
第二部
中盤戦
19
静寂に守られた島に虫の声が聞こえてきた。
とても穏やかな虫の音がとても平和であるかのように感じられる。もちろん、ここは戦場の一角にすぎないが。
悪夢を呪うか、現実を恨むか、はたまたこの国に生まれたことで悲劇を背負うのか。
こんな哀しみが過去に、何度も何度も繰り返されてきたのだ。ここでは誰も悪くない。ここでは何も悪くない。逆らえないこの世界の住人には生きる望みは他人任せなのだ。
こんな殺し合いなど……つくづく無意味だと仁は思った。
誰も責めることはできないのだ。こんな国を野放しにしている今の自分たちが悪いのだ。
親父、総帥は国の軍事産業に手を出していた。武器の製造や購入を全面的にまかされる立場にもいる。
仁は総帥のふてぶてしい濁った目を思い出した。
どうにも俺は親父にもてあそばれる運命にあるようだ。このプログラムで支給された武器にしたって、親父がどこかで絡んでいるに違いない。釈迦の手の上でもがく孫悟空だな。俺は。だったらドラゴンボールを俺にくれないか。いや、あれは違う話だったか。
園村にふたたび介抱される利夫を横目に仁は少し離れたところに落ちてあったアーチェリーを取りにいった。
仁がアーチェリーを始めたきっかけはほんのきまぐれだったにすぎない。神戸二中のアーチェリー部顧問、犬丸先生が一年生の時の担任だった。小柄な細い女の先生だが、腕前は一流だった。その先生に誘われて、アーチェリーというものを初めて手にした。当時から身長が高かった仁でも大きなアーチェリーを使いこなすのは困難だった。だが、本気をだせばワケもなく、あっという間に上達した。その日に教えられて帰る時にはすでに基本動作などは完璧に近いくらいマスターした。
元々運動神経は良いものの、真面目に運動(?)したことのなかった仁の本領がそこで発揮された。相手なりにそれなりに何でもこなした仁だったがこのアーチェリーという特殊なスポーツではさらにその真価が発揮されたかっこうとなった。
そもそも仁が勉強も運動も適当にしかしてなかったのは、苦しい家庭環境を少しでも楽にするためにバイトをして、そっちに重点を置いていたからなのだが、この「イヌ」先生こと、犬丸先生の強い勧めがあって、部活を続けていた。驚いたのは経費や諸費用をすべてこの顧問が個人的にだしていたことだ。
あなたに夢を見たのよ。
先生はそう言った。先生がまだ学生だったころ、結構有名なアーチェリーの実力者だったらしい。だが、過去に公式大会での大きな記録はない。身体が弱くて、体力がもたないらしい。一、二度なら精度の高い技を披露できるのだが、大会のように何度も撃たなくてはならない場所だとどうしても息切れがして実力を発揮できなかったそうだ。
こう言ってるととてもいい先生だと聞こえなくもないが、この顧問はいつも一言多い。うるさい小姑のようだ。
仁は手に持ったアーチェリーを構えると何もないところへ向けて打つふりをした。
「こいつ、誰にも教わらずによく撃てたな。普通、素人がやると前にも飛ばないんだが」
依然、気を失っている岩瀬を見下ろしながら仁が言った。
「案外、才能あるかも知れないぞ。こいつ」
ふふん、と鼻を鳴らして岩瀬の醜い顔から視線を外した。
利夫と園村に目をやって、
「足が速かったよな。岩瀬って。運動神経いいのかな? まあ、俺やトシが本気をだせば勝てないってことはないけどな。はは」
と言ったが、二人ともうつむいたままこう着していた。
ぼりぼりと仁は頭を掻いて、軽口を叩いたことを少し後悔した。
仁はそのまま、岩瀬の腰にぶら下がっていたクィーバーのベルトを外すと、自分の腰に巻きつけた。
「俺はこいつだけあれば十分だぜ」
そう言ってびっ、と立ったままポーズを決めた。さすがに使いこなれているだけあって様にはなっていた。それからひゅう、と口笛を吹くと、
「これはこれは。マスコット矢まであるぜ。念入りなこった。見ろよ」
「あ、うん」
ようやく園村だけが顔を上げた。
黒い数本の矢の中に、一本だけ赤いシャフトで矢じりにキーホルダーのようなものが付いた矢があった。マスコット矢とは通常の矢の他に、一本だけ撃たない飾りの矢のことをいう。もちろん、普通に使えるものなのだが、ゲンかつぎだとか、好きな人の矢を一本だけ持っておくとか言うのが流行りだ。だが、このマスコット矢は総統のレリーフのついたキーホルダーだった。――――やれやれ、どこまでも芸の細かい政府連中だこと。
「へっ。この総統のマスコット矢をあの舞知にぶち込んでやったら気持ちいいだろうなぁ。」
仁はあえていつものように軽口を叩いて利夫を元気づけてやろうとしていた。それで園村はふっ、とほほ笑んだが、まだ表情には翳りが見える。
