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フレーム復帰 3月 黒歴史(R-15) 用語解説  

2006年7月23日

〜そして、代々木〜

なんつーかまぁ、まだ生きているのですが・・・

こんばんは、年単位でのご無沙汰です。YsDです。
いやはやまぁ、書き方すら忘れている状況ではありますが。それでもまだ、ロートルになりつつも細々とヲタやっております。
この日記全盛期の頃と比べて、色々やっております。時間、無いです。
仕事、してます。今主任です。しかも所属地の筆頭主任。責任重大です。完全に容量オーバーです。過積載です。
ぱち・すろ、覚えました。リアルタイムで見てたエヴァヲタにとってエヴァパチは危険ですね。
CRあやや、関係者なので関係者用のDVD持ってます。何て言うか、実写リーチになったらマジ楽しいですよ。
しかし試打の様子ではなっかなか実写にいかない。冬ソナの比じゃなかったっスよ?
おいらのヒキ弱なだけかも知んないけど。
ネトゲも、始めました。ネットで知り合って、今じゃ誰よりも電話してんじゃないか?って感じの元りんねヲタさんに薦められて。
知ってる人がいるか否か?redstoneと言うMMORPGで、物理弓やってます。レベル207です。名前は見事にバレバレな青鯖ちゃんです。

・・・ってなワケで、やらなきゃなんない部分+自業自得(?)な部分で時間がゴリゴリ削れ、じぇんじぇん更新しない日々々々を過ごしてきたのですが、それでもそれなりに、ヲタヲタしくは生きてきたワケで・・・。
そもそも発表の時。あれはまぁ、何も無かったなぁ。ぽかんとして。無心で。「あーあ、やだな」と、ぽつり一言。
もはや「ハァ!?」だなんて声を荒げる事も出来ず。うん。慣れって怖い。プラスであれマイナスであれ、用はマヒしていく事なんだなって気付きつつ。
どこかしら、そう言う「衝撃」に対する抵抗力は絶対強くなってるとは思います。例えば、ねぇ?最高の出来事。お祭騒ぎ。トンでも無いドン引きで、トンでも無いお金使ってトンでも無く楽しんで、哀しくて、泣いて、感情ムキ出した真希ちゃん卒業の時。
「ひさびさにかこー」と思って、ついログ読んじゃって。あー、凄いなと。あの時と今とで、情熱の違いってのは自分じゃあなかなか分からないのですが。
例えば、そうさね。ハロ系ライヴでも入らない限りハロモニのお時間ってのはテレビの前でカジリツキ!だった人間が、シフトによりけりでそうはいかなくなっているのも一つの事実。
だけどそれは形而的な部分で、根っこがどうなってるかは分からないのだけれど、少なくともこんまこだいすっき!なおいらからしたら、あの時の喪失感とそうそう変わらない喪失感があるにも関わらず。。。

不思議な位、かき乱される何か、はない。銃撃を喰らった衝撃は無く、でも傷跡は深く穴を開けている。
今起こった事をありのまま話すぜ?撃たれた、と言う自覚は無いのに撃たれた傷跡はある。しかもご立派にそれが痛い。そう言う状況だったのですよ。
うん。撃たれ続けているからね。「衝撃を受ける」って事柄に対する耐性は完全に身についているのだけれど、傷のカタチが毎回違うモンだから痛みに対しては慣れやしない。
気付けば、少なくともこの場で一切語った事の無いこはるんですとか。時間は経ち、色々アリ。でも、こんまこに対する想いとかってのは割と不変で。
兎も角、好きなんですよ。で、見れなくなるらすぃ。寂しく無いワケないだろがよ?ってな感じで今日に至るのです。

全国津々浦々。吉宗がゴキンゴキンに外される毎日ですよ。ええ。千葉で28日。それがギリギリデッドラインだった様に記憶しております。ああ、そうか。予告されてて。いなくなるのが分かってて。それでも、触れ合う時間は楽しくて。
そして、「その時」はやってきて。うん。凄く似ているなぁ、って。ただし、ハローと吉宗との最大の違いは、接している時無条件に優しいハロプロと、基本的に厳しい吉宗。
将軍様に会うには生贄が必要。目には目を。偉人には偉人を。と言うワケで、医学会の重鎮、野口さんが何人も必要となったりするのです。まぁ、なんだ。その辺実はハローも変わらないワケだけれども。

ともあれ、そう言う甘く切ない時間は確かに過ぎ去り。ああ、気付けば日付変わって本日7月23日。紺野さんは卒業されてしまうのですね。
今更、良いや。学業とかってののすっげーうそくささですとか。もはや、誤魔化しきれてないのが芸風とでも言わんばかりの唐突さ。そして突飛さ。
ああ、なんだ。何気にログ読んでて思ってしまったのが、当時のおいら割と的を射ているなと。「これからはよく分からん理由でも卒業出来ちゃうぞぃ」ってのが、なんとなーく現実になっている様な。
だから、これは前述の衝撃耐性電撃に弱いみたいな文脈でもって、何となくスルー。もはやこう、卒業だ何だに恣意性が無いのは仕方ない。
そして、それを捏造する気も無いのだから、諦めるしかない。何らかの理由があって「外される」事は、もはや通過儀礼。当たり前に執り行われてしまうのであーる。
絶対的な力を何度も見せられると、哀しいかなヲタの反骨心でさえもポキリと折れ。自分でもびっくりした。そのよく分からなさ。見事に受け入れると言うか、特にひっかかりはしなかった。
ただただ。何度も言う通り、この二人がいなくなる寂しさだけが純粋に抽出され、心がポッカリスウェット。穴空きYsDここにあり。

人が動き、居なくなり、新たに入り。曲がりなりにも社会に出て、自身及び周りの異動なんか腐る程経験して。そう言うサイクルは確かにあるのだと知ったここ最近。
それはそれで仕方ない。人にしても場にしても。留まり続ける事に大きな意義はないのだと。分かっちゃ居るがどうしようも無いのが想いと言う訳で。
ただでさえ、愛着は沸く。ましてやおいら、紺野さん小川さんマジで好きなんぞ?そりゃまぁ、ねぇ。酷く辛いものがある。
でも、抗う事が無い自分が軽くイヤ。もう、その悲しみ寂しささえもイベントかい?ルーティンワークかい?と聞きたくもなる。

多分、ね。卒業→ソロでは無く芸能界を去るのであれば。二度とお目にかかる事など無い遠い世界。
リアルな世界の異動であれば、連絡は取り合える罠。ただしこちとら一方的に見る以外の術は無い訳で、いなくなれば見れなくなるのみ。
ああ、何でかねぇ?好きな人が手の届かない所へいく。元々届かぬ高嶺の花ではあるけれど、それでも高く高く、見上げる事も叶わぬのだ。

見れないのであれば、焼き付けておきたい。最後に輝くソノ姿を、見たい。実に現場なぞ一年近くぶり。最後に行ったのは昨年10日のごまコン以来さね。
昼も夜も見てやるさ。その為に休みを懇願したさ。お金だって、ICPOから振り込まれてるからかなり余裕アリさ。
何かね、ヒサブリってのも手伝って、見事に中身が無いのだけれど。それでもね、卒業だから。推しメンの卒業で、それを見に行くのだから。何かしら足跡を残したい自己顕示欲。
もはや誰も見てないであろう。当時のボクを知ってる人、手を挙げてみて?しーーーーん・・・ってな世界で一人、ぽつりとつぶやいてみたい、意味の無い言葉達。
ともあれ、衝撃に強いボクも。傷には弱い。すっげぇ不安で悔しくて。結局、冒頭の強がりはどこへやら?普通に憤ってたりするからタチが悪い。

ってなワケで行ってまいります。たまたま行きがけに「んぁ!?アイツアンテナ上がってる!?」みたいな感じで読んで下さって、当時の突き抜けた推しっぷりが消え去っててがっかりしたそこのアナタ、アナタ、アナタ。
最近たまーに行くと知らない顔ばっかで泣きそうなので、「あーあいつほんとにいるわー」みたいな感じで指さして下さい。面白い位キョドる予定。
では、おやすみなさい。戦いの前はしっかりと寝るべし!べしべし!


4月16日

〜好き〜

まぁ、こんな時にしか更新しないっつーのも何か、切ないのだけれど。

何つーか、金のかからない趣味は無いってのはよく聞く話。スポーツやるんでも道具が要るだとか。ナンにせよ確かに、投資は必要となる訳で。
よく、ギャンブルなんかは言う。趣味に金がかかるのは必然。返ってくる可能性がある分、投資がかさむのは仕方ない。まぁ、分からないでもないか。
しかしまぁ、何でそうなのかって。つまり、金って言う大事なモノがかかってるのにやるのかって、決まってますよね。「好き」ただその一点。
そこをね、塗りつぶされたら。まぁ当然金なんか出さないし、時間の浪費だって避けるでしょう。ごくごく当然の動機。好きである。その一点が自分の中で確約されているから、人は時間であれ資金であれ、投資する訳で。それら以上に、「情熱」を投資する事もままある訳で。

別に、いままで投げてきた金。かけてきた時間。注いできた情熱。それに関して文句は無い訳で。
それ以上の楽しみ。充実感。得たものはすっげぇデカい。言わば、サンドに金つっこんだ時点で得してんじゃね?って位の換金ギャップ。全然等価交換じゃない錬金術を堪能してきた訳で。
だからこそ、言う。その一点を奪わないでくれ。すなわち、「好き」と思える気持ち。何も考えず、ただ愛せる気持ち。その気持ちを、どうか馬鹿馬鹿しいと、真顔で口走らせないでくれと。
ただ単純に「好き」でいる。それだけはどうか、させて下さいと。感情論むき出しで、ぶつけたくなるのです。

今日は偶然。言うなれば神の用意した必然。人為的なものは何も無く、りを!君と仕事の後遊んでいました。場所は彼の家。引越し先の関係でCS全滅しているおいらにとって、彼が見せてくれるフジテレビ739のフットサル大会は貴重な映像なのです。
何かこう、試合は白熱。アツくなって見ている途中、ふとりを!君の手がパソコンに伸び。別にそこに、パソコンを見る必然性は無く。強いていえば何となく、彼のはてなアンテナが開かれ、そこで事実を知ったのですが。
今まで、結構ハロー関連の発表でへこんだ事はありました。「うっわぁ・・・」って感じで、凹んだり失望したり。そう言うダウナーな感覚は味わった事って山ほどあるのだけれど、カッチーンと。頭にきたってのは今回が初めて。ハァ!?幻想を作らなきゃてめぇらの仕事はお仕舞いじゃねぇのか!?と。

・・・とだけ書くと、どうにもこの人、バレちゃったやぐに対して怒ってるみたいだけどそうでは無く。そこはほれ、人なのだから。当然と言えば当然。ま、話はあったみたいだし。
じゃなくって。その、急な話なんであれです。皆さん絶対頭はよぎる筈。そうなんじゃないのかな?って、そうだとして。だとしても、何らかの物語は作れる筈なんじゃないか!?って。
彩っぺの件。恐らくはそう。そうなんだろうけれど、それでも紡がれた物語。
いちーちゃんの件。色々噂は絶えなかったけど、結果として出来上がった武道館。
はっきり言って、自分は真実がどうであるかについて興味は無いんです。そこじゃなくって、モーニング娘。の物語。デザイナーを目指し、夢に向かって羽ばたいていった。「プッチモニはずっと三人」感動を生んだ武道館。
それは、モーニング娘。としての彩っぺ。モーニング娘。としてのいちーちゃんに関して言えば、限りなくリアル。モーニング娘。の歴史を語るうえでは、その点のみがリアルになる訳で。
結局、人間を扱っているのだから平坦では無い。紆余曲折ある中、よく聞く言葉は「夢を売る」何も、その商売をしているのは芸能人本人のみではあるまいに。
とりまく人間。ブックを書く人。それぞれが、夢を売って糧を得ているのではないかと。

プロなんです。モーニング娘。は。その点について、色々あっても大筋で納得してもらえる(少なくともヲタには)歴史を踏んでいると思うんですよ。エンターテイナーである。
それを支えたのも、例外なくプロ。歴史を彩るストーリーの中には、脚色されたものもあるでしょう。そのデザイナー。それもプロだったからこそ、大の大人が没頭する世界が作れた訳で。
プロとプロとが手をつなぐ。幻想は大いにあるだろう。しかし、それが自分のモーニング娘。に対する認識でした。その、とりまく幻想も含めて、夢を創り上げるプロである。
だったら、それを投げんなと。「記事が出ますた。それが原因で、本日をもって脱退します。」何、それ?全然面白くない。
散々、「卒業」って表現を使ってきたにも関わらず、突然区別される「脱退」。ああ、そうか。この点に関しては物語が存在しないのだと。

結局、ガラリと環境が変わってから一年。今の自分って、結局ヲタほどヲタしていない状況だとは思いますが。
にしたって、「好き度合い」だと言ったら常軌を逸しているとは思います。故に、未だ「ヲタ」を名乗らせてもらうとして。
そんな自分だって、かおり卒業後のモーニングってそれほど強く認識してないんですよ。皆無では無いけれど、少なくとも踏みしめるだけの時間は無かった。梨華ちゃんの話がこの先すぐに待っているにも関わらずだよなぁ・・・と、思う今日この頃。
って事はですよ。きっと、やぐがリーダーの時代って、存在しなかったも同然なんだと。少なくともワンクッション。最後の大仕事。自らの卒業コンの一つでもあれならば、別だったと思うんですけど。
何ていうかその辺からして、物語を投げてる。その辺にどうも、腹が立ってるんだろなと。

結局、自分感情撒き散らすしか出来ないんで。TKさんの文章とか読んでて。そう、そこを祈れたらきっと、人としてヲタとして、最高なんだろうなとは思うも。
その後ね、自分の家に河岸を移して。呑みながら「娘。参」を見たのですよ。
そこでね、思ってしまうのです。しみじみと。俺はそう、やぐが好きなんだよなって。
道中、想いもした。「好きである事」がこんなに悔しいのは初めてだ。他メンも好きである以上、結局屈服せざるを得ない。この考え方、ごま卒の時書いたまんまそのまんまなんですけども。
でね、改めてみたんです。そんなに好きでたまらないメンバーの映像を。それは、「苦しい事もあるだろさ、哀しい事もあるだろさ、だけど僕らは挫けない。泣くのは厭だよ笑っちゃおう。進め」と言う曲から始まる歴史の連続体。
連綿と連なる幸福の映像群。正直、ばかばかしくもなりました。ここに度々登場する、りんねヲタの大阪の友達。その男の気持ち。「もうどうでもえぇわ」リアルに真剣に、切実に分かる様な気がして怖かった帰り道。
でも結局、他でも無いやぐのはにかんだ笑顔。ああ、そう。俺はこの顔が好きでハマったんだ。
他でも無い、やぐの声。元々の大本はここ。裕ちゃん見て可愛いな、綺麗だな。で、やぐの声聴いて。コーラス聴いて、「可愛いだけじゃないんだ、この子達」で、今のスタンス。中身が面白くなきゃこうもハマらんよ。演出が面白いから、565越えから全ツッパする訳で。
ああ、そうだ。結局そうなんだ。よくよく考えたら、奪える筈も無い。
「好きだ」って気持ち。結局はそうなんだ。気付いて、今度こそ。頭にくる、では無く、もっと単純に、寂しい。

