第三部
終盤戦
48
がんがんがん、とドアの金属部分が強い衝撃と共に音を立てた。
がしゃんという激しい音と同時に窓ガラスが砕け散り、その破片がパトカーの座席の下にうずくまっていた千紗都の首のあたりに落ちてきた。
いまだにちょっと襟元が大きくてはだけやすい白いシャツの胸元をしっかりと、その小さな手で握り締めた高浜千紗都は、このときばかりは自分の身体が小さいことに感謝した。こんなことを思ったのは生まれて初めてだった。
もっとも、こんな極限状態の時にそんなことをありがたがるのも、奇妙な気分がしたが。
祈るようにパトカーの座席の下に身体を隠し、少し大きめの制服が丸くなっていた。
すぐ近くでの銃声がやみ、誰かの気配がそこにあった。
誰かが自分を狙ったのだろうか。あの特徴的な音は……マシンガン。
千紗都はそっと頭を出して外を見た。怖かったけど確認しないわけにはいかなかった。
そこに見えたのは地に膝をついてうずくまる男子。まるで整っていない短く刈り上げられた髪に大きな背中。まったく見覚えのない生徒だった。
その生徒は肩口から血を流していた。弾が当たって貫通したのだろうか。ひどい流血だった。
その千紗都の視線に気がつくように彼が振り返った。
頭にバンダナのような物を巻き、そこから少量の赤いものが見えて、さらに左肩からは流血している。正面からみた傷口は制服がどす黒く染まり、背中側よりもひどい状態に見えた。
そして、そこにいたのは川田章吾(男子五番)だった。あの以前の長髪の時からは想像もつかないごつい感じがした。
川田は千紗都の姿を見つけ、手に持っていた短機関銃を杖にして立ち上がった。
千紗都はさっと頭を隠したが、これはもう一歩遅かった。
――――まずい。殺される!
相手は川田章吾。教室では明るくてリーダー格の存在だったのに。――――今はなんて恐ろしい顔をしているのだろう。
恐怖と猜疑心が心を交差した。
過去のイメージからくるやさしそうな男子という印象と現在の鬼神のようなギャップはいったい何なんだろう。以前の印象のままなら、もしかすると頼りにできる数少ない男子生徒かもしれないという想いにもなったかもしれないが、今の姿は戦場の兵士のように殺気と迫力で満ち溢れていた。
なぜ髪を切っているのだろう。それもあまり丁寧に切ったとはいいがたい、ナイフか何かでめちゃくちゃになったような切り方をして。少なくとも床屋さんで切っていないということだけははっきりしていた。
神経を前に集中させていたせいか、背を向けている反対側のドアが、ガチャと開いた音がしたのに振り向くのが一瞬遅れた。
首を捻る途中でドン、と強い衝撃が背中を押し、そのまま口を大きな誰かの手で塞がれた。いや、塞がれたというよりは小さな顔の千紗都にとっては口を握りつぶされているような感覚だった。――――痛い。
叫ぼうとしても、もごもごと声が出ない。腕がからんできて、あっという間に後ろ手に両腕を捕まれた。圧倒的な力で千紗都の身体の自由を奪われた。
口を塞いでいた手が一瞬離れて息苦しい思いから開放されたかと思うと、その手は目の前のドアを素早く開けて千紗都の体は勢いのついたまま押し出された。
あまりの出来事に――――何が起きているのかまだ理解できていなかった。
「そのまま動くな! ――――動くなよ! そのまま姿を消せば俺は何もしない」
声の主が後ろで叫んだ。それは新浦のものだった。
いつのまにパトカーの後ろにまわりこんだのだろう!? ちょっと陰に隠れているうちに後ろに回られたのだろうか?
だいたい動くな……って、あなたが私の腕を強く掴んで離さないのにどういうことなんだろう!? 姿を消すったって……。
しかしそれはよく考えると自分に対して言っているのではなく、その先にいる川田に対して言ったものなのだ。川田が硬直したまま短機関銃をこちらに向けているのを見て、そのことに気がついた。
――――ああ、そうか。私に言っているんじゃないんだ。
私ってなんて鈍感なんだろう、といまさらながら自分の状況把握の遅さに自己嫌悪していると事態はすでに展開していた。
千紗都がもう一度顔を上げたときには川田は姿を消し、おそらく正面の林の中へと姿を消していた。
え!? 逃げちゃった? どうして!?
