「横浜事件再審控訴審判決に対する法学者有志の緊急声明」の発表について
2007年1月19日

 私たち法学者有志は、戦時下最大の言論弾圧事件である横浜事件の再審請求の経緯に関心を抱き、先に「横浜事件の再審開始を求める研究者声明」(2002年12月18日)を公表した。その後、再審開始がなされたものの、本日の控訴審判決を含め、その再審公判の審理経過と判決には、多大の疑義を感ぜざるを得ない。

 そこで、控訴審判決のあった今日、別紙の通り緊急声明を発表し、その問題性を明らかにするものである。なお、判決の理論的問題については、別途、何等かの意見を公にする計画である。

声明発表者(50音順)

赤池一将(龍谷大学法学部教授)
足立昌勝(関東学院大学法学部教授)
生田勝義(立命館大学法科大学院教授)
石塚伸一(龍谷大学法科大学院教授)
伊藤 睦(三重大学人文学部助教授)
稲 正樹(国際基督教大学教養学部教授)
指宿 信(立命館大学大学院法務研究科教授)
上田信太郎(岡山大学大学院法務研究科教授)
植村勝慶(國學院大学法学部教授)
内田博文(九州大学大学院法学研究院教授)
浦田賢治(早稲田大学名誉教授)
大出良知(九州大学大学院法学研究院教授)
小沢隆一(東京慈恵会医科大学教授)
小田中聰樹(東北大学名誉教授)代表者
君島東彦(立命館大学国際関係学部教授)
葛野尋之(立命館大学法学部教授)
小松 浩(神戸学院大学法学部教授)
近藤充代(日本福祉大学経済学部教授)
斉藤豊治(大阪経済大学経営学部教授)
佐藤元治(専修大学法学部非常勤講師)
佐々木光明(神戸学院大学法学部教授)
清水雅彦(明治大学法学部非常勤講師)
白取祐司(北海道大学大学院法学研究科教授)
新屋達之(大宮法科大学院大学教授)事務局
鈴木法日児(宮城教育大学教育学部教授)
隅野隆徳(専修大学名誉教授)
高橋利安(広島修道大学法学部教授)
武内謙治(九州大学大学院法学研究院助教授)
田中輝和(東北学院大学法学部教授)
恒光 徹(大阪市立大学法学部教授)
冨田 真(東北大学高等教育開発推進センター助教授)
豊崎七絵(九州大学大学院法学研究院助教授)
内藤光博(専修大学法学部教授)
中山研一(京都大学名誉教授)
新倉 修(青山学院大学法科大学院教授)
庭山英雄(元専修大学教授・弁護士)
根森 健(新潟大学大学院実務法学研究科教授)
福島 至(龍谷大学法科大学院教授)
渕野貴生(静岡大学大学院法務研究科助教授)
前野育三(関西学院大学名誉教授)
松宮孝明(立命館大学大学院法務研究科教授)
三島 聡(大阪市立大学法学部助教授)
水谷規男(大阪大学大学院高等司法研究科教授)
宮本弘典(関東学院大学法学部教授)
村井敏邦(龍谷大学法科大学院教授)
山口和秀(岡山大学大学院社会文化科学研究科教授)
山崎俊恵(大阪経済法科大学法学部専任講師)
吉田正志(東北大学大学院法学研究科教授)

計 48名(当日14名、後日34名)
(2007年1月31日現在)

横浜事件再審控訴審判決に対する法学者有志の緊急声明

1.本日(2007年1月19日)、東京高裁刑事第8部は、横浜事件再審控訴審判決に対し、控訴の利益の欠如を理由に、一審の免訴判決を支持する控訴棄却判決を言い渡した。

 私たち法学者有志は、先に「横浜事件の再審開始を求める研究者声明」(2002年12月18日)において、共産主義運動という事件自体の不存在、拷問・強制による事件の捏造、治安維持法自体の悪法性に加えポツダム宣言受諾後に同法を適用することの不当性、そして「裁判所自らが戦後民主化の理念とその具体化である日本国憲法の理念に思いをいたし、過去の誤りを正し、それを克服することこそ、新世紀の裁判所に最もふさわしく、かつ最も強く求められている」ことを指摘した。

