
第二部
中盤戦
39
正午の放送だ。及川は思わず腕時計を見た。デジタル時計は十二時を一分過ぎていた。
この島にいる生徒たちは全員、いや、敵である兵士たちも含めてこの舞知のムカツク歌を強制的に一分も聞かされたわけだ。
あまり見たことのない鳥が一羽だけ飛んでいた。
今、羽を広げて、今、とびたつ私、とてもとてもとても殺したい気分よ。
及川はとりあえず静かにこの放送を聞くことにした。ただ、地図やら鉛筆なんかは電算室に忘れたことを思い出した。
舞知の放送が続いていく中、湊中学の死亡者が次々と発表されていく。それを聞きながら、禁止エリアだけしっかり覚えておけば問題ないだろうと思った。彼らのようにいきなり、ボンッ、というのでは理不尽というものだ。ちなみに片岡と片桐の二人の名前は呼ばれなかった。
続いて神戸二中の死亡者の報告が始まった。及川が知っているのは二名だけだが……。
『じゃ、男子からねぇ。まずは男子二番、江藤大希くーん。続いて男子三番、江藤真希くーん。――――あら兄弟で仲良いわね。次は男子六番、河村心くーん。男子二十二番山田豊くーん。それだけよー』
河村は今、目の前で死んでいるのを見たのだ。思い出すと胸がむかついてきてまた気持ち悪くなる。
次は女子が呼ばれるのか……。と思った時に、もしも菱倉ゆかりの名前が呼ばれたらどうしようかと思った。――――そう、彼はまだ生きているのだ。いや――――それはそれで犯人が特定されるからいいのだろうか。
――――そんなはずはない。人が死んでいいわけがない。
マイナス思考が及川を襲う。
『女子三番、江口美奈さーん。女子十番高木恵理子さーん。十六番の中村友美さーん。十七番野ノ原遥花さーん。十九番保坂千春さーん。……んー、以上でおっわりぃー』
恵理子の名前が呼ばれた時に少々心が痛んだ。ちゃんと弔ってやればよかったと、少しだけ後悔する。
そして菱倉ゆかりがまだ生きていることに少しうれしくなった。まだきっと彼女はこの近くにいる。
『じゃあ、禁止エリアの報告よぉー。湊中学の子は関係ないから聞いても聞かなくてもいいわよぉ。――――えー、十三時からF=01。十五時からC=05。十七時からH=07よぉ。』
及川は頭の中に記憶していた地図を思い出しながら、しっかりと覚えた。
さきほど視界の中で飛んでいた一羽の鳥は、スピーカーの音に驚いたのか、どこかに姿を消してしまった。
及川は今いる状況をゆっくりと思い出しながら、次の行動を考えた。
視線を廊下に戻して誰もいないことを再確認する。ここにいるかぎりは多少ほっとするのだが。
やはり、菱倉を捜す必要があると思った。彼女に対しては何も義理だてすることもないのだけれど、一度は信用したクラスメイトだ。情だって少しは湧いていた。
気を入れなおして階段に向かおうとしたその時、窓の外の視界にちらりと動くものが目に入った。
よく見るとそれは人の影で、誰かがこの病院に向かって走ってきていた。黒い学生ズボンを履いた、髪の茶色い妙に背の高い人物……。
足を引きずるようにしていたが、それでもその運動神経のよさそうな走り方で誰だかわかった。
そして人の声が聞こえたような気がしたので、及川は急いで窓を開けた。
「――――まくーん。お願い早く来てっ! 沢村くんが死んじゃう!」
手に大きなアーチェリーを抱えながら上を見上げて顔がはっきり見えた。だが、声は屋上からだ。
菱倉ゆかりの声が屋上から聞こえてきていた。
その想いでいっぱいになった及川は中央の階段から廊下を突き抜けて非常口に向かった。――――中の階段から屋上へは閉鎖されていた。だったらあとは非常階段しかない。
五つの部屋をすり抜けて非常口の前にでる。及川は鍵を開けた。
沢村もそこにいる! やつは殺人鬼かもしれないのに!
祈るような気持ちで及川は扉を押し開けた。――――菱倉を助けるんだ!
