BATTLE ROYALE 外伝


第三部
終盤戦


49

 遊佐マリカは千紗都が泣いているのを横目でちらっと見たが、すぐに視線を前に戻した。
 新浦の紅潮した表情がマリカを睨みつけている。――――恐れることはなかった。それ以上に自分の気持ちは高ぶっていた。むしろ睨み返すつもりで相手を凝視した。元々鋭い目つきがさらに細くなって鋭さをましているに違いなかった。
 激しい言い争いはあまりうまくはなかったが、ここでひるむわけにもいかなかった。
 千紗都と出会う前、マリカは新浦に見つかっていた。マリカはずっとこのお店の中に潜んで夜を明かしたのだが、今日も一歩も外に出ることなくじっとしていた。いくら銃声が聞こえても、何か大きな爆発音が聞こえても息を殺して隠れていたのだ。だが、少しは回りの状況も把握して、万が一の時に逃げ道や別の隠れ場所を探しておきたかったので外に出たのだがそれがまずかった。
 ずいぶんと注意して行動したつもりなのだが、交番の方へ向かったときに新浦に見つかってしまった。
 新浦は教室では一度もまともに喋ったことのないクラスメイトだった。
 やけになれなれしく話し掛けてくる。当然マリカは無視した。
 「待てよ遊佐、そんなとこにいちゃあぶないぜ」
 頬を歪ませて新浦が歩み寄る。マリカはちらと振り向いただけで足を速めた。
 「待てよ、待てって――――遊佐。――――おい、遊佐ぁ」
 振り向いた。
 そしてそこに銃口があった。
 ぎょっとして足が止まると、
 「なぁ、待ってって遊佐。――――う……撃ちたくねぇんだよ。ほんとうはさ」
 銃口はマリカの方角からそれることはなさそうだった。
 生暖かい汗が背筋に流れてそれが気持ち悪かった。
 新浦が赤い顔をして汗をたらしながら距離をつめてくる。あ、と思ったときには、伸びた腕がマリカの体を押し、後ろにつまずいてしりもちをついてしまった。きっとまともにパンツをみられてしまっただろう。シルバーの小さい星がプリントされている淡いピンクのショーツで、お気に入りだったのにつまらないやつに見られてしまったと、こんなときなのにマリカはそんなことを思っていた。
 それで発情でもしたのか、新浦は突然覆い被さってきた。クラスではおとなしくて無口な印象しかないであろう、自分なら大丈夫だとでも思ったのだろうか。肩を押さえつけ、黙ってきたならしい唇を寄せてきたので、組みしかれたまま膝を蹴り上げ、思いきり股間に直撃させた。
 ぐう、と目玉を剥き出しにして苦悶の表情を浮かべたのでそのまま突き飛ばして一目散に逃げた。
 でたらめに逃げたので方角の感覚が薄れ、迷いかけたがなんとか山道に戻り、元きた道を走った。
 見覚えのある道にでるとすぐに山小屋は見つかり、再びその中で隠れることにした。
 しかしうまく逃げおおせたとおもったのだが、後をつけてきていたらしい。しかもどうやってかはしらないが、千紗都をうまく騙して油断させて店に入ってきた。新浦のずるかしこさに舌打ちした。
 「もう逃げられないぜ」
 新浦は自分を犯すつもりなのだろうか。――――それは考えるまでもないか。さて、どうする。どうやってこの口先だけの筋肉馬鹿から逃れるか。
 がさがさっと音を立てながら、近くの台に手をかけながら千紗都がようやく立ちあがった。目は涙で濡れている。
 その時マリカの頭脳に一瞬痺れるような閃光が走ったと思うと、悪魔的名案がひらめいた。
