
第二部
中盤戦
24
仁村の腕時計の針がちょうど五時を指した。空が明るみを帯びてきて、この島は意外と起伏があり、勾配があるので移動は大変だろうと想像した。
結局二人は、安全そうなところ(少なくとも急襲されにくいところ)を探したが、近くには見当たらずに、さっきまで仁村が隠れていた茂みに戻った。
こんなところで隠れていたのか、と土岐が感心したように言っていた。(やはり移動した時に誰かいるのを気がついたらしい)
草が擦れてむず痒いのと藪蚊の飛ぶ茂みに長くいるのは肌にはよくないだろうが、『プログラム』の隠れ場所としては最適だ。最初はさすがに土岐も顔をしかめて野草を払っていたが、仁村が潜んでいたところは少し土の見える隙間のところだったので、そこで二人並ぶようにして座った。近くの山道からはここはかがんでいればまったく見えない場所だった。
一息ついて落ち着いた後、茂みの中であぐらをかいていた仁村が喋った。
「で、さっきの続きだが……」
ふいをつかれたように土岐がちょっと驚いたように振りかえった。二人は茂みの中で横並びに座っている。
「ライフルはどこに隠したんだ?」
「ん? ライフル? あ、ああ、あの武器のことか」
土岐は予想していなかったような答え方をした。他に何事か考えてるらしい。
「素人に使えない……たって、捨ててくるこたあねえだろ」
「いや……それだけなら良かったんだが、長くて持ち運びに不便だったし、それに……ほんとに重かったんだ。スイカを抱えて歩き回るようなもんだよ」
「スイカ?」
「ああスイカだ」
スイカの重さをイメージしてみたが、それほど重い物だろうかと思い巡らせた。
沈黙が流れて、しばらくお互い黙り込んだ後、仁村が再び話しだした。
「お前。消防署の近くに隠したって言ってたけど、その時出口の裏手の方に回ったか?」
「裏手?」
「ああ裏手だ」
さっきと答える側が反対になってしまった。
そしてまたも沈黙……。
「いや、みなかったな。どうしてだ?」
「気にならなかったか? お前だって部屋が地震みたいに揺れたとき驚いていたじゃないか」
「よく……見ていたな。俺のこと」
「いや、想像だ」
「そうか」
……沈黙。
…………まだ沈黙。
仁村はまたいらいらしてきた。この噛み合わない会話もそうだが、やはりたばこが恋しかった。
「なぁ、お前。たばこ吸うか?」
土岐はぼおっとしたまま、「吸わない」とだけ言った。
「じゃ、持ってないか……。川田なら持ってんだけどな。たぶん」
「川田? 章吾か? 章吾がたばこを吸うのを知ってるのか?」
「ああ、以前俺のたばこをやったことがある」
「そうか」
二人は黙った。ぎこちなさ百二十パーセント。
一度、仁村が校舎裏でたばこを一人で吸っているとそこに川田がやってきて、鉢合わせしたことがあった。
仁村は特に動揺することもなく、そのままたばこをふかしていた。すると川田がおもむろに学生服の内ポケットからたばこをだして(ワイルドセブンという銘柄だ)一旦中を除くとくしゃっと握りつぶした。どうやら中身は空だったようだ。
川田がたばこを吸っているという事実は多少仁村も驚いた。(といっても細く整えられた眉がぴくりと動いただけだ)気まずそうに川田がしていると、仁村と目があった。黙って仁村はポケットからマルポロを取り出して川田に向けて差し出した。「すまねぇな」と言って、川田は仁村と同じたばこを吸った。
ただそれだけの出来事だったが仁村の中では川田に対する印象がいままでとちょっと違っていた。それまでの川田について知ってることは、せいぜい学年トップの成績で、医者を目指しているらしい。恋人は大貫慶子だ。ということぐらいしかなかった。(仁村は自分が干渉されないかわりに他人も干渉しない)運動神経もよさそうだったがそれは興味がなかった。――――俺と同種か? よくわからない人物だった。否、特にわかろうともしなかった。ただ、川田には共通の何かがあるとだけは感じた。