開けられたはずの扉が途中で何かにぶつかって止まった。扉が完全に開かないおかげで、及川もいきおいよく飛び出したので扉にぶつかってしまった。
「あ、てっ」
思わずぶつけた額に手をやって頭を押さえた。
「なんだ……!?」
呟きながら開けかけた扉を一度引いて裏側を覗いてみる。
きらっ、と銀色の光が一瞬目の前を横切ると及川の顔面すれすれのところを包丁が掠めていった。
「うおっっ!!」
そりかえりながらなんとか避けた及川は、バランスを崩して後ろに尻餅をついてお尻を大きくぶつけた。
顔をしかめてお尻をさすりながら目を前にやると扉が勝手に開いていった。
扉が外側にゆっくりと開いていく。さっき何かにぶつかって止まったところよりも大きく扉が開いて誰かのシルエットが映った。及川がいる廊下からはちょうど逆光で顔が見えなかった。
仁王立ちするかのように包丁を右手に持った影が、ゆらりと一歩近づいてきて中へ入った。及川は座った体勢のまま思わず後ろにあとずさった。
砂か土か、とにかく泥だらけになった黒い学生ズボンを履いている。ベルトはしっかりとしているが中のワイシャツがはだけてだらしなく外にはみ出していた。そしてズボンのように泥はついてなかったが白いはずのシャツがやけに全体が赤黒い。ゆっくり視線をそのまま上に上げると影の中からでてきたのはホッケーのキーパーがつけるお面をした男だった。右手に持つ包丁はすでに赤黒く、彼自身も誰かの返り血を浴びたように血まみれになっていた。――――そう、その姿はどうみても映画にでてきたジェイソンのようだった。
殺人鬼!? そ、そんな馬鹿な話って――――。
思う前に包丁を持った男の身体が猫背な身体をすっ、としずませて突撃してきた。また目の前に包丁が突き出される。しかし今度は避けれなかった。
身体をひねってよけようとした及川だったが、包丁が右肩の肉を服の上からそぎとっていった。鮮血がほとばしる。肩の肉ごとベネリM3のショルダーを切られて、銃が廊下に派手な音をたてて落ちた。
身体を反転させてその勢いでさっと立ち上がった及川が前を向くと、男はもうすでに次の攻撃に移っていた。しかし及川もそれには素早く反応した。まっすぐ首筋を狙ってきた包丁を顔を下げてかわすと、力一杯の右ストレートを相手の顔面に向かって奮った。包丁を持った腕と拳が交差する。当たった、と思った寸前のところで首をひねられて渾身のストレートは外れた。かわりに相手の左手の拳が及川の右脇腹にどすんと突き当たる。
「ぐっ」
声が洩れた。が、しかし及川はこらえてかわりに相手の右腕を取った。包丁を持った手首をがっちりと掴む。そのまま相手の背中の方へひねると、「ぐううぅ」と、相手も声を洩らした。
「うらあっ!」
気合いを入れて外側から足を払って相手の足を蹴飛ばした。バランスを崩して手からも包丁が落ちる。よしっ、と思った瞬間に左手が首に伸びてきた。目はその動きに追いついたが、身体の反応はワンテンポ遅かった。がつっと首を押さえられると力任せに握られ、一気に締められた。一瞬で息が苦しくなる。右手が離れた。
その隙を逃さぬすばやい動きで相手の男が獣のような咆哮を上げて拳を突きたてた。及川のみぞおちに重い衝撃が伝わる。同時に目の前が暗転した。腹部から背筋へビリビリと電気を走らされたようになり、頭のてっぺんまで電気がきた。思わず顔があがって後ろによろける。まともに拳を腹部で受け止めてしまったようだ。そして足に何かが引っかかって躓いて後ろ向きにこけた。すぐになんとか手をついて起きあがろうとするが、全身がしびれて麻痺したように身体が動かない。後ろに手をついたまま足に絡んだ物を取る。目は男から離さなかった。だから男がすばやく落ちた包丁を拾って及川に向かってきたのも見えていた。及川は手に持った物を前にして脇に抱えた。
