
第三部
終盤戦
52
へなへなと座り込んだ菜種にマリカは銃をおろしてこう言った。
「どうやら――――あなたたち。ロクな武器は持ってなさそうね」
つられるように慶子もぺたん、とその場に並んで座り込んだ。もしマリカに本当に殺意があったらもう命はなかったろうが、彼女はそれ以上敵意は見せなかった。
「――――心配しないで。私たちはあなたたちを襲ったりしないわ」
「遊佐さんはひどい怪我をしているの。お願い、助けてあげて」
突然横から姿を現したのは髪の毛を二つに結った高浜千紗都だった。
その千紗都が心配そうにマリカの方を見上げる。
たしかにマリカは薄弱なイメージはあるけどかなりの美人だったし、端整な顔立ちなはずなのにその形に不自然な歪みがあった。青い痣ができている。不自然に鼻のまわりが腫れ上がっていた。もし、それが殴られた痕だったら、さぞかし凄惨な現場をやり過ごしてここまできたのかも知れない。
「左肩の出血がひどいの。ここには救急箱とかなかった?」
切実な表情で千紗都が尋ねてくる。怪我をしている本人は鋭い視線を左右に注意深く揺らしながら、落ち着いているように見えるのに、千紗都の方が取り乱しているようだ。
菜種はもう一度見上げてマリカの姿を見た。
たしかに彼女の白いブラウスが左肩から胸部にかけて赤黒く染まっていて、不自然な汚れ方をしている。
立ち直った慶子が菜種の腕をとり、立たせてくれた。
「……その怪我……かなりひどそうね」
まじまじと慶子がマリカの傷口を眺め、
「もしかしたら救急箱とかあるかもしれない。探してみましょう」
と言って菜種と千紗都にも探すよう促した。
「――――あたしたちもそんなに長くここにいたわけじゃないから……」
ようやく菜種も警戒心が解けてきて、そう言いながら二人を小屋の中に招き入れた。
気がつくと手にすごい汗をかいてびっしょりになっていた。
結局四人で小屋の中を探し回ったが、見つかったのは小さな傷口用の絆創膏ぐらいだった。それではとてもマリカの傷の手当てには足りない。幸いタオルやハンカチはいくつか見つかったので、それを使うことにした。
「どうしてここが?」
慶子がマリカの服を脱がして治療にあたりながら聞いた。
菜種は固形燃料にもう一度火をつけ、スープと消毒用のお湯を用意している途中だった。
マリカはさも心外そうな顔を作って肩を揺らした。
「何言ってるの。あなたたちの声、外に丸聞こえよ。――――あんな大きな声で喋ってたら誰だってあなたたちがそこにいるってわかるわ」
ええ、と思わず声を上げたのは慶子だ。
菜種は千紗都と火の番を交代し、マリカの着ていたブラウスを今度は水洗いすることにした。この暑さだからすぐに乾くだろう。まさか血のべっとりとついた服をまた着るわけにもいかない。せっかくタオルで身体を綺麗にしているのに。
この小屋の水道は地下水から引かれているようで、幸いなことに普通に利用できた。菜種が集落の家に身を潜めていたときは、電気はおろか水もでなかった。政府がわざわざこのゲームのために手配してくれていたらしい。だが、さすがに地下水を止めることはできなかったようだ。
「ひゃぁ」
菜種は思わず声を上げた。
水洗いしていると思ったよりもブラウスはぼろぼろで、赤い汁が洗面台に流れた。再びこれを着るにしても穴だらけになっている。何をされたか知らないが、ずいぶんとひどいことをされたのだと思うと菜種はマリカに同情した。
「案外簡単に友達になれたわ」
と言って彼女は腰に手を当てて少し斜めにして立っていた。ブラジャーにスカートという格好はこの場所には少し違和感があったが、スリムな彼女がポーズを決めて立つとかなり様になる。普段読んでいた、ファッション雑誌に出てくるモデルのようだ。菜種から見てみごとなプロポーションだった。自分の貧弱な体型と比べて羨ましくも感じた。
「お湯の準備、できたわ」
おなべの近くから千紗都が声をかけてきた。それから、
「何の話?」
と、会話に参加した。
