BATTLE ROYALE 外伝


第二部
中盤戦


18

 駐車場の外灯は完全に消えており、そればかりでなくこの島全体から明りが漏れているのは消防署の外灯ぐらいなものだった。この島には電力が供給されていないのかも知れない。もちろん、会場となっている間だけだろうが。
 三島仁(男子二十番)は拠点の消防署のすぐ側にあった倉庫の影にずっと身を潜めていた。だが、そこは禁止エリアとなって出なければならなかったため、G=02の公園の駐車場に移動した。今は百八十センチを越すその大きな身体を屈めて、車で周りからは死角となるブロック壁にもたれるようにして座っていた。
 仁の支給武器はH&K・MP−5・クルツ・サブマシンガンだった。銃床がなく、大きさは大型の拳銃ほどのクルツを座ったまま身体の前に置いて、手動のスイッチをフルオートに切り換えた。操作の仕方はご丁寧なことに説明書がついていた。弾は二十発、ちゃんとすべて装填されてある。予備の弾が入った箱もいくつかデイバックの中にあった。
 茶色がかったパーマの髪が揺れて、仁は空を見上げた。
 ――――まいったぜ。まさか、こんなことになるとはな。
 絶望とは少し違う、何か得体の知れない困惑が自分を呑み込んでいくようだった。大きく口を開けた怪物の口の中でかみ殺されるのを待っているような心境だった。
 俺が死んだら……母さんはどうするのだろう。
 仁はゆっくりと母への想いを回想した。
 いつも母親の顔色は悪かった。青ざめていて、どこか浅黒く、まるで死人のように生気がなかった。だが、母はそれでも、一人で自分をここまで育て上げてくれた。自分にはとても想像できない苦労があったに違いない。元々身体が強い方ではない母は、無理して働き続けたのが原因で昨年ストレス性の急性胃炎で入院した。だけど翌日には病院を抜け出して働いていた。大丈夫という母の言葉を馬鹿正直に信じて、俺は母を労わってやることすらできなかった。――――今、母は大きな病院の集中治療室で何とか生きさせてもらっているにすぎない。あの、母の穏やかな顔を覆っているマスクを外せばすぐにも死んでしまうだろう。
 こんなことをしている場合ではないのだ。母を、もう間もなく死を迎える母のそばにいてやりたかった。それがせめてもの親孝行だったはずなのに……。俺を立派な人間にするために一人で不幸を背負った母にできる唯一のことなのに……。
 あれほど大嫌いだったあの男に頭を下げて懇願したのに。――――母を、大きな病院で治療させてやってくれ、と。
 残念ながらいくらバイトをしようが中学生の稼ぎでは一家を支えることなど不可能だった。母と自分二人だけの生活費すら稼ぐことなんてできなかった。
 悔しくてたまらなかったが、あの男に頭を下げにいった。金を貸してくれ、と。もらうことはどうしても厭だった。何が何でも返すつもりだった。あの男に借りを作りたくない。――――菱倉財閥総帥。菱倉ゆかり(女子十八番)の父親であり、俺の父親でもある男。つまり菱倉ゆかりは俺の腹違いの妹になる。
 母は総帥の妾だった。母からは何も聞かされてないが、そんな話はどこからでも入手できるものだ。母は身よりのない子供だった。親戚からも見捨てられ、流れ流れて行き着いたところが総帥のところだったと聞く。母は総帥の妾となり、生きることができた。良くも悪くも母にとって総帥が生きるすべてになっていたのだろう。詳しくはわからなかったが、総帥にはそう言った”子供を買う”性癖があったらしい。妊娠するたびに降ろされていたという話も聞いた。だけどある日、母は反抗した。もしかすると従順することに慣れていた母が今の生活から抜け出そうと考えたのかも知れない。流される自分に歯止めをかけようとしたのかも知れない。俺を生むことによって。
 そして母は総帥に捨てられた。赤子を抱えて一人、東京を離れて神戸に来た。母が二十歳の時だった。
 それからの生活は言うまでもない。少なくともお金には不自由していなかった母が、働いたことのなかった母が、一人の赤子を抱え生活していくには……。とにかく今の自分があるのはすべて母の強さとやさしさからだ。母の強い意思がなければ俺は生まれてはこなかった。
