福山駅前広場整備工事(地下送迎場)に係る
第2次発掘調査 現地見学会
               08/4/19(土)  広島県福山市三之丸町

福山城は幕府が西日本統治の要として元和偃武(軍縮期)に建設したわが国最後の
本格的な城郭ならびに城下町で、国内五指に入る格式高い名城である。

福山城の外堀にあった二重櫓や御水門(おみずもん)などの遺構の全体像を確認した
福山城の成り立ちを知る上で役立つ貴重な資料。
この場所はまさに城郭から入川を通り瀬戸内海に通じる潮の道の門戸であり、海に開かれた
福山城郭の特質を示す、大手門に通じ城郭正面の主要な部分を構成する遺構でもある。

国史跡指定への要望 求めている

13時半から現地説明会。説明者のスピーカー聞き取りにくい 野次も飛ぶ。
市民や歴史ファンら約1100人が詰めかけ 説明に熱心に耳を傾けた。

見学者の声
「想像していたよりも立派な状態で残っていて、感動しました。この遺構は福山が誇れるもの。
遺構が残ればもっと福山のこと学びたくなる。子供に伝えていきたい」

「壊さないでほしい。もったいないなあ」

18日 長野市の北京五輪聖火リレーの出発式会場が善光寺境内から変更
           「チベット弾圧への憂慮」を理由に

福山駅前広場整備工事(地下送迎場)に係る 
第3‐2次発掘調査 現地見学会
09/10/4(日)

福山駅前広場整備工事(地下送迎場)に係る第3次発掘調査 現地説明会
2009年(平成21年)5月10日(日)

福山城外堀(福山駅前)発掘調査 現地説明会 07年5月12日(土)  約600人の見学者。

発掘調査地

城郭絵図より

江戸時代に描かれた城の絵図の配置通りに遺構が現れた

スピーカー 聞きづらい 見学者が約1100人来ました 
「マイクを口に近づけて」「聞き取りにくい」 野次も飛ぶ

13時30分〜現地説明会

30分前 作業詰め所の階段から 舟入状遺構:御水門へ向かう舟の通り道だった

明治・大正・昭和 年代別の駅周辺遺構わかる

北面・東面の石垣 明治以降に組んだ

民家と見られる4棟分の遺構 舟入状遺構

明治期に建てられた民家と見られる4棟分の遺構
1891(明治24)年の山陽鉄道・福山駅開業の際の造成工事で、
江戸期の石垣を埋めて新たに積まれたとみられる
石垣も見つかった

09/4/17(金)福山市はJR福山駅前広場整備の
福山城舟入状遺構の埋め戻し作業した。

駅前に御水門 御水門(おみずもん)遺構
舟が物資を荷揚げする施設 御水門(おみずもん)の遺構
出入り口の幅4m余り、奥行約6mの大きさで、
周囲を高さ約3mの石垣に囲まれていた。
瀬戸内海から水路を通ってきた舟が物資を荷揚げする施設で、
門の南隣の二重櫓から接岸した舟を監視していたとされる。
門の前には荷揚げに使う石段があったとされ、今回新たな石段は
出土しなかった。

明治以降に石垣でふさがれた御水門の開口部など調べ、
5月中に調査を終える予定。

御水門の左側 御水門(おみずもん)の石垣

本丸・二之丸同様、角に精緻な算木積みの石垣がみられ、
船着場である階段状の雁木の一部が検出された。

御水門 右側 御水門(おみずもん)の石垣

門の柱穴も一部検出

御水門 階段 御水門(おみずもん)階段
08年5月14日(水)社会保険事務所の帰り ふさがれた御水門の開口部を調査中です

08年5月14日(水) 発掘調査中

明治以降に石垣を取り除く

08年5月14日(水) 08年5月14日(水) 発掘調査中

御水門の開口部

明治以降に石垣 取り除いて 08年5月14日(水) 発掘調査中

御水門の開口部

 

作業詰め所 階段から 二重櫓の遺構
石垣部分で東西約15m、南北約16m、高さ約3mの大きさだった
その上にあったとされる2階建ての木造の櫓は、明治以降の開発
ですでに失われており藩主だった水野家や阿部家の家紋が入った
瓦が周りから見つかった。
       


二重櫓南側 二重櫓南側石垣
二重櫓東側石垣 二重櫓東側石垣

廻りには紡績工場の石炭灰 堆積したと説明。

二重櫓 捨石 二重櫓捨石
砂地に築かれた石垣が水の浸食で崩壊しないよう工夫された
石垣基底部の多量の捨石は、不安定なデルタでの築城技術を
如実に示している。

年代別に見た福山城駅周辺の地図

明治30年頃

大正5年頃

大正5年頃

昭和5年頃

昭和5年頃

遺構発掘の展示品・・・・ 家紋が入った瓦・陶磁器・銅貨・銀貨・ガラス類

瓦類  家紋が入った瓦

福山藩主阿部氏

家紋は違い鷹の羽紋

瓦類  家紋が入った瓦

福山藩主水野氏の家紋(おもだか紋)入りの瓦

瓦類
陶磁器類
寛永通宝
ガラス類

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