どうやら慶子が千紗都と友達だったのか、と聞いたようだ。マリカの説明によれば、このゲームで友達になったということらしい。
「その怪我はどこで?」
慶子がさらに尋ねていた。
「すぐ近くよ。新浦と喧嘩しちゃってね」
えっ、と菜種は思わず声をあげた。
新浦と言えばたしか野球部で大柄な生徒だったと記憶している。菜種は自分のタイプしか男子の顔は記憶に残さないことにしているので顔のイメージはあまり思い出せなかった。
「新浦君が襲ってきたの?」
慶子が不安そうな声で聞く。マリカはまるでそれが当たり前のように、
「ええ、殺そうとしてきたわ。――――正確には犯そうとしてきたのかしら」
そう言って、同意を求めるようにちらと千紗都の方を見た。
千紗都は黙ってこくっと首を縦に振った。
「信じられない」
菜種はたまらず言った。
こんな状況下で敵対するだけなら理解できても、そういう行為に走る男子の心理にはついていけなかった。
「私だって信じられなかったわ。しかも、こんな風に殴られたり――――。いったい何を考えているのか……。でも妙に顔が赤かったし、もしかするとお酒でも飲んで酔っ払っていたのかもしれないわ」
マリカが冷静な態度でそのときのことを振り返る。
話はマリカが山小屋、ここよりもっと大きいお土産屋に逃げ込むところから千紗都と出会って、新浦と遭遇して逃げたところまで聞いた。そして、マリカが思いがけないことを口にした。
「――――それから川田くんに出会ったわ。私は逃げたけど」
慶子の恋人だ。
このすぐ近くにいたのだと言う。さらに再び新浦とあいまみえたマリカは、果敢にも新浦と格闘し、千紗都を連れて逃げる途中で川田に助けられたのだと言う。
そして山奥の方へ隠れ場所を探しにきた途中でこの小屋を見つけたらしい。
慶子は蒼白な顔で話を聞き終えた後、少しだけほっとしているようだ。
マリカの話では彼は誰かを探していたと言う。名前は聞かなかったと言ったが、それは間違いなく慶子のことだろう。マリカもそう感じたと言う。
慶子が俯きながら、
「――――そう」
と小さな声で呟いた。
少し間が空いて、慶子がおもむろにスカートのポケットから生徒手帳の入った手帳入れを取り出した。
マリカの肩の傷の手当てを千紗都が続けながら、横目にその様子を見ていた。菜種も慶子の向かいのソファに座りなおし、慶子の動きを目で追った。
「わたし、逃げ出したから。あそこから……」
慶子は暗い瞳を揺らしてそう呟いた。
「これ……」
慶子の取り出した生徒手帳には一枚の写真が入っていた。
今の慶子と違って髪をくくって前にたらしている笑顔の彼女の姿がいる。そしてその右隣には学生服の川田章吾が彼らしく、くったくのない笑顔で写っている写真だった。髪が長い姿なので最近の写真なのだろう。
「順番で言うならわたしの次に及川くんがでてくるはずだったわ。それから良子ちゃんで、その次に――――」
そういえば慶子と川田章吾の出発時間は近かったはずだ。それならすぐに出会ってもおかしくはない。だが――――ふとそこまで考えて、それもちょっと難しいのではないかと思い直した。
菜種は出発の時に、あの消防署をでてから果たしてあの暗い出入り口のところで例え短い時間であっても一人でいれただろうかと考え直した。――――いや、当然いれるわけはなかった。現に菜種はすぐに近くの公園に向かってまっすぐ逃げ込み、そのまま茂みの間をくぐり抜けるようにして島の端まで逃げていったのだ。島の端にたどり着いて逃げ道を失い、身を隠すために海沿いの集落に戻った菜種は、あの出入り口付近で感じた恐怖と危険な空気に心底恐れをなした。いれるわけがない――――あんな場所に、一人で。先にでた誰かが待ち伏せしているかもしれないというのに。もしいれるとしたら、それは出てくるものを殺そうと待ち伏せする目的がある時ぐらいではなかろうか。
「逃げたのよ。――――待つことなんてできなかった」
同意したように千紗都がうんうんと首を縦に振っている。菜種も同感だった。