 菱倉ゆかりが三年生の時に同じ中学校に転校してきたのは”あいつ”のいやがらせにすぎない。菱倉ゆかりは俺とは違って、正妻の娘なのだからそんな苦労などあるはずもない。どこまでも俺と母を苦しめるのが好きなようだ。この、ゆかりに対しては何の感情もない。別に憎いわけでもないし、嫌いだと言うわけでもない。もっとも、今まで言葉をかわしたことはなかったが。この赤の他人よりも、このクラスには大事な人間が俺にはいる。
 仁はふと親友である利夫のことを思い出した。
 ああ、トシは俺によく言ったな。お前、ひねくれてるなァって。だけど俺に言わせれば、利夫はまだ全然子供だ。利夫はほんとに子供っぽい。いや、見たままを素直に信じる純朴少年と言っていい。俺もお前に言いたいよ。お前、馬鹿正直だなぁって。
 利夫は俺がいつか家族の話をしたとき(菱倉財閥の名前は言ってないから菱倉ゆかりと兄妹とは知らない)、利夫は泣いてくれた。それから利夫は『俺にできることがあったらなんでも言ってくれ。俺たち、親友じゃないか』なんて今時くさいテレビドラマでも言わないような迷台詞を残した。
 トシはどうしてるのだろうか……。
 仁はちょっと潤んできた瞳をごまかすように目をパチパチとさせた。
 実は仁が出発当初に拠点の近くに身を隠していたのは利夫がでてくるのを待つためだった。このゲームに放り込まれてどうすればいいかわからなかったが、とにかく一番信用できるのは利夫だったので、二人で何か案でも練ってみるかと考えていた。それに利夫の運動神経と自分の運動能力があれば、たとえ誰かと戦いになっても負けるとは思えなかった。二人が組めば、息もぴったり。川田、土岐組にスポーツで負けないのは俺たちぐらいだ。実際、体力測定では走力などスピードを要するものは利夫と土岐が互角、力を要するものは仁と川田が互角だった。(ちなみに完全に負けるのは握力だけで、川田はりんごを片手で握りつぶせる。お前ほんとに中学生か!?)
 消防署から生徒が次々と出ていって、ほんとは川田や土岐もできたら集まろうと思っていた。(なにしろ利夫の次に仲がいいのはこの二人だ)順番からいって、川田の恋人の大貫慶子が先に出てくるので、一応彼女も一緒にいた方がいいだろうと思って、注意深く見ていた……つもりだった。大貫らしき女子生徒が出てきたので(その時は月が影に入っていて出入口の外灯以外は真っ暗でよく見えなかった)、後をつけた。だが、それは大貫慶子ではなく、江口美奈(女子三番)だった。しばらく後をつけてから気がついた。江口が大貫に後ろ姿が似ていることもあってすぐにはわからなかった。慌てて倉庫に戻ったが、その時にはすでに大貫慶子は消防署を離れた後だった。それでも待っていると、次に出てきたのは佐藤雅之(男子七番)だったので川田もやり過ごしてしまったことに気がついた。
 すっかり脅えきった佐藤がふらふらと、公園の中に消えていった。声はかけなかった。じりじりした気持ちで利夫を待った。が、突然消防署の裏手で爆発が起こった。何がなんだかわからなかったが、そちらの様子をみようと消防署の裏手に回ろうとしたが、金網が途中からしてあって反対側にはいけないようになっていた。ちょうどそこから先がG=01のさらに西側らしかった。それでも間近にいたので、様子を伺っていたらボンベのようなものが転がっていた。おそらくプロパンガスかなにかのボンベが爆発したのじゃないかと推測した。金網越しに見える西側にフラッシュマズルのような閃光が何度か見えた。だがそれが何かを確認する前に、爆風と轟音でその場にいられなくなって一時退散した。また、しばらく経ってから倉庫に戻ってきたが、もう利夫はやり過ごしてしまっていた。もう誰を待つわけでもないが、そこから動けなかった。どうすればいいか……悩んでいた。最後の仁村俊幸(男子十七番)が出るまで。
 仁村が去ったあと、そこが二十分後に禁止エリアになることを思い出して、結局少し東に移動したのだ。
 そこで駐車場を発見して身を隠して武器の確認などをしていた。
 あいかわらず静寂が辺りを包んでいたが、誰かの叫び声が聞こえたような気がした。
 なんだろう。空耳だろうか。
 続けて聞こえてきた叫び声がそれを現実と認識させられた。――――あれは。……トシ!?
 いや、間違うはずがない。昔から何度となく聞いてきた親友の声だ。
 仁はゆっくり立ち上がると、周りの様子を伺いながら声のする方へと足を進めた。
 ずいぶん切迫した声だった。いやがうえにも緊張感が高まっていった。――――どうした!? おい、めずらしいじゃないか。お前がそんな声をあげるなんてさ。また、良子サンにでも叱られたのかい?
