命感を与える作品を創造しようと、 意気込んだものでした。  しかしながら、トリトン族とポセイドン族との抗争劇を基本として、 一話ごとに、生き残りトリトンが局面を突破して、 自分の秘密(歴史)へ肉迫するドラマの創造は困難を極めました。  さらに、映像化にあたっての観念と方法論との落差、 これを埋め得なかった点には、切歯扼腕する思いでした。  とはいえ、制作基本テーマを、一歩もゆずらなかったために、 あのトリトンとピピは生き残ったのではないかと信じます。  ドラマは、少年期の感受性を、かなりなまでに代表した二人によって、すすめられました。 その共感は、二人の世界から見ているからであって、 ポセイドン族から見たときには、果たして良きものだったのでしょうか? その結論が、最終回で語られているわけです。それは悲しく残酷でした。  一族の存亡をかけた戦いが、 『己れは悪だったかも知れぬ』という疑問を投げかけられて終了する。  それは勧善懲悪のパターンを無視した危険な結末でした。  しかし、我々は信じるのです。 ヘプタポーダとの出合いによって予測された運命の抗し難い重さ。 それを知りつつも挑まねばならない戦いがあり、 その戦いをまっとうしたトリトンが、青年になれないはずがないと。  まして、自己と種族とのかかわりあいや、 悪しきものと、良きものへの思索を始めることのできたトリトンが、 あの後のたれ死にするとは思えないのです。  今、いったい、どのような空間に生きているかは知りませんが・・・・・・・・・。  そして、未だに生き残り、迎えられるトリトンを創造したスタッフの一員であったことに、 幸福を感じます。 (おわり)