「真尋――――鮎川真尋はわたしの親友――――だったわ。だから彼女の姿が見えたとき、――――彼女は待ってたみたいなの。わたしのことを。だからわたしは――――彼を待てずに真尋と逃げたの。でも――――」
慶子は苦しそうな表情を浮かべて、彼女にさされちゃったわ、とさらりと言った。
「この写真、来週の日曜日に新しいものと交換する予定だったの。わたし……山歩きとか好きだから。……日曜日にデートするつもりだった。バードウォッチングね。鳥とか、花とか、観察するのが好きで――――。良子ちゃんも誘う予定だったの。ほら、彼女、学校の花壇をいじったり、みかけによらず地味な趣味持っているのよね。お花を見に行こうって誘ってたの。そうだ――――知ってた?」
彼女の顔がぱっと晴れるように明るい顔になった。が、それは一瞬の出来事でまたいつもの疲れた表情に変わった。
「良子ちゃんの好きな人――――知ってる? 沢村くんよ。彼。――――だからわたし、彼も誘ったの。実は彼女に内緒で。……ほら、あの二人。仲いいのみんな知ってるでしょ。中にはもう付き合ってると思ってる人もいるみたいだし」
「え、あの二人付き合ってなかったの?」
思わず声を上げたのは菜種だ。菜種は仲のいい二人は当然恋人同士だと思い込んでいた。
「ほら、ね。やっぱりそう思ってる人いるでしょ。だから、わたし、見ててまどろっこしい二人をなんとかしてやろうと思って……。沢村くんにも良子ちゃんがくるの内緒で章くんに誘ってもらうようにしてたの。いわゆるダブルデート? 返事はまだもらってなかったけどね――――」
菜種は慶子が少し嬉しそうにそんな話をするのを聞いていて、ほんの一瞬ではあるが、自分の今おかれている立場を忘れていた。
そうだ。女の子四人が集まって出る話題はこういうものにかぎる。暗い話はごめんだ。
「ねぇ、みんなは誰か好きな人いた?」
だから慶子がそんな風に言っても誰も意外な顔をしなかった。ソファに座ったマリカと千紗都は互いに顔を見合わせている。ちょっと戸惑いながらも、マリカが自分はそういう人はいなかったと告げた。
――――今はほんとうに殺し合いの最中なのだろうか?
誰にも訴えようのない不安が漠然と広がっていく。
自分は殺されるのだろうか? 何度、その疑問を思い浮かべたことだろう。
しかし菜種はその思いをすぐに打ち消す。ここまでその不安が湧き上がるたびに心の奥にしまいこんできた。こういうときは楽しい話がしたい。それでもいいじゃないか。
「あたし、土岐くんが好きだった……のよ」
思い切って告白した。過去形にしないといけないのが胸を痛ませる。
突然の告白にもあまり動揺の色はない。むしろ、他の三人もこういう現実からはあまり関係ないことを求めていたのかもしれない。
マリカと千紗都が向き直って菜種を見た。話の続きを聞く気になったようだ。
「定時放送で早々に彼の名前が呼ばれたときにはひとりで泣いちゃったわ。話をすることはほとんどなかったけど、いつも彼を見てたわ。――――どきどきして……彼と初めて会話したときのことを思い出すの。三年になって間もないころ教室のそばで他の子と喋ってたの。そしたらすっと彼が現れて――――」
菜種は思い出していた。まだ平和だったころの記憶に戻る。
菜種は教室の前にいた。いつも通りの廊下での友達とのお喋り。着ているブレザーは春物。目の前には二年生のときから仲のいい下山茜がいる。三年になっても同じクラスになった。そしてよくそうしていたように立ち話に花が咲く。
「ねぇ、カッコイイ男の子いた? わたしちょっと気になった子いるんだけど」
「ええ、はやーい。もう目をつけたの? やるぅ」
そう言って菜種は茜の肩を小突いた。
茜は三年になったら絶対彼氏を作るのだと予告していた。さっそくその予告は実現のために精力的に行われているようだ。
「そういうなったんだって、もう目ぼしいのは見つけてるんでしょ?」
お土産を選んでるんじゃないんだから。そんな突込みを入れながら強く否定した。事実、新しいクラスになって二日目の今日では、まだクラスの顔もほとんどしらない。
