BATTLE ROYALE 外伝


第三部
終盤戦


43

 大貫慶子(女子四番)は陰鬱な林の中を歩いていた。
 木々は高く茂り、熊笹のような草に服を引っ掛けられては何度も転びそうになっていた。
 道なき道を登るように進んで行くと、背後からがさがさと追いかけてくる誰かがいる。慶子はあいつに違いないと確信して、歩むスピードを上げるが、思ったように歩が進まない。自分の進みたい意思とは反対に道は急激に険しいものになっていく。
 だけどの追ってくる速度は決して変わらなかった。慶子は身体中に絡んでくる草木を払っては、必死にもがきながら歩いた。とても走れるような道ではなかった。
 こちらはいっこうに前に進むことができないのに、相手は何事もないかのように追ってくる。うまく進めないもどかしさが苛立ちとなった。あせって大きく足を踏み出した時、そこにあるはずの地面の抵抗がなかった。ワンテンポ遅れてやってきた段差に、慶子は思いきり前のめりになってバランスを崩し、そのまま滑るように倒れた。
 痛みや辛さよりも背後に迫る茂みをかき分ける音に鳥肌がたった。その音はもう、慶子の真後ろで鳴っていた。
 恐れながらもそっと振り返ると、そこには血の滴った包丁を振りかざし、全身が赤黒く染まって白い面をした怪物が立っていた。
 必死に叫んだが、声にならない悲鳴だけがからからと喉から鳴って、腰が抜けてしまった。立つこともできず、後ずさろうにも多い茂った雑草が邪魔をして行く手を阻んだ。
 白い面はゆっくりと包丁を頭上まで振りかぶって、今まさに慶子の身体を突き刺そうとしていた。
 慶子は無我夢中でじたばたと抵抗した。めちゃくちゃに振り出した足が相手の身体に当たる。そしてそのはずみに彼の白い面が取れて落ちた。
 その悪魔の仮面の下からでてきた顔は、慶子の恋人、川田章吾の姿だった。
 ――――章くん!!
 ぱくぱくと口を動かすだけで声にならなかった慶子は驚きのあまり動きが止まった。
 ――――どうして!?
 川田はその表情に苦渋の跡を残しながらこう言った。
 「勝つためには殺さなくちゃいけないんだ。生き残るにはみんなを殺さないといけないんだ!」
 とたんに鬼のような形相となって襲ってくる川田に慶子は腹部を貫かれた。ざっくりと包丁が奥深くまで突き刺さり、その包丁を握る相手はたしかに川田だった。
 不思議と血はそれほどでなかった。また、痛みも想像していたほどではなかった。だけど、慶子の心にはもはや修復不可能なぐらいの深い、深い傷ができあがった。
 愛する人に殺されることに抵抗はなかった。彼の為なら自分が死んでもいいとおもっていた。でも、愛されずに死んでしまうことだけはどうしても絶えがたい苦痛だった。
 川田は最後にもう一度こう言った。
 「俺が生き残るために死んでくれ」
 それは愛ではないと慶子は思った……。

 生暖かい風が身体をすり抜けると、じわりと気持ちの悪い汗が背中を濡らしていることに気がついた。しかし虫の音は聞こえるのに暑い陽射しはどこにもなかった。
 ゆっくりと目を開けると暗い、でこぼことした天井が見えた。人工的ではない自然に作られた岩の表面のような天井だ。
 慶子は身体のふしぶしが痛いのを感じ取りながら、少し緩慢な動きで身体を起こした。
 ――――厭な夢を見てしまった。
 寝汗であろう背中のしっとり感がその足跡を残していた。どうしてこんな夢をみてしまったのだろうか?