 いつものように皮肉の一つでも言ってやるかと思ったが、自分でもまったく面白くなかった。無理に笑おうとしたが口が引き攣っただけだった。
 公園の花が両側に並ぶ道を抜けると小さな建物があって、その向こうに人影がいくつか見えた。そしてその異様な光景に一瞬、仁の足は硬直しかけた。
 馬乗りになって利夫が誰かを殴り続けている。横で少女が倒れている。――――利夫が??? この二人を襲っているのか!?
 「トシィ!! やめないかぁ!!」
 しかし、利夫はこちらに気がつく様子もなく、ぶんぶんと下の男を殴っていた。ちっ、と舌打ちをしながらその場にデイパックとサブマシンガンを置いて駆け寄った。
 利夫に向かって近づくと、利夫の腕を取って羽交い締めにして殴るのをやめさせた。下になっている男の顔面がボコボコになって誰だかわからなかった。完全に顔の形が変わってしまっている。うちのクラスにこんなに鼻の歪んだ歯抜けの男なんていたっけかな。あはは、目も腫れあがっちゃってすごい一重まぶたですねぇ、兄さん。
 「ぐぐぐ」
 利夫が唸りながらまだ下の男を殴ろうと力を込めていた。
 「よせ。よさないか、トシ!」
 クッ。なんて力だ。利夫には力では負けてないと思っていたが……。
 利夫が羽交い締めを振りほどいてしまいそうだったので、一度仁は腕を放すと、今度は利夫の頬にビンタを食らわせた。
 ばちん、とひときわ大きな音が鳴り響いた。
 「トシッ。しっかりしろ! 何があったというんだ」
 言いながら側にいた少女の方を見た。利夫は力を失って下の男の横にしりもちをついた。顔面を潰された男は見にくい形相をさらけだしたまま、かすかにまだ息をしていた。
 横にいる彼女は脅えた目で仁と利夫を交互に見ていた。
 「どうしたんだ、いったい……。園村……お前、その傷」
 園村包実の左の肩口から不気味に、矢が生えていた。ばっと周りを見まわすと少し離れたところにアーチェリーが落ちていた。あれでやられたのだろうか。――――チクショウ。アーチェリーは人に向けて撃ってはいけません、ってあのバカ顧問にいつも言われてるってのに。人に向けて撃つやつなんているかよ、くだらねぇ。っていつも言い返してたのに。……刺さってるじゃねえか、矢が。撃たれてるじゃねえか、園村が。なんてことだ。信じられるか、そんなこと!? クソ。――――トシ、お前がやったのか? これ全部。お前がやったのか!?
 「み……三島くん……なの!? 沢村くんを……止めて、お願い」
 息も切れ切れに園村が言った。
 「園村。お前……大丈夫なのか」
 「あ、あたしはヘーキ。……でも、今、沢村くん、すごく怒ってるから、あやまちを犯す前に、早く止めてっ」
 仁はもう一度振りかえって利夫の方を見た。しかし、すでに利夫は放心した状態で虚ろな表情のまま手をついて座っていた。利夫の手の甲が痛々しいほどに傷ついて、血で真っ黒になっていた。
 「今は……大丈夫なようだ。いったい……何があったんだ、園村?」
 彼女は返事をするかわりに、顔をしかめながらはぁはぁと荒い息遣いだけをしていた。園村の顔がなにかいつもと違うように感じたのは彼女のトレードマークの一つ、あのやぼったい眼鏡がないせいだった。――――お嬢さん。眼鏡を外した方が素敵ですよ。ささ、ついでに髪もポニーをやめて大人っぽく髪を巻いてみてはいかがでしょう。
 仁はとりあえず彼女の肩口に刺さった矢に目をやって、「そのままでは痛いだろう。俺が抜いてやる。出血するから下手に抜かない方がいいかも知れないがほっとくわけにもいかないしな」と、園村の肩口に手をやった。仁もだてにアーチェリー部をやっているわけではない。この矢には先端の”かえし”がついていないことを知っていたので、傷口をすばやく押さえると、さっと矢を抜いた。やはり矢の先端はやや細くはなってるものの、丸くなっていた。あう、っと園村が声を出した。同時にどろっとした液体が地面にべちゃりと落ちて、左の肩口を右手で押さえる園村の手の隙間から、ぼたぼたと赤い血がこぼれ落ちていった。
 「手当てをしないと……まずいな」
 クソ。こんな時にこそやぶ医者こと川田がいてくれると助かるんだが……。
