BATTLE ROYALE 外伝


第二部
中盤戦


30

 いったい自分はどの辺にいるのだろうと自問しながら岩瀬也守は沢村利夫を担いで歩いていた。
 ただ、公園を抜けた時に遠くに見えた病院のような場所を目標に歩いていた。
 岩瀬の意識は混沌としたまま、とにかく自分たちの傷を癒せる場所を求めた。腹部に大量の出血が見られる利夫のことを気遣いながら、自分もまた、顔面をときどき襲う激痛に耐えながら歩いた。
 だがその時だった。海岸沿いを歩く岩瀬の耳にガッ、という機械音が聞こえてきた。その後にどこかの拡声器から舞知の放送が島中に流れた。さらにしばらくすると大きな爆発音が響いて舞知の放送が聞き取りにくくなった。しかし、とりあえずそこにいた岩瀬には内容ははっきり聞こえていた。
 ちょうど山の起伏があるところを境目にして北の方角に黒い煙が上がっていて、どこかで似た景色を見たと岩瀬は思った。そしてほぼ同時に消防署から上がった黒煙とよく似ていると思った。
 ――――どくん。
 と、心臓が鳴った。
 ――――ああ、そういえばボクが川上良子を犯している時だったなぁ。
 黒い炎は朝焼けの日に照らされて、もうもうと燃え上がっていた。そしてその黒煙の下に誰かが倒れているような気がしてきた。
 岩瀬は何かに取り付かれるように山へと向かって歩き出した。肩に抱えて邪魔な利夫はとりあえずその場に寝かせておいた。
 燃えている。――――きっと死んでいるはずだ。あの子が……。
 ――――俺が殺したんだ。きっと俺が殺したんだ。あの子を。
 鮎川真尋を、大貫慶子を襲った記憶が甦ってきた。
 ――――ああ、俺は殺ったんだ。俺が殺ったんだ。
 アーチェリーの矢はうまいぐらい見事に鮎川に突き刺さった。今でも鮎川のぎょ、とした表情を覚えている。そして大貫の脅えた目……。
 それだけじゃない。俺は死体を犯したんだ。それから佐藤も殺した。…………えへへへへ。
 海岸の切れ目から何軒かの家群が見えた。
 岩瀬はダッと急に走り出すと一番近くにあった民家へと向かって一直線に走った。それはさすが陸上部で鍛えてるだけあって、かなりのスピードだった。
 そして、
 「ただいま!」
 と、大声を上げて玄関を入った。
 「お母さん! オレ、俺ね――――」
 真っ先に入った部屋は居間だった。押入れのふすまを開けると、そのままふとんに顔を突っ込んで埋めていた。それから、「うわあああああああ」と泣いた。
 さらに、「お、お、オレ、俺。――――殺しちゃったよ。人を殺しちゃったよ、うう。ああああ。――――お母さん、怖いよ。怖いよぉ。助けてよお、うわあああ。あああ、あははあは」
 涙をボロボロこぼしてふとんにしがみついていた。
 「うえええええ」
 嗚咽を吐きながらひたすら泣いた。
 がたがたと震える身体がどうしようもなく、びちゃびちゃに鼻水もこぼしながら泣いた。
 「うえっ、うえっ。うっ……ごぅ、ごめんなさい。ごめんなさい」
 しがみついたふとんが押入れからどさりと落ちて、岩瀬もそのままふとんと一緒に横倒しになった。
 「ごう、ごふっ。……ごめん。……ごめんんん。もうしません、もう二度としません。許して下さい。助けてください。……神様! いるならお願い。ごめんなさいぃ。ボクを許して下さひいぃぃ」
 おうおうと声を上げて泣いた。
 こんなに泣いたのはきっと小学生以来だった。飼っていた犬が病気で死んでしまったのだ。とっても可愛がったのに。とっても大事に世話をしていたのに。ものすごくものすごく愛していたのに。自分があげたエサにあたったせいで死んでしまった。
 その時はとても哀しくて泣いた記憶がある。あまりに哀しくてそれからは動物を飼うのをやめたぐらいだ。……今は、それより哀しい。
 あの時はどうしたんだろう。あの時はどうやって哀しみを乗り越えたんだろう。
 ――――そうだ! たしかあの時は……。
 仮面の戦士ごっこが流行っていた。当時とても人気だったテレビ番組のヒーローだ。普段は気が弱くてあまり強くない、けどやさしい主人公。でも悪の組織と戦う為に開発された正義の仮面を何かで手に入れた主人公がその仮面をかぶるととてつもない強さで悪いヤツらをやっつけていく、そんな話を信じていた。たしかその仮面を誕生日祝いに両親にもらったんだ。今思えばたぶんおもちゃ屋か何かで買ってきたものなんだろうけど。うれしくてすっかり犬のことは忘れて、ようやく思い出すようになったころには哀しみも薄れていた。
 だけど俺はその仮面をつけていれば強くなれると信じて…………。
 ずっと仮面をつけていた。……無敵になれた気がした。身も心も強くなれた気がした。
 ――――あの仮面がほしい。強くなれるあの仮面が。
 肉体が強くなればこのプログラムにも生き残れるかもしれない。精神が強くなればこの苦しみも忘れることができるかもしれない。
 もうたくさんだ。もうじゅうぶんだ。どうして俺ばっかり。
 ――――怖い。
 あの仮面が欲しい。
 ぎっ、と床がきしむ音がした。
 ぎっ、ぎっと歩く音がして止まった。――――誰か来た!?