「んもう、甘いわね。全然甘い。そんなんじゃ彼氏できないよ、なったん」
そう言うが菜種だって頑張っているのだ。今年、流行間違いなしとファッション雑誌に載っていたルーズソックスをさっそく買い込んだ。ただ、校則がもしかしたら引っかかって先生に何か言われるかもしれないと思って履くのはしばらく様子を見ている。そのかわりスカート改造をしてクラスの女子生徒の中では一番スカートが短い。やり方は簡単だ。ウエストのところでくるくると内側に巻いてその上からベルトするだけ。昨日、茜に教えてあげたらさっそく今日は短くしてきたようだ。だが、彼女はスカートを外側に折り込んでいるようだ。それだと、モコモコしてウエストが太く見えてしまう。甘い、甘い。
「で、なんていう名前なの?」
一応確認しておこう。カッコイイ男の子の名前は。
「ん、んん。それがね……」
「……もしかして。……知らないとか」
「んん。――――実はそうだったりする」
だってまだ新しいクラスになって二日目だとか、似たような名前の人がいっぱいいるしとかよくわからない言い訳をしていた。
そうして、最初の授業が始まるまでの他愛のない会話をしているときだった。
すっ、と菜種たちの前に人影ができた。
見あげると背の高い、髪をかなり短く切っている学生服が立っていた。
一見外国人のような風貌であり、力強そうな目のラインと引き締まった口元。いわゆる濃い顔なんだけど、その外見とはうらはらにどこか繊細な瞳。
菜種の心臓はがっちりとわしづかみされ、そして次には激しく波打った。血流は勢いよく流れ、足元が少し宙に浮いたようなスピードで電気が脳天を突き抜けた。
彼の視線が菜種を捕らえ、その眼差しにしびれて全身が動かなくなった。
『君もこのクラスの子?』
虹色の声がそよ風のように菜種の耳を通過した。
なんて返事していいかわからない。
ドギマギして人生最大のピンチだとなぜかその時は思った。
――――なんとか、なんとか最高の返事しなきゃ、って。
「あたし舞い上がっちゃって、それでもなんとかとびっきりの笑顔で答えたのね。うん、そうだよって。そしたら彼が言うの。『そこにいたら邪魔で入れないよ。中で喋ったら?』って。あたしねぇー。初対面からいきなり気に入っちゃって、こっちはとびきりの笑顔みせたのになによーって思ったの」
いつのまにか、三人とも菜種の話に聞き入っている。全員の顔が少し穏やかな表情になっているような気がして菜種はちょっと、うれしかった。
「―――でも、それで余計に彼が気になっちゃって。授業中も休み時間も彼のこと目で追ってたら、ちらってたまにあたしの方を見るの、彼。もしかして、って思ったけど、ほんとうはあたしのことキモイやつだなぁ、って思ってたのかも知れないわ」
その髪型から野球部かと思ったが、彼はボクシングをやっていてそれで髪を短くしているらしい。その意味は菜種にはわからなかったが、ただ、格好いいと思ったことだけは事実だった。
出席番号十三番、土岐公太。普段、仲の良い友達、川田章吾。クラスでは沢村利夫と川上良子とよく一緒にいる。そしておそらく彼は川上良子に恋をしている。
まったくそんなそぶりは見せなかったが、これは女の勘だ。悲しいけどきっと当たっている。
これまで彼をずっと見てきた。だから色んなことを知ったし、わかる。
そして――――。
『――――九番の杉田慶史君にぃ、十一番の伊達公一君。十二番、堤――――』
悪夢の定時放送。呼ばれた者は死んだことを意味する。彼は出席番号十三番。
運動測定では彼が総合で一番だったらしい。すべてにおいて同学年の中学生のレベルをはるかに上回っているそうだ。残念ながらその詳細の書かれた紙を手にすることはできなかったが、菜種は自分のことのようにその結果を喜んだ。
その彼がまさか、最初の放送で呼ばれるはずがない。彼は必ずどこかで生きている。
舞知のねちっこい声がこだまする。
『男子十三番、土岐公太君――――』
何故?