 体育の授業などで誰かが怪我をしたら、川田がしゃしゃりでて簡易的に治療をしてくれる。いつもなら、それをからかって、『お、やぶ医者の出番だぜ』とかふざけたことを言い合ったりしたのだが、ここでもさっと川田が現れてくれないものかな、と仁は思っていた。もちろん、そんなことは期待できなかったけど。
 まずいほどに園村の顔が青ざめていった。それでも彼女は、「沢村くんを……見てあげて」とけなげにも言った。あらま、いい女ですこと。
 誰だかわからない顔の潰れた男のことも気になったが(おそらく岩瀬あたりではないかと検討はつけてはいたが)、当面やはり気になるのは親友の方で、利夫から何か聞き出せないものか様子を伺ってみた。だが、息はまだ荒いものの、ほとんど無表情になってしまった利夫にいくら話しかけても何も返ってこなかった。
 見かねて園村が青い顔のまま立ち上がった。
 「沢村くんを……安全なところへ――――」
 起き上がりながら言いかけて立ちくらみをしたのか、園村が倒れそうになったので、仁はすばやく彼女の身体を支えてやった。
 「あ……りがとう」
 「無理、しない方がいい。――――三人……一緒だったのか?」
 「いえ……。あたしと……沢村くん。爆発みたいのがあって、一緒にでる羽目になって……」
 ああ、と仁は納得した。たしか消防署で爆発のようなものが起こったときはちょうど利夫がでてくる時間帯だったのを思い出した。それで一緒に――――ということは初めは利夫と園村が一緒だったんだな。――――じゃあ、この男は? 襲撃者か?
 「園村はトシ……沢村と初めから今まで一緒だったんだな?」
 「うん。……一緒に、あの事務所の中に隠れてたの」
 それだけで十分だった。利夫と初めから一緒にいたと言うのなら、少なくともこの二人は殺し合いをしなかったわけだ。
 読めた。
 どうせ人を疑うことを知らない利夫のことだから、この男を見つけて合流しようとしたのだろう。だが、争いになって結果的には利夫の勝利となったのだろう。あそこまで利夫がぶち切れていた理由までは想像できないが。
 小柄な園村を(もっとも仁の身長からいえば、クラスの女子はすべて小柄になってしまうが)片腕で支えながら、利夫の方へと近づいた。まだ、座って虚ろな利夫の腕を取って、「さあ、トシ。立てよ」と引っ張りあげた。しかし利夫の腕がぐにゃりと力なく曲がるだけで完全に脱力状態だった。
 「沢村くん――――」
 園村が仁から離れて利夫の頭を胸に抱くようにしっかりと背中にも腕を回した。まるで母親のようにやさしく頭の後ろを撫でながら、「もういいのよ、沢村くん。もう怒らなくてもいいのよ。これ以上やっても川上さんだって喜ばないわ。あなたが傷つくだけだもの。――――許せないでしょうけど……あたしなんかが言ってもだめなんでしょうけど、それでも……もう十分恨みは晴らしたでしょ。お願い。――――もう大丈夫って言って。いつもの、あのやさしい感じの沢村くんに戻って……」と涙を浮かべて言った。
 そのまま利夫を抱きしめたまま顔を埋めて、「お願い。……いつもの沢村くんに戻って」と哀願した。
 ぼろぼろ涙をこぼす園村の背中を見ながら、仁は事のなりゆきを見守った。ここは彼女の行動にまかせた方がよさそうだった。
 うう、とすすり泣くような声が聞こえたのは園村ではなく利夫からだった。
 「ううう、うっ」
 利夫が泣いていた。
 小学生の低学年の頃は利夫は泣き虫呼ばわりされるほどよく泣く子供だった。それがだんだんと人前では泣かなくなり、いつのまにかクールな感じの落ち着いた少年に成長していた。そこに惹かれる女子も多いようだった。あの川上良子でさえ利夫に淡い恋心を持っていたし、この分だと園村も利夫にそういう感情を持っているらしかった。
 そりゃあ、バカがつくほど素直で、真っ直ぐで、やさしい心を持っていて――――人の痛みを自分のことのように感じる彼の性格なら(まあ女性のようにやさしい顔をしているのもあるだろうが)、人に好かれるのは当然のことだった。もちろん、仁も彼のそんなところが大好きだった。
 二年前を思い出した。中学に上がって仁が自分の出生の秘密を知った時。絶望と哀しみと己の不遇にいらだっていた自分を見守ってくれていた小学生からの親友。
 『俺は、仁と、親友だと思っている。だから、俺、お前がそんな苦しんでる顔を見るの厭だ。――――俺にも同じ悩みを半分抱えさせてくれよ。そうしたら。……そうすれば、仁の悩みも、半分になるかもしれないじゃないか』