「お前からはなにも聞かないんだな。俺のことは」
仁村が土岐に聞いた。
土岐は黙って首を振った。
「お前に聞いてもしかたのないことだ」
「ほう、そりゃまたありがとさん。俺は干渉されるのが嫌いでね。まあ、お前のことなんかどうでもいいんだが社交事例みたいなもんだ。だから聞いてんだよ。――――ライフルはどこへ隠した?」
「なんだそんなことが知りたいのか」
「さっきから聞いてんだろうが」
「F=01だよ。消防署のエリアのちょっと北のところさ」
なるほど、と思った。と言うことは土岐の言うことには嘘はなさそうだった。実際運ぶには重いんだろう。ぜひ手に入れたいと思っていた仁村は土岐に続けて詳しい場所を聞いた。
土岐の話では、F=01の西側には金網が消防署からずっと張り巡らされていて、向こうに行けないようになっていたらしかった。その金網のところにライフルを隠して置いたらしい。目印は不自然に盛り上がった枯葉の山だ。
仁村は頭にそれを叩き込んだ。
「ふんふん。そんなところに……。でもその金網はなんとかならなかったのか? あちら側へ抜けれるところとか全然なかったのか?」
「うん。……あったかもしれない」
「じゃ、どうして――――」
「しかしその先は禁止エリアだ」
「あっ……そうか。そうだったな……これだったな」
仁村は手を上に向けて手をぱっと広げるジェスチャーをした。それから居心地の悪い首輪を少しずらして位置を変えた。飛んできた薮蚊を手で払う。
「なあ、仁村」
土岐が呼んだ。仁村は首と首輪の間の汗を拭こうと格闘中だった。
「あ……? なんだ?」
首だけを軽く回して仁村が答えた。
「お前……途中で誰かみなかったか?」
「クラスメイトか? ああ、見たぜ」
「誰だ?」
土岐が仁村の方を向いて急いて聞いてきた。
「へへ、どうしたんだい。誰か探しているのか?」
「教えろ、仁村!」
これは面白いことになりそうだと、いつもの歪んだような笑みを仁村は浮かべた。
「さて……だれだったかなぁ……」
「おちょくるんじゃない! 言え、仁村!」
「ククク。そう慌てるない。まず岩瀬だ。あいつを見たぜ」
「あ……そうか」
がっかりしたように土岐が言った。――――こいつはいいぜ。こいつ……女を捜しているな。
「他にも……誰か見たのか?」
土岐が仁村の答えに期待しすぎないように自分を押さえて聞いてきてるのがわかった。
ククク。面白いやつだ。顔にでてるぜ。誰だい? どの女がお前のお・こ・の・み、なんだぁ? あはは。こいつは腹が痛くなるぜ。
「そうだなぁ……女を見た」
「誰なんだ?」
土岐が身を乗り出してきた。仁村は声に出して笑ってしまいそうなのをなんとかこらえた。
「お前こそ誰かをみなかったか? お互いの持ってる情報はオープンにしていこうぜ」
仁村はほんとはどうでもよいことを聞いた。じらしてやった。
「お、俺か? ……あ、いや。俺は誰も見ていない。消防署を出てからはお前が最初だ」
「そうか……やる気になってるやつとか聞きたかったんだがな。……まあ、しかたがない。ああ、俺が見た女な。もう死んでたよ」
ぐっと土岐の表情が変わった。誰かがまた死んだという事実に驚いたのか……。
「鮎川だ」
仁村の答えに土岐はほんの一瞬だけ、ほっとしたような表情をしたが、死んだという話を思い出してか、また暗い表情になった。――――この女じゃなかったか。
「まだ他の女も見たぜ」
土岐が顔を上げて仁村を見た。――――期待している。間違いなくこいつは期待している。次は可能性も高いぞ。こいつが好きな女である可能性が。違ったら誰か他のかわいい女も見たことにしよう。あの女じゃなかったら、次は大貫あたりがこのクラスでは美人の部類だ。(あん?俺の好みかな?)