 ありえないはずの想像だと少し緊張が緩んだが、すぐにプログラムのことを思い出して憂鬱な気分になった。
 まわりを見まわすと誰もいなかった。ただ、慶子の寝ていた場所のすぐそばに飲みかけの水が入ったペットボトルや、薄汚れたタオルやらが置いてあった。よく見ると慶子のデイバックもある。
 慶子はそれを手元に引き寄せると中身を確認した。水やら食料やら、主な物以外は何も入っていなかった。ただ武器類のたぐいはそのまま入っていた。弾の入っていない銃が二丁だ。
 不思議なことに奥にもいくつかのデイバックが折り重なるように放置されていて、同じように食料などが入っている。
 よく思い出せない。なぜ私はここにいるのだろう?
 洞窟のような場所。つまり洞穴。あまり奥行きはなさそうだが、十人ぐらい入れそうなスペースが奥に続く。慶子はその洞穴の入り口近くで倒れていた。ただ、特徴的なのが、洞穴の入り口は人が立って二、三人入れそうな大きな穴となっているのだが、そこに外から茂みが覆い被さっており、すだれのようになって日光を遮っていた。風に煽られながら時々外の景色が見えていた。
 慶子は立ちあがるとそのすだれを手で払いながら外に出た。
 アーチ状になった松林が山道らしき道と共にうねりながら大きくカーブしていく。その先はまったく見えない。うっそうと茂る木々が頭上をふさいでおり、洞穴の中に直射日光が当たらないのはさっきのすだれのせいではないようだった。
 後ろを見上げると、洞穴の入り口の上からつる草のようなものが断崖を登っていき、岩肌を隠していた。洞穴の入り口に垂れてすだれのようになっていたのはその大量のつる草が重みで垂れてきているものだった。
 洞穴の横には石でできた地蔵のようなものがぽつんと置かれていた。ここは元々何かを崇拝するようにできた場所だったのかもしれなかった。地元の人たちが時々花でも添えに来ていたのだろう。地蔵の横にはすでに茶色く枯れた花束が置いてあった。
 慶子はどうしてよいものかわからずしばらくその場に立っていたが、緩慢だった意識がしだいにはっきりしてくるにしたがい、少し道をたどってみることにした。
 道は少し下っており、カーブしながら行くと二手に分かれる場所が見えた。と、その時その右手の登りの道から人が出てきた。
 一瞬のことで思わず立ち止まったまま、慶子はその相手を見た。
 少し茶色がかった肩までの髪を揺らしながら安斉菜種(女子二番)も慶子を見つけたようだった。
 「あっ」
 声にして先に出たのは安斉菜種の方だった。
 敵なのか味方なのかわからないまま彼女はどんどん慶子に近づいてくる。そして、
 「よかった。気がついたのね。うなされてたからひょっとしてどこか悪いんじゃないか、ってみんな心配したんだけど。どうやら無事みたいね」
 「み……んな!?」
 クリッと目が大きく、見映えのする瞳をさらに大きくして、その丸い顔をほころばせた。
 「そうそう。みんなにも早く知らせなくちゃ」
 有無を言わせぬ口調で早口にそう言うと、菜種は一旦背を向けてから振り返る。膝上の短めのスカートがひらりと舞った。
 「――――ついておいで。みんなのとこに行こうよ」
 と、喋りながら先々歩き出した。どうやら慶子を待つ気配はない。
 慶子はとまどいながらも彼女の後を追った。木々に覆われており、先細りしてそのうち道が無くなってしまいそうな細い道だった。
 「誰が――――」
 その先にいるの? と聞こうとしたが、彼女の姿をふいに見失った。
 えっ!?
