第二部
中盤戦
31
本人いわく百五十センチの身長(だが実際には百四十八.五センチ)ながらも足の速さと(ただし逃げ足だけど)運動神経のよさで神戸二中野球部の未来のホープと呼ばれる山田豊(男子二十二番)は、そのすばしっこい動きが功をそうしたのか、今まで誰とも会わずにこの小高い丘(F=07)まで来ていた。
ただ地図は白紙のままだったので彼にはF=07付近ということしかわかっていなかったが。
彼はとにかく急いでいた。
野球部が必ずそうするように豊も頭を丸く刈り込んでいて、どこか頭の形が”米つぶ”に似ていることから、『コメ』という呼ばれかた(もう、そのまんまだけど)をされたりしていた。そのありがたくもないニックネームに不満をもつ豊だったが、特異なキャラクターと元来の明るい性格でクラスのお笑いの代表格だった。
いつも笑ったような顔をしている彼だったが、さすがに今日は顔の表情を歪めて、ときおりうずくまるように腹をかかえては足を引きずるかのようになんとか歩いていた。
というのもさきほどから、いいや正確には昨日の朝から、つまりここに拉致される直前から腹痛が彼を襲い、時折差し迫ったような激痛が下腹部を駆け巡った。
昨日の終業式前に食べたささみ揚げを口にした時から少し嫌な予感はしていた。
野球部で未来のホープと自称する彼(もっとも三年生の夏にもなって未来のホープではいささか頼りない話ではあるが)は、厳しいトレーニングに耐えるために毎回三度の食事は欠かさずとっていたし、間食も多かった。その割に小柄で体つきに幅がないのが不思議なところではあるが。
そんな彼だから、野球のポジションは主に試合の最後に皆から多大なる期待を寄せられながら打席に立つ代打専門なので、試合中の九割以上はベンチにいるからそれほどエネルギーが必要なのかは疑問だが、成長期にある彼は食欲があっても不思議ではなかった。いや、一年生の時からわずか二センチしか伸びていない彼の身長だと、成長期かどうかさえさだかでないけども。
きゅうう、と下腹部を締めつけられるような痛みが襲ってきて、また豊は歩む速度を遅めた。
同じような山道をひたすら登っていた。
うねりながら昇っていく道を歩いて、山頂を目指していた。こんな切迫した状況ではあるが、山頂から島全体を見渡して白紙の地図になんらかの印をつけてみようという彼なりの案があった。
当初、消防署で次々と死んでいく顔見知りのクラスメイトには動揺を隠せず、出発した時からしばらくの間はどうしていたのかはっきりしないほどだ。だけど、ひたすら歩いてさまよう内に空が明るくなりだして考えもまとまってきた。
歩き通しだったが、山の一番高いところへいくと決めて目標をたてた。民家のあつまった集落のある場所(F=09)から移動を続けていたのだが、ここにきて腹痛の方がひどくなってきた。
強い痛みが腹部を襲い、そのたびに何度も持ちこたえてきたのだが、回を増すごとにその痛みは膨れ上がってきたように感じて、ついにこらえきれなくなってその場にうずくまった。
「いっ……ってぇぇぇ」
思わず声が出て、今、泣きそうな表情をさせたら国中でナンバーワンだろうな、と豊は思って、ひっひっと声にならない笑い声を出した。
うっすら涙目になりながらしばらくうずくまっていると、痛みが少しだけマシになってきたように思えた。
豊はお腹を押さえながらようやく立ち上がると、背中を丸めたまま前進した。
消防署を出てから誰とも会わなかったせいか、プログラムに選ばれたことが嘘なんじゃないかと感じるようになってきて、明るくなりだした頃にはクラスメイトを探すつもりでいた。だが、六時の放送で舞知が死亡者の名前を呼んでいったときに、希薄になっていた殺し合いというルールを思い出さされた。しかも放送中に爆発音がなって黒煙も上がり、誰かが確実に殺し合いをしているのだと認識させられた。出発後に消防署の方角から同じような爆発があってその時も不安になったのだけど、二度目の爆発でもうこれは冗談ではないのだと諦めた。