そういえば今、チッという舌打ちが聞こえたような気がする。川田の苦々しい表情が思い浮かんだ。やさしげな、それでいて男らしい川田の顔。もちろんそれは教室で見たことのあるまだ長髪の時の顔だけど。
髪型だけでもずいぶんと印象が変わってしまうものだ。と、思い起こしていると捕まれていた両腕がふっと楽になり、新浦との距離が開いた。
新浦と向き合うと、彼は引きつったような笑顔で千紗都を見ていた。
野球部に入っていたことぐらいしか彼のことは知らない。体格もクラスの中でも大きい方だろう。この年齢にしては背もあるし横幅もある方ではないだろうか。キャッチャーなんかやらせたら似合いそうな体格だ。
「あ……あの……」
何て言っていいものかわからず、下を向いてうつむいた。――――はて。彼はどんな人だったのだろう。
持てる記憶を総動員し彼に関する記憶を探り出してみたが、何も思い出してはこなかった。よく考えたら教室で彼と喋った記憶がない。もしかしてこれが初会話になるのだろうか。
「う、動くなよ。高浜!」
千紗都に向かって拳銃を構えていた。妙に銃身の長い銃だ。形からして古そうな拳銃だった(これはコルト・シングル・アクション・アーミー四十五口径・キャバルリー、通称ピースメーカー、という百年以上昔に製造された銃なのだが、弾丸を発射するためには一発ずつハンマーを起こしてからトリガーを引かなければならない。ただし四十五口径の破壊力は人を殺すには持って余るほどの殺傷能力を持っているが、千紗都にとっては当然、どんな銃でも恐怖心はかわらなかった)。
しかしこれがほんとうに新浦との初めての会話だったとしたら、生まれて十五年、もっとも最悪な出会いの言葉と言えるだろう。
「持っている武器を出せ。それから手を頭の後ろに当てて動くんじゃないぞ。――――お、大人しくしていれば殺しはしない」
そんなことが信じられるだろうか。彼はその銃を撃ったことがあるはずだ。一度目は月岡彰子を、二度目はさっきの川田を……。
いずれも音しか聞いてはいなかった。銃声がしてその音がした方を見たらその時は相手が倒れていたんだ。川田は死ななかったようだけど……。
しかしその川田に撃たれた彼自身も無傷ではなかったようだ。あの、ぱららら、というタイプライターのような音は川田が持っていた短機関銃の音なのだろう。必死に逃げたらしい泥だらけのズボンと紅潮した表情に擦り傷だらけの顔が物語っていた。
きっとパトカーの陰に隠れて難を逃れたのだろう。千紗都にとってはかなり迷惑な話だった。
そう思って見ていると、つつっと額の生え際のところから血が滴り落ちてきた。怒りか、恐怖かに支配された歪んだ表情をのせた顔に血が滴ってまるでフランケンシュタインのようだった。
まるっきり出来の悪いホラー映画だ。だけど恐怖で足ががくがくと震えた。
「ぶ、武器は? 持っていないなんて嘘をつくなよ」
「わた――――」
声が枯れて喉が詰まった。唾をごくりと飲み込んで千紗都は言い直した。
「私の武器は――――ピアノ線よ。……もうないわ」
心臓が爆発しそうになるほどドキドキしていた。声もまだ少し震えたままだ。
「はんっ! ――――そうか、あれをやったのはお前か。月岡を罠にはめたのはお前だったのか。お前が殺したんだな。――――そうかお前がやったのか」
何度も繰り返すように呟いた。
殺したのはあなたでしょ。それにあなたなんかにお前呼ばわりされる覚えなんてないわ。と、思った千紗都だったが、とても口には出して言えなかった。
「あれは俺は悪くないぞ」
千紗都の心の声が聞こえたかのように彼は答えた。
「罠にかけたお前が悪い」
さらに繰り返す。
「俺は悪くない」
じりっと千紗都に近づいて二人の距離が詰まった。近くに寄ると余計に二人の背丈の差がはっきりとする。はっきり言ってこのクラスで一番大きい男子と一番小さい女子ではないか。とても太刀打ちできる相手ではなさそうだ。
