
第二部
中盤戦
33
わたしは死ぬわけにはいかないのよ。どうしても。
遥花はうずくまるようにして泣いている慶子をやさしくなぐさめてやりながらその想いを強く心に誓った。
そりゃ、わたしだって鬼じゃあない。何かに感動することもあれば同情することだってある。感情に流されることだってある。
しかし、いいや、だいぶわたしにとってそうなることは稀にみることだ。わたしより不幸になんかならないはずだ。死んだほうが幸せなことだってあるはずだ。
このゲームに生き残って何が残ると言うの?
このゲームに勝ってまたあんなくだらない社会に戻るつもりなの?
子供にはわからないことだろうけど。少なくとも子供を産んで育てているわたしよりは子供のクラスメイトたちは。
わたしはまだ死ねないの。子供のため。復讐のため……。だって……。
なにしろこんなクソゲームに参加させられるぐらいだもの。
なにしろこんなくだらない国に生ませられたんだもの。
なにしろ簡単に人を裏切られるようにできた社会なんだもの。
そしてそれを見てみぬふりするこのダメな社会に。
大東亜共和国という悪魔にわたしは殺されたのよ。
もう負けない。もう負けたくない。誰にも。わたしを捨てた両親にも。わたしを裏切った人にも。わたしをこんなにした国にも。
必ず生き残ってわたしはわたしなりの方法で全員に復讐してやる。
それまでは……。
すすり泣きの慶子の声が消え去りそうになっていた。
遥花は頭を切り換えて現実に戻った。
「そろそろ行きましょう。大貫さん? 川田くんが来るかもしれないわ」
はっとしたように慶子が顔を上げて遥花の顔を見つめた。
「章くん……。章吾くんは……?」
「なにを言っているの大貫さん。彼は殺人者よ。昔はあなたの恋人だったとしても今はただの殺人者なのよ」
慶子の瞳孔がぐらぐらと揺れて表情が固まっていた。
「早く……行きましょ。下に……」
遥花は促すように斜面を少し下った。少しして、まどろっこしいように慶子の手を取って無理やり引っ張って斜面を下った。坂を下るときにかき分ける草木が意外と派手な音になった。
慶子はおろおろとしながらも抵抗はしなかった。時々後ろを振り返ることもあったがその程度だった。
急な斜面を抜けるとなだらかな道に出た。ここを上っていけば、さっき殺した山田豊の死体がある。――――川田は気がつかずに山の上を探しに行くに違いない。
余裕を持った笑みで振り返った遥花だったが、一瞬にしてその表情は固まった。
「馬鹿な!」
川田が追ってきていた。ざざっ、と茂みをかき分ける音がする。――――そんな。
瞬間だけ逡巡したのち、遥花は道を下った。慶子の手を引っ張りながら。
「早く! 追ってきているわ!」
「どうして章くんが……」
「考えるのは後! とにかく急いで!」
ふふふ。千春やはるなにもよく言ったものだ。
過去の記憶が甦る。小学生だったころの話だ。
施設で育った三人はいつも一緒だった。施設は決して立派なものではなく、慈善でやっている園長が貧しいながらも見捨てずに遥花たちを育ててくれた。当然、食事や着る物も満足いくはずもなく、自分が欲しいものは自分でなんとかしなくてはいけなかった。
小さい頃、知らないおじさんに胸を触られたらお金をくれた。胸を触られたのはイヤだったが、そのお金で買った洋服は当時の大のお気にいりだった。また、お金をくれるおじさんを探した。あるところに行けば、自分が頑張れば頑張るほどお金をたくさんくれることを知った。しばらくは自分だけの秘密だったが、でしゃばりで好奇心の強いはるなには見つかった。
自分がやっていることを『悪いこと』だと言う人もいる。はるなも最初は嫌がっていた。だけどわたしは言った。
『考えるのは後。あなたもこんな服着たいでしょ?』
初潮がくる前に処女は捨てた。たいへんなお金になった。罪悪感はなかったし、むしろ、働いてお金をもらっているんだからいいじゃないか、とさえ思っていた。
この頃から芝居はうまかったかもしれない。人を騙すのにも罪悪感はなかった。――――騙される方が悪いのよ。
それとなく千春にも薦めたことはあったけど、彼女はそういうことに、というかお金にあまり興味をしめさなかったので、一緒にすることはなかったが、族の集まりだとか、夜中ずっと遊びまわることはよくあった。そういう意味では千春だけは多少、常識人かもしれないが、少々悪さをしてびびっているときでも、
『大丈夫! 考えるのは後。わたしがなんとかする。仲間でしょ、わたしたち』
といえばよかった。
彼女達はわたしになびいていたし、信用もしていた。そして仲間だと思いこんでいた。
もちろん、わたしにとっても仲間であることには違いなかったけど、それはそれだけ利用価値があるから。どんなときでも一人は寂しいもの。悪さをするのも、お金を使うのも、何をするのも一緒がいいじゃない?
