第二部
中盤戦
40
三島仁は構えていたアーチェリーを降ろしてゆっくりと中へ歩いた。
屋上にいるはずの沢村利夫と菱倉ゆかりの二人の状態も気になったが、とりあえず先に倒れている二人に向かって歩き出した。
仁が病院を発見して近づいた時に全島放送が流れた。そして屋上に人がいるのに気がついた。遠目からだったのでそれが男女のペアだったとしかわからなかった。放送が流れている間に気がつかれないように注意して近づいたつもりだったが、病院からは見やすいせいなのか姿を発見されたようだった。あわててそのまま引き返そうとしたのだが、女の声が自分の名前を叫んで呼んでいた。しかもその声の主がおおよそ、そんな大声を上げるとは思いもつかない菱倉ゆかりでおどろいた。無口な転校生であり、会話をしたことがない母の違う妹の声……。
こんな殺し合いの中、あんな馬鹿みたいに大声で叫ぶなど自殺行為と同じなはずなのに、彼女は必死で仁を呼んだ。そして利夫が怪我をしていることまで堂々と叫んでいた。利夫が見つかったのは嬉しいが……殺されるぜ、まったく。
たとえ妹であったとしても特に親しくもない、ましてや憎たらしいあの親父の血をひいている彼女になどまったく興味はなかったが、親友の沢村がそこにいるとあっては無視するわけにもいかなかった。それにこの付近にいるやつには場所を教えてしまった。また、高橋愛子や岩瀬也守のような『やる気』を全面に出しているやつと逢わないとはかぎらない。もっとも高橋愛子は六時の放送で死んだようだったけどな、ふん。
利夫だけでも移動させる必要があると思った。そして非常階段から屋上へ登っていったわけだが……。
とにかくやる気になっているやつは注意しなくてはならない。そいつがたとえそんな風に見えないやつだったとしても、だ。高橋愛子はとてもそんな風には見えなかったし、岩瀬は……まあ、そう見えなくもないか。
仁は二人に近づきながら厭な予感がして歩みを止めた。そして、今、彼自身が標的として狙った男を遠目からよく見てみる。
――――まさか! こいつ……岩瀬!?
わからないが似ているような気もした。こいつ、まだ誰かを襲おうとしているのか? 今度はゆかりでも襲おうとしたのか? いや、待て。これが本当に岩瀬だとしたらまた利夫と一緒にいたとはどういうことだ?
――――誰もいなかったんだ。しばらく時間を置いてあの場所に戻った時には園村の死体しかなかった。
仁は思い出していた。高橋愛子に撃たれながら逃げたときのことを。
やみくもに逃げた仁は広い公園の中をさまよった。わけがわからなくて。頭の中では冷静に判断する自分が、プログラムに参加させられてこれからクラスメイト同士で殺し合いをしなくちゃいけないとわかっていたのに。こんな銃撃戦ももしかしたらあるかもしれないと、考えてはいたのだけど……。
いざ、目の前で人が死ぬのを見ると恐怖と不安で冷静な判断能力はなくなっていた。自分はずいぶん大人びた少年だと自覚していたのだけど、そんなものはクソのやくにも立たないとわかった。――――まったくクレイジーだぜ。
そしてようやく落ち着いた時にはもう朝になっていた。正確に言えば、今朝の六時の全島放送でようやく精神が安定してきたのだ。クラスメイトの死を聞くことでしっかりしなくてはいけないと自覚が生まれた。と、言うのでは皮肉な話ではあるが。
仁が最初に思ったのは親友である利夫を探すことだった。そうすることで、まっとうな人間である行動を取ることによって自分の自尊心を保とうとした。無二の親友のために命の危険を顧みず、と言ったような正義感もないではなかったが、正直なところ、心のよりどころが必要だったのはたしかである。
仁は……恐れながらも、不安になりながらも、その場所へと戻ったのだ。待ちうけるのは親友の死か。もしくは他のクラスメイトの死体か……。
そして待っていたのは園村の死体だけだった。利夫も、岩瀬も、自身を襲った高橋愛子ももちろんいなかった。愕然としながら仁は、その公園をあとにしたのだった。そして――――。
病院になら誰かいるとは思ったが……。
不思議なことに倒れている男は奇妙なお面をつけていた。
ヘイヘイ、なんだい、その仮面は。仮面舞踏会にしちゃ、ちょいと趣向が違いすぎないかい?