「うわああああああああ!!!!」
叫びながら及川はベネリM3を発射した。強い反動と耳をつんざく音が鳴り響く。
不充分な体勢で発砲した及川は後ろに上体が反り返った。バコバコッと天井の壁が崩れ落ちるのが一瞬見えた。そして腕で顔をかばうようにしながら少し離れたところでひるんでいる仮面の男の姿も。
しかしひるんでいるのは一瞬だけだった。すぐにこちらに向かって突進してくる。及川が体勢を入れ替える方が遅かった。ころんだような体勢のまま後ろに下がる。包丁を振りかぶって及川の身体をめがけて振り下ろされる。渾身の力を込めて及川は床を蹴った。一気に後ろの飛びのいてさがろうとした次の瞬間、その足の甲を踏まれた。さがれないまま頭から後ろ向きに倒れる。身体が床についてどっ、と背中から落ちた。息が止まる。真上から覆い被さるように包丁を振りかぶったまま仮面の男が上になって、一気に包丁が振り下ろされた。
ほんの一瞬の動きだった。ほとんど無意識と言ってもいいほど手に持っていた物を前に重ねた。ガキッ、と金属音がして包丁は及川の胸に刺さる直前で止まった。ベネリM3の銃身を盾にして包丁を食いとめたのだ。力を込めて押し返そうとするとバキン、と弾けるような音がして包丁の先が折れた。足をぐっと曲げて下から蹴り上げようとするがこんなときにかぎってうまく力が入らない。むなしく空を蹴った。じたばたと下から蹴り上げるがひとつも当たらない。男は後ろに飛びのいていた。
起きあがるチャンスは今しかないと思って体をさっと起こす。しかし、その間に仮面の男の背中からおおぶりな斧が取り出された。いよいよ本格的な殺人鬼だな、とあせりながらも思ってなんとか立ち上がった。間髪いれずに斧が目の前を横切った。かろうじて避けると、ベネリM3を構える間もなく、次の攻撃が及川を襲った。重いはずの大きな斧をぶんぶんと振り回しながら一歩づつ間合いをつめてくる。動きが大きいので後ろに下がり、なんとか交わしながらも反撃ができない及川。
ついに中央の階段のところまで押し迫ってきて、その時になってようやく相手も疲れてきたのか隙ができた。
さっと一歩引いてベネリM3をしっかり構えた及川が叫んだ。
「動くんじゃねー、てめー! ぶっ殺すぞっ!!!」
しかし躊躇がなかった。まったくひるむことなく攻撃の間合いに入ってきた。虚をつかれた及川はベネリM3の引きがねを引くのを一瞬ためらった。その瞬間及川の思考に入ってきた言葉はあまりにも冷静な判断だった。――――人殺しになってしまう!
ためらいのない者の動きはすばやかった。振り上げた斧を一瞬止めてフェイントを入れて、ぐっと懐に入ってまた及川の足を踏んだ。あ、と思ったときにはバランスが取れなくなって不安定な状態のまま動けなかった。垂直に振り下ろされた斧は及川の頭に直撃しそうになったが、そこで及川は肩を入れて相手のむなぐらを片手でがしっと掴んだ。そのまま引き寄せるようにぐいっと引っ張ると、相手の肘が及川の耳を掠めて肩に当たり、そこで止まった。うまく斧を振り下ろすことはさせなかった。離そうと相手がもがいたのでこちらも絶対離さないつもりで強くシャツを掴む。するとめちゃくちゃに暴れ出したので及川は掴んだ手を離さないまま、一瞬相手に力を委ねてやってもう一度こちらに強く引き寄せた。さらにそのまま頭突きをあごに入れて逆に相手を突き飛ばした。ただし足を踏まれていたので自分も勢いよく倒れた。
びたんっ、とアクリルの床にもろに身体をたたきつけた及川は息が詰まって動けなかった。ただ、それは相手も同じようであった。しかし、しかしそれでも相手の方が立ち上がるのが早かったのだ。ぜいぜいとお互いの激しい息が聞こえるぐらいの接近した距離で相手は斧を持ち上げた。どうしても及川の首を取りたいらしい。
