宮島周遊クルーズ 海から詣でる厳島七浦巡り 04/6/1(火)
11時 宮島口桟橋出航 「ななうら丸」
12時 御島巡りにちなんだ弁当 御神酒
12時40分 網の浦桟橋下船 舞楽の鑑賞・めでたい結婚式 平清盛が竜宮城で乙姫様見つけた。
この地で現世の極楽を夢見た平清盛さんご満悦だろう

七浦巡り
宮島では「七浦めぐり(御島『おしま』めぐり)」といい、厳島神社前の「御笠の浜」から出航し、
弥山(みせん)を常に右に見るように宮島の周囲をめぐり、
七浦に祀られてある神社に祈願することが古くから行われていました。
「棚守房顕(たなもり・ふさあき)※覚書」によると、
織田信長が本能寺の変で倒れた前年1581年には何度も島めぐりが行われたとのことで、
少なくともそれ以前からあったようです。
佐世保 小学校6年女子、同級生の少女にナイフで切られ死亡。
6月12日(土) 腰細浦(こしぼそら)で岩礁に接触し浸水。6人ケガ。
![]() |
宮島航路開業100周年のバッジを胸に
帰りの乗船券もあります |
| 司会Hさん 七浦巡りは初めての方 手を・・・。
専門員O氏から 歴史など説明聞きながらクルーズ。 |
![]() |
![]() |
05/10/6 弥山の標高 見直し530m→535m 頂上にある5mの岩を山の一部と認定。 弥山(みせん)を右に見ながら 船内は右が人気の席となります 宮島の海岸には、波の力で陸が削られて 海岸が後退している所がたくさんあります。 |
| 七浦神社(参拝順)
@杉ノ浦神社 A鷹ノ巣浦(たかのすうら)神社 B腰細浦(こしぼそら)神社 C青海苔浦(あおのりうら)神社 D山白浜神社 E須屋浦(すやうら)神社 F御床浦(みとこうら)神社 赤い鳥居は小さいです |
![]() |
![]() |
鷹ノ巣浦の砲台跡
明治30年ごろ 宇品港を守るため、厳島海峡の両端につくられた砲台跡。 遠くから見れば座布団の形に見えました 06/1/10(火) |
| 何番目?鳥居見えます | ![]() |
![]() |
船長室 見学出来ました |
| 養父崎神社の沖合では「御鳥喰式」
「御島(おしま)巡り」と「御鳥喰式(あとぐいしき)」 昔、「市杵島姫命」(いちきしまひめのみこと)「田心姫命」(たどりひめのみこと)「湍津姫命(たきつひめみこと)の三柱の 姫神様が新しい御鎮地を求めて瀬戸内海を御巡幸された 際、佐伯鞍職(さえきのくらもと)という翁が船で宮島をご案内しました。 「御島巡り」と「御鳥喰式」は、この神事化されたものです。
「御島巡り」では宮島を右回りに一周しつつ、浦々の神社に順に参拝していきます。 このうち養父崎神社の沖合では「御鳥喰式」といって神主が 祝詞を奏上し、むしろで包んだ菰(こも)の上に団子盛りつけ海に浮かべます。 しばらくすると雌雄二羽の神鳥が、団子を森に運んでいきます。 菰は裏返しにされ「御鳥喰式」は終了します。 このあと船は網之浦に着き、参拝者は大元神社に参拝します。 最後に厳島神社で御神酒いただいて、「御島巡り」は終了します。
|
カラスは神のカラス大切にしている
|
![]() |
弁当です
御島巡りにちなんだ |
| 七浦神社のほかにも次のような神社があります。
A抱ヶ浦神社 B養父崎(やぶさき)神社 C大元神社
|
![]() |
| 試飲しました
|
厳島神社酒造所蔵元のお酒:小泉本店
先祖は、広島県三原市の小泉町に源をおき、 のちに毛利氏の広島進出とともに現在の草津に処をうつしました。 そのご、天保年間にはすでに酒造りを行っており、 150年以上の歴史を持つことになります。 おもに「延寿菊」という銘柄をつかっていましたが、 「御幸(みゆき)」と命名し現在にいたります。 また、古くから、日本三景のひとつ 安芸の宮島の厳島神社造酒所として、 御神酒を造っております |
![]() |
大野瀬戸に入ります
牡蠣いかだ |
| 対岸 宮浜温泉です | ![]() |
![]() |
狭い
大野瀬戸 |
| 網の浦桟橋下船
大元神社に参拝 |
![]() |
![]() |
「御島廻」絵馬
古い物から新しい物あります |
| 国宝の高舞台
TVでしか見ていなっかた 優雅な舞楽を最後まで鑑賞 |
![]() |
平家ゆかりの地