 ほんの一瞬の間に見失ってしまったことに、急に不安な気持ちが湧き上がってきて動揺した。
 「何してるの? こっち!」
 彼女の声はすぐ上のところから聞こえてきた。よく見るとうっそうとした茂みをかき分けたような、か細い道らしき場所があって、そこから急激な登り坂、いや、むしろ崖と呼んでも良いようなぐらいの斜面を器用につる草をつたって登っていた。
 彼女の跡を追うようにつる草を命綱にして斜面を登る。高さにして三メートルほどの崖を登るといきなりパッと視界が開けた。
 前方に集落らしき屋根が見えてその先には海が見える。地平線はこのぼやけた天気でははっきりと見ることができなかったが、そこには海が広がっていた。
 そして慶子を出迎えたのは男女含めて四名の同級生だった。
 「あ……き、気がついたんだね」
 鈴村鋼(男子十番)が慶子の方を振り返って言った。しかし視線はすぐに伏せられて、目線は合わなかった。男子にしては背の小さな鈴村が、あまり人との会話に慣れていないような表情でこわばった笑みを浮かべていた。そしてその手にスコーピオンVZ61。彼の手に余るほどの短機関銃がしっかりと握られていた。
 その鈴村よりも十センチほど背の高い屋敷さよ(女子二十一番)が鈴村の隣に立ったまま、すらりとした腰に手を当ててこちらの様子を伺っている。ただ、目が合うと彼女はにこっとほほ笑んだ。きゅっとつりあがった眉と鋭い目つきにとまどいそうになったが、案外ひとなつこそうな笑顔を浮かべてくれたので少し安心した。
 もう一人は財間撫子(女子六番)がいた。
 ぽっちゃりとした体形に赤いホッペが特徴の彼女だ。大人しい、ほとんど口をきかない無口な女の子だったはずだ。彼女は鈴村と同じ程の身長しかなかったが、横幅は彼女の方が多少まさっていた。
 そして、さきほど出会った菜種が大きな目をパチパチとさせて慶子を紹介した。
 「見て。彼女、どうやら大丈夫だったみたい。自分でここまで歩けるならもう大丈夫だよね?」
 返事をさせる間もなく菜種はくるっと半回転して他の三人の方を向いた。
 「これで安心できる仲間が増えたわ。――――ネ? 彼女なら信用できるとみんな思うよね」
 はしゃぎぎみに一人で喜んでいる彼女は少し、この場の雰囲気からは浮いていた感じにはなっていたが、それがかえってこの重苦しい空気をなごませていることには感謝した。しかしやたらと目立つ、流行りのルーズソックスが薄汚れていたのはやはりこの危機感を煽るような気分になった。
 昨年あたりから流行りだしたこのルーズソックスを、彼女はいち早く履いていたという記憶がある。そう言えば今年も早速、流行のプリクラを集めては教室のみんなに自慢するかのようにたくさんノートに貼りつけていた。
 そのポップな彼女の行動は、この事態でもさほど変化があるようには見られなかった。
 「見て! あの病院」
 彼女が指差したその方角。そこには大きな古めかしい屋敷が見えて、その先に病院らしき大きな建物が見えた。ただ慶子の視界にはぼやけてしか写らなかった為、多少想像力を必要とした。慶子はまだこの時、なぜ視界がぼやけるのか気が付いていなかった。
 「さっきあそこで煙が上がっていたのよ」
 声をひそめて、ついでに眉もひそめて菜種は口さえもすぼめながら言った。
 それに反応するように鈴村が、
 「人がそこから出てくるのが見えた。すぐに見えなくなったけど……こっちの方角に来ていた」
 と、最後の方はほとんど聞き取れない声で独り言のように言った。
 皆の視線は自然とその病院の方角に向いていた。
 なんとなく気まずい空気が流れた。しかしその雰囲気を最初に壊したのはやはり、というか彼女だった。
 「大貫さん、って今までずっと一人だったの?」
 「あ、え?」
 唐突に菜種が話しかけてきた。他の三人も黙ってそれぞれの方向を向いていたが、聞き耳はたてているようだ。
 「あ、うん」
 「ウソー。怖くなかった? 夜とか。暗くて。――――あたしたち割と最初から一緒だったからよかったけど、あ、そう。ふーん。大変だったんじゃない?」