仁は、歪んだ笑みを浮かべながら思った。横には及川が意識を失って倒れているようだった。顔やら何やら怪我をしている。……こいつと戦ったのか。さてさて正義の味方はどっちなんだろうか?
不気味なままで気持ちが悪いので仁は仮面を取って正体をみることにした。
仁は矢が刺さった男の仮面を取ろうとして近づき、アーチェリーを持った手とは反対の左手を伸ばしてその仮面に手をかけた。そしてそのままめくり上げるように仮面を持ち上げて、もう少しで顔がはっきり見えるところで、それまでピクリとも動かなかったはずの仮面の男がいきなり動いて伸ばした手の手首の上をがっちりと掴まれた。
「うおっ!! ――――なんだ!?」
爪がぎりぎりと食いこんでくる。がっちり掴まれた右手の手首の辺りから血がつつつ、と流れ落ちた。かなり強い力で掴まれていた。
があっ、と獣のような咆哮が聞こえてさらに左手の腕の筋肉のところをもう一方の手でがっちりと掴まれた。すごい握力で仁の二の腕を潰そうとする。仁は右手に持ったアーチェリーの弓で相手を小突いた。
「離せっ。クソっ――――」
腕をしっかりと掴まれたまま相手の頭を狙って蹴った。たしかな手応えが返ってきたのにもかかわらず、手は離れなかった。その動きでかえって左手に負担がかかる。爪をたてた指が、筋肉を潰してぐいぐいと食いこんでくる。
それでも我慢してもう一度蹴りをはなつ。今度は手が離れた。しかしその時に左腕の皮膚をえぐるように持っていかれた。小さな肉片が飛ぶのがはっきりと見えた。
よたよた後退する男。しかし両腕を伸ばして掴みかかろうとする。
「ケッ、ざけんな!」
相手の伸ばした両腕より自分の足の方が長かった。当然だコノヤロウ。出足はこちらの方が遅かったがカウンターぎみに蹴りがあごにヒットした。
真後ろに吹き飛ぶように倒れる。壁に激突してどっ、と床に崩れ落ちた。それを見ながら、こりゃまるで香港のカンフー映画だな、とにやついた。まあ、自分が生出演することになるとは思わなかったけど。
仁は痛む左手をこらえながら腰にぶらさげたクイーバーから黒い矢を取り出すと前方に構えた。――――今度は至近距離から身体を貫通させてやるぜ。
狙いをつける為に矢をつがえて構えた仁だったが、驚いたことに相手はもう立ちあがりかけていた。
「馬鹿な! 化けもんか、くそったれ!」
至近距離での飛び道具はあまりやくにたたない。それでも仁は防御は間に合わないと判断して、矢を放った。放たれた瞬間相手が飛びかかって仁を襲った。黒い矢は相手の肩を掠めるだけで突進を止める手段にはならなかった。体当りを無防備な体勢で直撃すると仁は後ろ向きに吹き飛ばされた。すべりの悪い廊下をずずっとすべって突き倒された。ついでにアーチェリーも後方に飛んだ。
それから仮面の男が胸に刺さっていた矢を両手で抜いた。ずぼっと抜いたときに血の塊がどろどろっとでてきたので確実にヒットしていたはずだった。なのにこの男はそんなことを気にしないかのように、その矢を持って仁に向かってきた。
仁はその不充分な体勢から、ぐるっと後転をして飛び跳ねるようにして立った。矢を持ってすごい勢いで走ってくる。無表情な仮面がその不気味さを増大させていた。
仁は一瞬、体を後ろに向けて逃げるふりをしたが、そのままくるっと反転して、全体重を乗せたとびっきりの回し蹴りを油断した相手の頭にお見舞いしてやった。
仁は左足を痛めていたので軸足にするには少々キツイものがあったが、この一撃で一気に形勢逆転させるつもりだった。
蹴りをもらった相手は重心をふらつかせながら壁に激突した。仁はすばやくクイーバーから次の矢を取り出すとそれを両手でしっかりと握って、猛然と相手の胸部めがけて突っ込んでいった。しかし、相手はそこから飛ぶように起きあがったのだ。事実、仁には相手が飛んで避けたように見えたのだ。
突き出した矢を嘲笑うかのようにさらりと避けると横に回って仁の後頭部を鷲掴みにして、勢いの乗ったまま壁に頭を激突させた。ばこん、という派手な音を鳴らして仁は壁に貼りついた。
