百里基地の訓練日と休日
原則的に訓練は月曜日から金曜日に行われていて、土日祝日は飛行訓練は休みです。年に数日演習や戦技競技会の訓練などで土日に飛んでる時もあります。また日曜日でも他の基地で航空祭が開催されている場合、百里基地から航空祭に参加するするため上がるところと、航空祭が終わって帰って来たところが見られます。
それから、百里基地は朝霞の陸上自衛隊観閲式と海上自衛隊観艦式の前進基地になっていて、観閲式と観艦式の開催日には上がるところと降りて来るところが見られます。
平日でも、台風など悪天候時は飛行訓練は中止になります。また年度末や年末年始、GW期間中、お盆の頃の1週間くらいは飛行訓練が行われていないので注意して下さい。
原則的に月曜日と火曜日に夜間飛行訓練があります。月火が悪天候の場合は火、水曜日に行われる場合もあります。
通常、訓練時間は最初に9時頃から上がりはじめて昼頃までに全機帰って来ます。昼からは13時頃から上がり始め16時頃までに全機降りて来て訓練終了です。冬は16時ころで終わりですけど、夏は17時ころまで飛んでます。普通上がったら40〜50分くらい待ってると帰って来ます。
夜間飛行訓練は、冬は17時頃から、夏は18時頃から始まりアフターバーナーの赤い炎を出しながら離陸するF−15やRF−4を見ることができます。夜間飛行訓練は、20時頃までに全機降りて来て終了します。
基地までの交通
電車
JR常磐線「石岡駅」下車、タクシーで約40分(約17km)
鹿島鉄道「常陸小川駅」下車、タクシーで約20分(約10km)
自動車
常磐自動車道「千代田石岡IC」から約45分(約22km)
石岡方面から百里基地に行く場合は、国道355号線を玉造町・潮来市方面に走ります。左側に「おかめ納豆」の工場が見えてきます。その手前を左折します。左側にファッションセンターしまむら、カスミなどのある道路を直進します。
右側に「茨城トヨペット小川野田店」が見えてきます。そこの信号を右折します。関係ないかも知れないですけど、茨城トヨペットの本店は水戸市ですが、創業者は小川町の人だそうです。
そして直進して行くと左側に「ふじい」というスーパーがあります。そこを左折し走って行くと、前方にバイパスと旧道の二股に分かれたところに来ます。右側の旧道の方を走って行くと行き止まりが北門です。
ここは基地全体が見渡せ、百里基地で最も見物人の多いポイントで駐車している車の数も多いです。仕事中に休憩を兼ねて見に来ている営業車や工事業者とかの車も見かけます。
R/W21からの上がりの場合、アーミングエリアからR/Wに入って来て離陸するところが見られ、物凄い音で迫力があります。地響きがフェンスの外まで伝わってきます。
![]() おかめ納豆 | 茨城トヨペット | ふじい |
北門入口 | ![]() 北門 | ![]() 北門の見物人 |
百里基地所属部隊
航空自衛隊
第7航空団第204飛行隊 F−15J/DJ,T−4
第305飛行隊 F−15J/DJ,T−4
偵察航空隊第501飛行隊 RF−4E/EJ,T−4
航空救難団百里救難隊 U−125A,UH−60J
茨城県警察航空隊 ベル206L−4,川崎BK117C−1
雄飛園
百里基地の正門を入って左側に「雄飛園」という広場があります。ここには、過去空自が使用していた用廃のF-104J、F-86D、F-86F、T-33の、4機種が展示されています。
F−104は台の上に載せられ飛行中の形態で展示されています。
また、「F-4EJ発祥の地」、「ここに百里原海軍航空隊ありき」などの記念碑、慰霊碑があります。
「雄飛園」は、日中であれば正門で名前などを書けば見ることができるそうです。
航空祭の時、ついでに見たことはありますが、平日には正門から入って見たことはありません。今度、行ってみようかなと思います。
百里基地正門
政府は、首都圏に航空自衛隊の戦闘機基地を建設する必要性が生じたため、旧海軍百里原航空隊の飛行場跡地で戦後開拓農民が入植していた茨城県東茨城郡小川町百里原に基地を建設する計画を立てました。