 たしかに大変だった。この短い時間の間に信じられないことや、悲しかったこと、怖かったことも、今、この場で簡単には説明できないぐらいたくさんあった。慶子はどこから話すのも難しい気がして、
 「そう、大変だった」
 とだけ言った。
 菜種は四人が出会ったいきさつから話してくれた。
 昨夜消防署を出てから、四人はそれぞれバラバラに逃げていたそうだ。通り道はそれぞれに違っていたようだが、とりあえず避難した場所というのが、慶子の持っている地図でいう、F=9の東の集落だったようで、空家となった家にそれぞれが朝日が昇るまでおとなしく隠れていたそうだ。
 日が昇ってからもじっと隠れていたそうなのだが、その集落近辺で突然川田が現れたらしい。何故、そんなとこに章くんが? という慶子の問いに誰もが首を振りながら、川田は家の中を一軒、一軒侵入していっては何かを探しているようだったらしい。そのうち、鈴村が隠れていた家の隣にまで川田が来ていたので、そこで鈴村は川田が隣の家の中を物色中に抜け出して逃げたそうだ。だが、そこで異変が起こった。なんと鈴村が隠れていた隣の家の中には新浦亮(男子十五番)が隠れていたのだ。彼は侵入されるまで川田の存在に気がつかず(実際、財間や菜種らもその時点では気がついておらず、その後の騒動で気がついて逃げたのだ)、彼らの叫びのような威嚇した声が聞こえてきたのだ。野球部で身体のがっちりとした新浦はふだんから鍛えているだけあって、声も大きい。それに負けずと川田も大柄なので、その二人の咆哮が家の外まで聞こえてきたという。残りの三人も、その時点でその集落から逃げ出したのでその後、二人がどうなったかは誰も知らないが、同時に六人もの人間が狭い場所で動いたら何かと遭遇しやすいわけで、すぐに安斉と財間が、二人がとまどっているところに屋敷さよがばったりと出くわしてしまった。その時三人とも武器らしい武器を持っていなかったので、ひとまず一緒に逃げることになった。後ろで聞こえる喧嘩のような怒号が三人の不安な気持ちを煽ったのかもしれない。女同士でも三人いれば男子たちにばったり出くわしても逃げることができるかもしれないというので、まとまってここまで逃げてきたそうだ。
 この洞穴は上に立てば見張りには最適、じっと潜むには見つかりにくいと三人は思ったようで、昼過ぎまでじっとしていたようだ。そこへ、彼、鈴村が現れた。
 最初、短機関銃を持って現れた鈴村に抵抗すべき武器を持っていなかった彼女らは彼に殺されると思ったそうだ。だが、鈴村の方は慌てて逃げた際、食料や水を忘れて、その武器一つになってしまった。何もしないから、という彼の言葉(まあ銃をつき付けられたままだったのだから逆らいようもなかったのかもしれないが)を信じて水や食料を等分にわけることになった。鈴村は一向にその銃を手放すことはなかったけど、約束を守り何もしなかった。
 こうして奇妙な関係のまま四人は一緒にいることになった。
 慶子はさっき、菜種が安心できる仲間が増えた、と言っていたがそれはとても無理があるんじゃないだろうかと疑問に思った。まあ、彼女がそうでありたい、と自分に言い聞かせているとすればわからなくもない話だけど。
 川田の情報が聞けたのはありがたかった(どうやら彼女らの話から時間を計算すると、慶子が川田と出会ったのはこの話のあとのことのようだ)が、恋人の不可解な行動には理解できなかった。――――彼はいったい何をしているのだろう。
 慶子はこの洞穴の道を下ったところの道の真ん中で倒れていたらしい。そのあたりの記憶は曖昧としてはっきりしなかった。どうして自分がそんなとこに倒れていたのかも。
 何かが記憶を奥深くへと無理やり押さえつけているようだ。
 理由を聞かれたが、正直に覚えていない、と答えた。その後の菜種の同情した目つきが印象的だった。
 見晴らしの良いこの場所。この丘は彼女らの説明によると、F=7であるということだった。地図は大雑把な物ではあるが、随所に細かい説明書きが書きこまれていた。誰が書いたのだろう、と思ったら菜種が、慶子のデイバックに入ってたものだと白状した。