昔見たマンガで、壁に激突した主人公がぴよぴよとひよこを頭の上に飛ばすシーンがあったが、今の仁はまさにそれ。目から星が出るというのを実体験した。
シャレにならねえぜ……ったく……。
ず、ずずず、と壁をすべり落ちるようにのめりながら床に横倒しになった。ぐらぐらと頭も視界も揺れている。
ずきずきと頭が熱くなる。暖かい液体がつつーっと額に流れ落ちてきた。
ぼやけた視界のまま体勢を入れ替えて背中を向けないように身体を座ったまま反転させて足を投げ出した。思うように呼吸もできなくて苦しい。
霞んだ視界の中に人影が映っていた。もちろんそれは誰か確認するまでもなかった。手に黒い矢を持っている。そしてあっ、と思ったときにはその矢を仁の左足の甲につき立てた。どしゅっ、という衝撃と共に矢が足の甲を突き抜けて貫通し、アクリルの床に刺さって止まった。頭のてっぺんまで衝撃が走る。目が覚めた。いや、むしろ目を見開いた。
「うっぐわあああ、あ、足があぁあ!」
すると男は後ろを向いて落ちた斧を取りにいった。
なんだチクショウ! 俺は昆虫採集の蝶々じゃねえんだぞっ。串刺しにしやがって。
斧を拾って振りかえる。身動きがとれない。これがほんとうの足止めってやつか? チクショーが!
そして男が一歩こちらに近づいた時に、
「三島くん……・!!」
と、菱倉ゆかりの声が非常階段から聞こえた。
ちぃっ! タイミングの悪いお嬢様だぜ。
「来るな! 逃げろっ、ゆかりっ!」
ぎょっとしてゆかりが廊下の先に立っていた。利夫の姿はない。
しかし、その声にもっとも早く反応したのは仮面の男だった。
「逃げるんだあああっ!!」
目の前を飛ぶように男が駆け抜けていく。その動きは非常に速かった。
くそったれ! ……こんなもん。
仁は足の甲に貫通したブラックシャフトを手で一気に引きぬいた。血が軌跡をたどって、すーっと血の気が引いた。胸がむかつくような吐気がする。
落したアーチェリーに手を伸ばすが身体が言うことをきかない。くらくらと眩暈がして視界が揺れた。
その視界の隅で、ゆかりが屋上へ戻っていくのが見えた。一歩遅れるように男が後を追う。
「させるかっ!」
仁は足の痛みを堪えて走り出した。しかし、すぐに足の感覚がなくなってのめるように前に倒れた。
クッ、っそたれ!
はいつくばりながら何とか起きあがろうとして手をついて立とうとした。が、思うように下半身に力が入らない。
「――――三島」
呼ぶ声がして、振り返ると先ほどまで意識を失って倒れていた及川が起きあがろうとしていた。
「……三島……。これは……いったいどうなってんだ!?」
頭痛がするのか、頭に手をやりながらゆらりと起きあがる。
「俺……殺されそうになって……。三島……もしかしてお前が俺を……!?」
「――――仮面の男がいた。お前を殺そうとしてたんでアーチェリーで一度はしとめた。だが――――」
仁は身体を階段の方に戻して再び起きあがろうとする。ふらふらする身体を後から支えてくれたのは及川だった。が、彼自身もあまりしっかりとは立てていないようだ。支えてくれたと言うより杖にされた、という方が正しいんじゃないかと仁は思った。もっとも身長差があるので仁が寄りかかっているようにしか見えないだろうが。
「……逃げられちまったのか」
「屋上に逃げた。利夫もそこにいるはずなんだが」
「なに!? ――――そりゃあまずい。そりゃあ、まずすぎるぜ」
「なんだ? 青汁でも飲んだのか?」
「い、いや。やつが……沢村が……俺たちを裏切ったかも知れないんだ。――――菱倉が心配だ」
「利夫が!?」
「二人殺されたんだ。高木と河村――――」
「は? 待て。どういうことだ!? ゆかりと利夫の二人以外にも誰かいるのか?」
仁は及川の肩に抱きつくようにもたれた。及川もふらつきながらなんとか二人で歩き出すことができた。