「三島くん……やさしいんだ」
園村に唐突に言われてちょっと仁は赤くなった。
「いや……なに、俺は、思ったことを口にしたまでさ。――――ベイビー、勘違いしてもらっちゃ困るぜ」
仁は照れ笑いを浮かべながら言った。そして園村が今度ははっきりとわかるぐらい笑った。少し、ドキッとするような愛らしい笑顔だった。
「三島くんって、いつもそうなの? あたし、少し今までのイメージと違ったなァ」
「へぇ、どんな想像してたんだい? 夢にも出てきてたのか?」
笑いながら仁が言うと、
「そうね。出てきてたかも知れない。――――だって、沢村くんと仲のいい友達だし。――――あたしが……沢村くんのことを、いつも夢で見ていた時に、少しは、三島くんも出てきてたかな」
「そう……まいったね、こりゃ。のろけられちゃったよ」
二人でくすくすと笑った。園村の笑顔が仁の心の中にどーんと入ってきた。――――こんな……可愛かったっけ? 園村って。
だが、仁はすっと表情が元に戻って、利夫に近づいた。
「立て、トシ」
利夫の腕に手をかけると無理やり引き上げて、何とか立たせた。利夫もようやく落ち着いてきたのかも知れない。
「こんなとこでいつまでもへばってる場合じゃない。このままでは……俺も園村も危険だ。岩瀬は自業自得だが、トシまでそのままにしておくわけにはいかない。少しあっちで休憩してからどうするか――――」
「三島くんっ」
園村が仁の声をさえぎった。
「どうした、園村?」
「あ、あれ……」
園村が指差した方角を仁が振りかえって見たその瞬間だった。
どぱっ、どぱぱぱぱ、とトタンの屋根を雨が叩くような音がした。
続けて見えたのは妙な具合に体をぐにゃりと曲げた利夫の姿だった。そしてあの消防署の一室で何度も見た赤いものが噴出すシーンとかぶった。どさっとヒザをついて利夫がうめき声をあげるとその場にゆっくり倒れるように突っ伏した。赤いしぶきがそこらじゅうに撒き散っていた。
仁と園村はちょうど利夫の影に隠れるかたちになっていたので弾には当たらなかった。
そしてようやく見えた。利夫がそうなった元凶が。
白いブラウスが月の光を妖しく反射し、その下の紺のスカートがひらりと揺れた。長い髪のその少女の手にクルツ・サブマシンガンが握られていた。
「あれは……? 俺の!?」
気がつかなかった。バカだった。仁は激しく後悔した。ちょっと園村に気を取られすぎたか。敵の接近にまったく気がつかなかった。しかも自分の武器を奪われるとは。なんたることだ。
「沢村くん!」
園村が利夫にばっ、と駆け寄ろうとしたが仁が腕を取って引いた。
「よせ! 危険だ!」
また、どぱぱぱぱっ、と激しく空気が鳴り、仁の足元で土が跳ねた。そのわずかな瞬間に仁は真後ろに飛びのいていた。その場に立っていたら確実に命中していた。
「来い! 園村ァ」
仁は右手にアーチェリーを、左手に彼女の右手を掴んだまま後ろの建物の陰に向けて走り、「めいいっぱい走れぇ!」と叫んだ。
彼女の傷ついてない方の手を取りながら叫んだ。
「あの陰に逃げ込むぞぉ!」
「待って! 沢村くんが――――」
「ダメだ!」
走る速度を緩めなかった。おかげで次の銃声が響く前になんとか園村と二人で死角に入りこんだ。
はあはあと息をついて、壁に背をつけていた。
「無事か、園村?」
「ええ、あたしはなんとか……」
「クソッ。気がつかなかったぜ。ありゃあ、誰なんだ!? いきなり撃ってきやがったぜ」
神妙そうに園村が首を傾けていた。
「たぶん……愛子だと思う」
「愛子?」
「そう。高橋愛子。彼女だったような気が……」
そんな馬鹿な。高橋愛子(女子十一番)だと!? たしかクラスのいじめられっこだ。よく田口はるな(女子十三番)あたりがちょっかいをかけていたのを覚えている。
「なぜ!?」
「あたしにもわからない。彼女、あの建物にいたときにはすごい脅えていたのに」
「クソ。どっちにしてもピンチだということには変わりないぜ。――――怪我はしてないな、園村?」
「うん、矢の傷以外は。でも――――」
「なんだ?」
「沢村くんが……」
そうだ。利夫が撃たれたのだ。しかも直撃していた。あれでは……急いで治療しても助かるかどうか。――――ちくしょう。親友が死ぬところを手をこまねいて見てるだけか。
仁は物凄い憤りを感じたが、ふと違う感情が流れ出た。
利夫も……感じたのか。これと同じ……いや、これのもっともっと何十倍もの悔しさを。利夫にとってはかけがえのない存在だった川上良子の死を聞かされたときに、利夫は悔しくてたまらなかったのだろう。憎かったのだろう。どうすることもできなかった自分に。