 マリカの頬が思わず歪んだ。きっと憎らしい表情を浮かべているであろう。
 「……あんた……こんなときなのに発情するなんてよっぽど猿ね」
 落ち着きを取り戻したようにマリカは余裕をもって発言した。
 「で、どうしたいわけ、あなた? ――――わたしと彼女と仲良くしたいようには全然見えないんだけど」
 入り口に立ちはだかる新浦は少し動揺しているようだ。思わぬ反撃に驚いた表情を見せている。
 「あんた、自分のタイプとかないわけ? 女なら誰でもいいの? ――――まあ、いいわ。残念ながらわたしはあなたの相手をいつまでもしているわけにもいかないの。――――いい? わたしはね。この戦いで生き延びたいの。そのためには無駄な体力なんか使いたくないし、意味のない争いに巻き込まれたくないわけ。今ここで殺されそうだっていうんなら、わたしはわたしなりの方法で生き延びるための戦いをするわ。だけどあなたはそうじゃないもの。――――あなた、こんなときなのにただ女に抱きつきたいだけ。女がほしいだけ。そりゃあ、そんなのはあなたの勝手だけどわたしは巻き込まないで欲しいわ。そんなに女が欲しいなら……」
 マリカはゆっくりと視線を新浦から外し、それから相手の視線を誘うように千紗都の方を見た。それにつられるように新浦も千紗都を見る。
 「わたしなんかよりおとなしいし、力もなさそうだしいいんじゃない? ――――かわいいじゃない、彼女」
 マリカは微笑んだ。
 新浦もつられて頬を緩ませたが、目が笑えていなかった。戸惑った様子が顔にでている。
 人を襲うことも中途半端。勇気もないのに威勢だけはよく、そのくせ足は震えている。
 そんな姿をさらしている新浦の態度が余計にマリカには腹立たしい。
 無知、無能。そんな言葉が頭をよぎる。
 「少なくともわたしよりはおとなしいわ、彼女」
 きっと自分の目は笑っていたと思う。
 「二人っきりにさせてあげるわよ。思う存分楽しんだら?」
 しゃっくりを繰り返していた千紗都の声が止まった。事態の急変に気がついたらしい。
 新浦は迷っているようだ。思いも寄らない提案が思わぬ人物からあったので理解に時間がかかっているようだ。――――脳みそが筋肉でできているのでわたしの言葉は理解されないかもしれない、とマリカは一人で納得した。
 「お、俺さ。高浜のこともいい、と思っていたんだよ――――」
 ――――どうしようもない馬鹿だ。こいつはほんとうにどうしようもない馬鹿だ。
 「――――好きなんだ、小さめの女が。………ああ、だけど俺のタイプは遊佐の方なんだけどな」
 背筋に悪寒が走った。
 今手にしているこの拳銃がおもちゃじゃなくて本物なら、なんのためらいもなく撃てただろう。怒りはピークに達していた。
 「……た、たしかに遊佐の言うとおりかもな。そ、それも悪くない」
 もう一度新浦は悪くない、と呟くとじりっと千紗都の方へ歩み寄った。額からは脂ぎった汗が垂れ落ちてきていた。高潮した頬はすでに赤く、まるで酔っ払いのような態度だ。いや、もしかすると本当に酔っているのかもしれない。
 千紗都は硬直したまま動けずにいた。マリカはすっと身体を後ろへずらし、新浦の視界から消えるようにできるだけ気配を殺した。
 新浦が完全に背を向け、死角に入った。相手からはこちらの動きは見えないはずだ。