わたしは一人が嫌い。誰かいつもわたしの側にいないと寂しいじゃない。一緒に辛くなろうよ。一緒に悲しくなろうよ。一緒に寂しくなろうよ。
お金があればみんなわたしの側を離れなかった。特に貧しい施設ではそうだった。学校では不良として敬遠されてるかもしれないが、後輩たちには好かれていたと思う。
「待て!」
川田の声が後ろから響いた。わたしは必死に走っていた。
満足な人生だったわけではない。だけどわたしは常に全力で走ってきていた。
慶子がつまづいてこけた。手を繋いでいた遥花は煽られるように自分もバランスを崩した。川田との距離が縮まる。
川田のイングラムは真っ直ぐ遥花だけを狙っていた。それも当然か。
武器類が入ったデイバックを放り投げた。ほんとは金槌だけとかにしときたかったが、デイバックから出す間がないので仕方がない。
川田は難なくそれを避けると慶子に近寄った。その隙に遥花は背を向けて全力で走った。
うまく助けたわね。川田君。――――わたしはまた一人になっちゃった。また誰か探さないと。
寂しいのはイヤだ。
荒れていた生活を説教した先生がいた。真剣に。少なくともわたしにはそう感じた。何度も施設にまで足を運んで学校にくるように説教した。うっとおしかったけど、ありがた迷惑だったけど、でも、わたしを一人にはしなかった先生。だけど、ただの、一人の男でしかなかった先生。わたしを、抱いた先生。わたしの、子供を作った先生。わたしを、捨てた先生。
「よせ! 俺は敵じゃない!」
川田が叫んでいた。人をイングラムで撃っておいてなにが敵じゃない、なもんですか、と思った遥花だったが、言ったのは遥花にではなく、後ろにいる誰かだった。
「どうせみんな死ぬのよ! あんただって例外じゃないわ!」
「待つんだ! 何か方法があるかもしれない!」
「いいかげんなこと言うんじゃないわよ! 殺してやる!!」
「よせっ!」
遥花が振り返るとそれは、遥花がよく知っている人物、保坂千春だった。
千春は……包丁を片手に慶子を人質に取っていた。
どこから現れたのか(おそらくさっき遥花自身や川田が通ってきた抜け道だとは見当がついたが)、そこにいた。これだけ騒いでいたのだ。近くにいた千春やなんかは駆けつけてきてもおかしくはない。
「千春!」
顔だけ振り返った千春が遥花を睨んだ。そしてすぐに顔を前の川田に戻して、
「もういやよ! 冗談じゃない! こんなゲームとっとと終わらせてやるわ! みんな、全員、あたしが殺してやる!」
「よせ! 落ち着くんだ!」
ギロッと千春が振り返って、
「あんたも殺してやるからね、遥花!」
その瞬間、川田の手が伸びた。川田の手が千春の腕を捕らえる。
「いやあああああああああああああ!」
もみ合った勢いで慶子が千春の体に弾き飛ばされる。慶子は横倒しに倒れたときに地面に頭を叩きつけていた。
くっ、と川田が声を発して慶子の体に手を伸ばした。そして千春の手が自由になった瞬間に包丁が振り下ろされた。
少し離れた位置から見ている遥花からでもはっきりと確認できるほどに川田の顔面から血が噴き出した。左眉のところをざっくりと切って、長い前髪が束になってばさりと一緒に切り落とされた。
「ぐううぅ」
声にならない声を川田が発して、顔面を押さえるように手で覆った。血しぶきが一瞬遅れて地面に降った。
「殺してやる!」
千春が大きく包丁を上に振りかぶって構えた。川田は目を押さえて前が見えていない。
一瞬、ほんの一瞬の出来事であったが、遥花は思った。
千春はいつも保守的でどちらかといえば大人しい子だった。遥花やはるなが友達でなければ悪さをする、なんてことはもしかするとなかったかもしれない。
千春はいつも…………やさしい子だった。
「千春!」
千春の手が止まった。ほんの一瞬、いや、わずかばかりの正気の反応。今にもその手は殺人を犯そうとしている。
――――それはわたしの役目さ。千春……あんたはそんな役しなくていいのよ。
千春はいつも、妹のように、可愛い、とても、やさしい、いい子だった。
次の瞬間イングラムが吠える。
ぱらららら、とタイプライターのような音が鳴って、千春の身体が舞った。
寝ている体勢から川田はイングラムを放った。千春の手から包丁が飛ぶ。
「やあああああ!!」
遥花は全力で走って川田に飛び蹴りをした。同時にイングラムが鳴る。ぱらっ――――。
弾切れをおこしたイングラムは途中で用途を終えた。しかし、それでも十分だったかもしれない。遥花の身体にも数発の弾丸が埋め込まれた。
突然、めまいを起こしたような感覚にとらわれた遥花は慶子の上に覆い被さった。うっ、と慶子がうめいたが、意識ははっきりしないままだった。