何故?
『男子十三番、土岐公太君――――』
何故、彼……が……?
『男子十三番、土岐公太君。土岐公太君、土岐公太――――』
気がつくと胸元が濡れている。
いつの間にか頬を伝って温かい液体がこぼれ落ちていた。
三人が注目している。
菜種ははっと気がついて無理に笑おうとした。が、面白い出来事はなにもない。
からからと声にならない声で菜種は笑った。
「こんなことになるなら思い切って口説いておけばよかったわ」
内容とは対照的に弱々しい声で言葉を吐いてしゃっくりに変わった。思わず口に手を当てる。
それは自分がここまで人を好きになっていたのだということと、溜め込んでいた恐怖やストレスを吐き出すきっかけになってしまった。
菜種は立っていられなくなり、座り込んで顔を覆った。息苦しいほどのしゃっくりが何度も繰り返され、ついに声を出して、わあああと泣いてしまった。
こんな話をするべきではなかった。余計に暗くなってしまっただけだ。
だけど、菜種は涙を止めることがどうしてもできなかった。
「……うらやましい」
ポツリと囁いた。声の主はマリカだった。
「私にはそんなに想える人がいない。想ってくれている人も……きっといない」
ちら、と見あげるとマリカは左肩にタオルをあてがわれて止血されている。相変わらず上半身はブラのみだった。
「告白したの?」
菜種はその姿勢のまま首を振った。
「そう……。ちょっと心残りね」
それ以降、皆沈黙してしまった。
「ごめんね……。変な話して。――――ごめんなさい」
「ううん」
慶子が首を振って、わたしこそ変な話を振ってごめんなさいと謝った。
ちょっと、顔拭いてくる、と言って菜種は流し台の方へ席を外した。ちょっとばつの悪さにその場にいるのが恥ずかしかった。
地下水は冷たく、気持ちよかった。
鏡がないのでわからないが、きっと眉がなくなっているだろう。先日、ちょっと細く短く剃りすぎたのだ。
流し台を見ると固形燃料で熱せられたお湯が置いたままになっていた。
「いけない。スープ作ってあげるの忘れてた」
菜種が独り言を言っていると、後ろから千紗都が覗き込んできた。
「いやぁね。女が四人も集まるとどうしてもすぐに井戸端会議になっちゃうわぁ」
わざとおばさん口調で言うと千紗都がくすくすと受けていた。
背後でマリカが薄汚れた小窓の隙間から外を覗き込むようにして、
「暗くなってきたわ」
と、感想を述べた。
たしかに、と菜種も頷いた。暗くなるにはまだ時間が少し早い。
「夕立でも降るんじゃないかしら」
外は見えないながらも、つい上を見上げて天井を眺めながら慶子が言った。隣にいたマリカがつられて見あげていたが、当然空は見えない。だけど会話は続いた。
「今日はずっとぱっとしない天気だったわ。入道雲でもでてれば夕立も降るんでしょうけど、こんな一日曇りの天気の日はどうなんだろう。やっぱり降るのかしら」
誰も答えられずに沈黙した。
「テレビ――――そうだ、ラジオとかないのかしら。世間ではプログラムをどう放送しているのだろう」
言ってマリカは思い直したようだ。続けて、
「――――ううん。たしかこのゲームの報告は事後だったわね。優勝者の姿だけが全国放送されて……」
この国でもっともつまらないニュースだった。
だが、それは確実に年に一回ぐらいのペースで放送される。
――――このクラスで優勝するのは誰かしら?