 出入り口の扉までわずか数メートル。しかしそこは新浦の背後にある。短くて遠い距離。
 「なあ、高浜――――」
 予備動作なく、一気に駆け抜けた。一瞬遅れて千紗都の視線がマリカを追う。
 扉に手が届いて開こうとしたその時に千紗都の視線に気がついた新浦が振り返った。そして扉が開く。新浦の手にした拳銃がマリカの影を追う。引き金が引かれて銃声が鳴った。弾道は開け放たれた扉の向こうの空に消え、同時に遊佐マリカの姿はその死角へ消えた。
 ――――やった。逃げ切った。
 思わずほくそえんだ。
 全力で駆け抜け、山道を駆け上がり、島の方角から言うと東の方角へ向かった。
 山小屋が景色に溶けるまで走っていると、その先に人影が見えた。男が一人、道の真ん中に立っている。
 ついていない、と思った。外にでたら次から次へとクラスメイトと出会う。
 バンダナを頭に巻き、でたらめに短く刈られた髪が特徴的で一瞬誰だかわからなかった。大柄な体型、思いも寄らぬその姿。
 二人の距離が十メートルぐらいまで近づいて、勢いのついたマリカの足がようやく止まった。
 目が合って初めてその人物が誰だかわかった。このプログラムの最中に散髪したらしい。彼の元の長髪はそこになかった。
 彼は黙ったまま抱えたサブマシンガンをマリカに向けて動きを制した。
 「それ以上近づけば撃つ」
 はっきりとは聞き取れなかったが彼はそう言ったようだ。
 マリカはそのまま、また全力で引き返すしかなかった。背後から撃たれないことを祈りながら。
 なぜか彼はそれ以上追ってはこなかった。いや、元々追ってなんてこなかった。ただ、威嚇して近寄らせなかっただけだった。もしかすると初めから殺意はなかったのかもしれない、とマリカは思った。何かの理由で彼はそこにいた。そこへたまたま自分が走って現れたのだ。その関所を通ることはできなかったけど、彼の目的は少なくともマリカのことを殺すことではない、ということだけがわかった。
 だからといってまた山小屋の方へ戻るわけにもいかなかった。しかし他に道はない。
 結局、せっかく逃げた山小屋の方へ戻り、その影が見えたときに新浦らしき人物が山小屋の前に立っているのが見えた。そしてこちらが見えたということは相手にも見えたということだ。隠れられるような場所は到底見つからなかった。
 新浦はクラスでは誰にも負けない大きな身体をしている。その姿は遠くからでもよく目立った。
 「やあ、おかえり遊佐ぁ」
 ねちっこい口元を歪めた笑みで迎えられた。最悪だった。
 このときになってやっと、林の中に逃げ込めばよかったと後悔した。つい、道のある方へと逃げてしまった。茂みに身を隠すだけでも良かったのに。一瞬の間にいろんな考えが浮かんだが、すべて後の祭りだった。
 「どうしたんだい。やっぱり俺に会いたくなってきたのかい?」
 こいつの頭の中はいったいどういう構造になっているのか少しだけ興味が沸いた。もちろん、研究者がモルモットを見るような気持ちで、だが。
 「さぁ……こっちへこいよ……」
 まるでゾンビのようにゆらりと歩み寄ってくる姿は、出来の悪いB級ホラー映画そのものだった。
 こちらに向けられた拳銃にぐいっと力がこめられるのがわかった。次の瞬間にはマリカの足元の土が跳ねた。小さな砂埃が舞い、風に流れるように埃が後方に噴いた。そして一歩遅れて小爆発音が鼓膜神経に到達した。
 ――――撃たれた!