まだ、子供であるがゆえ。まだ、自分が可愛いがゆえ。
僕はまだ、心から無心に、祈るだけは出来ないのです。まだ少し、もがいてしまいそうなのです。

2月3日

〜ゆえに、横浜〜

まぁ、前回のタイトルとの兼ね合いで。

こんばんは、えーっと今の自分の職場って横浜にあるのですが、先日普通の顔して「ほほほーぃ」と仕事に行ったら職場の女の子に「昨日モーヲタ見ちゃったんですけど!」と興奮気味に語られたYsDです。いやいや、今日も見ておりますぞ??
まぁ、その子は何にも知らないので。とりあえずこう言ってやりましたよ。「ああ、俺その中に居たよ」と。ええ、時は1月30日。涙と感動の2days、その初日が明けた日のお話なのでした。

むぐ、とりあえず30日は普通にお仕事だったので。えいや!とばかりに29日のチケットを押さえ、久々に行って参りましたよ。ヲタの戦場、現場へと。
こう、すぐ↓に書いてある前橋以来の出勤なので、もう楽しみで楽しみで。うん。実際自分、最後の最後の日であっても、その瞬間までは敢えて普通に楽しみたい人なんで。
まぁその、唯一のオリメンとか。何とか、かんとか。感慨深い部分も勿論あるし、寂しい気持ちが無いって言ったら、多分その瞬間から自分は世界一の大嘘つきですよ。

だから。最後の瞬間。かおりがモーニング娘。であるギリギリのラインを見届けられないのだとしたら(実際、裕ちゃん以来ですよ。卒業に立ち会えないのって)、まだその内に在る間に見せる未来への布石を観ておこうと。
何であれ、続くんです。かおりの物語はかおりの物語で続くし、モーニングの物語はモーニングの物語で続く。
だとすれば、最後の言うバイアスがかからずに(や、当然少なからずかかるんだけれど。少なくとも、公演的にね)二つの物語が交わる最後の瞬間。それってのは絶対に、その先を暗示しているに違いない、と。

何つーか。えっと、前々から多分自分、言い続けていると思うんです。一番古い記憶を辿ると・・・確かすごいぞ21世紀のレポかな。そこでそのものズバリの言葉で言ってる通り、マンパワー。それがものごっついと。や、普通に「凄い」とかしか言ってないですけども。
一人一人、人間って凄いじゃないですか。きっとね、どんな人も。100%出し切れたとしたら天才の通常時を遥かに凌駕する筈。
きっと、才能を認められ。魅力を見出されデビューして来た人達はみんな、普通の人より少しだけ何かが凄い筈なんですよ。
そんな人たちが、見せる100%。よっぽどその、何かあったとか。体調不良とか。理由が無い限り、きっとライヴで見る彼女達は100%かもしくはそれ以上のものであって。
観ている人間も、勿論人間。一人の人間は凄い。そんな、良い大人をはーんはーんさせる位凄いものであるよ、と。よくよく考えれば、現状惰性があるとて先ず真っ先の初期衝動。背面ロミオだ、何だ。ばかばかしい事でさえ本気でさせる程の吸引力がある(≒あった)事は間違いない訳で。

問題は、その力がどこまで引き出されているか。組み合わせ然り、演出然り。
素敵な枯山水の庭。ああ、素晴らしいね。でもそれを、80年代のサイケな雰囲気漂うゴーゴーディスコの中に移動させたとして、完全に魅力を引き出しきれるか。
もしくは・・・そうだなぁ。伝説の鮭、鮭児。濃厚な味わいをそのまま、クリームあんみつの中に熔かしこみました!!美味い訳ねーだろ!と。
まぁ、例が極端過ぎるのはいつもの事。どんなに素晴らしい素材であっても、組み合わせとかで全然駄目になる可能性はある訳で。

果たして、かおりと言う素材の無いモーニングがどこまで素晴らしいものなのか。
恐らく最高の組み合わせであったモーニングと言う器を失ったかおりがどこまでその魅力を引き出せるのか。
後者について、今まで何度かソロワークを観てきましたが。多分今までの卒業でも書いてきた通り、気持ちの問題ってのは絶対に効力を持っている筈。
モーニングにいると言う意識があってのソロと、完全にソロとしてのソロ。それは絶対に違ってくるでしょうし。
ぎりぎり、双方その形態を保ちつつ。同時に、意識は半ば次のステップへと。ああ、明日で一区切りなんだな。その思いを持っての公演は、きっと未来予想青写真となって横浜に降り立つ筈。そう思って、会場へ向かったのでした。

一つ、あのライヴのテーマを挙げろと言われたら。
自分は多分、様々ある要素の中で真っ先に「可能性」と言う言葉を挙げると思います。
前述の通り、組み合わせは一種の魔法。駄目を最高にも、最高を駄目にも変えられる奇跡の中で、メンバーと楽曲とのミックスってのは、この魔法を何度も何度も繰り返し見せ続けるショウの様なもの。
個人的に、例えば紺色片思いとか、チュッ!まこパーティーとか。ちょこっとみきとか色々と、「うわぁ、イフって素敵なサムシング!」だなんて叫びたくなる様な情景が様々在りつつ。
結局ね。「ハズレはありましたか?」って。多分、無い。現場特有の、あの何でもかんでも「さいっこー!」と叫びたくなる瘴気にあてられた部分はあったにせよ、きっとどの組み合わせもそれなりに、「可能性」と言う名のifを存分に見せてくれたと思います。
さゆパーティーみたいな、ハマってるにも程がある!的なif。先ほど自分が挙げた三つみたいな、意外にも物凄く素晴らしい!的なif。
ああ、なるほど。やはりそうかと。ハロプロは、ほんとにおもちゃ箱をひっくり返した様な、カラフルなカラーで構成されているのだと。
「個性」って言葉が、もう最強の免罪符的に使われている世界。事実、「キャラ」的認知も十人十色。内情とのギャップ。その辺の「漏れは知ってるよー」的自己満足。
ああ、なるほど。夢中になる訳だ・・・と、奇跡としか言い様の無い組み合わせが多数詰まっている中で。

ふと、それこそマンパワーだとか。ピースだとか。全員参加しているにせよ、切り取った形で見られる「モーニング娘。」に眼を向けてみる。

事実、彼女達はグループで。良くも悪くも、ひとかたまりで認識される。
メンバーが集えば、「飯田と矢口と石川と・・・」では無く、「モーニング娘。だ」と知覚される。
その、薄皮一枚向こうには。結局はハローな事もあって、例外無くカラーがぎっしり詰まっているのだと。

やぐ。ちっちゃい。でも、そうは見えないステージでの存在感。周囲を盛り立てつつ、埋没しない。最高のダシであり、同時に最高の具である。そんな子。
梨華ちゃん。はなやか。華麗。でも、案外ドジ。色んな意味で漫画から飛び出した様な非現実的きらびやかさを持っていながら、実は泥臭い様な努力とか。負けん気とか。人間臭い魅力も持つ。そんな子。
よっすぃー。強烈な個性。でも、果たしてそれだけか?物凄く見えてる部分と、見えそうで見えない部分。揺れ動く様な、動かない様な。豪快でかつ繊細。そんな子。
たぁたん。無邪気な顔と、妖艶な顔。多分、それは本人もコントロール出来ない途上の顔。あくまでまっすぐに。自分にまっすぐに。かおりと交わりはしないけど、平行の棒の様に、同じくまっすぐ伸びる。そんな子。
こんこん。色んな意味で、全てがやわらか、ほんわか、ほにゃっ。そこにいるだけできっと満足。でも、止まらぬ前進。鋭角、するどく突き進む。そんな子。
まこ。世界で一番、全てを楽しんでいる様で。世界で一番、全てを考える。本人の知覚を超える才覚。自覚しきれない魅力。そして、全てを赦す笑顔。そんな子。
にぃにぃ。好きなモノを、世界で一番愛せる人。ただ、真っ直ぐに。さなかにあって、自ら強く憧れる。泣き言、甘え、多分漏らさず。そんな子。
みきたん。パブリックイメージなんてほんとにアテんなんない。何かこう、全てが可愛い。意外かな?言っちゃうよ?俺、みきたんってけなげで、いじましくって、可愛いと思う。そんな子。
かめ。「規格」なんてものが、いかに無意味か教えてくれる。ああ、いいからいいから、そのままで。理解されようなんて思うな。解らない奴なんて、頭カタいだけだ。そんな子。
さゆ。ルイスキャロルって奴は実は預言者で、たまたま見えた極東の女の子をモデルに小説を書いたんだ。21世紀のアリス、さゆ登場。何かもう、何だ?絶対失われるんだ。それは分かっちゃいるが、だからこそ強烈に惹かれる。儚いゆえの美学。せんこう花火みたい。そんな子。
れいな。もうちょい右・・・や、もっと前!前!もう一歩、前へ!影の努力家。当初から言われているけれど。その積み重ねた先に、そう!それをアピール。ああ、でもそう。キラキラしてるのよね。そんな子。

もうね、無理。一言で無理矢理語ってみたけど、なんかたんないなんかたんない。まぁ、実際自分の勝手なイメージなんですけども、少なくとも一人の人間がこうやってイメージを膨らませられるほど、カラフルな。
そして、そこにかおり。当然、かおりもカラフル。カラフルな、白。自分以外の何物にも染まらない、白。
生きていけば、当然染まる。それは必ずしも、悪では無いのだけれど。ただ、自分なりはどんどん薄れる。「常識」とか、まぁそんな感じに。社会の中で軌道修正される。
それを拒むのは、きっと辛い事。でも、常識以上にかおりはかおり。測りを超えて、かおりはかおり。
まぁね、おんなじ事ですよ。何年かずーっとヲタ文章とか書いてて、多分何回も何十回も、かおりの事書いたらおんなじ結論。
あのね、昔の文章なんてコッパズカシイ訳ですよ。だからまぁ、出来る事なら読み返したくなんて無いんですが。
この部分だけ。多分まぁ、それこそ初期衝動?多分おんなじ事言ってきてる中で、もうこれ以上の表現は出来ねーだろなって言う。まさに、自分の中にいるかおりをそのものズバリ言ってるのが、2002年12月31日のログ。

かおり。かおりは癒し系だよ、絶対に。
基本的に自分って、「癒し系」と呼ばれるモノに全く癒されないひねくれものなのですが、かおりに限っては別です。
何でかな?って考えてみたら、それはかおりが余りに純粋だからなんです。
世の中に辛い事は一杯あるけれど、何よりも辛いのは純粋でいる事だと思います。
そこで割り切ってしまって、郷に従えてしまえれば楽なのでしょうが、それをやらない、出来ないのがかおり。
・・・・・と、言うよりここで順応出来てしまう人は完全なるナチュラルさを持っていないんでしょうね。
東京に出て、色んな意味での汚い空気を沢山吸って、それでも真っ白なままでいたいと願う。
若干20歳にしてそんな苦境に立たされたかおり。僕らには想像すら出来ない程傷ついた事も有ったでしょう。
一度でも傷を負った事のある人間でないと、ヒトの痛みは分からない。これって一つの真実だと思います。
そう考えると、痛みとそれが癒えていく喜びをしっているかおりこそ、真の癒し系であると思えるのです。
事実、下らない事でヘコんだりする自分はかおりに癒されてますし・・・。
確かに自ら「癒し系」と公言する彼女ですが、その実自分はそうじゃないんじゃないかなんて考えてしまうわけです。
今迄、そんな癒し系は居たでしょうか?
ハタから「癒しの女王」などと囃し立てれれば、誰だって悪い気はしません。
その声が大きくなればなるほど、その声は自覚としてその人の中に根付いてしまいます。
そこから癒しの押し売りが始まっちゃうんですが、かおりの場合この自問が有るから押し付けがましさが微塵も現れません。
絶えず自省を続けるかおり。メンバー一人一人がそんな彼女を「癒し」ているのでしょうね(^^)

ああ、えっと。分かり辛い部分があるので一つだけ補足。「癒し系じゃないんじゃいかな?」と考える理由は、つまり世の中にありふれてる「癒し系」ってのとは毛色が違うんじゃないの?
癒し系じゃなくって、癒しそのものなんだぜ!みたいな事が言いたかったんだと思います。多分。いかんせん、3年も前なんで事細かに覚えている訳じゃあござんせんが。

まぁ、それが自分の感じるかおりの個性。言い換えれば、一番愛すべき部分。それがね、今まで書いてきた他のメンバーの愛すべき部分と一緒に、モーニング娘。って箱の中に入ってた訳ですよ。
僕らは、その箱の中の景色が素晴らしすぎるから。ついついこう、一人卒業する事。それが絶望的に寂しいと感じてしまうのだけれど。
(僕らは、っつーか、ボクが)
何て言うかな。だからこそ大丈夫な筈なんだ。個人的にこう、ミニモニとかね。れいながすっげー可愛かったなって、そう思ったんですが、例えばれいなが曇るかって言ったらんなこたぁー無い。
7AIRでぴょんぴょこ跳ねてるれいなってのは、今日もまたれいななんですよ。多分、そう。あの景色を構成する一人一人は、全てが無限大に素晴らしいのであってそこに優劣など無い。

実際、能力も違えば魅力も違う。だから順列はあるんじゃねーの?って話なんですが。や、そうじゃなくって。
だからこそ組んでるんだろ?と。皆おんなじだったら、その中の一人がやればいいだけの話だろ?と。
その、違う同列同士が、混ざり合って、溶け合って、化学反応を起こす。だからモーニング娘。は面白い?そう。その通り。
でさ、確かにかおりが抜けちゃうんだよ。でも、だからってかおりのにおいは消えちゃうのかい?
確かに、そこにいた。だから愛せるんだろう?未来は、確かに変わる。だが、過去は変わらないだろう?
違う過去と、おんなじ過去。共有する過去があって、だから今日も笑える。だから今日も、素晴らしく在り続けられる。あの時あの瞬間、もしかおりがいなかったら、あの子は、そしてあの子は、どうなっていたんだろう?