 「大貫さんが持っていた地図のおかげでだいぶこの島の地理が把握できたよ」
 そう言って伏目がちに話すのは鈴村だ。緊張しているのか少し耳が赤い。女の子に話すのは苦手な風だった。
 「どこで手に入れたんだい?」
 おどおどと視線を合わせないまま言ったので、最初は自分に話しかけられているとは思わなかった。
 「あ……それが、わからないの。そのデイバッグ、元々私のじゃないから……」
 「そう……か」
 何かを含んだような煮え切らない返答をした後、さらに彼は続けた。
 「……悪いけど、デイバッグの中は見させてもらったよ。一応レディの物、ということで中を見るのは安斉さんに頼んだけど」
 厭味のない言い方ではあったが、慶子にはこの男の他人への不器用さが不気味に感じられた。まったく離そうとしない両手で抱えたままの短機関銃が、それを何よりも証明しているようであった。
 「ねえ、それはそうと――――」
 さっきまで黙っていた長身の屋敷さよが一歩こちらに近づいてから言った。
 「もう大丈夫なのかしら。さっきの」
 一斉に慶子以外の顔色が曇る。慶子は意味がわからなくて聞いた。
 「……さっきの、って。何。――――何かあったの?」
 みんなが慶子に注目したが、菜種が代返した。
 「さっきも言ったと思うんだけど――――病院の方で煙が上がったのね。それでそこから逃げてきた男子生徒がこっちの方角へ来てたの。それで全員でこの見張り台に来たんだけど……。その間にあなた、目を醒ましちゃったのよ。で、話は戻るけど、そいつが来たらやばいんじゃないかってみんなで話してたのよ」
 「どうして? その人、誰かを襲って逃げてきたの?」
 「うーん、そうじゃなくて……なんて言ったらいいのかなぁ……」
 どう言ってよいものか考えている彼女の代わりに鈴村が慶子を振り返って言った。
 「白い仮面を付けてたのさ。遠目だったけどそれは見えた」
 白い仮面!
 慶子の頭の中をフラッシュバックのように記憶が甦る。
 胸の真ん中を切り裂かれた人間。飛び散った内容物。ぬらぬらとした大腸やらの内臓。血の滴った斧。そして白い仮面。
 狂おしいほどの眩暈と倒錯。その臭気までもが再現されたかのように、慶子の目には仮面の男が目の前に立っているように見えた。引き金を引く慶子。血しぶきをあげながら振り降ろされる斧。がむしゃらに逃げて気が遠くなった時間。
 すべてが走馬灯のようにぐるぐるとまわりながら慶子の頭の中を駆け回る。
 思わず吐気がこみ上げてきた時、
 「大貫さん!」
 と、強い口調と驚いた様子で菜種が慶子の肩を揺さぶった。
 「どどど、どうしたの、急に!? 気分でも悪くなったの?」
 はっと我に返ると菜種の心配そうな顔が目の前にあった。よくみると細く細く手入れされた眉が、今はもう化粧が落ちてほとんど眉毛なし、と言っても間違いないぐらい薄くなっていたのが見えた。その丸い顔にこれは反則だ。妙に笑った顔がまるでこれじゃ眉毛のない福笑いの面……。
 その今の心細くすさんだ精神状態と笑ってしまいそうな奇妙な光景に、ぴくぴくと頬だけを震わせ、なんだか悲しくて慶子は泣いた。
 慶子はごめんなさい、ごめんなさい。とだけ言って気が静まるのを待った。
 泣きじゃくる慶子を誰もどうすることもできずに黙っていた。
 さすがに本音を正直に言うわけにもいかず、
 「ごめんなさい。急に厭なことを思い出しちゃったもんだから」
 とだけ言っておいた。
 すると菜種が慶子の肩を抱いて、
 「――――大丈夫。大丈夫よ大貫さん。今はあたしたちがいるから安心して。……ね?」
 小首をかしげて上目遣いに慶子を見る。くりっとした目が可愛く見えた。
 「ありがとう。……ありがとう安斉さん」
 彼女のやさしさに感謝して、慶子は涙を拭いた。汚れたままの手だったけど気にならなかった。
 だが、そのときになって慶子はハッと気がついた。――――コンタクトレンズがない!
