第二部
中盤戦
22
壁の薄汚れた時計が、かちっとごく小さな音をたてて午前四時三十分をさした。それ以外の物音は不思議なほど何も聞こえてこなかった。
保坂千春(女子十九番)は派出所の入り口の小部屋の机に座って息を殺して外の様子をうかがっていた。小柄で軽くパーマをあてたショートの髪の少女の手には、さきほど都を撃ち殺したブローニングHP九ミリが握られていた。これは田口はるな(女子十三番)の支給武器だったが野ノ原遥花(女子十七番)を含む三人の中でもっとも殺傷能力の高い武器だった。(ちなみに千春の支給武器は文化包丁で、遥花のそれはちかん撃退用スプレーだった)
都から奪ったマグナムは武器類だけをまとめた遥花のデイパックに今はしまわれていた。
三人で相談した結果、一時間ごとに見張りを交代して、朝がおとずれるまでこの交番に隠れていることにしたのだ。最初の一時間は、眠れそうもない、と千春が提言したので最初の見張りにつくことになった。
奥の部屋で遥花が横になっていた。部屋全体に異臭が漂い、血の赤い染料で壁が染められている、その部屋で。
――――よくもまあ、あんな場所で眠れるものだ。少し、いいやだいぶ感心した。はるなの方は千春の側でヒザをかかえて丸くなっていたが眠っているわけではないようだった。茶色いショートカットの髪の隙間から銀色に光る首輪とうつろな表情が覗いていた。……こういうときだけは彼女も普通の少女に見えるのだが。
むしろ非常識に思えるのは遥花の方だろう。普段から現実的で落ち着いた空気を持つ彼女はこんな非常事態でも特に普段と変わるところがなかった。怖いぐらいに落ち着いて見える。――――これだってそうだ。
千春は胸のポケットにしまっていた紙の切れ端を取り出した。表には無地。裏には遥花の字が書かれていた。あの配布された地図の一部だ。教室で……いや、消防署だったか。あの部屋でこの地図をくばられた時に、この切れ端が遥花からすばやく回ってきた。三人の座る位置は隣あっていたので、舞知らのスキを見て遥花が配ったのだ。あの兵士たちは最初に左側の席から地図をくばっていったので、兵士たちが右側の席の生徒に配り終える前に遥花はこのメモをよこした。とてもすばやい行動だった。ちゃんと地図は当面島の分布図とは関係のない部分だけを切り取っていたようだ。(もっとも今は島全体の地図を手に入れているが)遥花とはるな、それに千春自身も席が近かったのでそういったことができた。メモにはD=02と書かれていた。この最初に支給された簡単な地図に唯一目印となるような所を待ち合わせの場所としていた。それは当然、D=02の橋で待つ、という意味が込められているはずだった。
なぜ、遥花がそんなことをしたか。それは三人が友達……と呼べるかどうかはわからないが、もっとも一緒の時間を過ごすことが多い仲間だったからだ。まわりの生徒はあたしたちのことを名前を取って、「はる三姉妹」と影で言っていたようだが、堂々と言ってくる者など当然と言うべきか、いなかった。それもそのはず、あたしたちはみんなが俗に言う、不良だったから。
学校には普段、遥花とはるなは来ることが少ない。特に遥花の方は、二年生になってから学校にくることは少なくなった。半年ちかく休んでいたこともあったし……義務教育とはいえ、よく進学できたものだ。たいてい二人は何かの”悪さ”をしているか、単に学校に来るのを面倒くさがっているだけだったけど、二人と違い、千春は学校にはそれほどざぼらずにいた。千春には積極的に学校へ行きたくなるある理由があった。とても単純な、でも深刻な想い。
千春は同じクラスの沢村利夫が好きだった。彼の純粋な瞳。さらさらの髪。やさしげな話し方。それでいてどこかたくましいところのある彼。そう、それは剣道の全国チャンピオンという”肩書き”も一つの要因となっているかもしれない。なにもかもが彼女にはよく見えたのだ。ただ彼の姿を毎日見たい。それだけの想いで嫌いな学校に通った。三年生になって利夫とは出会ったのだが、おかげで三年生になってからというもの欠席は一度としてなかった。(遅刻は何度かあった。夜更かしで睡眠不足だったので)どんなに疲れていても彼の顔を、声を、感じることができれば幸せだった。それまで幾度となく族の集会や、暴力沙汰に足を踏み入れてきたのだけど、彼を知ってからはそれもほどほどになり、よく知り合いからは、最近丸くなったんじゃない? と聞かれることもしばしばあった。――――夜更かしはいけないのだ。眠そうな顔ばかりを彼に向けるわけにはいかない。ましてや、肌荒れも、にきびも(これはよく見ないとわからない程度だけど)夜更かしはよくないのだ。――――きれいで……いたかった。学校では。……彼がいる教室では。