「オリメンがいなくなったらおしまいか?」
この命題の答えは、きっと半分がyesで、半分がno。未来永劫、これは補完される事の無い要素。だからと言って、本当におしまいか。
何て言うかね、それはそれでモーニング娘。と、言えてしまう強さがあるのも事実。そして、どんなに強くっても補いきれない大きさがあるのも、また事実。
だから、一時の解体って点に関してはもうほんと、その通り。全くの別物になるのですよって点に関しては、言い逃れは出来なくって。
変わる。や、もう変わってしまった、ですね。それはそれで、一つの事実として。
そう、簡単に割り切る事が出来ない程モーニングを愛しているのだけれど。

やはり、同じ位。これから先、伸びていく道。完全合意のモノであったとして、かおりが今後同じく見ていくであろう、輝かしいであろう、道。
そこに眼を向けずにはいられない程、モーニングを愛しているって言うのも、また一つの事実である訳で。

何て言うかな。正直、全然実感わかなかったんですよ。かおりがいないってのが先ず想像できないし。
うん。勿論今までの卒業だってそうだけど。繰り返し、繰り返し、行われ。慣れるのと同時に、変化した部分も大きくなっていって。
いわば、今回ってその慣れと、変化が続きに続いて唯一残ってた部分との勝負みたいなモノ。
それだけに、わっかんねーなーってのが随分と大きかったのだけれど。

実際、迎えてみて。結局ね、やっぱよく分かんない。
分かんないけど、まぁね。何と言うか。少なくとも、心配はいらないのだなと。

寂しい。凄く、寂しい。
でもね、やっぱ好きで。どっちもね。どっちも、同じ位、大好きで。
ああ、とりあえず結果として、そうはなった。だからと言って、娘。の道は続いているし。
自分の、ヲタとしての道も続いているのです。大事だったからこそ。身を切る痛みだからこそ、その先を。
見たい、見たい見たい見たい。そりゃ当然見たい。心はほんと、でかい。


11月11日

〜そして、前橋〜

ああ、マイペース。

こんばんは、年に一度のダウブルゾロ目デー!YsDです。ふにゃ、さぞかし各地のゾロ目デー系のイベントは盛り上がった事でしょうなぁ。
ま、諸々あって今月は一回も擦って無いんで、余り関係無いのだけれど。3日後の解禁が楽しみで仕方ないわ!

で、前回最後にちょろっと書いた通り、前橋に行って参りました。娘。コンですね。
ほんとーならもっと早くに。当時口走った言葉をそのままリピートするのであれば、「冷めない内に書いておきたい!!」と思ってはみたものの、どーにもこーにも忙しい時期が続いて。
で、トドメをさすかの如く、風邪。もうゲフンゲフンですよ。ま、休みもせんと薬だけ飲んでたって中々治りませんわな。
で、気づけば11月も半ば近くなって。うーわこのままじゃ一ヶ月経っちゃうよーと。

まぁ、まだ滋賀の公演は終わっていないのですが。更新間隔が空けば空く程良い感じに閲覧者が減り、ようやくある意味やり易いと言うか。好き放題出来る色合いが濃ゆくなってきたんで、バレとかバレとか、アリの方向で。
とにかくまぁ、楽しかったんだよって。そう言う話をしてみようかなと。

何はさておき、個人的に物凄い勢いで嬉しかったのが「Happy Night」の存在。
あんなん、やるなんて思わないじゃないですか。セット全く見ないで行ったんで、イントロのピアノ聴いた時点で鳥肌がぞわぞわぞわーって。
当時、今程熱心じゃなかったボク。ましてや去年とかの勢いとは比べ物にならない位の薄々で、当然生でなんか観る機会はありませんでした。
色んな意味で、遅咲き。今現在でこそ、現場行く度にロートル感覚溢れる存在になっているものの、そう言えば前は後追い感覚。バンドワゴン野郎的引け目を感じていた事もあったっけか。
そんなんなんで、この曲そぅとぅ好きなんだけど、まぁ一生、生で聴く機会なんてありゃーしないだろうなと思っていたのです。何かそれは、悔しいと言うか。あー聴きたかったなぁ、って。何となく決着が着いた様な。
一つ、あるんです。物凄いカントリー推しと言うか。物凄いりんねさん推してきて、ほんともぉ、悔いとか無い位推しまくってきたんだけど、一つだけ。あ、俺シャララ聴いた事無いんだわって言う、あの感覚。
今更、多分そんな機会は絶対に巡って来ないと思う。最大限センチメンタリズムに溢れた妄想をした所で、一人全く別の所で動く彼女を観れたらな位なモンで。
あの北海道ツアー。泣きながら最後の「二人の北海道」を聴きながら、ちょいとよぎった感傷。アレに近い様なね。モーニングは存在しているけれど、まさかやんねーよなって。

んなモンだから、興奮ですよ。叶わないと思っていた夢が、叶う瞬間。そりゃま、確かに色々と違う。何よりも違うのは構成員。当時アレ唄ってたメンバーって、今二人しかいないのだから。
そりゃそぅとぅ違うモノになってる。そして、かおたんにしろやぐにしろ、あの時と今とで全く同じと言う訳でも無い。
でも、後者の変化ってそれはつまり成長と解釈する事は出来て。ああ、現在進行形の「Happy Night」なんだ、って。
今ある、最も新しい形でのーそして、年明け早々再び変容する予定のーモーニング娘。が、紛れも無く過去の名曲を歌っている。
その、パラレル感覚って言うと言い過ぎかも知れないけれど、「アレを聴けたんだ!」って感激と同時に、「しかも、動き続けるモーニングの、今を切り取る形で!!」って感激も付随してくる様な。
繰り返し、自分が初めて聴いた時に一発で気に入ったかの曲と、前橋で聴いたソレは違う部分も果てしなく多い。
しかしながら、それは今だから聴けるもので。変わらぬ、同じモノしか愛せないと言うのであれば。それだったらもう、変質しにくい「金」でも愛していれば良いのですよ。
(・・・って、自分も結局安定を尊ぶデイドリーマーなのだけれど)

そして、もう一つ。やぐのコーラス。
どうなんだろう?今までも気付かないだけだったのかも知れないけれど。何かすっげぇフィーチャーされてた様な。
えー、またしても過去のお話。元々ゆゆに見惚れて気になっていた集団。その集団の歌声の中に、物凄く高くて物凄い綺麗なコーラスが混じっている事に気付いたのが、「Memory〜」で。
んぐ、なになに??ただ可愛いだけじゃないの??って。今にしてみれば「何で推してんの?」ってその骨子になっている部分に開花した瞬間。それがこの、やぐの高音なのですが。
前橋での「Memory〜」って、出だしの部分からしてそこに光をあてられていた様な気がするんです。ただやってる、やらせているのでは無く、生でアテる事の素晴らしさ、その素晴らしさを強調していた様な。
身も、歌声も。主節と絡み合う様なフォーメーションで紡がれる、3音上の声。視覚も、聴覚も。これがやぐの原点であり、強みの一つなのであると叫び続ける熱狂。そして、問答無用に染み渡る心地よさ。

常々、主役には主役の。脇を固める存在には脇を固める存在の素晴らしさがあり、適性もあり、主役が出来るからって後者が出来るとは限らない。どちらもあって一つの作品であり、どちらかのみが素晴らしいのではない!と叫んでいる様な気がしますが。
やぐのコーラスはつまりそれで、主節で無い以上そのパートにおいて主役では無いのだけれど。
凡百の脇役は主役のみしか引き立てられないのに対して、やぐのコーラスは作品全体を引き立てておる。つまり、必ずしも従者として存在している訳では無いと言う点がすばらしい。
主節も、コーラスも。どちらも欠けたら作品が成立しなくなる重要なファクターであると。つまり同格。1と1で、作品の中に溶け込んでいると思えるコーラスっぷり。それはもう、力量が無いと出来ない世界。
いやでも主節に目は注がれるのだから、それと同等どころかもっともっと力を出さなきゃ完全に埋没。前述の「主役のみを引き立てる脇役」になってしまい、それでは面白みも何も無くなってしまう。
そう、溺れず。しかしでしゃばらず。あくまでコーラスに徹し、結果自分でなければ為せない功績を、楽曲に提供している。
少しずつ、注目が集まって。今では主役を張る機会が多くなったやぐではあるけれど、この「個としての脇役」を成立させられるってのはすっごいでっかい才能。
全くもって封印してしまうのは絶対勿体無いよなぁ・・・と思っているところに、この演出。そうそう、ここも凄いのよ、やぐは!!って。
偶然なのか何なのか。そもそも意図している部分はあるのか、ないのか。もし、意図してあの形が出来上がったのだとすれば、少なからずやぐのそう言う部分に注目している人間はいる、って話になって。
大所帯であるのだから、全員が主役をやる必要は無く。また、決まった人間がそうなる必要も無く。
やぐが、しっかりとサイドを固める。そんな局面を用意出来るのも、多人数の強みなのでは無いかなと。改めて思ったのです。
それこそ、今回のオーディションが「エース抜擢」と言う意味合いを持っているのなら尚更。若きエースを固めるやぐ。そんな構図だって、在り得るし素晴らしいし。

以上二つの、ライヴの中で最も印象に残った点を総合して考えてみると、改めて「モーニング娘。って生きてる集団なんだよな」って、物凄く思うのです。
や、それは何も。「えぇ・・・人間は生きてて・・・その人間が集まって出来てるんだから、そりゃ生きてますよねぇ・・・」って、冷めた理由にのみ支配されている結論では無くってね。
グループ自体が有機性を持っていると言うか。メンバーの変容。構成員然り、同一人物の成長然り。その辺を完全に内包出来る時点で絶対に生きてる!って思える訳で。
普通、あれだけ色々と。メンバーが変わったり、つんく♂先生の言う「魅惑の変身パターン」なんかがあったりしたら、グループの印象なんてガラリ変わってしまうもの。だけど、それが無い。
「や、最初と今とじゃ全然違うヨー?」って。うん、そりゃそうさ。だって生きてるんだもん。そりゃ変わる。
ただ、無機物はもっと急激に。「シフトチェンジ」みたいな感じで。ギアがガクンと入れ替わる感じで、変わる。ただモーニングの場合はそれがゆるやかと言うか。
デジタルよりはアナログに。階段よりは坂道に近い形でもって変化する。そして、どこかしら昔の印象、良い部分。変わり得ぬ部分。そんなこんなを引きずった上で、変容してきてると思う。
「Happy Night」にせよ、やぐにせよ。変化と、問答無用の不変の部分。人であれば、三つ子の魂百まで。十分に在り得る話ではあるものの、あれだけ激しい新陳代謝を経験したグループが、中々そう言う「不器用な、しかし愛すべき」変化を遂げるなんて絶対に難しい筈。
可能にするのは、有機性。どこかしら、生きている部分があるからこそ柔軟性を持てるんだと思うし、そうでなければこうも変わって、それでも変わらず惹かれ続ける人間が多い事の説明がつかない・・・って、それはちょいと言い過ぎかも知れないけれど。

生きている。故に、新しい出会いもある。
正直、会場に居た人間の全てが「Happy Night」を知っている様では無かった(『何この曲?新曲??』みたいな声、結構飛んでいた様な・・・)ですし、やぐのそう言う部分に着目している様には見えない人も結構いました。
昔の自分を知らない友人って、いません?や、聞くまでも無くいますよね。例えば優しいおじさんの友人全員が、ヤンチャで激しかった反抗期の姿を知っている訳では無く。
だからまぁほんと。自分ですら古い部類だと思います。時に「へ?」って思う局面に遭遇したりもするのですが。
その辺の事、多分物凄い好きであるが故に、最後まで相容れない。気に入る事なんて無いとは思いますが。どこかしら、そうなって当然だよなって思える所もあって。
なんつーかまぁ、意味不明になる時もあるのだけれど。そこはそれ、楽しみ方も増えていったり、感じ方も変わっていったり。生きている存在が集う、生きている存在を追いかけているのだから、なって然りなって然り。そう、思えなくも無く。
逆に言えば、今の本道はきっとそっちな訳で。そうやって変わってしまっても、それでもロートルを楽しませてくれる道筋もある。新しいメンバーにときめく事も多々ある。ああ、そう言う多様性。絶対、生きてないと持てないよなーって。
現在進行形はいつも刺激的で、暖かくも今の姿を見せ付ける。今にして、その「生きている」って感覚を強く刺激するのだから、きっと今のモーニング娘。は今まで以上に「生きている」のでしょう。
それは多分、次なる時代を前にして打ち震える雄叫びが、その輝きを増しているのんだろうなと。引き続き、7期の存在に夢を抱きつつ。


10月17日

〜今更だけど、7期メン〜

そう言えば、何にも書いちゃいなかった。

こんばんは、いくら寝ても眠い男、YsDです。秋眠だって、暁なんか覚えやしねぇぜ!!
暁なんぞは覚えんくせに、ハロプロ関連の事なら絶対に忘れないのがワタクシYsD。モチロン、7期メン募集の事だって覚えているし、知っているのですが。
まぁ、その。大体娘。関連で「衝撃の新展開」って言ったら、今や二択しか無い訳で。
新ユニット発展とか、次のライヴまでに数十曲覚えろとか、何とか。んぁ、その辺の事がじぇんじぇん無くなった事を考えれば、もう増えるか減るかで決まりでしょう。
で、ボク寂しがりやだから。減るのはイヤなのです。故に、増えるんであればまぁ、減るよりは全然、よろしいかと。

ふむ。基本的に「現状維持が最高ナノー!」と言い張るのが大好きな自分にしては、ドライな展開。
と言うのは何も、減らないならオッケーってそればっかりでもなくって。
つんく♂先生の、「エースが欲しい」宣言。これを、せめて額面どおりに(あわよくば、それ以上と言いたいけれど)とっても構わないと言うのであれば。
これはもう、面白くなるんじゃねーの?って。エースか。それは、イイね。

今の娘。を見渡して、「エースを探せ!」と街行く若者に尋ねたとしたら。
多分まぁ、大抵は梨華ちゃんとか。みきたんとか。あるいはたぁたん?
なるほど。確かにそう。その辺のメンツはメイン張ってる事も多くて。多いどころか、その中の誰かが大体そう、と言った状況。
しかし、チト待てと。そりゃお兄さん、エースじゃなくって看板を選んでんじゃないかい?って。

エースと看板とって、ちょっとどころか多分全然違う。や、確かに求められる資質みたいなものは似てるのかも知れない。実力が伴わなければ、ちょっと厳しい世界。
ただ、看板で重要視されるのは如何に看板足る存在かって、その部分。はっきり言って、中身がスカスカでも良かったりする。前述の三人に関して、そんな事は無いよと当たり前の言葉を付け加えつつ。
看板って、そこで何かを為す事以上に、そこに居る、在る、存在する事を求められる。そこに居て、それで意味を成す。
無論、居たうえで何かをしてくれたら更にラッキー。しなくてもまぁ、良いっちゃ良いのかも知れない。