及川は右手にしっかり持ったままのベネリM3をさっと両手で構えて前を向いた。今度は躊躇がなかった。構えてすぐに撃つつもりだった。だが、相手の方が一足早い動きで、斧でベネリM3を叩き落された。がしゃんと、派手な音をたてて廊下をベネリM3が滑っていく。しかし今度は及川の動きの方が速かった。斧を振りきったところで体勢を崩している相手に向かって及川は思いっきりみぞおちを狙って蹴った。
ぼくっと鈍い音がして、相手はくの字にまがった身体を倒して床に手をついた。もう一度蹴ろうとしたときに男が顔を上げた。仮面をしているので表情はわからないはずなのに、男が笑っているように及川には見えた。足はもう、相手の顔面近くまで蹴り上げようとしていて止まらなかった。
顔に当たる直前で及川の蹴りをがっしりと両手で受け止められた。多少ダメージは与えたかもしれないが、足を完全に掴まれてしまった。まずい! と思ったときにはもう足をぐっと持ち上げられて倒れそうになっていた。こけそうになった瞬間、及川の急所に目もくらむような激痛が走った。ぐっ、と声すら発することができずに及川はその場に倒れてしまった。股間を拳で殴られた及川は、身動きが取れなくなった。全身を悪寒と電気が走る。それでも苦痛をこらえて立ちあがろうとするが、ちょうどそこへ、顔面に痛烈な蹴りを放たれた。ぼくん、と鈍い音が鼻骨のあたりからして、意識が飛んだ。
ほんの少しの時間であったのだろうが、長い長い悪夢を見たように目覚めが悪い。戦意を喪失して床に伏せたままうずくまるようにしていた。もう何も考えることができなくなった。思考回路がショートしてしまったようだ。
「……うっ……」
頭の中が真っ白になって今、自分が何をしているのか、何をしようとしていたのか、何も、何もわからなくなった。
苦痛に大量のアレドナリンが分泌されて、痛みも意識も麻痺していた。意識が混沌とした迷路に迷い込む。
及川が闇の中へ落ちていく直前に薄目を開けて見ると仮面の男はまた斧を拾ってとどめを刺そうとしていた。が、身体は動いてくれようとはしない。否、身体を動かそうという命令が脳から発せられない。
もはや及川にはどうすることもできなくなっていた。
ゆっくりと思考が交錯する。
――――なんてこった。
死ぬのか!?
――――もうだめだ。
覚悟するか!?
――――チクショウ。
クソッ。こんなわけのわからねぇ糞にやられるのか。
クソッ。せっかくウィルスが作動すればこの首輪も外れるかもしれねえってのに。
クソッ。菱倉がこの上にいるってのに守ってやることもできねぇのか。
クソッ。――――こんなことならかわいい恋人でも作っとくんだったぜ。
とりとめもなく色んな想いが駆け巡った。
――――クソが。
そして及川の意識がなくなる直前に最後に見えた映像は仮面をつけた男が斧を振りかぶったところまでだった。
――――さよならみなさん、ハハ。
及川は意識を失った。
仮面の男、つまり岩瀬也守はゆっくりと獲物に近寄った。
捕らえた獲物はもう瀕死の状態で意識を失っている。この戦いに勝ちを確信した余裕の歩みだった。
さあ、とどめだ、とばかりに大げさに手に持った斧を大きく振り上げた。そのまま容赦なく斧を振りおろそうとするつもりが、びゅん、と空気を切り裂くような音。斧は手から落ちて、後ろにころがった。
胸元に奇妙な違和感を感じながら音のした方に振り向くと、誰かが非常口のところに立っていた。そして、その音の原因である飛んできた黒い矢が岩瀬の胸のところに突き刺さっていた。
黒い矢が胸の中央に刺さった岩瀬はゆらりと身体を揺らしてその場に崩れ落ちた。
二人の人間が病院の廊下に倒れている状況を見ながら、非常口の階段のところでアーチェリーを構えて立っていた三島仁(男子二十番)は、ゆっくりと倒れている二人に歩み寄った。
【川田章吾優勝まで あと15人】