恋というものをしたのはもしかすると初めてかもしれないと思った。それまで自分が恋と呼んでいたのはただの恋愛ごっこの延長だったような気がする。――――はるななんかには一生わかることではないだろう。
田口はるな。彼女は男好きでいつも頭の中はそれしかない。体験した人数を聞いたことがあったがぞっとした。ほんとにただの馬鹿じゃないの、と思った。本人には言わなかったけど。
あたしも一度だけ経験があった。例の集会で知り合った五つ年上の先輩だ。向こうは体目的で、あたしは好奇心だった。それだけだった。またぜひ体験したい、と思えるようなことではなかった。それとかすかな後悔も、なかったかといえばないわけでもなかった。だからはるなの男好きには少々閉口する。はるなはすっかり虜になっているようだ。――――自分が公衆便所(みんなの処理場所)と呼ばれているのに気がつかないんだろうか?
そういえば、遥花の男関係の話はまったく聞いたことがなかった。三人はそれぞれに仲間意識は持っていたけど、お互いのプライベートというか、まあ、恋愛については深く語り合ったことはない。
けだるそうな顔をしては冷めた態度でいることが遥花はよくあった。それに時折、どこかにいなくなったり(事実、二年生の時に半年ちかく失踪したことがあった)、そうかと思えば、行方をくらましていきなり帰ってきた日にあたしに「身体にいい食品ってなにかしら?」なんてとぼけたことを聞いてきたりと、ずいぶん変わった人だった。
だけどまあ、彼女も遥花もあたしたち三人は仲間意識が強く、お互いを信用しているからこそ、こうして集まることができたのだ。――――あたしたちが強い信頼で結ばれている理由。それは、三人とも幼馴染で……同じ施設で暮らした姉妹のようなものだったから。あたしたち三人はみんな親がいない。あたしと遥花の親は生きている。……でも二人の心の中では”親”なんて死んでいる。顔すら思い出せない。
遥花の父親は誰かすらわからないという私生児だ。彼女の母親の年齢は現在三十歳。――――十五の時の子供ということになる。遥花は自分の親が自分を生んだ歳に追いついたのだ。もうこの世の人ではないけど、はるなの親も……あたしの親だってそれと似たようなものだ。
”生まれてきてはいけない子なのよ。あなたたちは”
幼き頃に三人の心に植え付けられた共通のトラウマがそこにあった。
ひらひらと葉っぱが空をさまよっている。また、風が吹き出したのだろうか……?
あいかわらず、島は静かだった。
すーすー、と奥の小部屋から寝息が聞こえてきて、ほんとに寝てるのだとわかって少々あきれた。いいや、だいぶその神経の太さに感心すらした。最近は健康管理にうるさくて、施設の食事係のおばさんにまで何かと注文をつけていたり、とにかく他人には理解不可能な行動をよくとる人だ。あたしたち凡人にこの人を理解しろというのがむしろむちゃな注文なのかもしれない。
D=02の橋で集合した後、消防署の方で爆発が起こった話をした。その時にさっそく誰かが戦いののろしをあげたのだと遥花が言った。あたしもはるなもそれに同意した。――――きっと、殺し合うことになるのね。
そこで三人は誓った。あたしたちは三人で生き残る。そして三人だけになったら……あたしたちは殺し合いをする。誰が勝っても文句なし。――――それがこのゲームのルールなんだから。
遥花がいつもと変わらない口調で話した。最初は遥花のその提案に二人とも驚いたのだけど、たしかにこのゲームは”よくできて”いて、お互い協力しあった方が生き残る確率が高いものの、最後に、あるいは途中で裏切られる可能性がある。だから協力は難しい。だからそんな矛盾を合理的に排除して考えようと彼女が言ったのだ。最後の三人になるまでは協力しあった方が得だから無条件に協力しあう。三人になったらこれまた無条件に互いを殺し合う。割り切って、こうなった以上割り切って考えないと誰も生き残れない。あたしたちはそれができる仲間なんだもの。