 連射の聞かないシングルアクション・アーミーの撃鉄を緩慢な動きで新浦は引いている。彼の目元の焦点があっていない。いらつくほど鈍い動作で、もう一度しっかりと撃鉄を引くと、再び銃口をマリカに向けた。
 マリカは動けなかった。危険は十二分にわかっていたけど、身体がまったく反応してくれなかった。
 暑さでおかしい。何かがおかしい。
 ドン、という強い衝撃と共にマリカの身体は大きく揺さぶられ、左肩の肉を削られた。赤いしぶきとなって噴水のように血が舞った。
 それを非現実的な思いでマリカは見つめていた。それが自分の血であるにもかかわらず、どこか遠い世界の出来事を見ているかのように。
 バランスを崩して倒れかけたマリカだったが、足を踏ん張って倒れなかった。きっ、となって新浦を睨み返す。彼の焦点のあっていない視線もどこか非現実的だった。
 「みんな死ぬんだよ……。なあ、みんな死んじゃうんだよ」
 噴き出す血を右手で覆うように肩を押さえると現実的な、目の覚めるような強烈な痛みがやってきた。
 ぶわぁっと全身に生ぬるい冷や汗が吹き出てきて、鳥肌がたった。
 ぐぅぅ、と思わず唸る痛さだった。
 「俺……、まだやりたいことたくさんあったんだ。彼女、欲しかったし――――野球、もっとうまくなって甲子園とか、目指して練習してたし――――」
 ガツンと頭の中でもう一人の自分が頭を叩いた。――――どうした。しっかりしろ自分。わたしはこんなところで殺されるわけにはいかないんだ。
 「――――なんで……、なんで、お、俺がこんな目に――――」
 新浦の目からは涙のような汗が流れていた。
 ――――おかしい。絶対こいつはおかしい。こんな酔っ払いにいつまでも付合っているわけにはいかない!
 新浦は撃鉄に手をかけると、また同じ動作を繰り返し、がちり、と撃鉄を引いて銃口をふらふらとマリカに向ける。
 今しかない!
 マリカは今度は運良く助かるとは思わなかった。危機は自分の力で脱出するんだ。
 わたしは一人で生きてきた。これまでも。これからも。
 マリカの思考は遠い記憶の物語を再生していた。複雑な家庭環境や、特殊な経験まで。幼い頃から耐え続けていた忌まわしい過去の出来事を振り切るかのように感情を押し殺し、いつも孤独な状態でいたこと。
 友達は作らなかったし作れなかった。だけどそれを残念だと思ったことは一度もない。わたしは孤独が好きだ。一人で居ることが、誰にも邪魔をされない生き方が自分の理想だと常に思っていた。これからも邪魔されない。わたしの生き方に誰にも口は挟ませない。わたしはわたしの意思を持って道を切り開いていくんだ。
 身体の細い、四十キロを切りそうな体重と百五十センチにも満たない体格の女の子が、百八十は越す中学生離れした大柄な体格の男子に向かって飛び掛っていた。
 銃を持った右腕の手首をがっちりと両手で捕まれた新浦は、振り払うように乱暴に腕を動かした。食らいついて離れないマリカの身体を引き離そうとするが、文字通りにマリカは新浦の腕に噛み付いた。
 ぎゃうっ、と獣のような声を上げ、さらに引き離そうとしてもマリカは食いついて離れない。
 新浦は力任せにあいているほうの腕で拳を握り、マリカの顔面を激しく殴りつけた。
 びっ、と何かがちぎれる音がして、マリカは地面にたたきつけられた。口には噛み付いたときの肉片が残っている。新浦の右腕から水道の蛇口のように血がふきこぼれていた。
 動脈を切ったらしい新浦の手首の近くから、見事なまでの朱色の液体が弧を描いて噴いている。正月なんかによく見る水芸の手品のようだとマリカは思った。
 その返り血が飛び、頭から髪から、全身にその血のシャワーを浴びた。
 ぺっ、と口に残った肉片を吐き出すと、返り血を浴びながらマリカは新浦の握られた拳銃を奪おうとした。血の噴き出す傷口にしっぺをするように手刀をお見舞いした。
 抵抗することもなく新浦は拳銃を落とし、唸り声を上げてしりもちをついた。
 すばやく地面に落ちた拳銃を拾おうと手を伸ばしたとき、一瞬はやく新浦のつま先がそれを蹴った。
 くるくると拳銃は回転し、二、三メートル先に転がった。新浦はまだ戦意喪失したわけではなかったのだ。
 新浦と目が合うと、彼の目は充血した眼が怨念を込めたようにマリカを見つめた。