 遠くがぼやけて見える。近くにいるみんなの姿もそうくっきりとは見えていなかった。目が覚めたときから無かったようなので今までまったく気がつかなかったのだ。だからさっき、すぐ近くにいた菜種を見失ったりしてしまったのだろうか、と、わかりたくもない事実を知った。
 動揺を隠せない慶子の様子を尻目に、さよが言い出した。
 「ねえ、みんな。もし、なんかあったらやぱいから荷物とかこっちに持って上がっておかない?」
 慶子にはよく意味が理解できていなかったが、しばらく考えるようにしてから鈴村が、
 「――――その方がいいかもしれないね。……万が一ここが襲われても下に逃げることができるし。そうしよう」
 と言って立ちあがった。
 このぽっこりと浮き出るようになっている丘の頂上の端にいるわけだが、ちょうどここは松林が高く多い茂っており、遠くからでも発見されにくい場所になっていた。こちらからは見晴らしが良いので身を潜めておくには最適のようにも思えた。今登ってきた斜面から見て右手に下る崖を下ると先ほどの洞窟の真上に出るようだった。崖はそのままこの丘の終わりまで続いていたが、ようするに丘の上にさらにもこっとした小さな山のまわりをぐるっと半周して登ってきたのだ。
 ここに登ってくるのは今、慶子が来た道を通らなくてはならないが、降りる時は急激な斜面を怖がりさえしなければ洞穴の方に逃げることができる。例のつる草をつたって降りることもできるので飛び降りなくても問題ない。
 ひとまず鈴村がこの高台からの見張りを続けて、さよと財間がみんなの荷物を取りに、慶子と菜種はここで待機することになった。
 引き上げてきた荷物を一旦まとめて置いて、それから水、食料を均等に配った。といっても一人に小さいペットボトルの水が一つ。味気の無い小さなパンが二つと、集落の家から逃げる際に各個人が盗んできたスナック類だけになった。
 そういえば慶子は昨夜からまったく食事をしていなかったことを思い出した。まるで食欲などなかったので食べなくともよかったのだが、少し落ちつくと、やはりちょっとでも食べておくことにした。
 チョコレートと水を飲むと、それまで活動していなかった胃が急に活発になってきたせいか、お腹がすいてきてパンも少しかじった。
 あまりにひもじい食べ方をしたせいだろうか。菜種があたしの分も食べる? と、自分の分のお菓子を慶子に出した。
 慶子はぶるぶると首を振って断った。
 「自分の分。まだあるから……」
 じゃあ、自分の分が無くなったら彼女からもらうのだろうか? などと無意味な妄想が頭によぎって一人で苦笑いした。ずいぶん、脳も疲れているような気がした。
 しばらく静かな時が流れた。
 誰も何も喋らない。
 何も無いのに息苦しい思いになる。
 ほんとうの意味でのやすらぎはそこにはなかった。
 ――――警戒している。
 慶子はそう思った。
 今は誰も互いに干渉しあってはいないので何も起こっていないが、みんなそばにいる相手を心から信用しているわけではない。
 それがこの息苦しさを生んでいた。
 その空気を壊したのは意外にも財間撫子、彼女の言葉だった。
 「わたしの武器……とても重かったけど、これって役にたつのかなぁ」
 消え去りそうな小さな声でそう言った。
 もちろん、この静けさの中ならさほど気にはならなかったけど。
 全員に注目されて、彼女は慌てて下を向いてうつむいた。顔だけでなく耳まで少し赤くなってきていた。
 そこで、各自に支給された武器を再度確認することになり、それぞれの武器は自分で持つことになった。