殺されるのだろうか……? そう漠然と思った千紗都だったが、相手の動きは予期せぬ方向へ進んだ。
「ついてこいよ、高浜。いい隠れ場所があるんだ」
そういって、それまでこちらに向けられていた銃などなかったかのように背を向けて手招きした。
「安心しろ。俺一人じゃないんだ。……仲間もいるんだ」
へへ、と笑いながら彼は言った。好きではない癖のある表情だった。何か裏に悪巧みが見えたような気がした。
「誰だと思う? 男子じゃないぜ」
彼はあごをしゃくって千紗都を促す。行こう……ということらしい。こちらの意見は取り入れられないのだろうか。彼は私が言うことを聞くと思っている節がある。
ついさっき、口を塞いで自由を奪ったのは誰だ。しかも私を盾にしていたというのに。
千紗都はめずらしく自分が怒っているということを認識した。
「どうした? 行かないのか?」
彼が立ち止まって振り返った。そこにはさきほど笑ったような表情はない。――――なぜ言うことを聞かないんだ。なぜ言うと通りにしないんだ。――――彼の苛立ちが見えた。
下に降ろされていた銃口がまた千紗都の方を向いた。無意識なのか意識的にそうしたのかはわからなかった。
しかしそれでも彼自身は笑って穏やかな表情を見せようとしているつもりらしい。ピクピクと頬のあたりが引きつっていた。
千紗都は覚悟した。素手に等しい状態でこのまま逃げ切ることなどできるものだろうか。否、できるわけがない。ここは彼の言うとおりにして、その言葉が真実であると信じるしかない。
手が、足が、身体が震えていた。
がたがたと恥ずかしいぐらい震えていた。
千紗都は、ようやく、鈍い反応を示す身体を無理やり動かして一歩踏み出した。全身はその行為が危険だと脳の命令に逆らっているようだった。
「だ、れがいるの?」
精一杯の勇気を出して訊いてみたが、かすれたような、自分でもわかるぐらい小さな声だった。
彼はまた、どこかへ向かいながら、
「驚くなよ。――――ユサだよ」
と答えた。
少し驚いた。彼女と彼との関連性が見つけられなかったからだ。いや、そもそも彼がクラスの女子と仲良くしてるようなところを見たことがない。そういう意味では男子と一緒じゃない、と彼が言った時点で気がつくべきだった。
遊佐マリカ(女子二十二番)は千紗都ほどではないが、細い女の子だ。ずいぶんと大人びた顔をしているので美人なのだろうが、同級生の男子にはなぜかそれほどもててはいない。病弱な感じと冷たそうな視線が回りの人間を遠ざけていた。千紗都も大して親しいわけでもなかった。
交番の跡地から離れ、南の山のふもとへきた。交番からそう離れているわけでもない。そこで彼は止まった。
「あれが見えるか? あの山小屋の中にいるんだ」
一見ログハウス風の山小屋だった。この島は観光客がくるのか、山小屋のようなところがいくつもあった。千紗都もいままで通った道で何度か見ていた。
それにしてもこんな田舎の山奥にしては少し派手な山小屋だった。一階はみやげ物を売っているような売店で、二階が食堂のような感じだった。売店の看板が派手派手しく、今の状況にはまったく似つかわしくないように思えた。
「中には食いもんもあったぜ。みやげ物だから割と日持ちするものが多くてな。隠れ家にするにはちょうどいい」
そうだろうか。そんな食料が簡単に手に入るような場所など人がたくさん来そうで、自分は怖くてとても近寄れないが。
「悪いが先に行っててくれるか? お前なら遊佐も警戒したりしないだろう。俺はこの周りを少し調べてから戻る」
言うのが早いか、彼はあっというまに道を外れて森の中に消えた。
一人取り残されてしまった千紗都は呆然と立ち尽くした。しかしこのままぼーっとしているわけにもいかなかった。こんな目立つところで突っ立っているわけにもいかない。現金なことに、食料が手に入ると聞いておなかがぐーっと鳴った。