 笑って利夫が言った。なつかしい、寒空の、近所の夜の公園だった。利夫は泣いてくれた。俺のために。母のために。そして今でもはっきり覚えているあの迷台詞を吐いたんだ。
 『俺にできることがあったらなんでも言ってくれ。俺たち、親友じゃないか』
 『なんだよ、それ。ずいぶん、白々しい台詞じゃないかい?』
 『俺……お前が、かわいそうでさ』
 『バカヤロウ。泣くやつがあるか』――――そして俺は初めて人前で泣いた。
 利夫の涙を見たのはその時以来だった。利夫は――――自分よりも大事な人が傷つくと涙を流すのだ。
 「あああうっ」
 嗚咽しながら利夫が園村の胸の中で泣いている。顔がくしゃくしゃになっていた。強く握られた傷だらけの拳から血が流れ出ていた。
 「どうして……」
 利夫が苦しげになんとか聞き取れる言葉を発した。
 「守れなかった……。良子を守れなかった。……う、うう」
 「そんな……。きっと、岩瀬のバカの作り話よ」
 園村が怒りを込めた口調で言った。
 「あれを……」
 利夫が目をやった先に何かが落ちていた。
 園村が下の方を見ながらキョロキョロしてそれを拾った。園村の手に握られた物が利夫のぼろぼろの手の前に出された。
 「これ……川上さんの物なの?」
 「それは……俺が前に良子にやった……誕生日プレゼント――――」
 言いながら利夫の目から次々と涙があふれた。
 園村が両手で利夫の手を覆いながらしっかりとそれを渡した。銀のネックレスだった。仁はどこかで見たことのあるものだと思ったがはっきりとは思い出せなかった。
 一段と利夫の嗚咽が激しくなって、「良子ぉ……」と川上の名を呼んだ。
 園村は自分の名前ではないその言葉にも変わることなく、利夫を暖かい目で見つめていた。
 「……そうだったの。……じゃあ、川上さんがきっと大事に持ってたものなのね」
 園村の腕の中で(彼女は肩から血を流してるのにそこに利夫の顔を埋めさせていた)、利夫がわんわんと泣き出した。
 すべての状況を把握したわけではないが、仁にもおおよその予想がついた。そして、その想像はもっとも最悪な結果であった。
 川上良子が殺されたのか……。この顔面が潰れた男、岩瀬に。それならば納得がいく。利夫が泣いているわけ。激昂したわけ。
 「こんな物が――――」
 利夫が何か言い出した。
 「こんな物がお守りだと母親が言っていた。――――俺の、数少ない母親の記憶の中に。そんなつまらない迷信があった。――――なぜ、どうして良子が死ななければならない。――――どうして殺されなくちゃいけない。……俺は誰も守れない。俺は自分の大事な人すら守れない。――――良子は……良子は好きとか嫌いとかの感情を超えて、俺の大事な人なんだ。馬鹿だよ。俺。今気がついたよ。良子がこの世からいなくなって初めて気がついたよ。……俺の中では母親だったんだ。良子は母親だったんだ。俺のやすらぎの場所だったんだ。……俺のコンプレックスは、母親がいないところからはじまったんだ。俺はただ、良子にかまっていて欲しかっただけなんだ。良子は――――良子はやさしかった。親父とか、すごい気に入ってたし、俺も、良子に愛情以上の何かを感じていた。数少ない母親の記憶の中の一つ。――――良子は俺の母親に似ていたんだ。だから……俺は……良子に、好きだと言われても、恋人として見れなかった。良子が……良子が誰よりも大事な人だったから。俺の……良子に対する気持ちは――――ああ、そうさ。俺、良子が……。俺は、良子を、すでにかけがいのない存在として良子を――――彼女を……愛していたんだ」
 唇を噛んで哀しみをこらえていた。だけどあふれる涙だけは、後から後からとどまることなく流れ続けた。
 園村の腕から抜けると、がっくりと両手を地面についてうつぶせた状態のまま泣き伏せた。終わることのない嗚咽がこれ以上の自分を責める告白をさせなかった。
 そして仁はぼんやりと上空を眺めた。月にかかった雲がやわらかい光線を心細くさせた。

【川田章吾優勝まで あと35人】


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