菜種はつまらない空想をしてすぐにそれを打ち消した。その空想のテレビの画面には菜種以外の優勝者の姿が映し出されていた。
慣れた手つきで粉末のスープの入った箱から袋を取り出すと、カップに注ぎ、お湯を流した。そしてそれを二人分用意した。
「――――いい匂い。……この匂いにつられたの」
マリカと千紗都がそれぞれに小屋の外からこの匂いがした時のことを話している。
「まだあと数人分は作れるわよ。必要なら言って頂戴。作ってあげるから」
「悪いわね。最初は脅かしちゃったのに」
悪びれる様子もなくマリカはマグカップを受け取ってスープをすすった。口の中を切っているのか、痛みに少し顔をゆがめた以外はおおむね好評だった。
「玄関のあれはなあに?」
汗を流しながらマリカが玄関口に置かれた地雷を指差していた。入るときには気がつかなかったのかもしれない。
「ああ、あれは、お守りみたいな物で――――」
慶子が説明しようとしたところに話を割って入って先ほど説明書にあった解説を三人にした。慶子も詳しくは知らなかったようなので、真剣に菜種の話を聞いていた。
「ふーん。使えそうじゃない。――――これは?」
玄関に立っていったマリカがリモコンを手に取った。
慶子が汚れたタオルを手に流し台の方へ来た。千紗都も流し台のところでスープをすすっていたので、菜種は奥の部屋に移った。
先ほどマリカたちの影が見えた小窓に目をやる。さすがに今度は誰もいない。
誰も――――。
いないはずだった。
誰もそこにいてはいけないはずだった。
「うっ」
声に詰まって横を振り向く。
マリカは腰を落として地雷を少し遠巻きに見ている。
後ろを見れば、慶子と千紗都が仲良くタオルを水にひたしている。
「あ、そうだ」
マリカが独り言のようにふと気がついた様子で顔を上げて入り口の方を向いた。そして入り口の扉に近寄る。
――――いけない!
マリカが玄関の扉に手を掛ける。そして扉が開いた。
「やっぱり。玄関の鍵かけてない」
「閉めて! 早く閉めてっ!」
慌てて駆け寄る。戸を開けてはいけない。
菜種は急いで玄関をピシャッと閉めた。
マリカが驚いた様子で菜種を見ていた。
早く鍵を掛けようと鍵口に手をやった瞬間――――。ふわりと引き戸が動いて開いた。
続けてバスッ、バスッ、バスッと鈍い音が三回鳴った。
熱いものが腹部から広がった。だが、後ろでマリカの身体がふらりと崩れ落ちた。
マリカを見ると彼女は胸のあたりを押さえてうずくまっている。あきらかに止血用にタオルで縛った場所以外から赤いものが流れている。
菜種は前をもう一度見た。
小窓から一瞬見えた白い物がそこにあった。
二度目だった。
その白い仮面の人物を見たのは。
シャツがズタズタに破れ、赤黒く染まっていて薄汚れているのは変わっていない。
初めて見た時と同じように、彼は手にした銃をすっと持ち上げて銃口を菜種に向けた。
――――撃たれる!
そう思ったのと鈍い音がしたのは同時だった。衝撃の走った右腕が強い力で後ろに引っ張られた。そのままの勢いで菜種は身体をねじるように床に倒れた。
――――何故あの銃は銃声がしないのだろう。映画やテレビドラマに出てくるシーンではよく派手な音が鳴るのに。
うずくまって倒れたときに思ったのはそんなことだった。痛みを麻痺させて感じさせないように脳が勝手に現実逃避したのかもしれない。しかしそれも一瞬のことだった。
激痛が右腕から脳天に走り、身の毛もよだつような震えが全身を襲った。
間違いない。
やはりこの白仮面はクラスメイトを殺して回っているのだ。
「きゃあああああああああああ」
悲鳴が聞こえる。この声は慶子だろうか。それとも千紗都のものだろうか。
水に潜っているときに聞こえる音のように、菜種の耳にはくぐもった低い空気の振動した。
どん、と腹部に強い衝撃を請けて菜種はひっくり返った。
さっきの衝撃とは少し質の違う痛み。だけどどちらも非常に悪質だった。
お腹に蹴りを喰らって仰向けにされた菜種はその殺人鬼を見あげた。
特に特徴のある体格でもない。仮面の後ろに見える髪形も男子にしては少し長めなだけでそんなに目立たない。誰なんだろうか。本当にうちのクラスメイト?