対して、エースは何かを為す事が最重要項目。あそこに居るのは誰だ?知らないな、でも良い。最終的に、「誰だか分かんないけど、あいつ凄かったね」って。言われれば勝ち。
看板だとそうはいかないでしょう。うん、あいつメインっぽい。でも、誰?それじゃ結局、代表しているにも関わらず認知されない=集合体全体が、無名。

そう考えると、エースは徐々に看板へと移行する運命にあるのかも知れません。
「誰だか分かんないけど凄い奴」って、当然ながら気になるじゃないですか。「あれは誰だ?」って、そうなる筈。
すると、自然。名前は売れてくるのですよ。そうして、実力で看板としての地位を手に入れる。それがエースの必然かも知れません。
しかし、看板が必ずしもエースの役割を為せるか。そうもいかない。看板は看板として前に出る以上、イメージとか先入観とか。そう言うものも抱き込んで存在しなくてはならない。

エースは別に良いんですよ。イメージなんていらない。ただ、投げた直球が鋭ければそれで良い。
って事はつまり、単純に力だけを見せる事が出来る。イメージやら何やら。固まってしまうともう、それを再び溶かして新しく作り変えるのは難しく。
例えば、みきたんが物凄くカッコ良く踊ったとしても。以前までに培った「藤本美貴」像を中々打ち破れなかったりもする。

思えば、娘。の歴史ってこの「エース→看板」を繰り返しつつ、加入によって次のエースを補充してきた感があります。
なっちから始まって、最初のやぐって、自分だけかも知れませんが「誰が出してるんだか知らないけど、この高い声のコーラスがマジヤバい。心地良過ぎ!」とか思ったモンです。
そして、やぐはやぐとして存在を広く認知される。次、何か金髪の新人。
この子も、良くも悪くも「ゴマキ」として、看板足り得る存在となる。4期。ここはエースだらけのある意味豊作。テレビ的に守備範囲の広い、エース候補生だらけだった様に思います。

予め、宣言。おいら、ゴロッキヲタです。
現状モーニングで一番推してるのってまこだし、次いでこんこん、さゆ。この3強はまぁ、しばらく揺るがないだろうと自負しております。
そのうえで、敢えて言うのであれば。この代でエース(もしくは次期看板)を作れたかって言うと、チョイ難しい話。
や、そうであって欲しいと願われて、そう扱われた子はいると思う。たぁ然り、みきたんを除けば、6期ではれいな辺りがそうだったのでは?
でも、中々そういかなかったのは皆様ご存知の通り。たぁがいくら「ぶりゃーするー!」とがんがっても、いかなかったその理由って、結局「モーニング娘。」がデカくなり過ぎてたからなのかも知れません。

集団があって、それを代表する看板がいて。なのだけれど。ハロープロジェクトっつーモンが、メロンの台頭とか、つんく♂先生の認知とか、諸々あってそれなりの知名度を得て。
結構、一般人に「ハロプロ」って言って通じる様になった以上、モーニングが看板になってるんですよね。
看板の中の、看板がいて。それと共に光を放つエース・・・の筈なのだけれど。二枚の層はかなり厚く。結局、かのハロプロのかのモーニング娘。。その中で・・・って言ったら、中々看板以外に目を向けさせるのは難しいんでしょうね。

そんな中、華麗にエースとして、そして今や看板として、綺麗になぞれたのはみきたんだと思うんです。これは個人的感情を抜きにして。
そうそう、ソロ時代の知名度が高い訳でも無く。いる、ってのは知ってても、例えばどんな人なのか。その辺全然、知られてない部分が多くて。
それが今や、中心メンバーって言っても問題無いかも知れない。その理由に「元々ソロとしての土台が云々」、よく引き合いに出される事柄だけど、哀しいかなそこまでの後光は射してなかった無かった様に思うんですね。
だから結局、「何かソロでやってた子が入った」って認識を「あの藤本美貴」にまで変えたのは、中に入ってからの云々が大きい筈。
ただ、余りにも早すぎて。華麗すぎただけに、「エース」として存在してた時期は非常に短い様に思えるのです。すぐさま、看板。

モーニング娘。ってほんとに人気があって、一人一人全員が看板足れる様になっていると思います。
それだけに。全員がある程度の認知と、知名度と、スター性を持っているだけに、敢えて言うのであれば今のモーニング娘。、純粋な意味でのエース不在と言っても良いでしょう。
みな、エース性以上に看板性を持っていて。中身よりも外見。その存在が最もモノを言う。それは良い事であり、個々の個性を逆に見えにくくさせてもいると思います。

そこに、誰も知らない新人で、元々エース候補。
うーん、自分の考える「エース像」が正しいのか否か、分かりませんし。つんく♂先生(+エラいさん方)の考える「エース像」がどんなんなのか、検討もつきませんが。
少しでも合致する部分があるとすれば、何かこう、面白い事になるんじゃねーの?と思うんです。
元々、エースを採ろうとしてやっている。今までもそうなのかも知れませんが、明言するって事は今まで以上に強く思ってるって事だと思うんです。
エースを採ろうとして、採る。必ずしも上手くいかないとて、他の基準で選んで引く可能性よりは高いでしょう。
チカラで振り向かせる。そんな、自分の中での真の「エース」が入ったならば、今後看板達にも大きな影響を与えるでしょうし。
エースを擁するチームの評価は上がるもの。上手くいけば、上手くいくんでないかな?って、何となくそう思うのです。
だから、前述の「減らないんならサイコー!」的観点もあって、プラスそう言う部分。諸々ひっくるめて、増員に悲観的な想いは珍しく無いんですねぇ。

とは言え、やはり現状に愛着はある訳で。
何とかかんとかがんがって、23日の前橋には行くのでありました。最初で最後の現状モーニング。面白くない筈が無い!


9月24日

〜今〜

「こん」って読むと、何だかこんこんみたいな、素敵みたいな。

こんばんは、「にっへっへ」で三連セブン。真ん中に7が落ちて来て、「ごっちーん」。YsDです。ビッ確おめでとう。
なんつーか、年に一度の晴れの日に更新しないでどうするよ?とも思うものの、狙ったかの様に残業が入って、かつとりあえずこのページ自体が半ば死んでいると言うか、廃墟に近い状況に(結果として)なってしまっているがゆえ、結局一日遅れの日付変わって二日遅れ。今更ながら、真希ちゃんお誕生日おめでとう!ってなお話なのですが。

ふむ。ヲタにとって、推しの誕生日ってのはそりゃーもぉ大事なモンで。元来元々、キリストの誕生日を指す筈の言葉である「聖誕祭」だなんてモンを、割と真顔で使ってしまったりするほど、大事な日だったりしますが。
とりあえず、ごまヲタの場合もう一つ背負う。そうそう、〜年前のあの日のあの感動。俺は忘れちゃいないやよ、と。一年二年もう一年。年をふる毎に思い返したりもする訳ですよ。

実際、あれから二年経って。未だにこう、別に夏の暑さを感じる度にとか。そこまでの頻度では無いものの。例えばPUSHIMの「FOREVER」なんざ耳にしてしまうともう。
丁度あの頃、「少しでも、真希ちゃんのいるモーニングの風景が見たいッ!」と叫んでスカパー導入。勿論入らざるを得ないviewsicを適当につけているとようけ流れていたのがあの曲で。耳に少しでも、「声にならなくて〜も〜♪」とメロディーが入ってしまうと、訳も無く・・・あるけれど。突然のタイミングで少し感傷的になってみたり。
そう、あの時は全てが輝いていて、かつ、とてつもなく寂しかった。何か、初恋の甘酸っぱさみたいな。チクリと痛くて、でも良いおもいで。

今更だし、別に初めて言う事でも無いけれど。そして、モーニングに限った訳では無いのだけれど。
モーニングの物語には、本当に様々なドラマがある。それは、一つは大勢のメンバーの人生を背負ってるからで。もう一つは、自分の人生が物凄い勢いで重なっているからで。
その時々。全てのモーメントに対して、感情は宿る。何かをして、それを観て。そこには、当人と観測者たる我々の感情が宿る。「がんばれ」。「素敵だ」。何でも良い。とにかく何かしらの想いがあって、それを見つめている。
となれば・・・ならずとも。行動を起こすメンバーにも何かしらの想いがあって。ヲタは時々それを夢想する。真実であろうと、虚偽であろうと。受け取る人間が二通り以上ある以上、何か一つコトが起きれば、色んな想念が出来上がって然りな訳で。

それを、「ドラマ」だなんて。たった三文字の言葉で表現してしまうのは勿体無い様な。でもまぁ、それ以外無いっぽいし。とにかく全てがドラマチック。
CDリリース一つとってみたって、色々あるし。昔の俺みたいに、発言の一つ一つに夢想する人間もいるし。

何が言いたいかって言うと、ついさっき観た二人ゴトのののまこの言葉。それぞれの、後輩を迎える気持ち。そして、未来に向いている目。
何よりも、まこの言葉。「そう言う刺激があるから良いのかもしれない」。そう、刺激。それらはどんなサイダーよりも、唐辛子よりも、推理小説よりも刺激的過ぎる出来事達だった訳で。

真希ちゃんは、今、輝いている。その輝きは、(良い悪いのジャッジは抜きにして)あの日の卒業があっての結果。居続けた時の結果とは、全く違った輝きを持っている筈。
今と昔。「どっちのごっちんが好き?」って聞かれたら。「どっちのごっちんも好きよ。どっちのごっちんSHOW」だなんて下らないコトを、泡でも吹きながら叫びそうだけれども。
「真面目に答えろや」と迫られたのならば、「今、です」と。そう答えるに決まっている。

思い出の全てが夢幻でも無い限り、全ての過去は通って来た道であって。実情であれ、体裁であれ、全肯定したからこその今であり。
振り返って一瞬でも、推していない時期が無いのであれば。ってか、無いのだから。結果的に、現在の真希が史上最大真希であろう事は、想像に難く無いのである。

理論?論理?まぁ、良いや。別に、過去全て好きだったからって、過去のが好きって結果も余裕でありえるけども。
一つ、言えるのは。その時期その時期を過ごし、過ぎて、ただ過ぎたのでは無く、踏みしめて今に至っているって言う事。
「振り返る」って言うのは、文字通り後ろ向きなイメージを与えてしまう事柄だけれども。逆説的に言えば、振り返れるって事は、今前を向いているからなのであって。
振り返って、そこに憧憬を垣間見れる程の道程があって。それはきっと、うん。確実に、良い事の筈。

二年と言う月日は決して短く無く。同時に、少しでも気を抜けば瞬く間に過ぎてしまうもの。
今の自分。何かこう、忙しさにかまけ過ぎていて。気づけばもう、うん。働き出して半年が経とうとしているのね、と。改めて驚愕しているのですが。
自分なりに、研鑽を積んでいるつもりで過ぎた光陰。恐らく彼女の場合。天性のモノと、後天的に身に着けたモノとの融合で、その中で過程を楽しんだり、噛み締めたり、しつつの二年であったろうに思うけれど。
「モーニング娘。であった」時代の良かった事良く無かった事。そして、その後の事。全てがあって、今があって。そこにはドラマがあって、とにかく自分は、その先にも、後ろにも、輝きを見ている訳で。

こう、時々思うのだ。
あれ以来、全てが快速運転にも程があると。嗚呼、急展開に次ぐ急展開。ASAYAN時代とどうなのか?それはもしかしたら、あっちは特急ぐらいの勢いだったかも知れないけれど。
フォローが少ないとて。歩みが速すぎるとて、恐らく向こう側のドラマ部分。葛藤。不安。希望。全てがあふれる瞬間瞬間ってのは、きっと変わらず在るんだろうなぁーって。
まぁ変な話、リアルタイムなのですから。こうやっている時も、目に見えない何かがあるのだし。例えばスヤスヤ眠っている時、この先知る事となるサプライズが動き出していたり。純ハズレを引いてる時、レッスンに励んでいたり。

これもまた、夢想なのだけれど。共に歩んでいると言うか。自分にとっての一時間って、真希ちゃんにとっての一時間でもある。伝記を読み進んでいるのでは無く、リアルタイムに動く人間の活動を追い続けている以上、そう言うロマンは常に付きまとっているとも言えて。
多分、頑張っているのだよ。真希ちゃんの事だ、頑張ってるに決まってる。休息の時だって、頑張った結果の休息であろうし。そう。俺が今、こうしている間にも。真希ちゃんは頑張り続けているのだと。だから、あんなにもキラキラと、可愛いのだと。

「可愛い」と言う言葉は、まぁ外見に使うのが普通だけれど。内から輝きを発していなきゃ嘘だぃ!!って、それは単なるヲタの戯言。
にしたって本人、本当にそう言う真摯さを真剣に感じてしまっているから厄介で。マジでもぉ、何だ?こんだけ好きになっちまったら、降参するしか無いだろう??って、今日は実はそう言うお話。


8月15日

〜ああまた明日、逢えるといいな〜

い〜なぁ〜

こんばんは、随分と久しぶりなYsDです。
何つーか、新生活のリズムみたいなものは出来てきたのだけれど、案外やっぱ間を空けると何事もやりにくくなるもので。
前はこう、頼まれもしないのに浮かんできてたアレやコレが、漠然としたまま言葉にならない日々が続いてしまってますた。んぁ、萌えたり萌えたり萌えたりはしてたんですけどね。

兎も角、別に俺の近況報告なんてどーでも良い訳で。やっぱりね、偶然。「この日お願いしますっ・・・!」って頼んだ訳では無いのだけれど、ほんとに偶然に8/1に休みを貰えたとあれば、そりゃもー代々木へGO!ってのは当たり前な話でして。
ふむふむ。とりあえず、動ける機会が減って収入は増えて。良い感じで、猛暑もあってか懐が妙に暖かかった故、シフトをもらった翌日にはヤフオク様を拝んでいたのでした。

そんなこんなで、今にしてみればもう約半月前。辻加護卒業のハロコンに行ってきたのですが、とりあえず最も感じたのは「今までとは全く毛色の違う卒業なのだな」って事でして。
今までにモーニング娘。を卒業してきたのって、福さんに彩っぺにいちーちゃんにゆゆたんに真希ちゃんに圭ちゃんになっちの計7名。
これって、言い方を変えれば1期2期3期の卒業になると思うのですが、今回は初の4期卒業って事で。
ふむ。別にね、今になって分かった事じゃあ無い。発表時点で既に分かってた事で、別段本番を迎えたからどうこうって情報じゃあないのだけれど、実際それを味わってみると凄くよく分かるのは、この「初の4期(以降)」って部分。