はるなも同意した。もちろんあたしも。――――他に答えなど見つかるはずもなかった。
何の脈絡もなく沢村利夫のことを思い出した。彼は今どこで何をしているのだろう。もしかして、殺し合いに巻き込まれて……ううん。そんなことを考えるのはやめよう。彼は死なない。そんな気がする。
ただ、気がかりなのは千春たちが生き残るためには、当然この人も殺さなくてはならないということ。
千春は心の中で天秤にかけてみた。
究極の選択のような気がした。あたしはどちらを選べばいいのだろう。
利夫を殺そうとする遥花とはるな。――――そこであたしはどうするだろう。一緒に彼を殺そうとするだろうか。それとも彼を守ろうとして二人を裏切るだろうか……。
色んな思いが駆け巡る。小さい頃、三人で無邪気に遊んでいた日々。少し成長してお互いの出生の不遇を知って枕を濡らしながら慰めあった眠れない夜。それぞれに付き合いは浅くなっていったけど、固く、変わらないと信じあう三人の絆。好きな人を思う気持ち。そして、その幸福感。
心の中にいる利夫があの、やさしげな目で千春にほほ笑んだ。ほんとにささいで、彼にとっては記憶にすらないことだったのかもしれないけど。たまたま新学期で一緒になった隣の席の男の子。たまたま忘れてしまった消しゴムを貸してくれた男の子。たまたま最初に名前を覚えたクラスメイトの男の子。たまたま、ちょっと、タイプだった男の子。
遥花、はるな……あたし、無理かもしれない。いいえ、もう答えは出てるのかも知れない。――――彼だけは殺せない。――――どうか、彼には無事生きて。でも……でも、もし。万が一、彼が死ぬなんてことがあるのなら。あたしの目の前で死ぬことだけはやめてほしい。彼と出会った時にすでに彼が死んでしまっていたなら、悲しくて、つらくて、きっと泣いちゃうだろうけど、でもそれで彼の死を受け止めたのち、あたしは遥花のように冷酷に誰かを殺せるだろう。だけど、出会った時に彼が生きていたら、彼を殺そうとする二人をあたしは裏切ることになるかもしれない。
そうだ。
そうしよう。彼に出会った時に彼が生きていれば彼の味方に。死んでいればそのまま三人一緒に。――――ちょっと二人を裏切るような考えだけどこれがあたしの精一杯の考え。これ以上いい方法なんて見つからない。
ことり、と音がして、はるながうとうとしながら机にもたれかかったのだとわかった。
あたしも少しうとうとしてしまったのだろうか。見張りとしての役目を忘れてしまうところだった。
ふと視線を落とすと、赤黒い血の線が交番の外へと続いていた。入り口のところで倒れていた都の死体と奥の小部屋にあった女の死体を引きずった跡だ。この死体には首から上がなかったので誰だかわからなかった。気持ち悪い、別の世界の生き物のようだった。はるなはゲーゲー戻したし、あたしも気分が悪くなってその場に座りこんで腰が抜けたように(事実まったく立てなくなった)放心してしまった。
邪魔ね。――――それだけ言うと遥花は二人の死体を引きずって、どこか交番の裏手の方に移動させた。さすがに女の方の死体を引きずって行く時には顔をしかめていたが、それだけだった。たった、それだけ。昔から思っていたのだけど、彼女には感情がないのだろうか? いや、昔はこうではなかった。彼女は無理に感情を押し殺しているに違いない。――――いつからか。彼女は三人の間でも隠し事をするようになった。いや、それはたいした事ではなかったけど(事実あたしだって沢村くんのことは言ってないし)、それでも以前のように何でも話し合える友達ではなくなった。これも大人になったってことかしら?
ただ、他人にもわかってもらえるだろうか。あたしたちは友達でなくなったとしても、強い絆で結ばれた仲間なのだ。
あたしたちは、殺し合いもできる――――仲間なんだ。
時刻は四時四十五分を過ぎた。
かすかに空が朝の訪問を告げて、いつのまにか千春の意識は眠りの底へと沈んでいた。
【川田章吾優勝まで あと32人】