「委員長。川上良子だよ」
「なに!? どこで見た?」
イエイ! 大当たりぃ〜。土岐くんが好きな女の子は委員長の川上良子でーす。
「ああ……彼女な……消防署のすぐ近くで見た」
仁村はまた口元が歪んできた。笑いたくないが、声が震えてきた。
「クックック……。彼女……見たぜ。たしかにな。ククク」
「な、なにがおかしい。仁村。彼女は無事だったんだな?」
「ああ、ああ……無事だったよ。……無事に……ククク。岩瀬にレイプされてたぜ」
ついに耐えきれなくなって仁村はぎゃはははは、と笑った。腹を抱えて。――――ひぃ、ひぃ。腹が痛い。胃がねじれるぅ。なんて情けない顔してんだ土岐。これ以上笑わせないでくれよ。イヒヒヒ。おかしいぜ。最高に笑えるぜぇ。痛い、痛い。腹が痛い。笑いすぎで入院したら病気名はなんになるんだ? クククク。ぎゃはははは。
「仁村ぁ! お前っ! 何がおかしいぃ!!」
「イヒヒヒ。おかしい、おかしい。たのむ。これ以上笑わせないでくれ。――――ぎゃはははは」
土岐の身体がぷるぷる震えだして、仁村をものすごい形相で睨んでいた。
「仁村……本当なのか? それは本当なのか? か、川上サンは……岩瀬に……」
「だあああはっはっはっはっは! いひひひひ。ひぃ、ひぃ。――――ゲホッ、ゲホッ。――――んああ、たのむ。これ以上……ククク、笑わせないで。お願い……イヒヒ」
「にぃむらあぁ!!」
土岐が立ち上がって殴りかかってきた。仁村は瞬間的にその動きを見切って避けようとしたのだけど、自分の笑い声に集中力を奪われ、殴られた瞬間も笑っていた。
土岐の右ストレートが仁村の顔面に炸裂した。ボクシングをやってるだけあって、半端じゃない威力だった。仁村は過去に何度か殴られた経験はあるのだけど、殴った経験の方がはるかに多かったので無償に腹が立ってきた。
思いっきり仰向けに伸びた仁村はなんとか上半身だけを起こした。
土岐が興奮したまま仁王立ちのように前に立って仁村を睨んでいた。
「……仁村。それがお前の冗談なら俺は許さないぞ」
――――ふああ!? つ、つまらねぇ。なにマジになってんだよ。こいつは。――――ったく。
急速に仁村の感情が冷えていく。――――あっというまに仁村は普段の落ち着いた状態に戻っていく。口の中を切っていたので口の端からツーっと血が流れた。それを手で拭った後、唇を舌でぺろりと舐めた。鉄の味がした。
「へん。そうむきになるなって。――――それにしてもお前。川上を探してるなんてミーハーなやっちゃなぁ。そんなに美人がいいのかぁ?」
土岐はあいかわらず仁村を睨んでいた。仁村は軽く肩をすくめると、「わりいわりい。言い方がまずかったな」と言って、手についた泥をぱんぱんとはたいてその場にもう一度あぐらをかいて座った。
「まあ、座れや。立ってると誰かに見つかっちまうぜ」
そう言って、手をぷらぷら上下に振って座ることを促した。
まだ怒りが収まるようすのない土岐だったが、とりあえずその場には座った。二人の影がまた茂みの中に隠れた。
「ああ、あのな。川上はたしかに見たんだけど――――」
仁村が言いかけた時、二人の真上を何かが横切った。二人とも動体視力はよい方だったのでそれが何であるか瞬時に理解した。
そしてその火炎瓶が仁村たちのすぐ側に着地し、燃え上がった時には、二人はもう駆け出していた。一気に仁村たちのまわりの茂みが炎と化す。土岐は一直線にその場から逃げ出して走っていたが、仁村は走り出した方向をくるっと変えて、その火炎瓶が投げ込まれた方角へと走った。
また仁村の目の前に火炎瓶が飛んできた。仁村の足元で着地する寸前、仁村はさっと左手を出してそれをキャッチした。細くくびれた口の近くを握ったので、そこから放出している炎に手首を焼かれた。
仁村は一瞬、かっと目を見開いたが気にせずに走りつづけた。火炎瓶が握った利き腕の手首を容赦なく焼いた。
「うおおおおお!!」
茂みを抜けたところから二人に火炎瓶を投げつけた人物を見つけて、その少女、皐月儚(女子七番)に向かって真っ直ぐ走ると、次の火炎瓶に火をつけようとしていた皐月の頭めがけて手に持った火炎瓶を叩きつけた。