千紗都に支給された食料はとっくの昔になくなっていた。昨晩、朝を迎えたときにはもう水も食料も無かった。ペットボトルの水は緊張と暑さから喉がからからになって、大事に飲まなければならないとわかっていたけどすべて飲んでしまった。パンは味もないコッペパンが2つほど入っていただけなので、水がないと喉につかえてとても食べれないと思い、水と一緒に食べてしまった。
支給武器のピアノ線は使ってしまったし、デイパックはもう用が無いので捨ててしまった。
睡眠不足と空腹で確かに疲れていたし、それはまだ緊張感で気になるほどではなかったけど、目の前に出されると欲望は押さえ込めなかった。
これでふかふかのふとんでもあれば体の欲求に負けて寝てしまうだろうか、と意味の無いことまで考えた。
山小屋に人気はなかった。
「遊佐さーん」
入り口のすりガラスの扉に手をかけながら小さな声で言った。
がらっと引き戸を開けようとしたが、開かなかった。当然といえば当然かもしれなかった。
「遊佐さーん、いるんですよねー?」
こぶしで軽く戸を叩くと、がしゃがしゃんとガラス戸は派手に音を出した。
その音に千紗都自身も少しびくっとした。それからすりガラスに人の影がすーっと映ってさらにびくっとした。
「あ、あの遊佐さん。……私……高浜です」
すりガラスに映った人影は迷っているようだった。少し間があって、
「あなた、なぜわたしがここにいるってわかったの?」
と声が聞こえた。
「あ、私聞いたんです」
「誰に」
「さっき、あの……」
あれ、と千紗都は思った。何かわからないが、奇妙な違和感。
がちゃり、と鍵の外れる音がした。
「開けていいわよ」
すぐ近くで声がした。
その声に従うように千紗都は引き戸を開けた。
自分でも驚くほど警戒心が無くなっていた。開けられた扉の向こうには誰もいなかった。
「――――あれ?」
たしかにさっきは人影が映っていたのだ。それに鍵も開けられたし……誰もいないわけがない。
そうは思いつつも本当にそこには誰もいなかった。薄暗いが奥には彼の言った通りみやげ物が陳列されているのが見える。
本来なら夏休みに入り、学生や観光客で少しは賑わっていてもおかしくないのだろう。みやげ物はたっぷりと山積みにされていた。しかしこの島に今いるのは、銃器を背負った兵士達と恐怖と混沌の中にいる十五歳の戦士達。日常の姿が少しこの場所には残っていて、逆に非現実的だった。
「あ、あのー遊佐さん?」
店に一歩踏み入れた瞬間に人の気配がした。扉のすぐ右側、そこに遊佐マリカがいた。最初の千紗都の位置からは死角になっていたのだ。
そして彼女の手には黒光りする銃がしっかりと握られ、その銃口が千紗都のこめかみの辺りにとん、と当たった。
「どうしてわたしがここにいるってことを知ったの?」
彼女はもう一度尋ねた。
今度は……言いよどむわけにもいかなかった。はっきり答えないとズドン、ときそうだ。――――何も隠すつもりじゃなく、ただ言いそびれただけなのだが。
しかし早く答えないと相手を苛立たせてしまうとわかっているにもかかわらず、千紗都の思考回路は違うところへ飛んだ。
どうして彼女はそのことを何度も聞くのだろう。――――なぜわたしがここにいるってわかったの――――誰に――――。
チープな相関図が頭の中にできあがる。
この隠れ場所に自分以外の仲間がいたとして、その人物が外出した……。誰かが訪ねてくる。自分の名前を呼ばれる。どうしてわかったのだろう。その答えに人から聞いた、と言われれば誰から聞いたのか、とはならないのではないだろうか。その人物以外自分がそこに隠れているのは知らないのだから。
それはどういう意味だろう?
自分で考えながら、わからなくなってしまった。
「あ、あの、彼です。……ええと――――あの、あれ?」
すとん、と記憶が抜け落ちたかのように名前が出てこなかった。――――あれ!? どうしよう、名前をど忘れしちゃった!