 ここで指摘した点は、再審公判でも、当然、実現されるべきものであった。しかし、再審一・二審公判は、この期待を裏切る極めて不誠実、かつ理論面・再審理念いずれの面にも重大な問題を含む判断であった。詳細な批判は後日に委ね、本日は緊急声明により、再審公判の問題と横浜事件の今日的課題を訴えるものである。

2.横浜地裁再審開始決定は、ポツダム宣言受諾による治安維持法の実質的失効の事実を指摘し、「刑ノ廃止」を理由とする免訴事由の存在(旧刑訴485条6号、363条2号)という訴訟法的根拠に基づくものであった。その判断の根底には、帝国憲法下でも「憲法の精神に戻る〔ママ〕ことの最も甚しいもの」で「現代立憲政治の下において、世にも稀な悪法」(美濃部達吉)と批判された治安維持法を、その形式的な廃止の有無にかかわらず、思想・良心・表現・学問の自由の回復・保障という現体制の胎動時点以後にあえて適用することの問題性についての認識があった。この点で、単なる法技術的な免訴論ではなかったのである。

 他方、東京高裁即時抗告審決定は、自白以外には犯罪事実を推認させる証拠がなく、かつその自白も強制・拷問の結果であることを認め、無罪を言い渡すべき新事実の発見があったことを根拠に、再審開始決定を支持した。これは、事件の実体そのものへの疑念の表明であり、治安維持法事件における残虐な法執行の実態を司法が再確認したという点でも重要な意味を持っていた。

 これらの点で、再審請求審の各決定は、再審請求の趣旨及び私たちの期待への一定の誠実な回答であった。

3.本判決及び原判決は、有罪判決確定後に治安維持法の廃止手続と当該事件に対する大赦の措置があったことを専らの根拠として再審公判を免訴で打ち切った。これは、治安維持法体制の崩壊過程や思想事件の残虐な法執行の問題性に踏み込まず、誤判の是正・救済という再審の基本理念をも放棄することであった。

 しかも控訴審は、控訴の利益という形式的技術的問題に争点を限定し、物故当事者の発言を記録したビデオ再生や証人尋問なども行わず、事件の実体に触れることなく結審するなど、請求人側の主張を聴こうとする姿勢を全く示さなかった。このような措置は、本件に適用される旧刑訴法が、適正手続を重視する日本国憲法の精神に則って解釈されるべきこと(日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律2条)と到底相容れない。しかも、治安維持法の悪法性とその残虐な法執行の実態を省みない点で、正義を実現すべき司法が過去の悪政に無批判的に追従し、そこから何事も学ばなかったという汚点さえ残すものといわざるを得ない。

4.日本国憲法が思想・良心・表現・学問の自由の保障を強く謳い、かつ刑事人権保障に多くの規定を置いたのは、横浜事件をはじめとする治安維持法体制とその下での思想・良心・表現・学問への弾圧がいかに市民・社会・国家にとって有害であったかという反省の上に立つものであった。

 今日、教育基本法改定、共謀罪新設に向けた動き、ポスティング行為の相次ぐ刑事事件化など、思想・良心・表現・学問の自由に対する国家統制に繋がりかねない出来事が相次いでいる。この点で、横浜事件は決して過去の一事象にとどまるものでない。すぐれて現代的な意味を持った事件であり、それ故に過去に司法が犯した過ちを率直に匡すことが求められているのである。

 過去に目を閉ざす者は、未来を見ることもできない。また、人を裁くことは歴史に裁かれることである。このことを再確認し、司法が言論弾圧に手を貸したとのそしりを再び受けないためにも、最高裁判所は、横浜事件再審に正面から誠実に向き合い、過去の誤りを匡すことが求められているのである。

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