 ふとんにうずめていた顔を上げると音がした方向をみた。居間からは見えないが、奥の部屋から誰かが歩いてきているようだった。
 顔を上げるとはれぼったい顔に血液が上昇してずきずきと傷んだが、かまってはいられない。
 岩瀬はそっと立ち上がると(ちょっとめまいがして危うく倒れそうだったが)、何も自分が持っていないことに気がついた。
 ……なんてこった。気が変になってどうかしてしまったようだ。
 足音はまた、ぎっ、と音をたてては止まる。
 どくん、と心臓が跳ねる。
 だ、誰なんだ!? 俺を殺しに来た? い、いや最初からここにいたのか!?
 ぎっ、と床が鳴る。音が近づく。
 岩瀬はゆっくりと視線だけを廻らせてまわりを見まわした。
 八畳ぐらいの畳の部屋だ。何も物が置かれていないやけにあっさりした部屋だ。もしかすると普段から使われていない部屋だったのかもしれない。押入れからふとんがこぼれて岩瀬はそのすぐそばにいる。背中側にも側面にも壁しかなく、窓のたぐいはない。出入りは岩瀬自身が入ってきた廊下からの障子だけ。その障子も岩瀬が入ったときに開けたせいで、今も半分ぐらい開いている。電気はあるが点いていないので薄暗い。廊下からわずかな光源だけ。誰かがこの居間に近寄ればその姿の影が映るに違いない。しかし安心はできない。ここは袋小路のどん詰まりなのだ。逃げ道はない。よく見ると靴下一枚になっていて、家に上がる時に無意識に靴は脱いだらしい。外にうまく逃げても靴も履かずに逃げ切れるだろうか。いくら足に自信があってもそれは舗装されたトラックで靴を履いている状態での話。靴がなければ逃げ切る自信はない。
 ――――ぎっ。
 心臓を殴られたような衝撃が走る。
 音の持ち主はまだ姿を現さない。きっと――――先にシルエットが障子に映るはずだ。
 戦う――――というより、何か身を守れるものが欲しかった。
 ああ、どうして何も持ってこなかったのだろう。いや、頭がおかしくならなければこんなところにはこなかったはずだ。――――いや違う。そもそもこんなプログラムにさえ当たらなければ……。
 ――――こんな怖い目に遭うこともなかった。
 ――――人を殺すこともなかった。
 良子を犯…………いいや、これはどうだろう。これは俺にとって悪いことだったのか? あのままの生活を続けていれば彼女とどうにかなるなんてことはなかったはず。だからといって殺してもいいものだろうか? ……違う。これは殺し合いを許された合法のゲーム。悪くはないはず。法的にも。道徳的にも。この国で生まれたかぎりは……。
 狂っているのだろうか、俺は。いいや、狂っているからこそ今こんな追いこまれた状況にいるんじゃないか!? しかし狂っているならこんな恐怖を感じるのだろうか。少なくとも俺は今、死にたくない。もっと生きたい。けど、狂ってなくて人殺しなんてできるものだろうか。鮎川や佐藤を殺した時はあきらかに俺は狂っていた。沢村を襲ったときも、大貫を襲ったときも。良子を犯したときも。
 ――――ぎっ。
 びくっと身体が跳ねる。わかってはいても動いてしまう。
 はっとして視線が障子の隙間に戻った。
 べたっと気持ちの悪い汗が額から落ちる。――――何か……身を守れる物……。
 ふとんをぎゅっと抱いていた岩瀬だったが、ふと見ると押入れの中にダンボールのような入れ物を発見した。ほとんど無意識にその箱に手を伸ばして、中をまさぐった。