05年のNHK大河ドラマは「義経」。源氏と平氏の攻防の中で、義経がどう生きたのか。
広島県内には平家ゆかりの地たくさんあり、往時を垣間見ることできます。
| 厳島神社 (佐伯郡宮島町) |
平清盛の時代には、平家一族の拝するところとなり、仁安3年(1168)ごろには社殿が造営された。平家一門の権勢が増大するにともない、社を崇拝する度合も高まり、多くの貴族を始とする人々の知るところとなり、社運はますます盛大になった。京都からは、皇族、貴族が訪れ、当時の平安文化が積極的に取り入れられた。舞楽が始まったのもこの時代。平家文化の華麗さを現代に伝えている。 |
| 警固屋 (呉市警固屋) |
音頭の瀬戸開削の時、警護の武士がいたことから警固屋の地名が残っている。また、警固屋は食料を集めた食小屋(こげや)であるともいわれる。 |
| 音戸の瀬戸 (安芸郡音戸町) |
平清盛の音戸の瀬戸開削の伝説が残る。岩礁の上に、清盛をまつる清盛塚があり、毎年旧暦の3月3日には、清盛祭が行われる。音戸の瀬戸をまたぐ音戸大橋は、らせん型高架橋とループ式道路を組み合せた珍しいもの。音戸公園には、平清盛日招(ひまねき)像もある。日招像は、旧海軍の砲台を台座としている。 |
| 御手洗 (豊田郡豊町) |
平清盛がこの地に流れつき、手を洗ったことが御手洗の地名の由来ともいわれる。 |
| 平家伝説地 (沼隈郡沼隈町) |
<能登原>この地で源平合戦があったと伝えられる。能登原の地名も平家の武将の華・能登守教経に由来する。 <横倉>能登倉の戦いに敗れた平家は、壇ノ浦へ向ったが、一部は横倉の谷あいに安住の地を見いだしたと伝えられる。 |
| 鞆の浦 (福山市鞆) |
重盛、知盛、教経に斐忠次郎が操船術を伝授し、平家水軍を育てた。 |
| 敷名泊 (沼隈郡沼隈町) |
平安時代、平氏をはじめとする都の貴族たちの厳島詣が流行したころ、沼隈の入江敷名泊で船を降り休息した。当時は、商業ルートの港としてもにぎわった。 |
| 庄原の敦盛さん (庄原市) |
庄原地方には古くから平敦盛を歌った「敦盛さん」が歌われている。人々が集まるとその余興に歌われ、正月になると家々をまわって歌う「門付」歌も「敦盛さん」。敦盛自身か、それともゆかりの者がこの地に縁があったのか? |
| 平家ガニ | 瀬戸内海には平家の武者の顔をしたカニがいる。伝説によると、平家の亡霊のしわざとか・・? |
![]() |
結婚式終わったカップルと一緒に鑑賞。
新婦は十二単 平清盛公に巡りあえたようです。
清盛公 竜宮城を夢見て作った寝殿造りで 乙姫様を見つけたようです。
|
| 集合写真撮りました
花嫁の父は眉間に シワ 不機嫌そうでした。 そして 二人の写真を 心は楽しい 得をした一日でした。
|
![]() |
![]() |
宮島八景の一つ
最後に御神酒いただいて終わりです ご機嫌で帰りました
|
|
厳島 山並み姿 何かに見えませんか? 観音様が寝ている姿です。 杓子(しゃくし)を土産にする理由は 弁財天(べんざいてん)とは七福神の中の琵琶を抱えている美しい女神、弁天さんのことです。元々はサラスビァーティーというインドの河の女神なのです。古い彫刻や絵画には、顔が三つ、腕が6本で武器を持って恐ろしい形相をした姿で表されます。河の女神は水を支配する神ですから、必ず水辺にまつられています。
|
![]() |
04/9/7(火)14時20分
台風18号は広島市で最大瞬間風速60.2メートルを記録した。(観測史上最高)
国宝の舞台「左楽房(さがくぼう)」が倒壊し、平舞台の一部も流出した。
国宝の八棟、重要文化財三棟に大きな被害があった。復旧の見通しはたっておらず、当面参拝を中止。
04/10/9 6時30分〜 一般参拝を再開。
32日振り、床板が割れた平舞台は修復に時間がかかる。
05/6/10(金) 真新しいヒノキ部材でよみがえる。平舞台修復完了。6/12(日)から通行再開。
05/10/3(月) 国宝 左楽房の再建完了
05/3/15(火)
修復中の厳島を見ました。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
関連サイト
宮島八景と弥山登山(大元コース)
大聖院(だいしょういん)コースから弥山登山
海から詣でる厳島七浦巡り