1956年5月、その用地取得については当時の小川町長幡谷仙三郎氏らの協力で準備を始めましたが、地元では基地建設反対運動が起こり、開拓農民や町民の間に反対運動の団体が組織され、リコール運動が展開されました。
1957年4月の町長選挙で幡谷氏は落選し、基地反対派の指導者の山西きよ氏が町長に当選しました。
政府は、防衛庁東京建設部の係官を小川町に派遣し、土地所有者らと折衝を重ねて次々と売買契約を成立させました。1958年3月頃には大部分の用地買収を終了しました。
1938 筑波海軍航空隊百里分遣隊設置
1939 百里原海軍航空隊開隊
1946 東茨城郡橘村開拓団、旧百里原飛行場に入植
1956 防衛庁百里基地設置計画を発表
防衛庁、小川町に自衛隊航空基地設置を正式通告
1957 防衛庁、深井戸灌漑施設の取り壊し作業を開始
防衛庁、百里原の測量開始
1958 百里基地滑走路測量開始
管理隊22名、百里基地到着
1959 航空自衛隊員360名、百里基地到着
百里基地内PX発足
1069 百里基地柵工事開始
1961 百里基地内と周辺農家46戸に電気、点灯
県道大和田から百里基地営門までの町道、車馬通行禁止
1962 滑走路工事、3年ぶりに再開
1964 基地予定地内の7戸、防衛庁に土地売却
1965 Tー33×2機、百里基地に初飛来
F−104J2機配備
第206飛行隊編成
1966 百里に土地を持つ会結成、一坪地主202名誕生
第207飛行隊発足
1967 F−104J、美野里町に墜落
発進中のF−104J2機接触、1機の補助タンク炎上
自衛隊創立記念日観閲飛行の帰路、F−104J山林に墜落
事故により、第2回航空祭中止
第7航空団、入間から百里へ移動
第7航空団、アラート任務に就く
206、207両SQ同時にスクランブル即応体制となる
1968 百里基地発進のF−104J、金沢市の住宅街に墜落
F−104J、那珂湊沖に墜落
1972 F−4EJファントム戦闘機、百里基地に初飛来
臨時F−4EJ飛行隊が編成
207SQ那覇へ移動
1974 百里基地で偵察機強化パイロット養成始まる
RF−4E 2機、百里基地に到着
1975 偵察航空隊第501飛行隊、入間から百里へ移動
1973 臨時F−4EJ飛行隊、第301飛行隊となる
1976 旧射撃山に「自衛隊は憲法違反」の看板を設置
政府、百里基地を特定防衛施設に指定
ソ連戦闘機ミグ25、函館空港に緊急着陸
ミグ25、百里基地へ移送
ミグ25、百里基地から日立港へ陸送
1978 第305飛行隊発足
第206飛行隊解隊
第301飛行隊アラート任務開始
1979 第305飛行隊、アラート待機可能となる
1984 F−15準備飛行隊設置
1985 第204飛行隊、第7航空団へ編入
第301飛行隊、第7航空団から第5航空団へ移動
1986 第305飛行隊、戦技競技会初優勝
1992 RF−4EJ、1号機納入
1993 第305飛行隊、イーグル飛行隊転換訓練開始
1998 航空訓練展示
1999 第305飛行隊、グアム島での日米共同訓練に参加
航空観閲式
2000.10 第20回百里基地航空祭
2001. 1 防衛庁長官百里基地視察
飛行教導隊、百里基地に来る
空自航空機性能諸元
航空自衛隊の主な部隊の所在地
茨城県内の陸自駐屯地
百里基地の近くで見られるT−33
百里基地のT−4
百里基地所属飛行隊の紹介
ドキュメント’96
「爆音と農地・百里の闘い」
1996年2月4日深夜0時15分から、日本テレビで放送されました。
第2次世界大戦後、東茨城郡小川町にあった旧海軍百里原の農地は、農地として開拓されました。
しかし、農業が軌道に乗り始めた1955年、政府は航空自衛隊の基地建設を計画し、現在の航空自衛隊百里基地が作られました。
当時、農家の人々は激しい反対運動を展開しました。
国側も、反対派に対し切り崩しを進め、残った反対派農家は、わずか8戸だけとなりました。
残った反対派農家は、反対派のリーダーを中心に活発な運動を続け、基地の敷地内に「平和公園」を、また基地のとなりには「平和農園」を作りました。
反対派のリーダーの日常を取材しながら、基地建設の問題点を考える番組でした。