 慶子は弾の入っていない銃が二丁。そして手書きの地図(もっとも、これはまとめて置いてある荷物の中央で広げられていたが)。
 唯一武器らしい武器のスコーピオンVZ61は鈴村鋼。これは彼の説明によると、一見ただの拳銃のようにも見える短機関銃で(もっとも小柄な彼が持つとそれはそれで大きく見えるのだが)、左手だけで銃本体を保持することができ、撃つとき以外は右手を開けて行動ができるものらしい。
 それから武器として使えそうなのは菜種の支給武器だった。菜種の支給武器は攻撃力がないとは言い切れないが、手榴弾に似た形のスタングレネード。いわゆる閃光手榴弾というやつで、強烈な閃光と音を発して相手を一時的に行動不能にする、ということらしいが殺傷能力は限りなく低いということだった。もちろんこれも鈴村の解説によるものだ。彼は銃器系に詳しいらしかった。
 屋敷さよの武器は役に立たないのでだいぶ前に邪魔だから捨てたと言う。ちなみにそれは登山用の杖だったとか。無いよりはマシだろう、と慶子は思ったが、結局そんなものかもしれないと思って特に何も言わなかった。
 そしてさっき財間が言った武器が、対人用M18A1クレイモア(リモコン付)。説明書にはそう書いてあったらしい。
 ずしりと重く、一般的なティッシュの箱二つ分くらいの大きさだ。ただ、こいつは地雷のくせに地上設置型で、こっそり仕掛けておくには無理がある。もちろんそれを考慮してリモコン付きなのだろうが。
 彼女が役に立つのか、と言ったのはそのへんのことを言ったのだろう。
 「ここに誰か侵入してきたら――――」
 鈴村が言った。
 「――――その地雷をここに置いておいて、みんな逃げた後に侵入者をぶっとばすことはできるんじゃないかな」
 ぶつぶつと独り言のように呟く鈴村の答えにすばやく反応したのは菜種だった。
 「あ、それイイ。――――それならうまくいくかも」
 パッと何人かの顔が明るくなったが、その時慶子は、そんなにうまくいくものかしら? と心の中で否定していた。
 そんな卑屈な自分に慶子はまた苦笑した。
 どうもおかしい。心にゆとりがないからだろうか……?
 「ああ、それならうまく殺せるだろう……な」
 殺せるという言葉に全員がびくりと反応した。何事もなかったのは言った本人だけのようだった。
 「す、鈴村くん。……な、何もそんな言い方しなくても」
 驚いたように答えたのは菜種だ。
 「なぜ? ほんとうのことを言ったまでだろ」
 「そ、そりゃあ、たしかにそうだけど」
 「俺は誰だろうと自分を殺そうとするやつは……こいつでしとめてやる」
 がちゃ、と銃口を少し上に向けた。銃口がこちらを向いていたので威嚇しているように見える。
 「ちょ、ちょっと、こっち向けないでよ」
 鈴村は、ふんと鼻を鳴らしてまた外を向いて見張りを続けた。
 ばつの悪い空気が流れたが、誰も何もしゃべらなかった。だが、
 「――――やな感じ」
 ぼそっと誰かが言った。
 ギロッと鈴村がみんなの方を振り返った。
 しばらくそこにいる女子全員を見定めていったが、やがて、
 「次も、お、俺を馬鹿にしたら許さない、ぞ」
 と、また背中を向けて外を見た。
 不穏な空気が流れた。
 慶子はここから逃れたい衝動にかられていた。もちろんそれはここが安全でないことがわかってきたからだった。

【川田章吾優勝まで あと14人】


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