ある種、卒業が見えてるって言うか。根本部分で、「形あるもの全て滅ぶ」と言う概念がある訳だけれども、それに近い勢いでもって、「卒業」って要素が一つの予想可能な未来になってるって話で。
それを念頭に置いているかどうか。恐らく、オリメンってのはこう言う形態を予想していなかったでしょうし、2期も恐らくはそう。真希ちゃんも・・・うん。加入前に一度の「卒業」と言う出来事があった訳で、無くは無いって程度には思っているだろうけども、だからって頻出している訳では無く。
そう考えると、4期以降って(その数字が増えれば増える程)どこかしら「卒業」って言う自分の未来が見えているみたいな。そんな印象が無きにしも非ずで。

ただまぁ、分かってたからってそれが何?って話なんですけどね。分かってたって、別れは寂しいもの。基本的に出会えば別れるのですから、もしそうなら全ての別れは寂しくも何とも無くなる筈。
だから、別に形骸化したとかそう言う話をしたいんじゃなくってね。うん、何て言うか。でもまぁ、頭にあるのと無いのとでは違うんだろなーってお話で。

l それを、あんまり「慣れ」って表現はしたくないのだけれど。双方合意のうえに成り立ってるみたいな感覚。だからこそ、この寂しさは一つの区切りなのだなって。
ある種自分、ハロプロの今後について期待はしてないんです。ただ、希望を持っているのみ、みたいな。
うむ、我ながら分かりにくい。いつも通り。つまりは、「これからこんな事があるよ!」ってお話が出ても、それにあんまりわくわくどきどきしないって言うか。
「うわ!失策くさくね!?」って、それすら思わない。ふむ、静観。それが常態になってしまっておるのですよ。色々こう、新陳代謝が早すぎてね。
ただ、さくらおとめ分割の話を聞いた時、誰があの奇跡のライヴを予測出来たよ!?って話になってくる訳で。や、どっかにはいるんでしょうがもしかしたら、大勢いるのかも知れませんが。
少なくとも、お前は想像出来て無かったろ?って、自分に聞くんです。で、答えるんです。「うん」
思えば、ハロマゲからそれは出来上がってたのかも知れません。「後藤卒業」、聞いた時「ハァ!?」って思いました。無理じゃん!一人でなんて・・・や、ソロとかやってるけど。あくまでグループありきであって。一人での成功とは別軸の。その、一緒にいる平穏さとか、なんとか、かんとか、うわぁぁぁぁ!って。
タンポポ!?プッチ!?助けて!助けてよぉ!!って、なって。何だかんだ、遠回りして、結局オソロ最終回を迎えて、ほんとに良い番組だったと。かの9月以降も含めて、終始ハズし無しだったねって、思ってる自分が居て。

その意味で、辻加護卒業。遅過ぎね?って、思います。子供達のカリスマ!大きいお友達にも大人気だよ!って、そう言うピークは恐らく過ぎてて、まぁその、人気はあるけど最強なのかどうか。ミニモニ。デビュー時と比べてどうか。分かりませんが。
ただ、一つの事実として「あの二人が最強な事には変わりが無いよ」と。昔、思った事があります。あの二人がこう、成長していく。それはスキル的な云々もそうだし、後はもう年齢的な部分。諸々ひっくるめて、勿論テレビとか芸能界とか色んなフィルタを通す事になるけど、それでもリアルタイムで観る事が出来るこの時代。
それはもう、春としか形容が出来なくて。良い時代だなと。反面、変化には得るものと失われるものとの二面があって、きっと変わっていく姿を観る事は、ある種の喪失感をも伴うのだなと。
それはそれで冬なのか?うむ、寂しい事には変わりが無いなぁ。そう思ってた様な気がするのですが、蓋を開けてみればアラびっくり。残りつつ、得ていく。
単純な取捨選択では無く、らしさはある。同じ人間なんだから当たり前!の範疇を超えて、あのイノセンスとか。あの良い意味での傍若無人ぶりとか。残ってるんですよね、今もなお。
で、同時にあのころじゃあ考えられなかったエトセトラ。今だから見られるアレやコレも在ったりで、流石に盲目的に「単純なる追加だよ!」とは言わないものの、それに近い勢いを見せてるんじゃないかと。
だって俺、あの頃と同じ楽しさを辻加護に見出してるよ!って、それはヲタの贔屓目。もしくはリーチ目。きっと違うのかも知れない事も無いやもですが。

なんて言うかな。方針がクソであれ何であれ、中身は最強。担うその当人達は最強だ!って、思ってるからヲタな訳で。ヲタだから、信じられる訳で。
Wが、どう言う活動をするのか。展開と言うか、商法と言うか。上手い立ち回りが見られるんだろうなぁ・・・って期待は微塵にも無いのですが、ウスい所ウスい所を狙わされても、最強の結果を出してくれるであろうと言う期待だけは、どうにもこうにも捨てられない。っつーか、オートで導き出されてしまうのです。

かの公演は、信ずるに足る力があった様に思います。ここの所、っつーか長い事、生に関してハズしをあんまり観た覚えが無い。
や、周りを見渡せばハズれだらけ。今の「盛り上がれればそれでいーじゃん!」ってな客席の風潮。すっかりロートルなおいらには辛いばっかりな様な気もしますが。
逆に言えば、それだけで萎えるに足る出来事なんですよ。にも関わらず行きてー!って。少ない休みを使ってでも「行きてー!」って思える力。それは多分、あると思うんですね。
だから、テキサイを始める遥か昔。まだほんと、「好き!好き!」それ以外あんまり何も考えないで。「可愛い!」とか。何かこう、初期衝動にまかせて突っ走ってた時期に書いた、あのライヴレポ。
凄いぞ21世紀に対して書いたあの時と全くおんなじ結論。「マンパワーだよ、チミィ」と。俺はあの子らに惚れ込んでるんだと。あいつら、マジすげぇよ?って、その気持ちだけは見事に変わって無いなと。
今、まだそれを感じられる。それはとてもとても、幸せな事でして。
イメージが大切であるが故、現状の打破的展開は中々難しいのかも知れませんが、何事も熱狂的な人々が地盤になって支えられてる訳で。
足元がグラつきゃ、後はもう奈落への一方通行。少なくとも、土台を惹き付けるだけの何か。恐らくは、構成要員の魅力。その一点に関しては、変わらないどころか益々増している様な気がしなくも無い昨今。
とりあえずね、すげーんだぜって。まぁその、日常中々胸を張って言う機会は無いどころか、結局半ば隠して生きているのも割と寂しい話ではありますが。
でも、確固としてもっていられるんだから。改めてね、思うのですよ。「ああ、俺ハローが好きで良かった」。これね。これ、多分重要。
色々と、楽しい局面に出会う度にこう思うんですよ。興味無きゃ、特に今、絶対見ないじゃないですか。例えば辻加護卒業公演。
興味どころか、並々ならぬ愛着を持っているからこそ、当日の二週間位前に予定を確定させられた訳で。ifの話なんて意味の無い事ですが、興味だけ無く、他は今と同じ暮らしをしてたら絶対に、あのプレジャーは味わえなかったと考えると・・・

やっぱり、結論は一つ。「ハローが好きで良かった」と。
多分、おいらみたいに単純な奴がいるから色んな世界が成り立ってるんだと思います。ああ、恋とは盲目ナリ。一方通行でも、「通じた」と「信じる」「通信」。ふむ、ヲタはやっぱり素敵なのですぞ。


6月26日

〜激アツな地球を冷ますんだ〜

リプレイとか引いて。

こんばんは、現場なんて実に三ヶ月ぶりなYsDです。や、実はと言うか何と言うか、本当なら二ヶ月半ぶりぐらいで良い筈なのですが、さくら桐生の日にち覚え違いと言う致命的なミスをやらかした為、メロン遠征を最後にしばらく現場から遠ざかっていたのですね。
何事もこう、好んで習慣になっていたモノから離れるのって辛いですよね。ましてやこう、ヲタにとって最大の栄養源である現場を取られてしまったら、そりゃーもぉ辛い。
故にこう、今日行ったモージカルを物凄く楽しみにしていたのです。娘。コンもごまコンも全部見送らなきゃいけなかっただけに。

・・・とか何とか書いていたのが今月11日。もうね、はしゃいでた訳ですよ。生娘。キャワキャワ!とか叫んだりしつつ。
したっけ、余りにうるさかったせいかそこで大きなツッコみが。具体的な感想書く前にちょいちょい画像収集でもして遊ぶかなぁーなんてやってたら、りんねろだに置かれてたjpg偽装のウイルスくらってあぼーん。
何やらかんやら時間の無い中復旧してたり、18日にはなちコンに行ったりしてる内に時間が過ぎ。昨日ようやくまともに動かせる状況になったのでした。まったく、りんねさんの名を冠する場所に悪意をばら撒くなんて、許せない!

ってな訳で、まだパシフィコが残ってるなちコンはともかく、ミュージカルの方は無事千秋楽を迎え、なんとなーく時期はずれと言いますか。確実に後だしじゃんけん状態にはなってるものの、せっかく見て来たんで感じてきたんで、ババーっと書かせて頂きます。

先ずはモージカルの方。これはバレとか全然気にしないで良いんで気楽にいきますが、とりあえず良い点そうでない点どちらもあったよと。
良い点ってのは、話の流れと全く関係の無い萌えアドリブがあった事。こう言う本筋から離れた素の部分みたいなのって、今更ながらこの界隈を支えてきた一つの勇者だと思うんですね。
全てが予定調和で終わる訳で無く。その役割をまっとうするスキルも確かに好きだが、その根本にある人間的な中身も好きなんだから推してるんだよ!と。
恐らく多分に勘違い、思い込み、思い過ごしが混じった考えだとは思いますが、要は「好き」の理論武装なんてそのルーツは何でも良い訳で、割と素直に、かつ強固にそう思わせてくれる「垣間見えた素顔」みたいな部分。大スターと近しい感情との両面を存在させるに足るシーンって、今までも沢山あったと思います。

「モノマネしる!」「同じ動きしる!」ってのは、本筋から考えればなんら必要の無い部分。
されど、突然振られ、大観衆の見守る中その任務を遂行しなければならない。モージカルは、良くも悪くも「モー」を見に行っている人が大半、下手したら全員な訳で、「ジカル」を魅せるのと同じ位、「モー」を魅せる事が要求される舞台だと思います。
故に、如何に彼女達の魅力を伝えるかが大事なのであって、個人的にそう言う、恥ずかしいんだけど結局はやりきるみたいな部分が好みであるがゆえ、何かこう、チョーさんのまねするこんこん可愛いなぁ・・・とか。素直にそう思えるのです。

そして、これはもうハプニングと言いますか。前述のアドリブ的なもの以上に再現可能性が低いものですが、軽いNGが多かった所。
NGなんて無いに越した事は無く、NGそれだけならば別に良い点でも何でも無いのですが。
各々の方法でリカバーしていた所。それがまた、先ほどと同じくその人の人となりが見れた様な気がして好きなんですね。
例えば、体育館が爆発しているにも関わらず、転げ落ちたペットボトルを「あぁあぁあぁ」と言って拾いに行くたぁたん然り。まこに、役名では無く「吉澤さん」と呼ばれて「誰だよそいつ!」と返すよっすぃー然り。
多分、同じミスをしたとしてもそれに対する反応は十人十色、メンバー一人一人によって全然違ったものになると思います。
それはつまり、だからこその多人数。だからこそのモーニング娘。であると言う事も出来るのであって。

これはもう、ブランクが為せる業。渇望が故に感じる、必要以上の潤いなのかも知れませんが、そう言う意味で結構、配役の妙とかも含めて、「モー」を魅せる事には成功していた様に思うんですね。
みきかごのかけあいだったり、エコレンジャーグリーンのけなげさだったり。「っぽいな」と思わせる、どこか本人の延長線上にいる様なキャラクター。
ともすればベタな方へベタな方へ行きかねないその手法も、結構うまくいった範囲と言うか、鼻につかないレベルで印象には残るみたいな感じだったと思いますし。
元々、地球を救って余りある魅力を持っている彼女達を。その魅力を損ねる事なくむしろ倍増させて、魅せてくれた。その意味でモージカルのモー部分について、自分は満足出来た様に思います。

で、最初に書いた「良い部分と悪い部分」の前者がそうであるならば、後者は「ジカル」部分の物足りなさが挙げられるでしょうか。
ピンランの時にも感じられた事。広げた風呂敷をまとめきっていない感がすると言う事と、ギミック部分を除けば脚本が全体的に凡庸である事。
確かに、楽しめた。しかしそれはストーリーに没頭出来たって意味では無くて、むしろそれを構成する要素を楽しんだ様なものであって。
何と言うかまぁ。今回はテーマに踊らされすぎたかなと。14人もの大人数を描いて、かつテーマに沿って、それでいて破綻無く物語を終えなければならない。
14人をしっかり描く!ってだけでも大変だと思います。事実さゆとれーなについては基本的にキャラクターが存在しなかったりで、やっぱり大変なんだなぁと思わざるを得ないのですが。
例えば「夢!」とか、「友情」「愛情」みたいな概念モノと違って、エコは実体を持つテーマだと思います。
精神論的な部分は確かにある。「考えなくちゃ!」「心がけ」。そう言うレベルで出来るエコもあるけれど、具体的な行動を伴うエコもある。
と言うより、精神が最終的に行動へと結びつかなきゃエコなんて意味は無い訳で、そう言う意味では今まで以上にカタチあるテーマを持って作られたこのお話。
方法を導くには具体論が必要になる訳で、数値的な要素も無ければ説得力を持たせられないし、そもそも電気の使いすぎで未来が破綻!ってプロットもまた、そのテーマに縛られたうえで完成したものである様に思います。

その辺でまぁ、色々制約があったんだな、とは思いますが。
例えばケンメリ、例えば草原の人。あれは、確かに主役が真希ちゃんだったりあややだったり。個人的にはここ大事、りんねが出たりするから、チケットを買った。初期衝動と言うか動機自体はそこにあるけれど、もし違う人、全く関係の無い人達がやってたとして、楽しめたかどうかを考えた時、恐らく普通に面白かったと思うんですよ。
じゃあ今回の場合。全く配役に興味が無い状態でこれを楽しめたか?って聞かれたら、正直微妙だと思います。

それはそれで、全く問題の無い事かも知れません。
萌えを否定する気なんてこれっぽっちも無いし、今日も今日とてヲタである理由の一つに、やっぱり「可愛いから」も含まれている。これはもう違うと言ったら嘘になるに決まってますし。
萌えは、ヲタさんにとって貴重な栄養源である。それがあるから推せるし、それがあるから楽しいし。だから、前者部分で大成功している今作はきっと、成功の部類に入るのでしょうが。
個人的に、それだけってのはあんまり好きじゃなくって。さっきも引き合いにだしたゴマアヤダブルジカルなんかの例もあって、良いモノを知っている。楽しいモノ、面白いモノ、それを現に見てきている訳で。
となるとやはり、期待はする。出来たのだから、出来る筈だと。ただ、「可愛かったね」ってのにプラス、「良いお話だったね」とこう、思えるものを期待してしまう訳で。
その意味では少し残念に思う部分もありました。