建物の角からそっと覗きこむようにそちらの様子を伺った。クルツを持った高橋愛子がゆっくりとこちらに近づいていた。その瞬間クルツが吠えた。びっびっと壁が削れてあやうく仁の頭も削れるところだった。いつも教室で見られた、臆病な感じのおどおどした目つきはそこにはなく、きっと眉はつりあがり、鬼人のような顔をしていた。
「クソ。こっちが手をだせないとでも思ってやがる」
仁は矢をつがえてアーチェリーを構えようとした。が、
「待って、三島くん」
「なんだ? ――――心配するな、園村。一発でしとめてやる。俺の腕を見くびるなよ」
「相手はあの気が弱い愛子なのよ」
「気が弱かろうがなんだろうがマシンガンを持ってることには違いないぜ。それにあれは俺が持っていたやつだ。返してもらうだけだよ」
「そうじゃないの!」
強い口調で言った園村が仁の腕をつかんで離そうとしなかった。
「邪魔するな、園村」
「お願い……彼女を襲わないで」
「こんな時に何を言ってるんだ。やらなきゃやられるんだぞ!」
ちくしょう。あの舞知の迷台詞をまた言っちまったぜ。
「違うの……彼女、愛子は……あたしの友達だから……」
仁はしばらく歯を食いしばった状態で園村を見つめていたが、やがて力がふっと抜けたようになり、
「……そうだったのか」
とだけ言った。
しかし仁はすぐさま頭を切り替えると、
「だったらわけないぜ。なんとかあいつを説得してみろ。失敗したら……死んじまうがな」
「わかってる。あたしと愛子、仲よかったもの」
「期待してるぜ」
言いながら園村と立ち位置をかわった。建物の角のすれすれにきた園村がそっと顔をだして言った。
「撃たないで! あたしよ、愛子! 包実よ。――――愛子ぉ。どこにいるの?」
疑問符が仁の頭によぎった。
「いないのか?」
「ええ、怖くなってどこかいっちゃったのかしら」
「そんなはずはない。俺がさっき覗いた時にはいきなり撃ってきたんだ」
「でも……いないわ」
園村はすっと建物から姿を完全にだした。それを見て仁も園村の側に寄った。遠目には利夫が倒れているのが見える。早く治療してやらないといけないというあせりが走った。そして――――たしかに高橋愛子の姿はなかった。
ほっ、と安心しかけたとたん、ぞくっと仁の背中に冷たいものが這った。――――まさか。
振りかえったのと同時に、二人の真後ろでクルツを構えようとしていた高橋愛子の姿が目に入った。反対からぐるっと回ってきやがったな。
そう思ったのと、愛子がサブマシンガンをぶっ放したのと、仁が園村の手を取って走り出したのとはほぼ同時のことだった。
「きゃあ」
肉が弾む音がして仁の繋いだ手にも衝撃が伝わり、園村の白いブラウスに赤いものが広がった。
「耐えろ! 走れ!」
仁はとにかく一番近くの茂みに向かって一直線に走った。園村と手を繋ぎながら。――――クソ、可愛い女の子と手を繋いでても決してデートには見えないだろうな。
どぱぱぱぱ、と銃声が鳴る。どん、とこもった鈍い音がして仁の左足が自分の意識と関係なく、前に跳ねあがった。ふくらはぎのあたりが熱くなったが、それでも倒れることなくがむしゃらに走った。全速力で走る仁にも園村はなんとかついてきてるはすだった。振り向く余裕もなく、左手に握られた園村の感触だけが、かろうじて彼女がついてこれてると感じるのが精一杯だ。
深い茂みに体ごと突っ込んでいき、そのまま直進することをやめなかった。そしてその時になってようやく仁の左手に握られた園村の右手が軽く感じることに気がついた。
「園村。無事か?」
走りながら振り向いて、仁はそこにいるはずの園村に声をかけたが、そこには誰もいなかった。
えっ!?
園村ははるか後方、建物の近くですでに倒れていた。
何!? どういうことだ? これはいったい――――。
仁はゆっくりと自分の手に握られた先を見た。
そんな!? じゃあ、俺が引っ張ってきたこの右手は――――。
そう。その右手はたしかに園村の右手だった。だが、右手しかなかった。
「うわああああああ」
思わず手を振り払ったが、園村の手はしっかり仁の手を握っていて離してくれなかった。硬直して、いくら仁が左手を振っても握られていた。
「ひぃ」
勢い余ってその場にしりもちをついた。
手が――――手が、離れない。園村の手がぁ!
また、どぱぱぱぱぱ、と鳴って仁の周りの木やら土やらの破片がそこらじゅうに飛び散った。
その塵が顔にパシパシと当たったせいで、なんとか自制心を保った。
仁は取り落としていたアーチェリーをさっと拾うと、もう少し奥の完全な茂みの中へと姿を消した。
走りながら、なぜだか涙がぽろぽろとこぼれてきた。
【川田章吾優勝まで あと35人】