だからあまり人目につくように行動してはならない。
豊自身は生徒を殺すとか殺されるんじゃないかとかそのへんの意識は曖昧なままで、はっきりしてないせいか、恐怖とまではいかなくて、ただ不安だった。
戦うことも逃げることも選ぶことができないままだった。人を笑わせることには自信があったけど、争いごとはとんと苦手だったし、かといって一方的にやられるのも嫌だった。
「あーあ。ついてないや、ほんと」
自分でもはっきりわかるぐらい情けない顔をしてぼやいていた。でも、これがいつもの教室でのことだったなら、お笑いの相方的存在の河村心(男子六番)か、つっこみのするどい三島仁あたりにつっこみを入れられてクラスメイト達を笑いの渦に引き込むこともできたのに。
肩からぶら下げたショルダバックを肩にかけ直して道を登った。
豊に支給された武器はダイナマイトだった。しかも古典的なやつで、大き目のろうそくのような形で先っちょにひょろっと導線が出ている。それが十本ほど束になったものが三束あった。ただしライターもマッチもなかったし、火をおこせるようなものは何もなかった。それは自分でなんとかしろということだろうか。不良の仁村や他の悪ぶっている間藤たちなら(ああ、そういえば放送で間藤ら、内のクラスで悪ぶってる男子はほとんど死んでいた。自分にとってこれは半分ありがたいことだったが、そんな不良を殺したやつが存在するってことは……やはり安心できるとは言いきれない)。この間藤たちならたばこを吸うのにライターなんかを持ち歩いているかもしれないが、豊には当然そんなものとは縁がなかった。
当面、豊には役に立たない武器であることには違いなかった。
ぎゅうぅ、とまたも腹痛が襲ってきてだんだんとこの痛みのサイクルと強さが増してきているような感じだった。
これは早いとこなんとかしておかないといざというときに何もできなくなりそうだと思い、ひとまずトイレの代わりになるような場所を探した。いやもちろん実際にトイレである必要はなく、せめて音を立てても人目につかないような所を探していた。身の安全の為もあるがやはり真っ最中に誰かにやってこられるのは恥ずかしいという思いもあった。笑わせるのと笑われるのでは意味が違う。わかる? その辺のところ。
自問自答しながら先へ急いだ。とにかく気を紛らわせておかないと今にも噴射してしまいそうだ。
ぐっぐっと膀胱が締めつけられるたびに涙目になってはお尻を押さえる。
「ううぅ。もうちょっと待って……お願い……」
ぎゅるるる、と逆らうように腹が鳴る。今や最後の砦である肛門までもが降参することを頭脳に伝えてくる。もう限界ですよお兄さん。そろそろ降参したらいかが? ほら、あと少しで中身が飛び出ちゃうよ。
「うひ、うひっ」
奇怪な声を出しながら豊は内股でずりずりと足を引きずって歩く。まだ最適な脱糞ポイントは見つからない。
山道はなだらか。見通しもきいて、こんなときにかぎってしんと静まりかえっている。
脈打つようにドクッ、ドクッと下腹部が収縮する。
――――いっそここでやっちゃうか!?
いいや、だめだめ。今なら派手な音が鳴り響くのは間違いない。それに道のど真ん中でしょ、あんた。
――――道のど真ん中にしたら気持ちいいだろうなあ……。
って、ダメじゃん。あうう。誘惑に負けそう……。
「も、れる……」
思わず空を見上げた。右手でしっかりと穴を押さえつけるようにしていたのだけどもう限界。ピリピリと全身に電気が走った。
出る!!!
いや負けじと手と尻の穴に力を込める。
やっぱり出るっ!!
出ちゃう!!