無駄な動きもなく彼は菜種に銃口を向けた。銃口の先が菜種の頭部を狙っている。
――――立て! 今なら間に合う。
誰かが叫んだ。――――否、誰かが菜種の精神に直接呼びかけた。そんな――――気がした。
菜種は手を伸ばして銃口を掴んだ。菜種の思わぬ動きに相手も一瞬戸惑った。その隙をついて菜種は思い切り掴んだ銃口をひねって奪おうとした。が、すぐに相手は体制を立て直すと空いた手の方で菜種の掴んでいる手に手刀を振りかざした。
菜種は取り払われた手に痛みを感じながら、相手に体当たりした。
バスッ、バスッ、バスッと空砲がなる。だが、これはどこにも当たらない。
思ったよりも簡単に倒れ、覆いかぶさるように上になった。闇雲に暴れて押さえつける。殴っているのかじたばたしているだけなのかもわからない。だけど相手はそれで起き上がれないようだ。
空砲が鳴り続ける。
もう十発ぐらい撃っているはずだ。何故? ピストルって5、6発撃ったら終わりじゃないの? 音もほとんどならないしなんて不思議な銃なんだろう。
どん、と腹部に強い力を受けて菜種は押し返された。二人の間に距離が開いて銃口が再び菜種を捕らえた。
ああ、もうだめ――――。
――――しかし、次の攻撃はこない。
弾切れを起こしたのだろうか、銃口を向けたまま動きが止まっている。
「……逃げるのよ……。……早く、逃げて……!」
絶望的な希望がそこにあった。
声の主は遊佐マリカだ。彼女の声が背後からしている。
――――良かった。生きていたのね。
ところが思うように口が回らない。恐怖で筋肉が収縮している。声にはならなかったが、菜種はふんばって立ち上がろうとした。
――――逃げよう。ここから逃げよう!!
しかし、立ち上がっても、足が踏ん張りきかず、震えて再びしりもちをついた。
ええ、なにこれ。なによ――――これ。
真っ赤な鮮血が菜種の腹部からこぼれ落ちていた。それは紛れもなく自分の体内からあふれ出す血液だった。
――――こんなに出血したら、死んじゃう!
小屋にはまだ慶子と千紗都がいるはずだ。
彼女たちも逃げないと! けど、動けない。身体が!
そう――――動けない。
菜種はようやく自分自身も満足に歩けないほど重症になっていることに気がついた。
傷は撃たれた右腕、それから腹部に三つの穴が開いてそこから血が噴き出ている。一発が貫通しマリカに当たったに違いない。彼女は撃たれたとき中腰になっていたはずだ。
なんてことだろう。
全身に痛みとは違う別の寒気がして震えた。
悲しいけど死んでしまう。そう、好きだったあの人のように。――――ああ、あたし。死んじゃうのね――――。
幻想が菜種を包みこもうとした時、現実の切迫した声が聞こえた。
「――――さん! 安斉さんっ!!」
高浜千紗都の声。
今はもうかすかな音でしかない。ボリュームをきつく絞られたテレビのように。
「……あたしは……もう無理……」
だから……早く逃げて……。――――ああ、声が出ない。
「そ、そんな!」
悲痛な叫びで菜種を見ている。千紗都は怯えた瞳で後ろを見やった。
小屋の方からマリカの苦しそうな呻き声が菜種にも聞こえた。何か言っているようだが、菜種には聞き取れない。
行って! 口だけそう動かした。喉はぜいぜいと空気が漏れる音しかしない。
二人に後押しされるように千紗都はそこから離ようとする。が、躊躇してなかなか逃げようとしない。
菜種はわずかにいらだちを覚えながらも、中にまだ慶子もいることを思い出した。
そうだ、彼女は。
「大貫さんがっ。動けないって。――――立てないって。――――力がはいらないって!」
おろおろとしながら菜種を見る千紗都。
しかしこんな傷だらけのあたしにどうしろと言うのだろう。それとも後ろのマリカに言っているのだろうか。それにしても彼女も動けずにいるのじゃないだろうか。そんなことをしている間にあいつが――――。
「何してるんだよ!! お前らっ!」
「誰!?」
千紗都がびくっとして振り返った。
声の主は――――ああ、新浦!!