「あ、ほら、あの……大きい人――――名前が、名前が……ええと」
身振り手振りで伝えようとするがそんなもので伝わるわけも無い。
そっと彼女の方を振り向くと冷たい視線が突き刺さるように痛かった。
一人でパニックにおちいって慌てふためいていると、彼女の視線がふとやわらんだ。
「いいわ。中に入って。――――あんまりそこにいられちゃ迷惑なの」
「あ、――――うん」
やけに素直に返事してしまった。これでは学校の先生に言われているみたいだ。
「早く入って。――――それともコレを向けてたら足が動かないのかしら?」
彼女は片手に持った拳銃をすっと引くと、耳の横あたりで上に向けてポーズを取った。なんだか刑事ドラマに出てくる女刑事みたいでかっこよく見えた。すらりとした体型に整った顔立ちなので良く似合う。
遊佐マリカに見とれていたこのときの千紗都は誰からみても無警戒だった。
だから背後に迫った人物に気がついたのは、店の中にいたマリカの方が早かった。
どん、と激しく突き飛ばされて、みやげ物の台に激突した。向うずねと膝のあたりを強打し、上体は他のみやげ物よろしく、一緒に陳列されたように台の上に乗っかった。
「俺が教えてやったんだよ、遊佐」
逆光の人影が入り口に大きく映った。表情は見えないが口調から嘲笑っている顔をしているような気がした。
ゆらりとその大きな体が中に入ってくる。
「そんなおもちゃで俺を撃つ気なら正気じゃないな。どこで見つけたんだい、そのモデルガンは? このみやげ物の中にでもあったのか?」
台の上に体を乗せたまま少し顔を上げて彼女の方を見た。
「チッ――――まいたと思ったのに……」
苦々しい顔をしてマリカが呟いた。
もともと病弱な感じを受ける彼女の顔は普段から青白いせいもあったのだろうが、今はよりいっそう青白く見える。――――あれはモデルガンだった? 銃器に詳しくない千紗都には見分けようが無い。どっちが本当なのだろう。彼の余裕からすると彼の言っていることの方が本当のような気がするが。
そして千紗都はようやく思い出した。
「新浦くんよ。……新浦くんがここに遊佐さんがいるっていったの!」
ちらりと、新浦は千紗都の方を見た。そして、視線を下に落とすとにやり、と不気味な笑顔を作った。
千紗都は慌ててはだけたスカートを直し、台の上に座るように上体を起こした。
「あんたとんでもなく馬鹿ね! さっさと出て行きなさい!」
それを見ていたマリカがびっくりするような大きな声で言った。
鈍重な動きで新浦が首をゆっくりと彼女の方へ向けた。それから彼の持つ、本物の銃が彼女の方に向いた。
「そんなことを言える立場かな? マリカ、くん。……へっ。――――へへ、へっへっへっ」
何がおかしいのか肩を揺らしながらにやにやとしていた。
「どうせ、死ぬんだぜ……。どうせ――――」
そう言うと新浦はマリカへ近寄った。今にも舌なめずりせんばかりの勢いだ。
苦い表情で彼女は新浦を睨んでいた。
「あんた……懲りないわね」
「うるせぇ! おとなしくしてりゃ……殺しはしないからさ」
乱暴なのか丁寧なのかわからない言葉を言った。内容は最悪だが。
「さっきのようにはいかねーぜ。今度は……本気だからな」
ぐっと睨んだ迫力にさすがの彼女も後ずさっている。――――二人の間に……千紗都がここにくる前に何かあったのかもしれない。
もう頭の中が困惑して何も考えられずにいた。
こんな理不尽な恐怖に、どうして自分がという思いに腹がたった。誰に怒りをぶつけていいかもわからないので余計に腹ただしい。
なんだか無償に怒りが込み上げてきた。
すべてに対して許せない思いがあふれてきた。
――――なぜ? どうして? どうしてそんなに醜い争いをするの?