「あふぅ!」
まだ粘る。
だけどショルダバックは肩からずり落ちた。右手に引っかかったけど、手はしっかり尻を押さえたまま。手首にずっしりと重心がかかってバックまで封印の邪魔をする。
や、め、て。
妙な具合に身体をくねらせてなぜかつま先立ちになる。
どくん、と肉体のすべてを震わせる波動がきて波は止んだ。
押し寄せていた波は満ち潮から引き潮に変わった。まるでそれまでの我慢が嘘のように激痛が治まった。
すぅーっと力がゆっくり抜けていく。
爽快感こそないけれど、山場を乗り切った安心感が広がった。
生暖かい汗がぽとりと落ちて、実に気持ちの悪い汗を拭った。
はあああ、とたっぷりため息をついてバックを肩にかけ直した。そして再び歩き出した。
やや早歩きになって早く安全に用を足せる場所を探した。
いつになく真剣だった。もしかするとこれまで生きてきた十五年間の中でもっとも集中していた瞬間かも知れない。得意のギャグは何一つ頭に浮かばなかった。
ゆるやかな上りの道が終わると山肌の露出する道に出た。
岩肌が露出した壁面のところになんとか雨宿りぐらいにはなりそうなほどの小さな洞窟があった。奥行きはないので洞窟というよりも崖の窪みといった方が正しいのかもしれないが。
うねった山道が上りながら扇状に左カーブを描いて山が左側にあり、道が続くカーブの先にその窪みがあるから、昇りでも下りでも人が来ても遠目にはつかない。ただし逃げ場がその道しかないので同時に左右からこられると追い詰められるのであまりいい隠れ場所とは言えなかったが、当面その場しのぎにはなりそうだった。
飛びつくようにしてその窪みに向かって前進したその時だった。
その安心感がよくなかったのか、ほっとした瞬間に腹部に再度激痛が見舞われてしまった。あと四、五メートルのところまできて豊は思わず、そりゃないよ、と心の中で思った。
何度も何度も陣痛のように繰り返され続いてきた腹部の痛みがついに再攻撃してきた。しかも今度の攻撃は先ほどの倍以上の激痛が迫ってきた。あとちょっとで自由に出せるという焦りと期待がさらに下腹部に加速度をつけて大津波が押し寄せて、完全に涙を目に浮かべながら歩みを止めた。
――――ああ、ダメ。まだズボンが。
間に合わない。もう窪みまで行くことができない。もうその場ですることを覚悟した豊だったが、ズボンの存在を忘れてた。
くううう、と渾身の力を込めると敵はラストチャンスを与えてくれた。ほんの一瞬波が引いた。しかし直後に次の激痛が来るのはわかっている。今しかない!
ズボンのベルトに手をかけたその時、
「え? そこにいるのはコメなの?」
と、女子の声がした。
うわああああああああああああああああ!!!!!!!!! …………ヤメテ。
彼女はまったく意外なところから姿を現した。……上。
上り道の上ではなく、頭の上。
露出した岩肌の上から江口美奈(女子三番)が崖の隅に立って下を覗いていた。女子はおおむね山田豊のことをあだ名の”コメ”と呼ぶ。中には本名を知らないままでいる人も……。だが今はそれどころではなかった。
も…………ダメ。
半分白目を剥いてお尻を両手で押さえる豊にさらに追い討ちをかけるように山道のカーブ先から人がやってきた。まるで音もなく、上から見ていた江口美奈がはっと気がついたときには、彼女はもう豊のすぐそばまできていた。
しかし幸か不幸か今の豊にはもう、まわりの状況を判断できるような意識はなくなっていた。半ば意識を失っていたといっても大げさではないかもしれない。
彼女は手に持った銃をすばやく構えて一発だけ発射した。
そしてその発射された鉛玉はみごとに豊の心臓にヒットした。それと同時に、ぶびびぶぶっと奇妙な音があたり一面に鳴り響いて、豊の身体がぐらりと揺れてその場に倒れた。
少し斜面になっているその道で大の字になった豊の股間のあたりから生暖かい汁がこぼれ、そのやけに茶色い汁がたらたらと地面に多少吸収されながら下にたれ流れていった。
その光景に目を奪われていた江口はようやくはっとして豊を撃ち殺した彼女の姿をよく見た。
まったく無表情で、何の感情の欠片も見ることができない野ノ原遥花と目が合って、その次の瞬間には銃口が江口に向けられていた。
すぐさま逃げようとした江口だったが足が硬直し、まったく言うことを聞かず、銃声が鳴った。
幸い距離があったせいか遥花の銃は狙いを外し、岩に直接当たった。弾け飛んだ石の欠片のようなものが江口の顔に、ぴっと跳ねてそれが刺激となって身体を動かすことができた。
崖の上から江口の顔が引っ込んで消えると遥花は銃口を下に向け直した。まだピクピクと痙攣する豊の頭付近に狙いを定め、引き金を引いたが何も起こらなかった。
遥花はブローニングの弾を使いきったことを知り、さらに予備のマガジンもなくなったことを思い出していた。結局、遥花はとどめを刺すのをやめた。
遥花は側に落ちていた豊のバックを担いで、その異臭の漂う場所から離れて山道に消えた。
そして死にかけながらもびちびちと留まることなくたれ続ける豊の脱糞が何とか終えた頃、ようやく彼は息絶えた。
こうして未来のホープと期待された男、山田豊は死んだ。
【川田章吾優勝まで あと22人】