後はまぁ、価値観の問題かと。重視する部分が違えば話は全然違ってくる。自分の場合は後者に重きを置いているだけであって、それがマジョリティーかどうかはわからないし、そうであるべき!それが至上!とももちろん、思わないので。
差し引き考えて、楽しい一日であったのは間違いない。ごちゃごちゃ言うのは俺の悪い癖って事で。
とにかくまぁ、おいらの現場復帰第一歩は素敵に楽しい一日だったのでした。

うーん、なちコンも勢いにまかせて書こうと思ったけど、そろそろ仕事に行く準備をしなければならないので一時中断。
あっちもまた、楽しくも素敵な一日だったのでまた後日書きたいと思います。んではまた。


5月24日

〜血液〜

回遊魚じゃないんだしなぁ。

こんばんは、今日も大忙し、YsDです。あれなんですよ。入れ替えの日って午後からてんてこ舞いなんですよ。
それはまぁ、良いとして。新たに二名、モーニングから卒業が決まった様で。
基本的に、この件に関して慣れたくは無いんですよ。「卒業」って括りだと確かに二度三度、四度に五度に幾度と無くファンの側から経験してはいますが、例えば今回の場合はかおり、ないしは梨華ちゃん。そのメンバーの娘。卒業ってのは最初で最後、一期一会な訳ですし。
ただまぁ、悲しいかな。実際にはどんどん慣れてしまっている部分もありまして。確かにハロマゲの時の様な衝撃は無いと言えば無い。あん時はあん時で推しメンって言う重大な要素もありましたけどね。

一つはそう。ラッシュが未だ続いていると言う事。それこそハロマゲから始まって、2002年は真希ちゃん、2003年は圭ちゃん、2004年はなっちと、今後辻加護。毎年一回以上発表及び実際の卒業がある訳で。
何かもぉ、こんな言い方はしたくないけどある種恒例行事の様な。元々、ハロマゲ以前から入れ替えの激しいグループではあったけど、ここにきて更に加熱している感じ。
あたかも学校の様な。一年に一度、最高学年は必ず卒業する学校の様なペースでもって、卒業。そして加入。みたいなサイクルが出来上がっていて。
その一々に、きっと初めての卒業程の衝撃を味わっていたら、きっと続かないと思うんですよね。その衝撃って言うのはどこかしら、やっぱり痛みを伴う訳で。寂しさ、切なさ、思い出。色んなものがあるからこそグループ推ししてる訳で、その一部を切り取られれば、そりゃ痛い。
ずーっとずーっと痛い想いをしてたら、絶対に拒否しますもん。心が。だからまぁ、推し続けていくからにはこの慣れの部分、半ば必須条件になっているのかも知れません。

それがやや、ネガティブな理由だとしたら、今度はこっちはポジな感じ。
それなりに、卒業後の未来を明るく示す実例が多数在る事。裕ちゃん。あの人の仕事の幅は本当に広くて、時に「え!?そんな事も!?」と思う様な仕事がポーンと入ったりする。今やってる昼ドラだって、誰が想像出来ました?例えばデビュー当時に。
真希ちゃん。確かに、パブリックイメージとしては翳りがある。でもって、今春のツアーについてほんとに全然、おいら知らないのですよ。悲しいかな悔しいかな。一つも行けてない。
でも、じゃあ去年までで考えてみようよと。マッキング、セクマキ、どっちもすごかったじゃん?って話になる訳で。思うに、広く浅くも成功であるし、狭く深くだって、パッと見分かりづらくても、それは絶対に成功であると。
全盛期とかに比べりゃそりゃあ、落ちてるにしても。少なくとも大赤字!とかって、無いんじゃないかなぁ?自分みたいなヲタはゴロゴロいるだろうし。多くファンを獲得出来なくとも、こゆいのそれなりに抱えてればまぁ、個人の運営は成り立つだろうし。
なっち。気付けば卒業後4ヶ月。一年の1/3が過ぎて、テレビで見る機会は結構ある。まぁ、ハロモニもあるからそう思うのかも知れないけれど、仔犬のワルツみたいな仕事も来るし、コメフェスのかえるっちみたいなのも来る。
彩っぺも、派手さは無いけど充実している様ですし。うんうん。「モー娘。卒業後」って言うスタイルが、前例を見ると結構な大きさで確立しているっぽいんですよ。その意味で、安心っちゃーちょっと変かも知れませんが、どこかしらでも安心感みたいなものはある。
特にかおりの場合、今の娘。と完全にマッチしてるか?って聞かれたら、必ずしも頷ける要素ばかりでは無いと思いますし。

んっと、誤解の無い様に。
個人と組織との相関って、結局相互作用じゃないですか。個が組に与える影響もあれば、その逆もある。
かおりにとっての娘。と、娘。にとってのかおり。例えば「歌」と言う娘。を形作る一面のみを見た時に、今の娘。楽曲とかおりとの相性ってそうそう良いとは言い切れない。
と言うより、そもそも多人数で一つの歌を紡ぐって形式が、今のかおりに合ってるとは思えないんですよ。デビュー当時ならいさ知らず、今の彼女は独自の世界を持っていて、それは絵とか、ソロワークスとかを見ればほんと、よく分かると思うんですが。
その辺を、物凄い突き詰めて考えると要するに「凝縮」だと思うんです。気持ちを、想いを、テンションを。徐々に突き上げていって、開放された時のあのフリーダム。
普通、一点に集中させた時って綺麗にまとまるものだと思うのですが、彼女の場合混沌を抱えたまま固める事が出来る様な気がするんです。過程に抱いた様々な思いを、あえて洗練と言う形式を取らず、そのまま一箇所に固める。だから、絵なりフレーズなりに様々な感情が篭っているし、はらんでいる情報量は非常に多い。
その、原色のままの訴えかけが見る者に届く時、かおりの世界観はようやく完結するんだと思うんです。故に、一つ一つのフレーズをメンバーで区切ったりするのでは無く、一人でコツコツと、淡々と見えて実は奥深く。とにかく積み上げて積み上げて華開くのがかおりの芸術であると。自分はそう理解しております。
そう考えると、モーニングにとってかおりは必要だと思います。色んな意味で。例えば絵面のバランス。例えば混ざり合う個性の中の一際大きな個性。
彼女がいる事で、ただ「楽しい!」って部分のみが目立ってしまいがちなグループの色調にアクセントが加えられる。ゆゆが自分を表して言っていた「刺身のツマ」と言うのは謙遜し過ぎな表現かも知れませんが、パッと見物凄い目立つ訳では無いけれど、結局一皿全体を見回した時に必要な事は間違いないと。歴代リーダーの務めか、かおりもそう言う部分を、自身が主菜になれる華と同時に持ち合わせていた様に思います。
ただし、情的な部分は抜きにして、あくまで仕事として。芸能人としてモーニングと言う存在がかおりに与える恩恵。はっきり言って、看板位でしょうか。あるいは、一緒にいる事によって内面を活き活きとさせるとか。でもまぁ、それはあるいは情的な部分に分類しても良いかも知れないし。

梨華ちゃんは・・・ちょっと心配っちゃ心配です。・・・って、俺が心配してもしょうがないんだろうけども。
梨華ちゃんの面白い所で、同時に魅力と言うか可愛い所の一つが、「強くて儚い」みたいな部分だと思うんです。coccoリスペクツ!
何だろう。それは、ネガポジのアレ。あの一件とかこの一件とか、りかじかにあがってたあのラジオのアレとか。まぁ、彼女の芸能生活って必ずしも平坦じゃなくって。今現在、卒業にあたって「エース」と書かれている訳ですが、そこに至るまでに通ってきた道ってほんとにまぁ、色々とでこぼこしていた訳で。
そこを通れば厭が応にも。と言うより、そうやって強くならなくちゃ通れなかった。途中でへこたれていたであろう険しい道を通ってきた彼女は、今現在言うまでも無くとても強い部分を持っています。
それは、自分をネタに出来る変身ぶりであったり。それは、メンバーにいじられても笑って返せる変身ぶりであったり。
でも、そんな事は今更言うまでも無い変身ぶりなんだけど、同じ位言うまでも無い事って言ったらやっぱり、でもそこに血は流れているって事ですよね。
自虐ネタ。割とキツいいじり。フフーンと笑っている様に見えて、許容範囲を少しでも超えると一瞬でへたってしまう。それってのは「耐えている」と言う真実を映し出していると思います。
強くなくっちゃ通れない道を、当時弱かった彼女が通ってきて。身につけたのは、直撃を喰らっても倒れないタフさだけでなくって、多分直撃を喰らわない身のこなしってのも含まれると思うんですよ。
かわして、かわして、かわして。たまに喰らって、かわして、また喰らって、かわして。かわしている間に、前回の直撃を癒す器用さがあれば良いのかも知れませんが、通り過ぎずに以前のダメージを抱えてしまう部分って絶対にあって。
恐らく、言った方が忘れている様な。その時は笑って済んだから、何事も無かったとして記憶から消えていった一言二言が、ボディーに残っている。そんな、強さの裏にある脆さをも持っている彼女だから、気心知れた連中(敢えて、ね)と離れてやっていくにあたって、どうなのか?って部分、無いって言ったらウソになります。
いじられやすいって言うのは、言い方を変えれば親しみ易いって事。故に新しい存在とも、先輩後輩あれども距離を縮めるまでに要する時間って、そうそう多くないとは思います。
そうやって縮めた距離感が、至近距離で炸裂する時。物凄い勢いで気のおけない仲間であっても、時にその強い笑顔、気丈な態度、成長した物腰のスクリーンプレイによって、気付かずグサリやる事だってあるんです。
「石川先輩、すっごい気さくだぁ」の認識。その認識が土足で彼女の敷居に入ってきた場合どうなるのか。結局他人である自分には分からないのですが。
どこかこう、そう言う意味でのフォローって、まだまだ必要だと思うんですね。勿論ハローの中にいれば多少の恩恵、後ろ盾はあるのかも知れませんが、彼女の中で飽和を迎えなければ良いなと。やや心配している部分はあります。
まぁ、身内程成長に気付かないといいます。好きで、じぃぃぃーっと凝視しているつもりですが、それ故に余計な世話を焼きたがり過ぎているのかも知れませんけどね。

ってな感じで、それぞれに対する想いはそんな感じ。
絶対、物事を起こせばプラスだけもしくはマイナスだけって事はほんとに稀で、大体はプラスもあったけどマイナスが多かったね。もしくは、マイナスもあったけどプラスがでかかったよね。それが、普段よくある「結果」だと思うんです。
だからまぁ、この二人が今後・・・と言うか卒業後、どうなるか。それはもう、結構な期待と共に出たトコ勝負、なってみなきゃわかんねぇ!ってのが大きいんですが、やっぱりいつも通り。誰の卒業の時でも同じ事言ってる気がしますが、グループの方。即ち、モーニング娘。がどうなるか!って部分について、単純な喪失であるだけにいっつも怖かったりするんですよね。

単純に、引き算をしてみましょう。その当時までに増員が無いと過程して、12-2=10。集まって「何かしよーぜー!」ってなった時、人数が減ればダイレクトにその人が持っていた力ってのは減る訳で。
例えば、物凄い勢いで和を乱す奴。物凄い勢いでペースを乱す奴。んなやつぁーいない方が良い。ってかキエロ!って話になる訳ですが、この二人がそうである!筈も無く。
んな風に思ってる奴は表へ出ろ。ほら、表でゆっくりお話しましょうよ・・・ってのが自分のスタンスなので、先ずそれは考えられない。先ほども言った通りプラスとマイナスの両方を兼ね備えるのが一般的な物事です。この二人も、グループに与える悪影響そして好影響、どちらも持っているのでしょうが、恐らく後者が勝っているだろうと。
少なくとも、全員揃ってカメラの前でどかーん!とやる時、この二人の持つ華は絶対ブラウン管に添えられている訳で、その辺に関して単純なマイナスが見込めてしまう訳です。
今までは、その穴。過去の卒業で出来てしまった穴をどうやって埋めてきたか。否、どうやって、ベクトルは違えど威力の面で目に見えた弱体化を見せず、少なくとも完全に消え去る事無く存在し続けてこれたかって、それはもう残された面々が今まで120%でやってた所を140にも160にも。時には200も振り絞って物凄い力を生んで、乗り越えてきたと思うんです。どうしたって、新体制になれるまでは目に見えて喪失している訳ですから。
そこを、ピースとか、いるぜぇ!とかね。何かこう、理論とか理屈とかー実際あるんだろうけどもーんなのどうでも良いから突きぬけようぜ!ノリの良い奴だけ連れてくぜ!ってのは、さくら色の髪したロック兄ちゃんの名セリフで御座いますが、まさにそんな感じで。
やっぱり、ありますよね。失うからこその強みって。それが無いと人生、失う事は多いですから。それに負けじと得るモノも多いから楽しく生きていける訳ですが、やっぱり失うものってのは避けられない。然り学生生活。今まさに実感。新社会人として四苦八苦、疲れる事もあるけれど、楽しい毎日。今充実している自分ですが、じゃあ学生時代特有の面白みとか、充実感とか。その辺に関しては無い部分もあるだろうし。
同じ事ですよね。学生生活は「失った」けれども、何故今充実しているか。それは、社会人生活(なんて日本語無いかな?)を得て、そこで自分なりの精一杯。頑張って、失敗したり評価されたり。四苦八苦して手探りで進んでいるからこそのそれであって。
卒業するメンバー。それを埋める手立ては絶対に無い。かおりの代わりはかおりにしか務まらないし、今までだってそう。ポスト中澤、ポスト後藤、ポスト保田ポスト安倍。似た様な役回りが巡ってくるとしても、それはそれぞれの個性に応じたこなし方で、例えばポスト保田を叫ばれる事の多いまこだって、似た扱いの中彼女自身の言葉、身振り手振り、要するに個性でもって、自分を表現している訳で。
それは決して代用品なんかじゃない。ポスト何々って言うのはあくまでグループに課せられた命題であって、それを実際こなすメンバーは、各々のやり方で良い。そして実際、それをやり遂げてきた。各々のやり方で、各々のペースで。ステップアップを図って、結果グループは卒業による一瞬のしぼみを経験しつつも、相対的に見てどんどん大きくなってきた。
その積み重ねが、入脱退を繰り返す娘。がとりあえず存続し続けられてきた要因であるだろうし、大成功小成功の差こそあれ、少なくとも大失敗は無かったからこそ、完全に消え去る事無く生きながらえているのだと思います。