最悪だった。今まで見たドラマや小説と比べてもとびっきりに最悪だった。しかもこれは確実に目の前で起こっている現実でドラマでもなんでもない。あまりにも最悪すぎて吐き気がする。
「――――お、俺だって。俺だってさ。こんなことにならなきゃこんなことしないし言わないよ。でもさ――――これって殺し合いじゃん。何したって捕まるわけじゃないし――――」
「捕まんなきゃ何してもいいっていうオツムしか持ってないのかよ、この馬鹿っ!」
「馬鹿とはなんだよ、てめえ!」
新浦の顔面がさらに赤く紅潮した。
「こんなときによくそんなことが言えるわね!」
「こんなときだからこそ言えるのさ。――――男はみんなそんなもんさ。女とエッチなことを、ってのは俺だけじゃないって」
「そんな考えをこの殺し合いゲームの最中に考えるのはあんたぐらいなもんよ、スケベ野郎」
「そんなことないって。――――俺見たんだよ。女を襲っているやつとか」
「……そんなやつ……いたの? うちのクラスに?」
「ああ。誰を襲っているのかは見えなかったけどな。だけどあれは確実に女を襲ってた。まだ、このゲームが始まってすぐさ。――――男の方はわかったぞ。あれは岩瀬だった。もう一人男もいたけどそいつは花畑の中に突っ伏してたな。岩瀬が殺したのかもしれん。――――そこはもうすぐ禁止エリアになるってことだったから俺はすぐにそこを離れたからそれから先のことは知らないがな。もしかすると岩瀬も一緒にそこで死んだかもしれないな」
これまたあまり印象のない男子。男子の間でも友達は少なかったのではないだろうか。いじめられっこかどうかはしらないが、そんな雰囲気を持っている男子だった。
その彼が同じクラスメイトの女子生徒を襲い、暴行、殺人……。
とてもとても千紗都の想像力でイメージできないほどかけ離れた出来事だった。しかしそれも現実に起こっている……。
「岩瀬は死んでないわよ。まだ名前は呼ばれていなかったわ。お昼の放送では」
「へー冷静なんだな、遊佐。俺なんかあの放送気にもしてなかったぜ」
「あんたほんと馬鹿じゃない!? 禁止エリアとか誰が生き残っているとか、とても大事な情報じゃない。唯一といっていいこのゲームの情報源なのに……。まあ、あんた見たいな頭が筋肉な人にはその重要さなんて理解できないでしょうけど」
「一言多いんだよ、遊佐。お前は」
新浦がマリカににじり寄る。しかし今度は彼女は引かなかった。精一杯の虚勢で目の前の巨漢を睨み返す。
「そんな屁理屈言うやつが真っ先に殺されるんだぜ」
「これのどこが屁理屈なわけ。……あんたみたいな筋肉馬鹿がまだ生きているのがわたしには不思議でしょうがないわ」
「……殺すぞ」
今までにない低い声で、感情を押し殺したようなドスの利いた声だった。
醜い争いだった。
つい、ほんとうについこの間まで、ほんの二日前まで同じクラスメイトとして特に親しくはなくとも調和の取れていたごく普通の同級生だったはずなのに。
どうして……どうしてこんなことに……こんな憎しみあわなくてはならないのだろう。
こんな殺し合いの中にいるのがとても、とても哀しい。
つっと頬に糸がたれるような感覚があった。
「あんまり調子に乗るなよ。お前の命も今は俺が握っているようなもんなんだぞ」
「はん、それで脅しているつもり? あなたに犯されて死ぬぐらいなら舌を噛み切って先に死んでやるわよ。こんな風に脅してしかまともに女の子と対話できないなんてね。クズね。一生童貞で死んでろ」
醜悪な救いようのない争いだと思った。どちらが悪いわけでもないのに。誰かが悪いんじゃなくて……。これは政府が仕組んだ最低なゲームで……。
「ぶっ殺してやる! お前、絶対殺してやる。覚悟しろよ! 殺してやる!」
「口と体だけは大きいわね。無駄に大きいのも困ったもんだわ」
押し殺せない感情がこみ上げてきた。涙はとうに溢れ出ていた。
――――お願い、もうやめて。
「死ねよ」
「あなたが死ねば?」
どうしても堪えきれなくなった。ぼろぼろ、ぼろぼろとこぼれ落ちた。――――クラスメイトなのに。クラスメイトなのに。私達、同じクラスメイトじゃなかったの!?
手で涙を拭うことはしなかった。その行為がとても悔しかった。こんなことで涙しなくてはならないことが許せなかった。認めたくなかった。鼻水も少し出ていたかも知れないがそんなことはどうでもよかった。
胸がつかえて、ひくっとしゃっくりをした。
続けてひくっ、ひくっと喉が鳴った。
「やめてよ……もうやめてよ……」
――――こんな、こんなこと。もう……。
後は声にならなかった。
涙越しに二人の影が映ったが見事に視界が歪んでまともに見れなかった。
千紗都はただ、ただ泣くしかなかった。
【川田章吾優勝まで あと11人】