「きゃああああああああ」
破裂した火炎瓶の中から液があふれだして、それが上半身にかかって一瞬にして皐月の白いブラウスが燃え上がり、彼女の上半身が炎に包まれた。仁村は左の手首がくすぶっているので右手で押さえながら、皐月に向かって飛び蹴りを放った。ぼくっ、といい音がして、燃えながらばんざいをするように皐月が真後ろに倒れた。そしてそのまま皐月はごろごろと地面を這いつくばった。
「いやああああ。助けてぇぇぇぇ!!!」
さらにスカートにまで燃え広がった皐月を見て、仁村はようやく腕の痛みに気がついてその場に屈みこんだ。
「くっそおお。いてえぇぇ」
軽い火傷を負っていた仁村の左手首は真っ赤になっていた。――――水だ。水。
そう思って仁村は後ろを振り返ったが、自分のデイパックは後方の茂みの燃える炎の中に置いてきたことを思い出した。
「ちくしょう」
仁村は手首を押さえながら、あきらめてもう一度皐月を見た。すでに全身を炎が包んでいた。
「クソ。何なんだ。こいつはいったい。いきなり襲ってきやがって――――」
ずきずきと傷口が痛んで、ひりひりしてきた。皐月の金切り声の断末魔の叫びが耳に響いて、ますます仁村をいらだたせた。
「あっつうう。――――クソッ!! むかつくぜ、このクソアマァ」
炎に包まれた少女はすでに肉体のほとんどを焼き尽くされていた。ごうごうと燃える熱気を感じて、少しその場から離れた。
クッ。水を――――。
その時背後から誰かが声をかけてきた。
「大丈夫か、仁村?」
振りかえると土岐だった。いつのまにか彼もこちらに向かってきていた。
「ちくしょう。見ろ。大火傷だぜ」
仁村がぼやいていると、驚いたことに土岐がすっと水の入ったペットボトルを取り出した。
「これを使え、仁村。全部使っても構わない」
仁村は遠慮なくそれを受け取ると、蓋を開けて、左手にじょぼじょぼと水を流した。
水を流し終えると痛みが少し引いたような気がした。心なしか傷もたいしたことないように見える。
「火傷なら彼女の方がひどい。――――少し移動しよう。誰かが騒ぎを聞きつけて来るかもしれない」
仁村はそれに従った。もっともな意見だった。こいつの馬鹿正直な考えもたまには役に立つもんだと仁村は思った。さらに今のはジョークだったのだろうか? とも思った。
やけに気が利くじゃねえかと声をかけようとした仁村だったが、ふと見ると、土岐は仁村がさっきまで持っていたデイパックを抱えており、自分の大きなスポーツバックは別に持っていた。
土岐は、「お前の分だ」と言ってデイパックを渡してきた。少し中身が軽くなったデイパックは中から水の入ったペットボトルが抜き出されていた。――――するってえとさっきの水は元々俺の!?
その時の土岐は、自分の分の水があるから今渡した水は使いきっても構わないよ、という意味で言ったのだが、仁村は一杯くわされたと思って憤りを感じていた。――――俺を騙すとは上等じゃねえか。
さらに仁村は思った。――――こいつ。あの状況で自分たちの荷物を持って逃げる余裕があったのか……。
土岐はもう背を向けて場所を移していた。山沿いに回っていくつもりらしい。仁村もなんとなく後をついていったが、しだいにさっきの怒りがぶりかえってきた。
「おい、待て土岐」
なんだ? というような表情で土岐が振りかえった。
「お前さっき――――」
「話は後だ、仁村。今は警戒しながらの移動に専念しよう」
土岐が仁村の言葉を遮った。いちいちシャクに触るやつだ。
「それと――――」
土岐が足を止めて振りかえったまま言った。
「さっきは殴ってすまなかった」
馬鹿野郎。だからお前は堅物なんだ。
仁村は土岐に対する殺意を捨ててはいなかった。だが――――、
「ありがとよ」
と、もう前に歩いて仁村に背を向けている土岐に声を投げかけた。
南部十四式拳銃が土岐のズボンの後ろのベルトに挟まれていた。
あんなものが信頼の証になっているのだとしたら――――とんだ間抜け野郎だ。と、仁村は自嘲気味に笑った。
【川田章吾優勝まで あと31人】