「イデオン発動篇」(1982年/日本)
総監督・原作:富野喜幸
監督:滝沢敏文
■日本SFアニメ史上最もスケールの大きな話。打ち切りで終わったTVシリーズのその後を描いた作品。イデという謎の力の前で、地球人と異星人が憎しみとエゴをむき出しにして戦う様子を描いている。(※20年以上前に作品なのでネタバレバレです。まあ、いいでしょう)
■作品の力の前に脱力した。異常なまでのテンションでラストまで突っ走る作品なので、観終わると力が抜ける。宇宙を舞台に、地球人とバッフ=クラン(注:地球人とバッフ=クランは「ほぼ」同じ人類という設定。従って会話も出来るし、交尾も可能という設定)という二つの文明が接触し、戦い始め、双方が憎しみを募らせて、戦争が最終局面を迎えたところからこの作品はスタートする。TVシリーズ同様に「イデ」という謎の大きな力、存在を巡って話は展開し、「イデ」の力の発現によって登場人物たちは翻弄される。その翻弄のされ方がTVシリーズや「接触篇」以上に悲劇的であり、無常なものであるのがこの作品の特徴だ。
■「ヒーロー否定」をここまで明確に掲げている作品もそうないだろう。この「発動篇」は知的生命体が滅亡していく様子を描いた作品である。それはイデの意思によって為されるのだが、双方がイデの目的を知りつつも、憎しみの連鎖で殺し会い滅びる姿が作品全編にわたって描かれる。殺戮の映画なので死の描写は半端ではない。ヒーローが搭乗する巨大メカ「イデオン」はバッフ=クランの兵士たちを虫けらのように殺していく。圧倒的な力はもはや虐殺といっていい。その一方で、ヒーロー、ヒロイン、ペット、無名の兵士、将軍、最高権力者、ほとんどのキャラクターに対して死が同等に襲いかかる。腕がもげ、頭が飛び、体が真っ二つになり、焼かれていく。末期の台詞もなくだ。ヒーローとはいえ生き残るため復讐のために人を殺すし、殺した人間と同様にあっけなく殺される。「実際の殺戮においてはヒーローなどいない」そんなメッセージがロボットアニメで表現されていることに驚かされる。
■もう一点。神のごとき「イデ」が、神などではなく人間(地球人とバッフ=クラン)と変わらぬような下劣な存在として描かれているのも衝撃的である。「イデとは何か。」というのがTVシリーズを通じての大きなテーマであるが、その「イデ」の描き方がエグイ。この作品まで(TVシリーズおよび「接触篇」)の「イデ」は、知的生命体の思惟の集合体であり、無限力と呼ばれている存在であり、多くの解明されない謎を残していていたこともあって、「神」のごとき存在として描かれていた。ところがこの作品で「イデ」は別の面を見せる。「発動篇」では知的生命体の思惟の集合体として神のように昇華された存在ではなく、人間のもつエゴの集合体として、強大な力を持つものの人間と同様のエゴ丸出しの存在として描かれているのだ。「イデ」は悪しき意思をもつ知的生命体(地球人とバッフ=クラン)を滅ぼそうとするが、イデ自身が知的生命体の思惟の集合体であるため、母体となる知的生命体の存在は不可欠である。そこで「イデ」は知的生命体の新たな命(赤ちゃん)だけを自ら守り、人類を滅ばした上で新しい知的生命体が生まれるのを待つことを選択する。これは「イデ」のエゴの発露だろう。劇中の登場人物たちも「イデ」の意思に気付くものの、目先の憎しみと復讐心に駆られて、殺し合い、そして滅亡する。それだけに「イデ」の意思を知った登場人物たち、「イデ」を自分たちの守り神だと信じようとして「イデ」に裏切られていく登場人物の台詞・・「イデだって生き残りたいからな!」(デク)「じゃあ、私たちはなぜ生きてきたの?」(カーシャ)「俺はこんな甲斐のない生き方なんて認めない。」(コスモ)・・がとても悲痛に聞こえてくるのだ。
■全編にわたってすばらしいのが、凄惨な描写が表現したいテーマと合致していることだ。作中の「死」の描写は強烈なものがあるが、それゆえに戦うこと憎しみあうことの無常観がクライマックスにむけて高まっていくのだ。又、知的生命体同士の殺し合いが進んでいくなかで、滅亡から回避するための希望がいくつか提示され、それらが無残にも一つ一つ消えていってしまう演出も非情で素晴らしい。たとえば、地球人の子を宿してしまうバッフ=クランの娘カララは、劇中で希望の象徴のように扱われ、「イデ」によって命の危機を何度も救われ、あたかも滅亡の危機から回避するキーパーソンのように描かれながら、唐突に「イデ」に守られることなく悲惨な最期を迎えてしまうように。そうした登場人物を冷徹に突き放してしまう様が潔いと思った。全編にわたってキャラクターを次第に突き放して、あっけなく「死」へと追いやっていく演出が続くのだから、堪らない。それが冒頭の私の「脱力」の理由だ。
■過酷な運命を呪うように「そうよ、みんな、星になってしまえー」とヒロイン・カーシャは涙を流しながら叫び、その言葉どおりに物語は地球人とバッフ=クランの戦いは滅亡に向かって突き進んでいく。主人公たちの結末は自らの目で是非観てもらいたい。私にはあの結末はかなり不自然なものに思えたが、観る人によって捉え方はかなり異なる結末なのではないかと思う。(一見ハッピーエンドにみえるが実はバッドエンドだと私は思うがいかがなものだろう。そもそもそんな単純な二元論で語れる結末ではないとは思うけど。意見待つ)傑作とはとても言える作品ではないが、ものすごい意欲作なのでアニメ・SF嫌いの人にも観てもらいたい作品である。以上。(03252004)
■補足。TVシリーズでまったく感情移入できないヒロインとして描かれていたカーシャが「発動篇」においてだけは、可憐なキャラクターになっているのは何でだろう?あまりにエゴむき出しのキャラクターばかりなので、設定を変更したのか?「発動篇」のあと「エヴァ」の映画版をみると類似点がいくつかあるので面白い。
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