 そして中から出てきたのはいくつかの雑誌とゴミのようなおもちゃ類だ。人形……プラモデル……船の模型……ままごと用の料理セット……他には趣味の悪い、あるホラー映画のグッズ。中にはチェーンソーなんかもあって(ただし片手で掴めるほどの小さなおもちゃだけど)人形の手が千切れていたりした。
 そして小さな手鏡を見つけた。わずかな光に照らされた自分の顔がそこに映っていた。
 …………。
 岩瀬の顔の表情は絶句して驚いたままだったのだけど、そこに映された醜い顔にはさらに歪みが生じているだけだった。
 「あ……う」
 声にならなかった。
 もはやそこにある醜悪な物体が自分の物であるということが生理的に受け付けられなかった。強烈な吐気が世にもおぞましい醜い顔にわき上がった。
 「ぐぅぅぅぅ、嘘だっ」
 だが真実は変えることはできなかった。
 ――――ぎっ。
 影が障子に映し出された。大柄な人間の姿だ。
 このクラスで大柄な人物といえば、川田や(背はそれほど高くないけど)新浦亮(男子十五番)なんかがそうだ。あとは女子に――――。
 「誰っ!? 誰かいるの?」
 シルエットの人物が先に声をだした。この声は――――。
 すー、っとふすまが開く。
 そこに現れたのはクラスの女子で一番背の高い中村友美(女子十六番)だった。そしてその手にはおおぶりな斧が握られて(きっと体格の良い彼女でなければ持てないだろう。他の女子なら武器としては大げさすぎる)、ぎょとした目つきで岩瀬を見ていた。
 「あ……あなたいったい誰!?」
 驚いた表情のまま中村友美は硬直して立っていた。その友美に岩瀬は歩み寄ろうとした。
 「お、俺が、わからないのか」
 「いや! こないで!」
 醜い顔が迫ってきて動揺したのだろう。岩瀬が彼女に近づくと身をひるがえして廊下を走っていった。声にならない枯れた悲鳴を残しながら。
 ――――待て。待ってくれ。
 しかし岩瀬はふらふらと後ろに戻り、さっきのダンボールをもう一度まさぐった。
 その時岩瀬が探していたのはホッケーのキーパーが付けるような仮面だった。ついさっき中を詮索したときに見つけていたのだ。
 ジェイソン……そんな名前だっただろうか、そのホラー映画の殺人鬼の名前は。
 岩瀬はその面を手に取ってかぶってみた。視界が狭くなって決して戦闘には向いていないような気がしたし、プラスチックの面では防具にすらなりはしないだろう。でも心なしか強くなれたような気がした。
 正義の仮面をかぶった時は正義のヒーローになれた。……この殺人鬼の面なら俺は殺人鬼になるだろうか!?
 仮面ごしに見る景色はどこか遠い世界を見るようで、現実感が薄れた。まるでテレビの画面を見ているような、どこか別の世界から自分がこの映像を見ているような、そんな感覚だった。
 不思議とさっきまでの恐怖感は薄らいでいた。この仮面のせいだろうか。
 仁王立ちのように部屋の真ん中で立った。なぜか大丈夫だと確信した喜びがあった。――――それは相手が女だとわかったからだろうか。それとも……。
 岩瀬は居間を出ると一気に友美のあとを追った。
 玄関のところで必死にかぎを開けようとしている友美を見つけて声をかけた。
 「中村ぁ! 俺だよ。わからないのか? 俺だよ!」
 友美が振り向いて、きっと何か話しかけてくるんだろうと予想した岩瀬の思いとは裏腹に、彼女は振り向きざま、いきなり手に持った斧で襲いかかってきた。
 その攻撃が岩瀬の腕を掠めて、体勢を崩し、よろけるとしりもちをついた。
 ――――俺はまだ何もしてないのにこいつは襲ってきた!!!