川田が顔面を押さえたまま立ちあがってこちらを見る。顔の左半分は血だらけで目も見えてはいないだろう。しかし、うっすら開いた右目で遥花を捕らえた。
遥花は立ちあがった。意識は朦朧としていたけど。じんじんと胸だかどこかだかが痛んだけど。
千春が落とした包丁を拾った。そしてそのままの状態で猛然と川田に迫る。
――――生き残ってやる。あの子はわたしに似て一人にするとすぐ泣くんだもの。
がきっ、と音がして包丁は川田のイングラムで避けられた。
「クソッ」
と振り下ろしたイングラムに頭を襲われた。がこっ、と鈍い音がして頭が響いた。ぴぴっと地面に血が飛び散ったのは気のせいだろうか。
――――舞ちゃん。わたしの愛しい舞ちゃん。
「うおおおおお!!」
やみくもに蹴られた川田の足が脇腹に食いこんで、遥花は前のめりに倒れた。その時に何か川田からも飛んでいった。銀色の小さな箱のようなもの。
「遥花ぁっ!!! うわあああああああ!!!!」
千春が川田に迫っていた。身体中から血を噴き出しながら。
「よせえぇぇぇっ!!」
「遥花を殺すなあぁ!!」
身体ごと川田にぶつかっていって、二人とももみ合ったまま崖のある方へ向かった。
「千春!!」
叫んだ。声の限り。
「千春!」
二人がもつれたまま崖に行った。川田はうまく身を翻すと千春を払うように体をうけながした。勢いに乗った千春はそのまま崖の下に転落し、姿が見えなくなった。叫び声を上げながら。
「……千春」
ほんとうならここで逃げ出すべきだった。あるいは何か武器を手にして向かうべきだった。
脳は冷静に判断し、次に何をするべきか回答をだしていた。ともかく、この場は逃げることを優先させた方がよさそうだと。しかし遥花はその場で立ち尽くしたまま動かないでいた。何かが遥花の意識ではなく、心に働きかけていた。
――――また一人減っただけじゃない。早く次の行動を取らないと。
遥花はさっき投げたデイバックへ向かって走った。途中で一度屈むと何かを拾った。さっき川田が落としたものだ。デイバックを荒っぽく掴むと中身を出した。それを見て川田がマガジンの交換を始めた。
――――絶対に不利。逃げなきゃ!
取り出したのはダイナマイトだった。山田豊から奪った物だ。焦点がうまく定まらないままの状態で立ちあがって向き直した。川田の方を向くとマガジン交換がちょうど終わったところだった。銃口が遥花に向けられる。
――――逃げないと! 殺される!
遥花はダイナマイトと川田の落し物を目の前に差し出した。それは銀の、鈍色に輝くジッポのライターだった。右手に持ったライターをいとも簡単に火をつける。
そして遥花は川田ににじり寄る。
「……撃ってごらんよ。あんたも死ぬよ」
歩きながらライターを導火線の近くで揺らしていると、今にも火がつきそうだった。
遥花は二重にみえる川田に歩み寄る。どうもさきほどから胸の辺りがじんじんする。心臓の鼓動と共に血がこぼれているのだ。そんな状況だからこんなことは当たり前なのかもしれない。
「何がしたい、お前? お前も死んでしまうぞ」
「わたしは生きる。生き残ってやる」
「彼女は故意に落としたわけではない。……お前の仲間を、殺そうとしたんじゃないんだ。俺はただ――――」
「千春のことはどうだっていいんだ。わたしは死ぬわけにはいかない。ただ、それだけ」
――――ほんとうにそうだろうか?
「わたしには待っている人がいるんだ。わたしを必要としているんだ」
舞がいる。だから死ぬわけには――――。
ほんのはずみだった。ほんとうに火をつけるつもりはなかった。喋っている最中にライターの火が導火線に着火した。
じじじ、と小さな火花をあげながら導火線は消費されていく。ものの、数秒。――――その刹那。
川田は後ろを向いて崖を飛び降りた。
それを見て遥花はダイナマイトを下へ投げようとした。しかし……しかし、見えてしまった。むしろ、見えなかったほうがよかったはずであった。
遥花が投げようとしたその先に千春が倒れていた。転げ落ちるように川田がその横を滑っていた。――――判断が遅れた。
――――ああ、だから早く逃げればよかった。
だけど、だけど、それでも遥花は笑ったのだ。心から。世の中の皮肉や矛盾に絶えきれなくなった時に笑うような歪んだ笑みではなく、そう、たとえば、昔、三人で、とても仲のよかった三人で、施設の庭で将来の夢を語ったときのように。
――――わたしの夢ってなんだったんだろう? たしか、お嫁さ――――。
遥花の思考はダイナマイトの爆発の轟音と共に消し飛んだ。
この島に響く三度目の大きな爆発音になった。
その時、彼女の故郷にいる娘、舞は、何かが気にくわなくて泣いていた。それが何かはさだかではないけども……。
【川田章吾優勝まで あと20人】