それから喘ぐように、及川が喋った。
「――――ああ、そうか。あの……仮面野郎が侵入してきて……。沢村じゃなかったんだ」
「何言ってんだ? さっぱりわかんねーぜ」
仁は及川の呟きを横目に前に進むことに専念した。今は、とにかくあいつに追いつかなければ。
「ゴタクは後だ、及川。あの仮面野郎にやられるわけにはいかないんだ。先に進むぞ」
「ああ……わかっている」
及川がうなだれながら、こっちが支えてるのか支えられているのかわからない状態で歩いていった。及川があまりにも腰くだけな歩き方をしているのを見てどこをやられたのか尋ねてみた。
「どうした、及川? 歩き方変だな。どこやられたんだ?」
肩を抱き合いながら聞いた。
ぼそっ、と及川が呟いた。しかし何を言ったかは声が小さすぎて聞こえなかった。
「どした? 及川?」
怪我が痛くて喋れなくなったのだろうか? 姿勢の悪い格好をしながら歩く及川を気にして立ち止まった。どのみち一人では歩けないのだ。彼が動かなければ自分も動けない。はやる気持ちは多いにあったが、ここは相手を気遣ってやる必要があると思った。
立ち止まると及川が顔色の悪い表情を見せながら言った。
「思いっきりやられたんだ……」
「どこやられた? 足か? それとも腰を打っ――――」
「――――キンタマ」
静寂が流れた。
笑うに笑えない状況だけにせつなかった。
「なに。玉の一つや二つなくたって生きていけるぜ。男でも女性として立派に生きている人も世の中にはたくさん――――」
「おい。勝手に玉ナシにするんじゃねーよ」
にやりと仁は顔をゆるめた。――――まだ元気はあるようだ。たとえそれが空元気だとしても。
「なんだ。まだ付いてるのか。お前ならきっと美人になれたと思うのに。――――残念だ」
及川は苦笑いして仁を見つめた。
二人は目が合って、それから、なんとなく笑った。
「んなこと言ってる場合じゃねーべ。いくぞ、及川」
仁がそう言うと、及川はああ、とだけ返事してまた歩み出した。
とにかく身体はボロボロの二人だったが、互いに支え合うことで進むことはできた。
それから仁は階段へ行く前にアーチェリーを拾っていった。はたしてこの怪我の状態で使いこなせるかどうかは大いに疑問だったが。
非常階段の手すりにもたれながら二人して階段を上がっていく。屋上までに遮るものは何もなかった。そして二人は屋上に出た。
屋上に上がったとたんに及川が叫んだ。
「菱倉ぁ!!」
その先にはゆかりがいた。屋上の真ん中付近にあるエレベーター室の手前に伏して倒れている。さらにその先にある高架水槽の上で利夫と仮面の男が取っ組み合いをしていた。
「いた。――――利夫っ!」
声がかすれて届かない。ひとまず二人してエレベーター室の前で倒れているゆかりに向かって急いだ。
「菱倉!」
及川が肩から離れてゆかりに向かって走った。とたんに仁は立てなくなってその場に座りこんだ。おうおう、男はほったらかしかい、あんた。
左足の感覚が薄い。足の甲とふくらはぎを両方痛めているので仕方がないのだが。アーチェリーを杖がわりに上体を起こす。
「菱倉っ、菱倉っ!」
ゆかりの肩を掴んで身体を揺らしながら及川が叫んでいた。
それで、うううと声を出してゆかりが何事か囁いていた。仁のいる位置ではその声は小さすぎて聞こえない。それからまた目を向こうにやった。二人の人間の怒号、叫び。そして――――。
仮面の男と利夫の姿が高架水槽のさらに先に消えた。その向こうは空だ。屋上は高架水槽のところで終わりだった。
「チィィッ。――――クソッ。落ちた!」
その声に及川が反応した。顔を上げて先を見る。同時に聞こえる悲鳴。
そこにはもちろん空しかなく、誰もいなかった。そして、一歩遅れて、どん、という何かが激突したときの音がして静かになった。
仁はもう次の言葉がでなかった。ただ、ここは五階建てだったっけ? と自問して、さらに不吉な気分になっただけだった。
【川田章吾優勝まで あと15人】