
第二部
中盤戦
21
生ぬるい風がふわっと吹いて、そのたびにひび割れた小さな窓ガラスがかたかたと鳴った。
真っ暗といって良かった空も、月があらわれはじめて視界が広がっていくようだった。壁にかかった薄汚れた時計は午前四時になるちょっと手前だった。彼女は今、小さな小窓が一つだけある四畳半ぐらいの部屋に隠れていた。
水野真琴(女子二十番)はもう、ずいぶん前に起こった消防署の爆発について思い起こしていた。
――――あれはいったいなんだったんだろう。
真琴は出発の順序が最初の方だったために消防署の爆発を見たのはすでに彼女がD=04のエリアに入った頃だった。そこで派出所を見つけた彼女は中へ入って、奥にある休憩室のようなところで休んでいた。四畳一間の狭い場所だったが、台所もあり、幸いなことに何かの工具であるとか、カップラーメンなどの携帯食料まであった。そしてプロパンガスに接続されたガス台があったので火が使えた。(これは非常にありがたいし、何か安心感を与えられた)
それまでに、すでに真琴は消防署を出た時に、近くの公園で身を潜めながら支給されたデイパックの中身を簡単に確認はしていたが、すぐに誰かが近くを通った気配がしたので身の危険を感じて場所を移動した。結果的にそれは功をそうしていたようだ。意外と広い公園を抜けたところでこの島の案内図を発見した。慌ててほとんど白紙の支給された地図に書きこんだ。(運がいいことにその頃、一瞬月が周囲を照らしていた)とにかくできるだけめぼしいものは白紙の地図に書きこんだ。書いている時は必死だったのでよくは覚えていなかったが、交番は安全だと意識が自然と働いたのか、足がこちらの方角へと向いていた。その移動の最中に真琴が出てきた消防署の方角から爆音がして、赤い炎が見えた。しかし、真琴のいる位置にはまったく影響がなかったので、むしろその明りをたよりに歩いていた。派出所に着いてデイパックの中身を確認した時に懐中電灯が入ってるのがわかって、もっとちゃんと確認だけでもしておけばよかったと思ったのだけど、たとえ先に気がついていたとしてもそれを使って歩いたとは考えにくい。そんなことをすれば自分の位置をさらけ出すだけ、闇にまぎれている意味がなくなってしまうからだ。真琴の支給武器(?)、画鋲の入った箱も使用の意図がなくそのままデイパックに入っていた。
奥の小部屋に鍵をかけて隠れていた真琴だったが、戸口ががたがたっと音を立てるたびに誰か来たのではないかとびくついた。実際にはさきほどから吹いている風のしわざだったのだけど。
真琴は肩より少し長いストレートな髪を両手でたくし上げると、スカートのポケットに入っていたゴムを取って、首のうしろで髪を軽く止めて束ねた。それから身体を向き直すと、懐中電灯を手に持って、外に明りが漏れないように、出きるだけ慎重に下を照らした。
そこに大きな紙を広げると、白紙の地図を取り出して、鉛筆でそこに書き写した。
矢ノ島近辺図と書かれた島全体を描く地図をそれもまたできるだけ慎重に書き写した。(この地図は詳しく書かれていたが大きすぎたので持ち運びには不便だった)交番は色んな意味で真琴にとってありがたかった。
そして真琴はこのクラスメイトの中で唯一、島全体の地図を持った生徒になった。
かたんと、またひび割れた小さな窓ガラスが鳴って、ふと顔を上げた。しかしそこには何もなく、真琴はまた風だろうと、無意識に納得した。そして視線を下に戻した時にまた、かたんと鳴って、そちらに視線を返したのだけど、何もガラス越しに見えるものはなく、ただ揺れる木々がその先に見えただけだった。
ちょっと気になったので真琴はその窓からそっと外をのぞいてみた。……が、やはりそこには何の気配もなかった。
――――ちょっと神経質になりすぎかしら。
軽く息をついて、その窓の壁にもたれるように座った。時々、びゅうと吹く風だけが聞こえる。そして――――。
遠くにかすかに爆竹か何かが小爆発したような音がたまに風に乗って聞こえてきていた。
「これでもう何回目かしら」
知らず声が出た。
ここに隠れてからというもの、もう何度目かの音だ。それは間違いなく銃声がこの島のどこかで響いていることを認識させられた。だれか、だれかはこのゲームに乗っているんだ。そんな気持ちがいっそう孤独感に拍車をかけた。――――誰も信用なんてできない。誰かが私を狙っているかもしれない。
こんな時でないと思いもしなかったはずのクラスメイトへの疑心がふつふつと湧きあがってきていた。誰かが私を狙っている。たとえ、今は狙っていなくてもいずれ最後まで残った時にはきっと自分の命が狙われる。私の知っている人間のだれかに……。
また遠くでかすかに銃声が聞こえる。恐ろしいことだ。確実にこの島でクラスメイト同士が殺し合いをしているのだ。
ぶるっと身震いして両手で自分の腕を交差して強く掴んだ。