 マリカは目を離して拳銃に走り寄った。片手で黒い銃を握った時に足首に強い力が加わって後ろに引きずられた。重心を失ったマリカはそのままうつぶせに倒れ、顔面と胸部を強打した。それでも足首に伝わる力は弱まらない。身体ごと乱暴に地面を引きずられ、じゃりじゃりじゃりと顔面が擦れる音をたてながら土ぼこりが舞った。
 握られていたはずの拳銃はまた数メートル先に転がっていた。くるっと身体をひねって上体を起こすと前を見据えた。マリカの足首を両手できつく掴んでいる新浦がいる。新浦はうおおお、と叫びながら力任せにマリカの足首を持ち上げた。無理やり逆立ちさせられた格好になり、スカートはめくりあがってピンクのパンツが丸見えになった。しかし、その状態のまま、マリカは身体をひねって新浦のすねのあたりにしがみつくと、学生ズボンの上から思いきり噛み付いた。
 「ぎゃ」
 新浦が短く悲鳴をあげ、マリカの足首を掴んだ手を離し、逆さまに頭から落ちた。ごくん、と鈍い音がし、視界が真っ白になって消えた。マリカは手を地面につき、片方の手で頭を覆った。ずくん、と鈍い痛みが降りてくる。頭上の血が一気に身体に落ち、貧血のように目の前が真っ白になった。よろめいて、しりもちをつく。かばって手をついた時にさらにズキンと左肩がうずいて思わず顔をしかめた。
 フー、フー、と獣のように鼻息を荒くし、大きな男がうずくまっている。もう一度立ちあがると、また一瞬眩暈がしたが、今度は倒れることはなかった。さっと背を向けて走り、落ちている拳銃をすばやく拾ってそのまま全速力で駆け抜けた。が、すぐに息苦しくなって足が止まる。ようやく気がついたが、鼻から大量の出血をしていて、それが息苦しい原因だった。ぴっと手鼻を切るとぼたぼたと鼻血がこぼれ落ちた。振り返ると新浦がいる。彼はようやく身体を起こしたところだ。持っている銃をみて、もう一度新浦の方を見た。うまく扱える自信はなかった。もし新浦が突進してきたときにこれで一撃でしとめられるとは思えなかった。
 マリカは振り返るのをやめ、山小屋の向こうに続く道へ向かって走り出した。と、それと同時に山小屋から千紗都が現れ、彼女もまた山小屋の向こうに続く道へ向かって逃げ出した。偶然、というわけではないが、マリカが千紗都の後を追いかけるようなかたちになった。
 しかし千紗都にはあっというまに追いついた。彼女はまぬけなことにつまずいて一人で勝手にこけていた。
 「痛いー」
 千紗都は半べそになって地面にぺたん、と座っていた。
 マリカは後ろを振り返る。――――新浦が追ってきていた。そして……、その後ろにもう一人男子生徒の姿があった。
 マリカは急いで走り出した。
 「馬鹿っ。――――あんた、そんなとこでボーっとしてると殺されるわよ!!」
 へたり込んでいる千紗都の首根っこを荒っぽく掴むと無理やり立たせた。
 「走れっ!」
 「え!? 何!?」
 腕を掴んで千紗都を走らせた。掴んだ方の腕は痛んでいる左腕の方だったが、気にはしていられなかった。だが、すぐにズキンと痛んで、意図せずとも手が離れた。
 「大変! 遊佐さん、怪我してるっ」
 「こんなときに――――」
 何そんなのんきなこと言っているのよ、と怒鳴りたかったが、口がもつれてうまくしゃべれなかった。
 「いいから逃げるよ!」
 マリカはもう一度、鼻から滴り落ちる鮮血を手で拭ってから駆け出した。それにワンテンポ遅れて千紗都が走り出した。後ろから男子が追いかけてきているのがようやくわかったようだ。
 「なに? ――――あれ、新浦くん? ――――どうして!?」
 「黙って走れ! ――――こっちだ!」
 喋るたびに鼻から赤い液体がこぼれ落ちる。制服の裾で鼻の下を拭くと思った以上の血がこびりついた。
 マリカは茂みの隙間に山道のような細い道があるのを見つけた。広い道をただまっすぐ逃げるよりは、逃げ切れる可能性が高いと考えた。
 マリカが雑草の群れを飛び越えるように山道に入っていくと、それに続いて千紗都も茂みの間に飛びこんだ。マリカは絡み付く雑草を掻き分けながら先に進む。急な斜面の登り坂になっていた。崖を上るような間隔で駆け上がる。が、そこでマリカは愕然とした。――――道はそこで終わりだった。あとは本当の崖。目の前にただ壁となった崖がそびえたつだけだった。うかつに山道に逃げ込んだのは失敗だった。
 「きゃあああああ!!」
 千紗都の悲鳴が響き渡った。千紗都の向こう側に新浦の姿が見えた。そしてそのさらに後ろ――――!!!