 そこに湧きあがった感情は恐怖ではなく、怒り、だった。
 どつっと床に斧を突き刺してバランスを崩した中村友美を見て岩瀬は思った。
 ――――こいつは俺を、襲った!!
 友美にしてみれば、民家に隠れているところにいきなり誰かが侵入してきて居間で泣き喚いているのを聞いたのだから、誰かを確認しに来たわけなのだが、姿を見れば醜い顔をした血だらけの男がジェイソンのマスクをつけて追ってきたのだから、恐怖にかられて先に襲ったのだ。彼女の気の強い一面が出たところもあるのだが、それが岩瀬の神経に触った。
 掠めたのは彼の腕ではなく、首の皮一枚だけ残っていた岩瀬の理性だったのだ。
 殺人鬼のマスクをつけた男は自らを殺人鬼だと思いこみ、目の前の獲物を狩ることにした。
 より残虐に。より冷酷に。
 今、岩瀬也守という男の正気は完全に失われ、彼の狂気は映画の殺人鬼と一体化した。岩瀬自身はそのホラー映画のことはよく知らなかったけど、彼の意識の中で殺人鬼とはこういうものだとイメージがあった。いや、もはや彼にはそんな理由など必要なかったのかもしれない。ただ迷走した意識がようやく定位置について、彼の心はどこかほっとしていた。
 ――――オレハサツジンキ。モウダレモコワクナイ…………。
 必死に刺さった斧を抜こうとしている友美に彼は飛びかかって覆い被さった。そしてその手は彼女の首にかかった。
 うっと声を洩らして友美の顔がうっ血していく。
 しかし友美も必死に抵抗し、抱きつく男を背負い投げするかのように投げ飛ばそうとした。実際には倒れなかったけど、体格で男子とほとんどかわりのない彼女の動きに彼もバランスを崩した。が、それが友美の恐怖感をさらにあおることとなった。
 目の前が真っ暗になりそうなほどの激痛が下腹部を襲い、そこに仮面の男の拳があった。
 さらに顔面を殴り飛ばされ、壁に激突した。信じられないほどの力で吹き飛ばされた。彼の力はそれほどまでにすさまじかった。
 女同士なら力負けすることのなかった友美だし、男子でもひ弱なやつなら持ち前の豪快さと度胸でやっつけることぐらいできたはずだった。だけど彼の力はそんな自信を吹き飛ばすほどの圧倒的な力だった。
 鼻血を垂らしながら見上げた友美の視線は凍りついた。さっき自分が抜けなかった斧をいともあっさりと片手で抜いたその男が、そのまま斧を友美に向けて振りかぶった。
 友美は思わず反射的に顔の前を手で覆ったが、衝撃は投げ出された右足にずどん、と重い振動が伝わった。
 「うっ、あああ!!!」
 うめき声を洩らして友美は激痛に身を歪めた。仮面をかぶった男の目が妖しく光ったように見えて、次の瞬間、何かが目の前をよぎった。
 ちょうど眉間のところの骨を直撃した。その反動で後頭部をいやというほど痛打して、鼻血も噴き出た。彼の蹴りが顔面を捕らえたのだ。
 びゅっ、と空気が唸って、振り下ろされた斧に友美の右足の肉をえぐられた。ぐちゃっと嫌な音がして、肉片と血しぶきがそこらじゅうに舞った。分離した右足があさっての方向を向いてなんだか奇妙だった。
 痛烈な吐き気とめまいが襲ってきた友美は朦朧とした状態で目をなんとか開いた。
 ――――そういえば彼は誰なんだろう。
 友美が思った最後の思考はそれだった。もう一度、びゅんと空気が裂く音がして意識はそこで失われた。
 そしてそのまま二度とその意識が戻ることはなかった。なぜなら彼女が意識を失ったのは首から上がなかったせいなので。
 ”仮面の男”は満足げにその死体を見下ろすと玄関をでた。手にはまだ血が滴っている斧だけを持って。
 こうしてこのプログラム会場に一人の『殺人鬼』が登場した。

【川田章吾優勝まで あと23人】


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