故に、メンバーは血液では無いと。どうもこう、循環とかね、入れ替わりとか。血液の様なイメージが強いけれども、それだと卒メン全部が老廃物の塊みたいになっちゃうし、新メンもしくは成長したメンバーが、完全に卒メンの写しなおしになっちゃうし。
血液は、新しく入ってくるモノが全く同じ血液である事が求められるけれども、娘。はそうじゃない。ってか、それだったら入れ替える意味が無いし、平均年齢を低く保つ為だけの入れ替えだったらそんなグループ、意味無いからロボットにでもやらせとけ!って話ですし。
恐らくまぁ、浪漫のフォーメーションを見るに高橋藤本の二枚看板が重要になってくると思います。これってのはもう、明らかに若い(年齢だけじゃなく、娘。暦って部分に関しても)要素が占める割合が非常に多い。
回顧主義者の自分が、敢えて言います。低迷している現状は、どこかしら飽きられているのだと。故に、一新するのもまた一つの方法であると。
まぁその、一新の仕方が旧態然といいますか。使い古された方法論であるのだけれど、実際まぁ、そのやり方が見せてきた成功例ってのも少なく無い訳だし。
ここで、逆に増やさない事。正直もうついてきてないじゃないですか。「田中れいな」「え?なっちゃんがどしたの?」みたいなね。「亀井」「静香?」みたいな。「道重」「森重?」みたいな。7期メンを入れた所で、美貴様と言うよりどころが無い分絶対に浸透しない。
今、まだ最新の要素が認知されきっていないのだから、敢えてそれこそ「エース」格の二枚、飛車と角を落とした様な状態と言うのは、ある種面白いっちゃー面白いと思うんですよ。
こんまこヲタが、声を特大にして叫んでみます。そこ以外にも面白み、いっぱいありますよねー?例えばHPWみたいな。まぁ、アワーについて何か書こうかなぁ・・・と思ってる内にこのニュースな訳ですが。
なっちはもう、物凄い勢いでなっちで。まぁ誰でも知っていると。かおりも、知名度の点で退けはとらない。辻加護について、もう色んな意味で有名。最強とか、ツートップとか。もうそんな表現手垢つきまくり。梨華ちゃん。ピース以降の最強伝説石川はまだ続いていて、知名度及び人気、高い。
その辺がこう、ここ一年でドワーっと抜けていく様って言うのは、ある種危険である種面白い。実際、どうだろう?どっちがガチでやって勝つかわかんない。そもそも尺度をどこにおいて良いかわかんない。故に、その辺の答えは出ないですが。
少なくとも大差はつかないんじゃないか?って言うか、その辺以外にも面白い面子、揃ってますよ!って。でも、中々ライトって当たる範囲限られてるから、その辺が表立って面白く映る機会って多くない。
さぁ、ここで。その辺の面白みが伝わるかどうかですよ。結局、一人一人は聡明でも、群集になると一気に第一印象とかイメージとか、既存の情報のみが勝負になってくるだけに厳しさはありますが。
その厳しさを乗り越えて、さっき計算した10人の面白み。例えば可愛さ。例えば笑えるトーク。例えば素朴なキャラ。面白みって言っても「(〜^◇^)<キャハハ」と笑える面白みだけでなく、見てて楽しいって思える感覚。それを演出する力は、何と比べてってんじゃなくって、相対的じゃなく絶対的に、持っている筈の10人。
それを、「エースがこぞって抜けた集団」と言うレッテルに隠される事無く。隠されそうになっても蹴り破って、面白い触手を世間にウニュルウニュルと伸ばしていけるか。いけたならば、それはそれで痛快だと思いません?

・・・ってのが、現状卒業する二人と残される10人に対して抱いている希望的観測なのですが、ちょっと振り返って今度は自分の情的な部分に目を向けてみると、せつねぇなぁ・・・ってのはやっぱり、ある。
それこそ慣れで。なんだかもう世界の終わりの様な喪失感って言うのは、正直無いのですが。どんどん大人になって、ハッとする様な美しさと、驚く様な落ち着きを身に付けたかおりが、メンバーの前で突然子供に戻ってしまうあのいとおしさ。
何だかんだ言って(誰も言ってないけども)愛されていて、愛ゆえに時にはボコボコにされて。ホームランを打ってはたかれる打者の様に、愛されている梨華ちゃんのあのいじらしさ。
集まった時のパワー。そして、「モーニング娘。」から消え去る手売りの記憶。「それでいいのか?」思わなくは無いし。何かもぉ、無いに越した事は無いんだけども。
しつこい位繰り返している「慣れ」の過程で、一つ確実に明らかに、分かった事。決定は覆らない。今までもそうだったんだから、今回もそう。二人が卒業する事実に変わりは無い。
「萎えないか?」聞かれたら「んなわけねーだろ」と。うん。萎える気持ちはある。せつねー。くじけそう。
でもね、大好きな笑顔がそこにあるんだよ。でもって、このせつなさ。憤りの要因。好きだから、切ない。その、「好き」が願うんだよ。今後も、組織が愛されますように。
そこに、選択肢はあるかい?少なくとも、自分の前にあるメッセージウィンドウに「はい いいえ」の選択は現れ無い。気付けば、「はい」と。即答している主人公、つまりは自分がいるだけで、そしてそれは心からの「はい」で。
多分、心から言える「今後も愛し続けます」の宣言。でもね、そうやって断言出来るからこそ、切ないんだよね。
ああ、人間ってややこしい。だからこそ、同じく人間なみんながいとおしい。だいすっき。


5月23日
細かい事は明日書く。
とにかくまぁ、何たる事か。ビックリじゃあ足りない位の衝撃である訳で。

5月10日
あのね、一言良い?
ヘイヘイヘイ忘れてたーーーーーーーーーー!くっそー!今年度始まって以来の悔しさだぜベイベ!

5月9日

〜真希ちゃん〜

形にならないひとりごち。

こんばんは、「好きな詩は?」って聞かれたら、「や、詩とか急に言われてもなぁ・・・」と言葉には出しつつ、頭の中ではどこかで見た「進み行くその姿まさにまことなり」で一票を投じたいYsDです。
んー、これどこで見たんだっけかなぁ?だーいぶ前に電車か何かで見て、焦ってメモった事は覚えてるんですが・・・メモに本文しか書いてないんで何の事やらサパーリです。
ま、ともかくまことなりですよ。進み行く姿こそ麻琴なんですよ。まこまこまこ、どうぞ皆様、今年度もまこをよろしく!

・・・って、今年度も何も日記が途絶えてから一ヶ月と数日、全く音沙汰も無く過ごしてしまいましたが、どうやらこうやらまだ生きていて。
や、古いしくだらないし、わかってるけどもどうしても。頭の中ではマッキーの「ぼくはまーだ生きてるよ♪まーだ生きてるよ♪」が流れ続けてしまうのですよ。一応、YsDさんは今日も存在しております。
ついでに、ヲタの方も健在で。実際現場離れまくってて、結局メロン凱旋2daysの後って一回も行ってなく、もうすぐ二ヶ月になるんですがそれでも火は消えない様で。
こう、休日こそ忙しいお仕事してるんで、中々スケジュールが合わないのですよ。ついでにまぁ、身体も合わない。まだぐったりしてる休日が多いんですけどね。まぁまぁ。
それでも、メディアチェックは怠らず。ちゃんと予約録画しておいたコメフェス番宣を見て、「ソイツの名前は玉袋とか言う下品なヤツじゃねぇ!お袋さん太郎か給食袋忘れ太郎だっつーの!」と、声を荒げております。あら、クダラナーイ。

くだらないついでにもう一個。普通、って言うか多くのお仕事って、給料日は月末じゃないですか。大体そうだと思います。
ですがウチの会社、月末締めなんでまだ出てないんですね。毎月10日がお給料日らしいです。4月入社で4/10にお給料が出る筈も無く、今月の10日に初めて、お給料を頂きます。
・・・待てよ、と。そこで思いつくのがまた、下らない事。今月10日って事は、5月の10日。
つまり、初任給ってヤツ。こう、ほんとの意味で最初の初任給は、人生で一度しか味わえない。一生に一度のアレが、何とごとーの日に出ると。何たる運命何たる萌え。
あーもー真希ちゃんすっきすきー♪と、休憩室で一人ご満悦。あらウレシイ。あらステキ。うっしっしとほくそ笑んでいると、同僚の一人が里帰りしたお土産を持って、現れました。

えー、長崎名物。へぇー、長崎なんだ。知らなかった。結構美味しいね。甘い、甘い。疲れてる時甘いのって美味しいよねぇー。
名前は・・・えっと・・・おたくさ。ふーん・・・って、ヲタクサ!?ヲタ臭?
うーん、これはきっと嫌がらせだ。一人でヲタ臭い事考えてニタニタしてる僕に対するイジメなんだ!そうに決まってる!くっそー、家出してやるー!
・・・と、忙しくも楽しい毎日。どのくらい忙しいかって言うと、昨日やっとこさプリズムを買ったのですよ。今更ですよほんと。今まで何をやってたのかと。ええ、ヒドい話です。
余りにヒドいので、今日いっぱい見ましたよ。あらキャワ!多分この感情も、本来感じるべき瞬間から比べてかなり遅いのでしょうが、それでもキャワ!
生ハロプロから離れてもうすぐ二ヶ月となるだけに、その感慨もひとしおなのれす。ほんとにキャワキャワ。

何かこう、変な意味じゃなくって綺麗なんですよね。全身が綺麗。
卵の白身みたいな感じで、身体全部使って真希ちゃんの無垢さを表現している様な。それでいて、時折見せる表情はハッとする程大人で。
「子供だなぁ」バカにしてるんじゃなくって、良い意味でそう思う事が多い。ほんとに、まだ多い。にこにこしてて、ほんとに幸せ。
「大人になったなぁ」回顧とか、悔やみじゃなく。時間なんて流れてるモノで、この時代に生まれてきたのなんて本当にただの偶然。偶然同じ時代に生まれたからこそ、進み行くその姿を見られる幸せ。
まぁ、矛盾している様に見えて、してない訳で。それでも普通、中々本当の意味で両立出来る人なんて少ないと思いますよ?
最初、好きになった時はそんな事、感じても居なかった。あの頃の気持ちを完全再現するのなんてムリだけど、少なくともその多様性。色んな顔に目を向けたのって、ダイバーと青春時代の両方を抱えていたあの時期だと思う。
って事はですよ?時代云々の偶然に加えて、たまたま好きになった人がたまたまそういう魅力を持っていた。今、何故彼女を追っかけているか。その沢山ある理由の一つで、しかも一番大きいのはそこであって、そこに目を向けるまでも無く好きになれたのは本当に幸運。
で、付け加えるなら後からであってもそこに目が向いた、気付けた事も幸運。・・・って、これはもうほんと、真希ちゃん自身が太いビームを送ってくれてたからなんですけどね。

ふむ、分かりきった事。今まで何度もその幸運を噛み締めて、噛み締めて噛み締めてきたからこそ、例えばまこだったり例えばりんちゃんだったり、色んな出会い(一方的だけども)があって。
振り返ってみると、結局ベーシックな所に戻ってくるものです。突き詰めていくと、根本部分に立ち返るものです。今、改めて本当に。ヲタでよかった。いやいや、現在進行形だから、ヲタって良いなと。普通にそう思える訳で。
透き通るお腹とか。その存在を身近に感じられる写真を見て、改めてその小さな全身に秘められた大きな感動。幾つ、この身一つで感動を生んできたのだろうと。
一人の人間。その意味で。皆平等さ!とか、エセ臭い思想を振りかざさずとも、とりあえず人である以上人である訳で。 その、美しさが香り立ってくる様な。例えば抱きしめたら、瞬間で包み込めてしまいそうな。
その中に。そして、その周りに。奇跡の軌跡?うぅん、ヘタクソな語呂合わせだ。でもまぁとにかく、そんなモノがあると思うとまぁ。
ただでさえいとしい写真集が、更に更に愛着のあるものに変わって、もうボクは嬉しくてむせび泣くのです。

いや、泣きはしないけども。でも、思わず泣きたくなる位可愛いって瞬間、ありますよね。
案外、人間の許容量ってのは多い様で少なくて。可愛さであれ何であれ、ソイツを越えてしまうと、あぶれた分は涙となって流れるのです。
辿ってきた道を考えると。また、考えずとも。その御身に宿る神聖なる輝きは、紛れも無く本物で。
何が言いたいかって言うと、相も変わらず僕はヲタ。環境は変われども、人間って簡単に変われないよ・・・。好きです、真希ちゃん。うんうん、それだけ変わらなきゃ十分だよな。


4月4日

〜おのおの〜

しんじしんじ

こんばんは、二連休なんて久しぶりだよ、YsDです。ま、最初で最後かも知れないけどもなー。
楽しいひと時も束の間、明日はかなり早い時間に家を出なければならないのです。朝、しばらく頭が回らないクセを直せば、もうちょっとゆっくり寝ていられるのかも知れませんが。
結構、こう。普段どうでも良い事を考えてグルグルグル頭を回しているクセに、同じ位の頻度で脳が停止している事も多いのです。
例えば、告白大作戦を見ようとディスクを入れて、早速さゆが目に飛び込んできた時とか。あれは危ない。かなりヤヴァい。脳が停止どころか身体の機能全てが停止するかも知れない。

ヲタをやっていると、こう言う放心状態みたいな、要するに萌えが加速し過ぎてショートする経験ってのは少なからず体験するかと思いますが、「それが起こりやすいメンバー」と言う概念はどうやらある様で。
推しとか、推しじゃないとか。その辺とはもうちょっと別の次元で動いている世界。や、勿論大前提として推している事は発動の必須条件ではあるのですが、その度合いと必ずしも比例しない、みたいな。
例えば、実はボクごまヲタなんですが。真希ちゃんを観ていて萌える時ってのは放心と言うよりむしろ理屈の部分が動くみたいな感じで。
呆けるよりは釘付けられる。その間、色々考えるんです。すげぇなぁ、とか。やべぇなぁ、とか。ま、言語になってる様ななってない様な感じなのですが。
ひとたんなんかもそう。ってか、メロンは全体的にそうかなと。勿論観念の部分で萌えているってのも往々にしてあるのですが、同時に頭で萌えている部分も結構多い。
それに対して、こう言う風にぽかーんと、ふにゃーんと、余りモノゴトを深く考えずに萌える対象の代表格と言えば、個人的に加護ちゃんになるのです。
観ていて、微笑んでしまったり。なんかこう、理屈でなく和む感じ。そんな感じで加護ちゃんに萌えている事ってのは多い様な気がするのです。