 「止まれっ!」
 ドスの利いた低い声だった。叫んだのは新浦の後ろの男――――。
 全員が振り返った。新浦、マリカ、千紗都の視線の先にバンダナをまいた傷だらけの男、川田章吾が立っていた。
 なぜ追いかけてきたんだろう。さっきは見逃してくれたのに。
 マリカの思考は混乱した。
 「そこにいるのは誰だ。――――新浦。もう一人は遊佐か? ――――もう一人は。――――もう一人そこにいるのは誰だ!」
 千紗都はしゃがみこんで草地にうずくまり小さくなっていた。頭を両手で覆ったまま丈の高い雑草の方へ身体をずらすように身を隠す。茂みの中は薄暗く、外からははっきり見えないのかもしれない。
 「うおおおおおおっ!」
 新浦が川田に襲いかかった。続いて、ぱららら、とどこかで聞いたことのあるような音が鳴り響く。
 ばさばさばさ、と頭上を覆う木々が葉を散らし、その木片がマリカのまわりにも振ってきた。
 「ひぃぃ。やだぁああ」
 千紗都が悲鳴を上げた。さらに小さくなり、小柄な身体をガクガクと震わせている。
 川田と新浦は元の道へ転がり落ちるようにして姿が見えなくなった。
 どさくさに紛れて逃げるには今しかなかった。どの道このままでは袋小路だ。
 「立って。行くよ」
 千紗都の肩をぽん、と叩いた。えっ、と驚いた表情で千紗都がマリカを見上げている。
 「早く」
 有無を言わせず、千紗都を立たせた。千紗都は泣きじゃくってひっくひっくと肩を揺らしている。その彼女の背を押して道に戻った。
 マリカは――――千紗都と一緒に逃げようとしたのは、もし彼らに追いつかれたときに時間稼ぎをするためのエサの役目を負ってもらうためだ。最初から見殺しでする気でいた。今は……、彼女には自分の盾になってもらう。そんな計算が最初からあった。
 千紗都の背を押しながら広い道に戻ると新浦が倒れていた。川田はそこに立っている。
 ひっ、と千紗都の肩が跳ねた。
 川田の肩からぶら下がる物は映画でよくみかけるようなサブマシンガンだった。その銃口がさっとこちらを向いた。マリカはすっと千紗都の背後に移動した。
 彼の長髪でない姿を見るのは初めてだった。頭にはバンダナを巻き、上着は脱がれていてTシャツ一枚の姿で立っている。学生ズボンはドロドロに汚れ茶色くなり、すりむいて破けたような後がいくつもある。Tシャツにしても汚れとどす黒い血のような汚れがあちこちに付いていた。
 もっとも、血だらけで薄汚れているのはマリカも同様だったが。
 「また君か……」
 こちらを向いていたサブマシンガンがすっと下を向いた。片手で器用に何かを操作してかちり、と小さな音をたててサブマシンガンから手を離した。
 「セーフティをかけた。お前達を撃つことはない。心配するな」
 そういって洋画の俳優がするように大げさに両手を広げた。
 川田はわたしのことをわかっていて追いかけていたのではないのか。彼が追いかけてきたのはもう一人の女子が見えたから? ――――それにまた、とはどういうことだろう。千紗都と川田は今回初対面じゃない?