もう――――いや。こんなこと。殺し合いなんて……。
かたん、と窓が鳴った。
わかってはいても身体がびくっと反応してしまう。――――風だ。風ぐらいで驚いてちゃこの先もたないわ。また風が吹いて空気を唸らせた。誰かが叫んでいるようにも聞こえた。――――悲鳴だ。あれは空気の悲鳴だ。
――――かたかたん。窓が鳴る。
びゅう、と風が吹きぬける音がする。
大地の悲鳴が聞こえる。
空が叫んでいる。
がたがたがた。
ガラスが鳴る。
かんかん。
鳴る。
窓。
沈黙……。
沈黙が続く……。
風がやんでいる……。
かたかたん。窓が鳴る……。
他に音がしない。島が息を止めた……。
がたがたがたと窓が鳴る。風はない……。
そっと――――そおっと、真琴は窓から外の様子を見た。木が見えた。暗い空が見えた。かすかに月も見えた。黒い穴が見えた。誰かが笑っていた。
どん、とこもったような爆発が起きて、真琴の頭が吹き飛んだ。
スミスアンドウエスンM19・357マグナムが発射されて、撃った本人は反動で後ろに反り返るようにしてしりもちをついた。
じんじんと腕に痺れがきて、予想以上の反動に面食らった様子の都ゆきひろ(男子二十一番)は、彼の人生の中で初めて人を殺すという体験をした。
都はその派出所のすぐ側の車の中に隠れていたのだった。都は消防署をでて以来、偶然この交番を発見したのだけど、交番には地図があるし、おそらく誰かがそれに気がついて中に入るだろうと、そして中に入った生徒を誰であろうと最初に殺すことを決めていた。
どうせこのクラスからは一人しか帰れないんだ。だったら俺が生き残って……俺があのくそったれアマァをぶっ殺してから俺も死んでやるぜ。と思っていた。薄笑いを浮かべながら。
彼は彼の恋人、天色真夜を心から愛していた。彼にとって真夜がこの世にいないということは、彼自身もこの世にいないのと同然だった。真夜がいて、自分がいて、それで初めて世界が成立するのだ。真夜のいないこの世界に意味など、自分の存在など、まったく意味がない、そう思っていた。
都は交番裏手のパトカーに近寄った。さっきまで彼が隠れていた車だ。
島の住人を追い出して会場にしていると舞知が言っていたがそれは警官も例外ではないのだろうか。わからなかったが、とにかく鍵はかけてなく、鍵そのものはエンジンをかけるところにぶら下がっていた。都は運転できなかったので(当然だ。中学三年生だぞ)、当座、それは意味のないものであったが、身をひそめる場所としては意外な盲点となって悪くはなかった。
舞知に撃たれた背中の傷がじんじんとにぶい痛みを絶え間なく脳に送りつづけていたのだけど、都の強い意思に阻まれたのか、都自身にはさほど苦痛とは感じられなかった。
こんな痛みなど、真夜に比べたら……。こんな苦しみなど、真夜に比べたら……。真夜は、真夜は……どんな苦痛や痛みも、つらいことばかりじゃなくこれから沢山作るはずだった楽しい思い出も、もう、何も、感じることはできないのだ。そんな……そんな……哀しみと比べたら……俺の傷の痛みなど……。
都は下唇をぎゅう、と噛むとわなわなと震え出した。――――真夜と比べたら。どんなことでもましに思える。真夜の美しい髪。真夜の濡れて温かった唇。真夜のやわらかなほほ笑み。もう何も――――。もう何も見ることはできないんだ。すべてが失われたんだ。
ぼろぼろと涙がこぼれてきた。――――つい数時間前に彼女がしたように。
ダメだ。と思いつつも、「うっうっ」と声がでてきた。
都は泣きながらパトカーの中に残してあった荷物を手に取ると、派出所に戻った。――――地図を取ったらもうこの場を離れようと思った。狭い派出所の入り口に入ると奥の扉に手をかけた。が、扉はいくらノブをまわしてもびくともしなかった。
――――内から鍵をかけたのか?
当然といえば当然のことだったのかも知れなかったが都は無償に腹が立ってきた。
クソ。邪魔すんじゃねえ。俺には――――俺にはやらなきゃいけないことが、復讐しなけりゃいけないやつがいるんだ。
がちゃかちゃと音をたててノブを無理に回していたので、彼の後方。わずか十メートルほど先に人が立っているのに気がつかなかった。
ぱん、ぱん、ぱんと何度か続けて銃声がなると、都は振り返ることもなくその場に崩れ落ちた。さっきまで彼がいくらやっても開かなかった扉がきいぃと音をたてて開いた。ノブのところにはめちゃくちゃな穴が開いていた。
白いブラウスの女子生徒が都にさっと近づいていって、頭に銃を向けると、一度だけ発射した。がくんと都の頭が揺れると、それを最後に生命の動きを止めた。
「もう大丈夫よ」
切れ長の目をした金髪の少女が振りかえって言った。
野ノ原遥花(女子十七番)は、田口はるな(女子十三番)と保坂千春(女子十九番)を、その二つの死体が転がる派出所に迎え入れた。
【川田章吾優勝まで あと32人】