そんな中でも、と言うべきか。はたまた、だからこそ!と言うべきか。どっちがどうなのか分からないけども、自分なりに感じている「らしさ」みたいなものがあって。
優しく無いメンバーがいる!と言うお話では無く、中でも加護ちゃんは特に優しい。しかも、その優しさってのは包むこむ様な、温かみのある様な。
何て言うか、こんな事を真顔で書くのはこんなドヲタでも結構恥ずかしいのですが、いわゆる母性みたいな部分?を垣間見れる瞬間ってのは多くて。
それが如実に現れた瞬間って、今日のハロモニにあった様に思うんですね。それはズバリ、最後の最後で現れた一言。

「地元の名産をみんなに食べてもらえて嬉しい」
正確には、本人が言ったのでは無くなっちがその言葉を我々視聴者に伝えてくれたものではありますが。これがね、なんとも加護ちゃんらしいなぁーって、そう思えるのですよ。
地元、自分が生まれ育った地に伝わる食文化。これって、大きく捉えれば「その人の持ち物」と呼べると思うんですね。
生まれ故郷、ふるさとは一つしか無く。結構初対面での質問でも「ご出身は?」なんて聴かれる事も多く、どこで生まれ、育ったかと言うのはその人のパーソナリティーを形作る大事な要素である様で。
例えば「関東の人は歩くのが遅い」とか、「北海道では冬場、ガンガンに暖房をたいて室内では半袖で過ごす」とか。それが合ってる間違ってるは今回無視するとして、結構育った地でカテゴライズされる機会ってのは多く。
同時に、「博多めんたい」「仙台牛たん」など、その土地での食文化ってのは結構、この出身地トークのお供としてよく語られる事って多い様に思います。
会話の場に、例えば一人新潟の人がいれば。あたかも新潟の全てを背負っているかの如き勢いでもって、新潟の食について語らなければならなくなる。
何故それが出来るかって、確かに今そう言う意味でボーダレスな部分っていっぱいありますが、それでもまだ、そこの文化を食べてきたと言う経験があるからで。
生きる基本である「食べる」を、何年もはたまた何十年もそこで経験してきたと言う事はつまり、それはその人の持ち物であると言えると思うんです。もしかしたら、その人の一部って言って良いのかも知れない。

つまり、加護ちゃんにとって奈良の食文化って言うのは加護ちゃんの持ち物、アイデンティティーの一部と言って差し支えないと思うんですよ。
そして、食べ物ってのは文字通りナマモノ。「食材」と形を変えればまた別の話になりますが、「料理」として完成してしまった時、それは中々他の地方に運ぶことは難しくなります。
故に、中々それを皆と共有する事が出来ない。ツアーで行ったとて、ゆっくり食事する時間があるのか無いのか、我々にはわかりませんからね。もしかしたら、無いのかも知れない。
それを、今回皆に伝える事が出来た。先ほど、加護ちゃんの優しさには「母性」の要素がある!だなんて妄想を大発表してみましたが、それってのはつまり言い換えれば無償に分け与える愛情みたいなもの。
自らの持ち物たる郷土料理を分け与えて、何か代価を受け取る訳では無く。強いて言えばその笑顔、美味しいって言葉が何よりの報酬だよ!と言わんばかりに満足している加護ちゃん。ああ、これはもうほんと、仮説が正しい事の表れとしか言い様が無い。

しかし、ただ「与える」のみで無いのが加護ちゃんの加護ちゃんたる所以。その満足感、喜びにプラスして、自分もそこに参加してしまう。
結構、究極の母性。母性のみで構成された優しさって、自分の参加を好まない場合って多いですよね。自分は良いから、みんなで楽しみなさいみたいな感じ。
その状況になったらなったで、満足してしまいそうなのが加護ちゃんではありますが。それよりもやはり、一緒に混ざって楽しんじゃう方が楽しいよーってのが、自分の考える加護ちゃんらしさでありまして。
こう、番組のシメを行う司会のなっちに、箸で被ってしまう程の没頭ぶり。皆がこれを食べてくれるのも嬉しいし、一緒に自分も食べられる事がまた楽しい。
「食いしん坊」うん。これもまた、加護ちゃんの構成要素なのかも知れないし、くだんのカブリに関して、これが少なからず影響しているのかも知れませんが。
同時にこう、そう言う楽しさがあるからそうなんだろなぁーって。そう思わせてくれるのもまた加護ちゃんならではなのかな、と。
でもって、そう言う姿を見ているとポケーっと。加護ちゃんが紡ぐ世界観で頭がいっぱいになって、ひたすら幸せに浸ってしまうのです。加護ちゃん可愛い。


4月3日

〜お休み明け〜

気付けば一ヶ月近く空いてやんの。

こんばんは、お久しぶりなYsDです。や、別に閉鎖とかじゃないし、ましてやヲタをやめた訳では無く。
えと、一応人並みに就職いたしまして。現在研修の真っ最中なのですが、ここ数日引越しだの何だのに終われており、3月25日以来久しぶりのネットワーク環境となっております。うわ、インターネットって楽しいな。

・・・じゃあ、12日〜24日までの休みは何なのか?ハィ、遊んでました。一応こう、多分忙しくなるんだろうなぁーって見越しはあって、実際忙しくて。ま、そうは言ってもようやく人並みと申しますか。今迄がお前、暇過ぎたんだよといわれれば、その通り。全くもって、返す言葉も御座いませんが。
人並み外れた暇人にとって、人並みの忙しさに忙殺されるのは物凄い勢いで簡単な話でして。とりあえず色々と、アレではありますが。
一応その、遊べなくなるなーって。未練じゃあ無いのでしょうが、とにかく悔いは残したく無い!と言う想いはあるのですよ。何であれ、これまでとは少し違う生活になるのは間違いないですからね。でもって、今までの暮らしってのも嫌いじゃなかった。むしろ、大好きだった。
だから、結構昼夜問わず遊んでいたのですよ。そうなると当然、中々更新に取れる時間は作りづらいもので。
基本的に、中途半端って概念が存在しないのです。故にこう、遊ぶ時は徹底的に遊ぶし、更新だって中途半端な量じゃ自分が先ず納得しないし。
初めは、書きたい事を書く為に手段であった「長文」が、それ自体目的になってしまってる感が無くは無いんですけどね。でも、短いとつまんないし。
で、結局引越し当日を迎えてしまったのですよ。色々やったっけなぁ。fateを物凄い勢いでクリアしてみたり。
でもって、未だ試用期間中ではあるものの、一応ボクも社会人。慣れ親しんだ実家を離れ、自分なりに一生懸命。粉骨砕身!と言ってしまうと気取りすぎではありますが、出来る事やんないのもイヤなんで、頑張ろうと。
なれない事をすると人間、しんどいモノです。ましてや不器用で能の無い自分の場合、「ハジメテノコト」ってのは中々に辛い。
故に、「お前もう既にその体制になってるじゃねーか」と言われれば、ごもっとも。結局事後承諾と言うか、既にやってるコトを今更になって言うだけの事ではありますが。
えと、毎日更新はしばらくムリかなー、って。一応まぁ、不定期になると思います。その辺はこう、今迄バカみたいに参戦してた生の機会を大幅に、物凄い勢いで、ほぼゼロに近く減らす、どころかゼロにする可能性大、な状態なんで、お察し下さい及びご理解頂きたいと申しましょうか。
平たく言うと、クタクタになって帰った後に更新できるかどうかわがんねぇよ、ってな感じで、お願いしたいと思います。とは言っても結構、案外規則正しく生活できる、せざるを得ない中実践出来てるんで、もしかしたらあやふやにフラフラに生活してた大学時代よりもむしろ書き易いのかも知れませんが。
まぁ、肩書きも変わり、住所も変わり。初めての一人暮らしっちゅー事で隣人との距離感、サヨナラのLOVE SONGはどの位の音量で聞いたら良いのかとか、考えつつお送りしていきたいと思います。正直、休んだ後って人減ってるんで書き易いって言えば書きやすくもあり。

ってな訳で、そんな生活を送っているのですよ。そうなると、残念ながらハローに触れる時間は恐ろしい位減るのです。
この新居だって、法人契約と言う事であてがって頂いたもので、某有名企業のアパートである故に壁に穴を開けられないし壁紙をうっかり剥がした!なんて事は許されない。
となると、ポスターが貼れないのですよ。この辺、何かお知恵のある方にはアドバイス願いたい所なのですが、そうなるともう圧倒的にハロプロ不足な状態になる訳で。
久々に、ゴチーンを今日見れたんですね。ゼルマでしたか?軽部兄の新番組にて、元気に可愛い真希ちゃんを見て。
あ、すげぇ可愛いなと。や、知ってるんですけどね。分かってるんだけども。やっぱ可愛いなと。
割と、一日中ポスターだの何だのだらけの部屋にいるとその可愛さに触れる機会って多いじゃないですか。そうなると、ある意味見慣れる。可愛い、けど、それが当たり前。
どっちかって言うと楽しいからーとか、アツいからーとか、曲が好きだからーとか、そう言う部分に対する比率が高くなってくる。
それはそれで、凄い良い事だとは思うんです。我が事ながら。そりゃ、アイドルなんだから「可愛い!」って形で支持されるのは素敵な事だけど、本質の部分中身の部分。せっかくこう、厳しいレッスンとかで磨いている訳で、一般によく言われる「ふざけてる」とか、そんな気持ちであの場に立っていられる訳では無く。その辺に目を向けられるのは非常に楽しい事ではあると思います。ヲタって言うか、興味を持って触れている以上。
ただまぁ、同時に「可愛い」って部分も大事だよと。まぁ、堂々巡りなんですけどね。可愛いだけじゃつまらないが、実際可愛いって部分も凄いベクトルを持って存在していると。
「中庸」って言葉大好きなんですけども、何事もバランス感覚って大事じゃないですか。可愛いだけ観ててもつまらないけど、可愛い部分を完璧に見逃すのもつまらない。
つまりまぁ、たいへん目に着き易い部分、分かり易い所にあるから、先ず注目され。そこだけ重視してると煙たがられる部分、軽んじられる部分ってのもあるけれど、だからって無視しちゃいけないのがこの部分。
選ばれて、努力する。どちらが欠けても一流芸能人なんて夢のまた夢になってしまうものだと思いますが、この前提部分の「選ばれる」のに重要な要素となってくる可愛さの部分。
両方欠けちゃいけないんだから、後半部分の「努力する」事によって得たスキルだけでは無く、どちらも気にしてた方が楽しいだろなぁーって。相変わらず、当たり前の事しか言ってないんですけどね。

この、「可愛い」ってのは見た目だけが良いんじゃあ中々満たせずに。例えばラジオ聴いてて何で萌えるかって、キャラ部分個性部分中身の部分が「可愛い」からそうなるんですよね。
勿論、思い入れとかそう言う部分が関係してるって事は分かるけれども。その思い入れだって、外見と一緒に中身を見続けてきたからこそ生まれた概念の筈。
文武両断!みたいな勢いでもって、基本的にリスペクト出来る。このリスペクトってのは何も堅苦しい感じだけでは無く。例えば、頑張ってる姿って、今更言うのも照れくさいけど良いものですよね。ハロモニでなっちが言ってた通り、時には感動すら呼ぶ。
ハローの何が良いって、そこもかなり良い訳で。何かおいらの「可愛い」って範囲が広いみたいで、そう言う部分を見てもすげぇなぁ、そして可愛いなぁと、そう思うのです。

「後藤真希が司会をする」と言う点。これだって、一昔前なら中々考えられなかった訳で。
そう、ありましたよね、無愛想とかそう言うイメージ。それを作った要因の一つって、中々周りのペースに合わせて喋れないってのがあったと思うんです。
だからダイバーは素晴らしかったんだよ!と言う主張は置いておいて、その彼女が色々と話をブン回しつつ自分も前にある程度でなければならない司会をやるってのは中々考えられなかったのですが、最近見てると案外そうでも無いかな?と思える様になってきたのも事実。
お世辞にも「オーソリティー!」と言う訳には行かず、まだまだこう、対外的にどうこうしていくのは難しそうではありますが。
でも、姿勢みたいな部分。それは見えてきてると思うんですよね。一生懸命話を聞いて、反応しようとしてみたり。それが妙に一生懸命で、物凄い勢いで和んでみたり。
結局、実践の中で見ていかないと分からない部分ってあると思うんです。大体物事ってそう。やってかなきゃ身につかない部分って言うのはあります。
芸能人の場合、その実践が公の目に触れやすいって特徴がありますよね。それを利点と取るか、逆ととるかはまた別の話ですが。
だから、段階的に観ていくに今は姿勢が出来ているって言うのだけで歓迎すべきだと思うんですよ。嗅覚するどい彼女のこと、ストーンとハマれば直ぐに極めてくれんじゃないかなー?って期待も含めつつ。
その姿を総合して、「可愛い」と言う事も出来る訳で。試行錯誤したり四苦八苦したり、色々ありながら少しずつでも手応えを感じている姿ってのはやはりキラキラしていて。
最近よく聴くんですよ、真希ちゃん可愛くなったって。確かにまぁ、常に24時間365日、可愛い可愛いと思ってる自分からしても、その可愛さを増している感じと言うのは確かにあって。
それは、こう言う積み重ねが良い影響を与えてるのかもしれないなって、思うんです。久しぶりに、喉が渇いたのを我慢して呑んだビールの美味しさ!みたいな感じで、渇望していた喜びも含めて、今日触れる事の出来た可愛さ。
こう言う経験を絶えず、何度も何度も繰り返しているからこそこんな、後戻り出来ない程のヲタが出来上がるんだなって。

だからまぁ、生が減るってのは正直イタいんだけども。でもまぁ、一応今迄ってのはそれはそれでちゃんと「大学生」しながらの参戦だった訳で。
今の年齢、立場、諸々含めたうえで出来上がる「あるべき姿」にあったうえで、趣味の部分ーこの場合はヲタ活動ですわなーも出来るってのは、凄い事ですよね。
だから、ちゃんと生きてそれで推していけるならそれは最高の事。忙しいって言ったって、休みが無い訳じゃなし。ちゃんと与えてもらってる中で、それを活用出来るか、それを利用して生の機会を設けられるか否かって言うのは、もう自分の問題。
自己を高めつつ、ヲタを高めつつ。いけたら最高ですよね。中々そうなるまでに時間を要するとは思いますが。
そんな感じで、YsD及びawkwARdセカンドステージ、今迄以上に楽しく、過激に、充実していけたら良いなぁなどと思ってみたり。んでわでわでわ、改めてよろしくお願い致しますですー。


全てはメロン記念日の為にPKOコイハモモイロあさみばうわう娘。アンテナガイドソニンマガジンズハロー!ミキティー
YsD モーヲタ住基ネット に参加しています