 川田の足元に新浦が倒れている。
 「――――殺したの?」
 足元に視線を移しマリカが言った。
 ちら、と川田は足元の新浦を見て、
 「死んではいないだろう。……こいつで殴りつけたときに銃が暴発してしまったが、それには当たっていないはずだ」
 そういうと川田はサブマシンガンをちょっと上げて見せた。
 マリカがこの道と反対側に逃げようとして川田に遭遇した時には、『それ以上近づけば撃つ』と言われた。だが、殺意はないように思えたのはどうしてだろうか。今も彼は自分たちに対して殺意をみせない。
 そのアピールのつもりなのだろうか。川田は両手を左右に広げたまま、
 「大丈夫だ。俺の方から襲ったりはしない」
 と、軽い口調で話した。だが、その言葉は警戒心を忘れていない。
 「質問がある」
 川田は真剣な表情のまま言った。教室にいるときのような温和な雰囲気はかけらもなかった。もっともそれは、いかつく刈られた髪型のせいかもしれなかったが。
 「他に誰かと出会わなかったか?」
 千紗都が無言のまま首を横に振る。早くこの状況から逃れたいようで、恐怖の表情を顔に張り付かせたままだ。
 川田と目が合った。
 マリカも黙って首を横に振った。質問に対しては正直な答えだ。
 川田はふう、と軽く息を吐くと、
 「こいつが目を覚ます前にどこかへ隠れた方がいいぞ」
 そういうと足早にそこから立ち去った。ほんとうに殺意はなかったようだ。結局川田の目的はなんなのかわからなかったが、そこにはなんの作為も感じられず、川田の言葉を信用することにした。
 マリカはすこし迷ってから、
 「どっかにいい隠れ場所はないかしら?」
 と、千紗都に聞いた。
 自分でも驚くほどふてぶてしい性格をしているもんだ、と我ながらあきれていた。
 千紗都は動揺した表情で、落ち着きがない。
 「どうなの?」
 と、もう一度訊ねた。
 千紗都の視線がゆっくりマリカの手元に動く。そしてまた目が合う。
 マリカは手に新浦から奪った拳銃を手にしたままだった。そして、それは無意識に千紗都の方へ向けられていた。
 すっと手にした拳銃を下げ、腰のよこに添えるように銃口を下に向けた。
 それで安心したように千紗都は、
 「あ……あの。――――うまい隠れ場所かどうかわからないけど……。もっと山奥の方に隠れたほうがいいんじゃないかと思う……」
 とつとつと詰まりながらも彼女はそういった。
 「ここよりはましでしょうね。――――行こう」
 促して千紗都を先に発たせた。
 足元の新浦に唾をぺっ、と吐き捨てた。その唾液には少し赤い血がまじり、にごっていた。
 頭をぶつけたときショックで少し頭痛もする。
 早く体を落ち着かせたかった。体は元々それほど丈夫な方ではない。いざというときには思い切りがいいので、体も動くのだが、小さい頃からよく病気もしている。そのせいでこのスレンダーなスタイルを保てているのもあるが、やはりもう少し丈夫な方がいい。
 ぶるっと、震えがくる。少し汗が冷たい。
 前を歩く千紗都の背中が揺れていた。
 意識が遠く薄れていくのを少し離れたところにいるもう一人の自分が見ていた。
 そしてきっと自分は気を失ってしまうだろう、と予測したときには考える力をなくした。
 地面に伏した自分に驚いた表情で駆け寄ってくる千紗都の顔がひどくこっけいに見えたが、もう笑う力はなかった。
 自分を呼ぶ千紗都の声……。
 そこで意識はぷつりと途絶えた。

【川田章吾優勝まで あと11人】


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