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その昔、ウィルという鍛冶師の息子がいた。 彼は素行も性格も野蛮で、死者の門で聖人を騙して冥府に落ちた。 希望も明日もない深淵の中で、悪魔にさえ哀れまれた彼が受けたものは、たった一輪の儚い明かり。 それは時に墓場の底から、そして時に石畳のずっと向こうから、微かな断末魔となって現世を弱く照らし出す。 「ハロウィン、ね」 ―――俺はまだ 生きていたいんだ―――と。 言葉にならない声の変わりに、魂の証を光に代えて、いま命あるものに訴えかけるのだと、そう言い伝えられている。 それは今の世では『ジャックランタン』とか、『ウィルオウィスプ』とか呼ばれ、こうして小さな港町で、神秘とは縁遠いカボチャをくり貫いた蝋燭となって、噴水を中心とした広場を鮮やかに彩っている。 ちらちらと夜を切り裂く灯明は、もはや形骸化した無意味な玩具に過ぎないけれど、その美しさだけはかつて尊ばれたであろう神秘を伴ったままだ。 魔よけの光。 彷徨える死者への誘い。 膝を抱えてそれを見る少女が、それを 「憧れるよね。こういう形の解りやすい幸せ、とかさ」 焦がれずにはいられなかった。 夜気に冷えた街路樹に背を預けて、見上げた夜空はこんなにも月の蒼い夜だったから。 暗がりの若葉を思わせる能力の髪と、映した月にも似た琥珀の虹彩。抱えた膝から除かせる素肌は闇が染み込んだ様な褐色で、身を守るよう立てかけた棒状の麻布からは微かな血の匂いがする。 それはどう見ても、ハロウィンを謳歌する子供達に相応しいなりではなく―――けれどどう見ても、彼らの中に混じっていくべき少女にしか見えなかった。 「まあ。君はこういうお祭りは嫌なんだろうけど」 そこだけは地肌がむき出しの花壇に腰かけ、訥々と少女は語る。 近くには誰もおらず、熱っぽい瞳で見詰める同い年の子供達は、噴水のずっと向こうにある屋台のほうではしゃいでいて、少女の呟きなど届きそうもない。 「憧れるんだ。やっぱりさ」 “麻布にくるまれた棒切れに話しかけている”。 そうとしか思えない調子で、再び少女は言葉をつむいだ。 膝を抱え、酔ったような眼で羨ましがる仕草はどこかさびしそうで。 けれど決して手も足も動かさないその様は、自分の境遇を割り切っているようでもあった。 「……。解ってるよ。あたしはあそこにいたらいけない」 頷いて、浅く笑う。 世界を恨むような、捻くれた笑顔だった。 それもそうだろう。『ハロウィン』という魔物を嘲笑い、魔物を遠ざけるその祭りは、彼女にとって皮肉以外の何者でもない。 立ち向かうことも混ざり笑うことも出来ず、ただこうして見ているしかないのだ。 ―――そうして朝は明けて。 虚しさだけが魂に残り。 少女は少しだけ、世界の寒さと固くなる心を自覚して。 そうして―――祭りは終わる―――そのはずなのに。 なのに、誰も予期しえないトリックが起こるのは。 「どうしました。あなたも混ざればいいではないですか」 それはきっと。 こんなにも 月の青い夜だから。 「あ……」 街の運営委員会か何かだろうか。 座り込む少女の傍で、いつの間にか一人の男性が立っていた。 黒い外套に馬鹿でかい鎌。三日月よりも妖しく、剣よりも雄々しい犬歯は、彼が吸血鬼の仮装を纏っていることを示している。 「いえ。その。あたしは……旅の者ですから」 「自分もそんなものですよ。たまたま手伝いで出ているだけです」 戸惑いつつ少女が遠慮すると、男性は―――いや、吸血鬼は、淡々と存在を肯定した。 「いいではないですか。今日ぐらいは」 不思議な人間だった。 気弱そうな顔と痩せぎすないでたちのくせに、その様相は人を捕らえて放さない。世界に絶望しているような黒潰しの虹彩は、多分闇のせいだろうと予想が付いても、哀しみを覚えずにはいられなかった。 「……」 「いいでしょう。今日ぐらいは」 同じような言葉を繰り返し、吸血鬼はごそごそと外套を弄った。 そして、幾つかの飴玉を取り出して、少女の前に手をかざす。 「……いいんですか?」 「ええ」 す、と開く少女の手と。 す、と開く吸血鬼の手。 ぱらぱらと星屑のように飴玉が落ち、柔らかな少女の皮膚に沈んでいく。 「……」 「ではよい夜を。トリックオアトリート……でしたっけ?」 「……はい」 涙にも似た飴玉を受け取って、ようやく少女は浅く笑う。 世の中を恨んだりなんかではない、年相応の軽やかな笑顔で。 「……あの」 去ろうとする吸血鬼の背を、少女は声をかけて呼び止めた。 「あの……」 少し、俯いて迷いながら。 「ありがとう。なんか……今もお父さんがいたら、こんな感じかなって。懐かしかったです」 そう言って、ぺこりと頭を下げた。 その仕草に、吸血鬼は微笑んで――― 「いいえ。いいだろう、と思ったのですよ」 そう告げ、そしてこう続けた。 「良かったですね。今日は“魔物がいてもいい日”ですから」 と。 余りにも感情の欠落した。 それだけは恐ろしい、闇そのもののようなおぞましい声で。 「……。明日はもう、ここにはいられないね」 寂しいような、切ないような声で、少女は棒切れに語りかけ、飴玉の一つを口に放る。 酸味の利いたプラムの味は、なぜか“別れ”という言葉を連想させた。 ―――遠くでは、今も子供達が魔物の祭りに声を上げている――― 多分ただ二人を除いて、この街の誰も知らない。そして明日には、誰一人として知らなくなっているだろう。 この日この夜この街で、二人の魔物が夜に焦がれていたことを。 ほんの少しだけすれ違った、優しさと殺意と哀しみのことを。 真実を知るものは僅かだけ。そしていずれ、誰一人として知らなくなる。 闇の中から闇の中へと消えていく―――それはまるで、揺らめくジャックランタンのように。 それでもいつか、また二人は会うだろう。 恐らくは剣を持って。恐らくは屍と殺意を以って。 そう。 またいつか。 会うだろう。それはきっと、こんな月の蒼い夜に―――
〜END:また月の蒼い夜に〜 |