新浦の顔は真っ赤に紅潮し、まるで赤鬼のような風貌だ。
菜種はその姿を確認しながらも、逃げることもできず、座り込んでいた。もう足に力が入らない。
力なくうなだれると目の前に影が動いた。
白い仮面が手にした銃を持ち上げた。どうやらポケットか何かからマガジンを取り出して付け替えたようだ。狙いはまっすぐに赤鬼に向いていた。
ちかちかっと閃光が走ると新浦がいる横の小屋の壁が跳ねた。木屑がばっと飛び散る。
「うわわっ」
ずしん、という派手な音と共に新浦の姿が小屋の影に消えた。
目標を失った狙い先が小さな少女に移り、止まった。
千紗都は金縛りにあったかのように一歩も動かない。
逃げてっ! 逃げないと!!
見てるほうがもどかしいぐらい千紗都は棒立ちだった。いくら的が小さいとはいえ、このままでは確実に捕らえられる。
銃と千紗都の直線上の間にいるかたちになった菜種はほんの一瞬、我を忘れた。
菜種は……よく、わからなかった。
よくはわからなかったが……自分のことはどうでもよくなった。
難しいことは考えたくない。どうせ自分は死ぬのだ。死んで好きな人と同じところに行けるのだ。
今までお気楽な人生だったな、と短く思い返してみる。小さい頃の思い出? ――――なにこれ、走馬灯ってやつなの?
ああ――――あたし、どうしたのかしら。
菜種はゆったりと立ち上がった。傷だらけの体に痛みは伴わなかった。
あれほどの怪我をしながら。さっきは痛みで立ち上がることができなかったのに。
今はもう、痛みすら感じない!?
歩いた。一歩、殺人鬼の方へ。
殺人鬼はまっすぐ銃口を菜種に向けた。菜種はねじのあまり巻かれていない人形のようなゆっくりとした動作を目の前で見た。
幾度かの発射音が繰り返され、そのいくつかが菜種に着弾し、菜種の足が進行方向とは逆の向きに大きく跳ねた。そしてその勢いのまま地面に倒れこんだ。その、動きの中で千紗都の姿を一瞬捉えた。
ぼうぜんと立ち尽くす千紗都。身体の小さな千紗都には、幸運なことに一発も当たらなかったようだ。
だが、その小さな銃声は止まらない。
菜種の肉体に、何度も、繰り返し、弾丸を浴びた。
菜種にはその時仮面の向こうにある素顔が見えたような気がした。彼は恐ろしく冷たい目をしていた。菜種の知る限りそんな鋭い目をした視線をおくるような人が同じクラスメイトにいた記憶はない。
闇の中のように深い銃口の奥が見えた。そして――――。
閃光のような筋が目の前を走り、それが横一線に熱い筋となった。
喉が燃えているようだ。熱い。
目の前に赤い血しぶきが舞い、喉元はあいかわらず熱かった。
口が自分の意思と関係なく、ぱかっと開いてひゅう、ひゅうと空気が漏れたような音が鳴った。胸元に大量の液体がこぼれてくるのが感じられる。
赤い液体がびちゃびちゃと音をたてて深紅の水溜りを作る。
――――あ、ああ。
悲鳴を絞り出そうとしても音にもならない。
次なる一閃で菜種の喉笛を、より、深く、命の元を断ち切る決定打を与えた。
急に暖かい空気に全身が包まれ、ふわりと宙に舞った。
菜種の身体はすでに地面に突っ伏していた。喉元に開けられた不自然な口から次々に血が溢れ、土に吸われている。
横ざまに倒れた菜種の身体が何度かの細かい痙攣を繰り返した。やがてその動きは緩慢になり、最後にびくん、と跳ねた。
その一瞬、菜種の意識が、消えかかった灯火が、最後の断末魔のように瞬間、燃え上がる。――――その一瞬、想った。
これで好きな人と逢える。
今度は絶対告白しよう――――。
そしてぷつり、と電源を落としたテレビのように意識が途絶え、菜種は絶命した。
【川田章吾優勝まで あと10人】
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