Wizardry Bane of the Cosmic Forge を振り返る

2007年5月


新Wizardryの記念すべき第一作にしてWizardryの第六作である「Bane of the Cosmic Forge」が発売されたのは、もう15年ほど前になります。
従来のシステムを一新し、全く新しい作品として生まれ変わった「Bane of the Cosmic Forge」ですが、発売された当時の日本では正当な評価をされることは稀でした。
ゲーム雑誌などでは、次のような意見が良く見られたものです。

「迷路やキャラクタの顔のグラフィックが表示されるなんて、想像する余地がなくなる」
「モンスターがアニメーションするなんて・・・」
「魔法のシステムが一新されるとは・・・」
「こんなのWizardryじゃない!」

特に酷かったのが、グラフィックを強化したことに対する反対意見です。
ことあるごとに「想像する余地がなくなる」を連呼するプレイヤー達。

何に呆れたかって、彼らは「Bane of the Cosmic Forge」を全く遊んでいないうちから叩いていたわけですよ。
日ごろから「Wizardryは見た目じゃない」「ゲームは見た目じゃない」と声高に叫んでいたくせに、いざとなるとコレですから。

「ゲームを見た目で判断してるのは自分たちじゃねえか!!」

そう思ったものです。

彼らが「想像力」を連呼したのは、なぜでしょうか?

ファミコン版Wizardryが発売された頃から「ファミコン必勝本」誌を中心に始められた洗脳活動、その影響を無視することはできません。
「ファミコン必勝本」誌では、刷り込みのように「Wizardryは想像力」「Wizardryは想像力」と繰り返し読者に訴えました。

活動の影響力は絶大でした。
「Wizardryはグラフィックが弱く、シナリオもないに等しい。しかし、だからこそ、プレイヤーは作品の世界を想像して楽しむことができる。Wizardryは想像力のゲームなのだ」
という意見は、ゆるぎない真実と認識されるに至ったわけです。

誤解のないように断っておきますが、私は「ファミコン必勝本」誌が大好きで、もっとも素晴らしいゲーム雑誌のひとつだと思っています。
しかし、「Wizardryは想像力」洗脳活動が行われた事実を否定することはできません。

「Bane of the Cosmic Forge」の日本語版が発売されると、否定的な意見はますます強まりました。
グラフィックの強化を非難する意見が根強いのはもちろん、村正などの強力なアイテムが固定で入手できることに反対する意見も目立ちました。
日本では、同じ時期に発売された「ウィザードリィ外伝1」が好評だったこともあり、何かにつけ「Bane of the Cosmic Forge」と比較されたものです。

新Wizardryを否定する流れはこの後も続き、続編の「Crusaders of the Dark Savant」が発表されると、以前にも増してグラフィックの強化を非難する意見が相次ぎました。

もちろん、ゲーム誌や書籍に載るすべての意見が否定的だったわけではありません。

「RPGマガジン」誌は、「Bane of the Cosmic Forge」を否定する意見を、次のようにバッサリと切り捨てました。
「そんな保守的な考え方を持っていたら、ゲームはいつまで経っても進化しない。システムは昔のままでも、つまらなかったらWizardryとは言えないだろう?」

「Bane of the Cosmic Forge クルーブック」も、作品を冷静に評価し、進化を認めていました。

しかし、「想像力派」の新Wizardry叩きは続きました。

作品の本質を見ないで、上っ面だけで判断して叩く意見。
客観的に作品を見ようとせず、感情に任せて作品を否定する意見。

そんな最中に現れたのが、あの「The Elder Scrolls」シリーズだったわけです。
延々と続く中身の無い議論に嫌気がさしていた私は、Wizardryを離れて「The Elder Scrolls」シリーズにのめり込むことになりました。

「Arena」を遊んだ瞬間に思いましたからね。
「ああ、これはWizardryだ」と。
日本で保守的なプレイヤーが新Wizardryを叩いているうちに、海外では正統な続編が作られていたのだなあ、と。

Wizardryから生まれた(と私は勝手に思っている)「The Elder Scrolls」シリーズは、今では世界で最も有名なコンピュータRPGシリーズになりました。
一方、日本では、いまだにファミコン版Wizardryの焼き直しのような商品が作られ売られています。

私は別に、古い作品を貶すつもりはありません。初代Wizardryは素晴らしい作品です。
しかし、古いものにばかり囚われて新しいことをしなかったら、ゲームは進化などしません。

さて、話を本題に戻します。

「Bane of the Cosmic Forge」で作者がやりたかったことは、何でしょうか?

「コンピュータRPGを芸術の域まで高めること」です。
これはBradley氏がインタビュー記事(「Bane of the Cosmic Forge オフィシャルデータブック」に掲載)で明かしています。
その目的のために、「ロールプレイングゲーム(テーブルトークRPG)」の様々な要素を盛り込んでいったわけです。

実際に遊んで分かることですが、「Bane of the Cosmic Forge」はロールプレイングゲームとしての完成度が、従来のWizardryと比べて高められています。

それまでのWizardryでは、キャラクタが行えることは戦闘くらいしかなく、「性格」さえも単なるパラメータに過ぎませんでした。
しかし「Bane of the Cosmic Forge」では、キャラクタ達をより細かく演じることができます。
キャラクタの育て方、NPCとのやり取り、ゲームの解き方、戦い方にまで自由があるからです。

ひとつ例として、最初に遭遇するNPC「クイークエグ」とのやり取りを挙げましょう。
正直なキャラクタを演じるプレイヤーは、クイークエグ相手に丁寧に対応し、情報を与えることでしょう。
チンピラを演じるプレイヤーは、クイークエグに対して盗みをはたらくことでしょう。また、情報を与えた後に殺して、宝を自分たちの物にしようと考えるはずです。

どちらが正しい、ということはありません。これはロールプレイングゲームなわけですから、プレイヤーの望むままに演じれば良いわけです。

この特徴は、続編の「Crusaders of the Dark Savant」でより強化されました。
「Crusaders of the Dark Savant」は、コンピュータRPGの一つの頂点を極めた作品と言っても、言い過ぎではないと思います(日本では評価されることのない作品ですが・・・)。

Wizardryはもともと、コンピュータでロールプレイングゲームを再現することを目的に始まった作品です。
新Wizardryは、その目的をより先に進めたわけです。
これこそ、作品の正常な進化ではないでしょうか?

グラフィックの強化など、オマケのようなものです。
私は素晴らしいグラフィックはゲームに必要なものだとは思いません。が、ゲームをより多く売るためには必要だと思います。
いくら素晴らしい作品でも、見た目が悪くては売れません。より多くのプレイヤーに遊んでもらうためには、時代に合わせたグラフィックの強化は必要なわけです。

新Wizardryはグラフィックを一新することで、「これは全く新しいWizardryです」と、ユーザにアピールしたわけですよ。
ダンジョンがグラフィックで表示されると言っても、城も山も森も同じグラフィックです。顔グラフィックだって、大きな意味はありません。
それを揚げ足取りのように「想像する余地がなくなる」と騒ぐことに、どれだけの意味があるのでしょうか?

次回からは「Bane of the Cosmic Forge」のりプレイを開始します。


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