| 父に家を出ていけと言われ… |
| 宮西 |
小林さんは全国各地を講演活動して回っていらっしゃいますね。 |
| 小林 |
ええ。こうしてスケジュールを見ると、もう来年の末までほとんど毎日、予定が入っていて、休みの日は2日ほどしかありません。とはいえ、この貴重な2日間も、もうすぐに埋まってしまうでしょうね(笑)。
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| 宮西 |
それは、すごい!講演活動をされるようになったきっかけを教えてください。 |
| 小林 |
私はもともと旅行作家だったのです。 |
| 宮西 |
えっ!旅行作家でいらっしゃったのですか? |
| 小林 |
大学では法学部で司法試験の勉強をしていたんです。でも父が長男の私に家を継げというんですね。それで拒否したら、家を出ていけといわれて、21歳の時に家を出て行かざるを得なくなりました。 |
| 宮西 |
自活しなくてはならなくなったというわけですね。 |
| 小林 |
そこで、何をして食べていこうかと思ったときに、9時から5時までのアルバイトは勉強があるからできません。だから旅の原稿を書いたのです。いろいろな雑誌や新聞に100編くらい送ったのですが、全部採用されました。 |
| 宮西 |
すごい文才ですね! |
| 小林 |
当時は、普通のサラリーマンの倍以上の収入を得ることができました。ですから生活は左団扇だったわけです。以後、33年間旅行作家をしてきました。 |
| 宮西 |
旅行作家がどうして、今の正観さんのような活動をされるようになったのですか? |
| 小林 |
旅をするといろいろな人々に出会うでしょう?
人はそれぞれの悩みを抱えています。実は私は15歳の時から人相学、手相学の勉強をしていましたので、人の悩みをアドバイスすることもできたのです。宿に行くと30人、40人の人が集まり、そのような人にワンポイントアドバイスをしてきました。30年間に6万人くらいの人をみたと思いますが、かなり当たるらしい。「それ違う」といわれたのは皆無で、今のところ100%です。 |
| 宮西 |
すごい的中率ですね。 |
| 小林 |
リピーターは増えるし、評判を聞きつけて、夜汽車で朝着いて「会ってくれ」「相談に乗ってくれ」などという人もでてきました。 |
| 宮西 |
それは大変でしたね。 |
| 小林 |
相談の内容も答えもほとんど同じなので、400字×250枚くらいにまとめた小冊子を作って配ったのです。友人、知人でほしい人がいたらコピーして渡していいですよということにしたのです。そうしたらこれがコピーされて、1年間に数万部配られ、さらに相談が倍になりました(笑)。 |
| 宮西 |
相談を少なくしようとしたら、かえって倍になってしまった(笑)。 |
| 小林 |
しかも無料でコピーしていいといっているのに、コピーを求める人が現金書留で現金を送ってくるために、コピーをしてお送りするという状況が続きました。一時は毎日、本業の取材活動をしていた時以外は、コピーとりをしていたこともあるくらいです。 |
| 宮西 |
ますます大変なことになりましたね(笑)。 |
| 小林 |
そのようなときにハイテク会社の社長さんに会いました。そんなに大変なら本にしてあげましょうと、本にしてくれたのが『22世紀への伝言』なのです。それから年に1冊くらいは新しい本を書いています。 |
| 感謝する心 |
| 小林 |
私が20歳から40歳まで言い続けてきたことが、「不幸や悲劇は存在しない」ということでした。そして40歳以後、もうひとつのこと、「人生には幸福や幸運はないみたいだ」ということもいい始めたのです。 |
| 宮西 |
不幸も幸福もない……。 |
| 小林 |
ただ、そう思う心があるだけだということです。つまり宇宙には不幸や悲劇は存在せず、幸福や幸せも存在しない。そう思う心があるだけだということです。 |
| 宮西 |
自分が解釈する心、ですね。 |
| 小林 |
これはお釈迦様のおっしゃっていた「色即是空」の世界にも通じるのかもしれません。目の前の現象は空ではあるが、無ではない。現象はニュートラルなもので、そこに自分が喜びや悲しみの色を付けた眼鏡でみているだけということがわかってきたのです。
思えば大学2年の時、父に家を出ていけと言われたことがきっかけで、自分で学費を稼いで大学を卒業しましたが、当時は父を許すことができない時期もありました。ひどい親だと思っていたこともありました。5年でゼロになり、10年で手を合わせられるようになりました。 |
| 宮西 |
感謝になった? |
| 小林 |
そうです。上司に怒られたこともなければ、同僚に気を使ったりすることなく、自分の好きな仕事ができるということは、すべて父親が追い出してくれたからだと思い、手を合わせて拝めるほどに感謝するようになりました。 |
| 宮西 |
今の正観さんがいらっしゃるのも、そのときのお父様のおかげなんですね。 |
| 小林 |
その後、30歳で結婚しました。でも3年経過しても子どもができなかったのです。33歳の時、やっと子どもに恵まれました。うれしくて「慶」という文字を用意して慶子という名前にしました。その子は知的障害児でした。そう聞かされたときはショックで頭の中が真っ白になりました。
でも結果として私は彼女に感謝をするようになり、そして本当に多くのことを学ぶことができました。まるで彼女が私に教えてくれるために、私たち夫婦を選んで、やって来てくれたようなのです。
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| 宮西 |
慶子ちゃんは、正観さんを父親として選んできてくれたということですね。 |
| 小林 |
彼女を通して「争わないこと」の大切さを教えてもらいました。彼女の1歳下には次女がいますが、妹は健常児です。
慶子は筋力も普通の子どもの3分の1くらいしかありません。ですから、彼女がおもちゃで遊んでいると、妹がそれを容易にとることができる。でも慶子は決して怒ったり、奪い返そうとはしません。何も気にせずに次のおもちゃをもって遊んでいる。それを見た妹は、またそのおもちゃがほしくなり、取ってしまう。慶子は、また怒りもせずに、また次のおもちゃをもって遊びます。これを3回繰り返し、4回目になったときのことです。妹はもう、おもちゃをとりあげませんでした。近寄っていって慶子と一緒に遊び始めたのです。 |
| 宮西 |
まあ。すごい、感動的な場面ですね。 |
| 小林 |
私は、二人が仲良く遊んでいる姿を見たときに、いっさい争わないことのすごさを知りました。争わないで、闘わないで問題解決してしまう、そのすごさを実感しました。争うことや闘うことは意味をもたないのではないかと思ったのです。争わずに受け入れ、分かち合うことの大切さを慶子に教えてもらいました。 |